魔王死す
成廉は普段通りの調練が済むと、白鈴と思しき渭陽公の屋敷に向かった。昨日とは別の門番が立っていた。
「ご用件は」
「中郎将呂布奉先麾下所属、成廉と申します。渭陽公にお目にかかりたい」
「承知しました。しばらくお待ちください」
門番が従者に取り次いだ。
大して時間はかかってないのだろうが、成廉にはこの時間がとてつもなく長く感じた。しばらくは従者は帰ってこなくて、成廉は門の前で行ったり来たりした。
ようやく従者がゆったりと出てきた。
「まことに残念ですが、成廉様とは面識が無いため、嵋城への引っ越しの準備を優先するとの事です」
「そう、ですか……」
つまり、これは本当に白鈴は渭陽公ではないかもしれないし、逆を言えば白鈴が自分の正体を晒したくないが為とも考えられる。
その言葉を求めていたのか、それとも渭陽公が白鈴だったら良かったのか、成廉は自分でも判らなかった。
――一体、僕はどうすればいいのか。
面会拒否された以上、ここは引き下がるしかない。
押し入ってでも白鈴に会いたい気持ちだったが、董卓誅滅の計画が進んでいる以上、大事を起こすわけには行かなかった。
董卓が成廉の身辺を取り調べれば、計画は露見されてしまうのだ。
近くにいるかもしれない白鈴を前に成廉は何もする事が出来なかった。
渭陽公を含め、董一族が嵋城に移住した。
成廉は計画実行の新年が近付いても相変わらず白鈴の姿を求めて長安の街中をさまよっていた。
呂布や魏越らが密かに兵を手配している間、成廉は何も手伝わなかったのだ。
さすがに不審に思った魏越と張遼が呂布に許しをもらって成廉をつけてみると、成廉は特に何かするわけでもなく溜め息を吐きながら雷音とぶらぶらしているだけだった。
人の多い大通りを抜け、人気の無い裏路地に入り、北の貴族達の屋敷が立ち並ぶ中の一軒の前に着いた。
そこでもう一度大きく、成廉は溜め息を吐くのだ。
苛ついた声で魏越は成廉に呼び掛けた。
「おい! 廉!」
成廉は驚いた様に振り返った。そして、魏越と張遼の存在に気付くときまり悪そうに俯いた。
「この間も聞いたが、一体全体何があったんだ?」
「俺達に相談出来ないことなんか無いだろう?」
渭陽公を含め、董一族が住んでいた長安の北、宮廷近くは臣官が多い。色々と話をするには人が多過ぎる。三人は信頼でき個室のある、いつもの酒屋へ向かった。
「で?」
「で? って言われても……」
成廉は苦笑いしながら二人を交互に見た。
「じつは……。ああ! やっぱり言えない!
僕に構わないでくれよ」
魏越と張遼は顔を見合わせた。
――口に出来ないなんてよっぽどの事だよな??
それでも二人は悩みの解決方法を考えてやらねばならない。ただでさえ董卓誅滅計画が近くてピリピリしているのだ。大きな悩みのあるような者が計画に関わっては支障をきたす。
「まぁ、酒でも飲め」
魏越は店で一番強い酒を注いでやった。
漢の酒は余り強くない。後に曹操が新たな酒造方を発案するまでは子供でも飲める程度だ。この酒は西域より仕入れられたものだった。
成廉は勧められるまま杯を空にした。するとどうだろう。成廉は次々と酒を飲み始めた。少々酔ってくると、上機嫌に肴の鹿肉を口に運ぶ事に集中していた。
が、これは強い酒。いつもとは訳が違う。
成廉は急に白鈴の事を思い出すと声を上げて泣き始めた。これには二人とも驚いた。
普段涙を見せない成廉が声を上げて泣いているのだ。これは本当にただ事ではない。
二人は必死に慰めようとしたが、成廉は首を振りながら白鈴の名を連呼する。なかなか手をつけられる状態ではなかった。
「いつも最初に酔っ払うこの俺が誰かを介抱するなんて考えもしなかったぜ」
普段の酒屋での三人なら成廉と魏越は逆である。
「ところで越、廉の言う『白鈴』は誰なんだ?」
「うーん、誰だろう。どっかで聞いたことが……ああ、そうか」
魏越はいつぞやの成廉と二人、洛陽の酒屋で飲んでいたときやって来た華美な服装の少女を思い出した。
「白鈴ってのは廉と仲のいいガキで……。
ん? 待てよ、でも歳は十四で……あれ?
なんかお似合いで…」
・
・
・
「結局、成廉と相思相愛に見えてチャラチャラしたおなごって事だな」
長々、だらだらと魏越の説明が終わると張遼は結論付けた。
「まぁ、そういう事だ」
「って事は……」
「事は……?」
「廉はそのおなごに振られたって事だ!」
張遼はニヤリとしながら推測した。
「でなきゃあ、ここまで泣くか?普通」
「廉は白鈴に本気で惚れてた訳か」
なるほど顔で魏越も頷いた。
二人は成廉を挟み込んで座るとそんな女忘れちまえ、と慰めた。
「子供なんか狙うからそうなるんだよ。長安にいい女は腐る程居るぜ」
しかし、魏越は大抵の器量のいい女は董卓に召し上げられている事に気付かない。
「馬鹿越! めぼしい女はもういないぜ。それより廉、いい女が揃ってる店、知りたくないか?
この際遊女でもいいんじゃんか」
意外にも張遼は女遊びに手練れているようだ。
しかし、少し落ち着いた成廉は話がどんどん違う方へ逸れるのが我慢ならなくなってきた。
「……違うんだ」
酔いが手伝い、成廉は二人に全てを話す事にした。
「??」
「何が違うんだ?」
「僕は白鈴に振られた訳じゃない」
二人は成廉に耳を傾けた。結局、成廉は振られた事を認めたくないだけだという事を期待しながら。
「白鈴は……董卓の孫娘らしいんだ」
「……冗談だろ」
二人は成廉が酔いに任せておかしな事を言い出したのかと思った。
「絶対じゃないけど……多分本当だ」
「証拠は?」
「董一族の実家は朧西郡の天水だ。白鈴も朧西の南安から来たって言ってたし、姫って呼ばれてた。普通の身分じゃない」
「それだけで決めつけるのは……」
「それだけじゃない。董卓が孫娘に贈った爵位は?」
魏越は首を捻ったが張遼は答えた。
「……渭陽公」
「そうだ。この間白鈴の後をつけた時、白鈴は渭陽公の門をくぐって行った」
二人は真剣に耳を傾けた。どうやら本当の本当にただ事ではない。白鈴はこれから殺そうと計画している男の孫娘だというのだ。
成廉は更に付け加える。
「その後門番に今通った白鈴について聞いたんだ。……そしたら白鈴が渭陽公だ、って」
「……」
しばらく沈黙が続く。誰も何と言えばいいのか分からなかった。
「それで、白鈴は今まで自分の正体を言ってくれなかったのか?」
「越だったら、わたしはあの人を煮殺す事が趣味の董卓の孫娘です、って言えるのかよ!」
「そう……だよな」
魏越は成廉の心の苦しみを少し感じ取ったのか下を向いて、黙り込んでしまった。
「まだ惚れてるのか?」
張遼は静かに聞いた。
「…………う」
「やっぱり忘れちまえ!」
張遼は成廉に言い放った。
「そんな雑念は計画に必要無い。今ごちゃごちゃ考えたって、とにかく董卓誅滅を優先しなきゃいけないんだ!」
目を赤く腫らした成廉はゆっくり顔を上げた。
「俺達は董卓を放って置くのか??
董卓を殺したら天下は乱れるかもしれない。でも、あんな奴を放って置いたら駄目なんだよ!
俺達は董卓を殺す! そう決めたじゃないか」
少し張遼も酔ったのか熱っぽく語った。
「董卓を殺して天下を救うんだ! その気持ちは廉も同じだろ?」
成廉は小さく頷いた。
「だったら……女なんて忘れるんだ」
「分かっ……た」
その後はいつも通り三人とも飲んだが、最終的に歩けなくなる程飲んだのは張遼だった。少々董卓絡みの話になると熱くなってしまうからかも知れない。
今日は不思議と魏越は酔わなかった。
魏越は酔っ払った張遼を担ぎ、よろよろ歩く成廉を連れて店を出た。
「今日はありがとねん。色々話すたら本当にすっきりしたん」
成廉はなかなか舌が回らなかったが魏越になんとかお礼した。
「いや、いいんだよ。いつも悪いな、俺がこんなに廉達に迷惑かけてるとは思ってなかったぜ」
そう言うと魏越は背中で寝ている張遼を顎でしゃくった。
「それにしても……」
「んー?」
「本当にいいのか? まだ惚れてんだろ?」
「……」
しばらく成廉は黙っていたが、ゆっくり空を見上げた。
「もういいんだよ。すっきりしたっていったろ。僕達にはやらなきゃあいけない事があるんだ」
「……そうか」
それでも魏越にはそれが本心に思えなかった。
西暦一八二年、元日。
嵋城では盛大な新年の宴が催された。董卓は文武百官招待した。
もちろん、宮廷でも新年の宴が催されていたが、董卓に逆らう事を恐れた者がほとんど嵋城へと向かったので、淋しく静かなものとなった。
しかし、時の帝・協はめでたい日にも限らず、心落ち着かなかった。
「王允よ、無事に事は進むだろうか」
「陛下、どうかご安心ください」
王允は猫なで声で協をあやす様に言葉をかけた。『事』とはもちろん董卓誅滅の計画である。
協はまだ数え年十二。あの人々から魔王と呼ばれる男を殺すのだ。明るみに出れば、董卓は帝と言えども容赦しないだろう。心配しないほうがおかしい。
この日、協は密かに王允としたためていた帝位禅譲の詔を董卓に送っていた。
臣下とは董卓が漢帝国を纏め、その数々の功を評価して禅譲するという事で申し合わせていた。この計画を知っている者はちょうど宮廷の宴に招待されている者だけだ。
「董卓は詔をすぐにでも受諾して長安に来るでしょう。後は我らにお任せください」
王允をはじめ、臣下のほとんどが董卓は己の権力に溺れて驕り高ぶっていると疑ってない様である。
しかし、協はそうは思わなかった。帝位について以来、董卓を近くから見てきた。
董卓は好き勝手、欲望の赴くままに振る舞っている様に演じているに過ぎない。どうすれば人々が畏れ、逆らう気力も失せるか、熟知しているようにも見えるのだ。
それもそのはず。董卓の裏には李儒が見え隠れしていた。相手にしているのは決して董卓一人では無いのだ。
「頼んだぞ」
協は食事にほとんど手をつけることが出来なかった。
「――以上、この詔が帝のご意志である。謹んで受けられくだされ」
一同は水を打った様に静まり返った。
宴もお開き、といった時に朝廷からの使者が董卓に禅譲する詔を報せたのだ。
嵋城に呼ばれていた人々は皆、信じられないという顔だ。そして、所々から小さな嗚咽が漏れてきた。
帝が禅譲する。
それは漢帝国が終幕を迎える事を意味するのだ。詔が偽物と知らない者は涙を流した。
そんな中、董卓の護衛として招待されていた呂布は一人静かに成り行きを見守っていた。
董卓が詔を受けようと受けまいとも、長安へと誘い込まなくてはならない。とは言っても、董卓はすぐにでも長安に向かうだろう。呂布はそう思った。
だが、董卓は詔を良しとしなかった。
「考えておこう」の一言を告げて、使者を帰したのだ。
宴が終わると董卓は李儒と共に個室に向かった。それを呂布も追った。
「相国! なぜお受けにならないのです? 名誉ある事では御座いませんか」
呂布は董卓に考え直すように訴えかけた。しかし、董卓は普段よりも怯えた目をしながら首を振った。
「呂布よ、儂はあらゆる不徳に手を染めてきたが、己のした事を忘れたことはないぞそんな儂に帝位を譲る者がどこにおる?」
魔王は命を狙われる小動物の様だった。まるで周りは全て敵だ!と言わんばかりの警戒心である。
「恐れながら私も同意見です。明らかに何か裏があるでしょう」
これだから腕っ節だけの武将は……と李儒は蔑んで呂布を見上げた。
――董卓の警戒心と李儒の頭脳が合わさって、董卓は頑なになっているのか……。
「それでは相国が直接帝を問いただすのはいかがでしょう? 俺が護衛を務めます」
何としてでも董卓を長安に連れ出さなければ、と呂布は提案した。
「……ふむ」
董卓は腕を組んで目を閉じた。
「いけません!」
李儒は激しく反対した。
「相国、わざわざ帝に構う必要など無いのです。実質的に漢帝国を支配しているのは相国です。
嵋城に籠もって天下が動くのを待ちましょう」
李儒の言うことは確かに天下統一への近道だ。群雄が互いに争い始めたら、その背後を攻めればいいのだ。天下は既に董卓がほとんど動かずとも転がり込んでくる情勢だった。
董卓は迷っていた。命は惜しい。李儒の言うとおりが一番安全なのだ。しかし、欲を言えば帝位も欲しい。
董卓のこの迷いは実に三月に及んだ。
そして遂に董卓は李儒の反対を押し切って、長安へ向かう事にした。護衛には呂布と兵一万が同行した。呂布が直接指揮出来る兵が五千だけだったので、これには賛成しかねた。
だが、新年を迎えると同時に董卓を殺す計画は大幅な遅れをとっていた。
策謀というものは時間が経てば経つ程、露呈する可能性が高くなる。もう、贅沢を言っている隙は無かった。
新年より三カ月経った、四月の事である。
一行は長安に入城した。
董卓の馬車を先頭に粛々と宮廷へと向かった。見守る人民は董卓を恐れて何も言うことなく、もちろん禅譲される新たな帝の誕生に喜びの声を上げる者など皆無だった。
この静かな都に董卓は一抹の不安を覚えた。
「やけに静かじゃ……」
だが三カ月も悩んで出した答えだ。帝に会わずして帰れようか。董卓は不安を頭から追い出した。
馬車は宮廷の広場にさしかかった。ここから先はさすがに一万もの兵を連れては行けない。
「呂布と兵一千以外はここで待機せよ」
同伴を認められた一千は全て呂布の指揮下だ。呂布は密かにほくそ笑んだ。董卓誅滅計画、最後の仕上げは董卓自身がしてしまったのだ。
玉座へと続く道の両脇を朝廷の百官が列んでいた。董卓の出迎えである。
しかし、彼らにとってその『出迎え』にはもう一つの意味がある。彼らは帝の御前、剣を腰に携えていた。皆、文官に変装した近衛兵なのだ。
彼らは最後の門をくぐる董卓の馬車を微動だにする事無く睨みつけていた。
「閉門せよー!!!」
王允の声が響きわたった。
唯一の出入り口である門が閉められた。
そして、変装した近衛兵が剣を抜く、物陰からもぞろぞろと湧き出る様に出てくる。
今や董卓は袋の鼠だ。
とっさの事に董卓は状況を掴みかねていたが、己が危機的状況に陥ってしまった事だけは理解出来た。そして、董卓の心を満たし始めたのは謀叛に対する怒りでも、李儒の言うとおりにすれば良かったという悔しさでも無かった。
それは諦めだった。
「散々、悪行してきた儂が死ぬ時が来たのか」
馬の操り手のいなくなった馬車で董卓は一人呟いた。
思えば己が命を惜しく思った故の非道とはいえ、今まで殺される事はなかった。
しかし、終わりとは必ず訪れるもの。今まで好き放題出来たからだろうか。不思議と董卓に地位も金も女も、はたまた己の命さえも惜しいとは思わなくなっていた。
「だが……」
董卓は馬車から飛び出した。
「儂はただでは死なんぞ!!」
董卓は最初に斬りかかって来た近衛兵の斬撃を掌底で弾くと、その頭を握り潰した。弾ける様に肉片が飛び散り、白い脳漿と血が噴き出す。
頭を潰された近衛兵をしばらく手足を痙攣させていた。近衛兵達は董卓がぼろくずを投げる様に放った死体と血の赤に染まる手を交互に見ると、僅かにたじろいだ。
董卓はその一瞬の隙を見逃さない。一気に間合いを詰めると董卓は渾身の一撃で取り囲む一角を吹き飛ばした。
近衛兵達が慌てて応戦しようと、董卓にいくつもの刃が降りかかる。だが、董卓は短く雄叫びを上げ、近くの死体を拾い上げ全て受け止めた。
同時に死体が手に持つ剣を取ると、無造作に振り回した。剣がうなりを上げる度に首や手やら胴体やらが宙を舞う。
その様を見て近衛兵の包囲も少しずつ遠巻きになる。誅滅されるはずの董卓が近衛兵を虐殺する。計画は大きく外れていた。
董卓に手をつけられないという報せを受けて、呂布は成廉らを引き連れ、董卓の元へ急行した。
そこで一行は愕然と立ち竦んだ。
石畳の通りは血の海と化し、誰のものとも判らない首や手足が山の様に転がっている。その中央に魔王が立っていた。百名の近衛兵が全滅だ。
そもそも近衛兵はただの兵では無い。軍を率いる隊長や、校尉から選抜される。いわば全国から集められた精強な武人達なのだ。
近衛兵に選ばれるのは帝の護衛という誇りと栄光をもたらすと同時に漢帝国で選ばれし実力者と認められる事を意味する。力量だけなら蝗紅隊の兵を凌ぐ程だ。
それを全滅させるとなると『魔王』という異名もあながち間違いでは無い。
成廉は初めて董卓に恐怖を覚えた。魏越、張遼も同じである。
今まで董卓の行動には怒りを覚えていた。しかし、それは恐怖よりも行為に対する怒りが先行していただけだった。
今の董卓を目の前に怒りを通り越して、恐怖が沸き起こったのだ。
――今の董卓に勝てる者はいない……!
呂布が横にいながら三人はそう思った。しかし、当の呂布本人は焦った様子も無く董卓に近付いた。
その顔に感情というものは貼り付いておらず、その無表情は成廉らに呂布と初めて会った頃を連想させた。
ぼうっと立っていた董卓は血の跳ねる音でようやく呂布らがいることに気付いた
。
「呂布か……」
董卓は寂しそうな目で呂布を見た。
「ふふふ……かっはっはは」
痰の絡んだ様なガラガラ声では無く、かすれた声で董卓が笑った。
「護衛が聞いてあきれるのう、呂布よ。最初っから儂には護衛など必要無かったのじゃろ?」
呂布らの服装に戦闘の後が無いのを見て董卓が話しかけた。その様子から董卓に抵抗の意志がないと見た呂布は方天牙戟を成廉に渡した。
「董卓、お前の首を頂戴しよう」
「それは構わんよ。だが、その前に儂の質問に答よ。これは最後の命令じゃ」
董卓は剣を棄てた。
「なぜ、儂を裏切るのじゃ?」
呂布は表情一つ動かさずに口を開いた。
「裏切るもなにも、俺は誰かに忠誠を誓った事など無い」
「では、何が忠誠心を起こさせなかった?」
「それはお前が臆病者だからだ」
董卓は表情を崩した。この事には成廉と張遼も薄々気付いていた。
「董卓、お前は別に一つも魅力が無かった訳ではない。お前がただの暴君ならば俺はお前に一生仕えただろう」
成廉らは息を呑んだ。
「しかし、お前は自分の命ばかりを気にかけ、臆病心に従って暴君のふりをしていたに過ぎない」
「だが、暴君と臆病者の儂、たいして違いは無いと思うが?」
「大違いだ。暴君が暴君たる所以は自分の悪行をして人民を治める事。
対して臆病者のお前はとことん暴虐の限りを尽くして『治め』られたのはお前の命だけではないか。
人の上に立つ者は従う者全ての命を背負う覚悟が無いといけない。全ての臣下の命を握っている自覚もない、自分の命だけ守るのに必死なお前は君主と呼ばれる資格さえ無いのだ」
「……そうか」
「お前はただの乱世の敗者じゃない。君主になりきる事も出来なかった敗者だ」
散々こき下ろされた董卓だったが不思議と晴れやかな気分になってきた。もう、己の命を守る為に目を光らす必要も無くなったのだ。
「お前が儂を殺す、悔いはない。…………やれ」
呂布は躊躇いも無く、腰の剣を抜き放った。
一拍置いて董卓の首が地に落ちた。その顔は安堵感と充足感で満ち溢れていた。