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天命果てぬ



 一九八年、冬。下[丕β]城。


 彭城郊外で大敗した呂布らは何とか下[丕β]に辿り着くと籠城した。


 暗雲が城の者にのし掛かる。氷の如く鋭冷な雨が容赦無く兵に突き刺さる。雨は止まる事を知らず、遂には泗水は溢れ、[シ斤]水は堤が崩壊した。その為に僅かに低地である下[丕β]城は河川の氾濫により、膝下丈まで水没した。

 そんな孤島の下[丕β]城に向けて一艘の小舟が近付く。小舟は北門の前で停止した。

「我は曹軍の使者である。呂将軍にお目通り願いたい」

 およそ文官とは思えない声が呼ばわると、暫くの沈黙の後、のっそりと門が開いた。

 使者は政庁まで案内されると待合室にて待機された。政庁に人気はほとんど無い。各門の守りに人が割かれているせいだが、人不足を示してもいる。


「お待たせしました。従者長の成廉です」

 面会を受けたのは呂布では無かった。

 使者はぶっきらぼうに礼をとった。

「初にお目に掛かる。豫州牧劉玄徳が家臣、」

「簡憲和殿、で御座いますよね」

 簡雍は不思議そうに成廉を見た。その若者には見覚えがある。

「ああ、以前会ったな」

 急に砕けた調子になった簡雍はくつろぎだした。

「本日来たのは他でも無い。曹軍として将軍に降伏を勧めに参った。降伏すれば兵と将軍の命は保証するとの事だ。将軍は?」

「奥にいらっしゃいます」

「……正直なところ、」

 簡雍は座り直しながら成廉に向かった。

「将軍には生きてもらいたい。

俺は、俺個人として将軍は嫌いじゃない。曹軍の使者としてでは無く、簡雍として将軍には降伏していただきたいのだ」

「それは……無駄な行為と言うものです」

 伏し目がちに成廉は答えた。

「何も討ち死にだけが武人の道では無いだろう。

玄徳も俺も、不本意にも将軍から恩を受けた。恩返しには程遠いが助命の為に全力を尽くす。お主からも何とか言ってくれんか?」

 簡雍は諦めない。

「出来ません」

「何故だ? お主は主に死んで欲しいのか?」

「それは奉先さんに会えば分かります」

「?」

 成廉は簡雍を呂布の室まで案内した。

「おいおい、私室に籠もっているのか?」

「……」

 全くと言って良い程、人がいない。簡雍はいないのではないか思われる程の静かな室に通された。

 そこで簡雍は鋭く息を呑んだ。

「ッ……、これは……」

 呂布は寝台に横たわっていた。頬は痩け、目は落ち窪み、肌には張りが無かった。

 毒に冒された呂布は末期を迎えていた。


「し、将軍はどうなされたのだ!?」

 呂布は薄く目を開けて簡雍を見た。僅かに口角が上がる。

「その様子だと劉備は誰にも言ってない様だな」

「何だ? どうしたのだ! 何故医者に診せない!?」 簡雍は成廉に詰め寄る。

「医者には何度も診せました。奉先さんは猛毒に冒されています。余命は一年保つか、と診断されました。

これでもかなりの年数保ったのです」

「治療法は?」

「ありません。症状の進行を抑える丸薬がありましたが」

「何時から……?」

 成廉は顔を背けた。

「エン州で曹操に負けた時からです。

実は……毒を盛ったのは曹操です。恐らく曹操は今の奉先さんの状態は承知かと」

「そんな……!」

 簡雍は呂布は見下ろした。呂布の四肢は時折、小刻みに痙攣した。


 ――それではこの男はこの躰で戟を射て、玄徳を救ったと言うのか。


 簡雍は信じられなかった。しかし、目の前の、天下に名高い飛将は正に瀕死である。

「簡雍」

 呂布は目を閉じたまま言った。

「何だ」

「おおかた、降伏を勧めに参ったのだろう」

「あっ、ああ。そうだ」

 呂布の姿に衝撃を受けた簡雍は己の使命をすっかり忘れていた。

「降伏は断じて出来ん」

「……」

「この戦は俺にとって最後の戦であり、俺の人生の価値を問う戦いなのだ」

 瞼を開いた呂布は真っ直ぐ天井を睨んだ。

「例え一人になろうと、俺は命果てるその時まで闘い続ける」

 かすれた声が宣言した。


「……分かった。長居はせん」

 俯き加減の簡雍は踵を返した。

「待て」

 簡雍は足を止めた。

「どうか降る部下には丁重に扱うように取り計らってくれないか。

それから曹操には水が引いたら相見えよう、と伝えてくれ」

「飛将の部下はきっと主と生死を共にするでしょう」

 簡雍はそう答えた。呂布の軍はそう脆弱では無い。降るならとっくに降っている。

「どうかな。取り敢えず近日中に降るように触れを出すつもりだ。

後はこれを、」

 呂布が目で合図すると、成廉が一つの書簡を簡雍に差し出した。

「劉備に届けてくれ」

 簡雍は受け取ると、大切そうに懐にしまい込んだ。

「しかと、承った」

 呂布と簡雍の目が合う。呂布は小さく頷いた。それを合図に簡雍は退出した。




 下[丕β]城北門、高順軍兵舎。

 三人の校尉が密かに集まっていた。


「昨日の使者はやはり降伏を勧める使者だった様だ。しかし、奉先様は受諾しなかった」

 侯成が言った。

「どうする? このままでは……」

「ああ、さすがの奉先様でもこの戦は勝ち目が無い。」

「くそっ、俺達はどうすりゃいいんだ! どうすればあの方を生かす事が出来る?」

 侯成、宋憲、魏続の三人は焦っていた。

 下[丕β]を包囲する曹軍は十万を数える。対して城内には州兵が離散した事により一万に満たない。城外の味方と言えば泰山から駆けつけた臧霸だけだ。その軍も曹軍の厚い包囲網の為に近付くに近付けない。

 城の内外には水。糧秣は湿り、急遽楼閣や政庁内に運び込まれたが、使えそうな物は少なかった。


「こうは考えられないか?」

 侯成は思いついた様に言った。

「我々が奉先様の足枷になっている、と」

「?」

「どういう事だ?」

「ついて来る者がいるから降伏に踏み切れないとは考えられないか」

「何故だ?」

「いや、なる程……」

 宋憲は顎髭に手を伸ばした。

「人の上に立つ者は下々の者を最優先に考えるのが道理だ。だが、同時に示しをつけなくてはならない」

「戦を臨む軍を率いる者が降伏など示唆してはならん、と言う事か」

 理解した様に魏続は組んでいた腕を解いた。

「だとして、どうするのだ?」

 侯成は声を落とした。

「兵を連れて降る」

「なっ!!?」

「我々だけでは無い。高将軍、陳軍師にも同行してもらう」

 宋憲、魏続は驚きで思わず立ち上がった。

「正気か? お前」

「ああ、奉先様が意地になって降れないと申すなら、全軍で降り、促すまで」

「しかし、だな!」

 侯成は二人を手で制すると座らせた。

「奉先様が討ち死にする事だけは避けねばならん。奉先様の武は漢帝国の宝だ。降った奉先様を誰が殺すだろうか。

あの方は生きてさえいればやり直せる。生きてさえいれば兵を与えられ、飛将の戦は続く。お前らはもう、奉先様と共に闘いたくないのか?」

 宋憲、魏続は侯成の言も一理あると思った。

 呂布は何時だって兵への思い遣りを欠かさない。だが、もしそれが最強故に歩みを合わせているものだとしたら、その行為は責務を全うするだけの苦痛だったかもしれない。

 確かに率いる兵がいなくなり、肩の荷が降りれば、降伏勧告に応じるかもしれない。

 三人の脳裏に一人になってしまい、苦笑を混じらせながら大手を振って門をくぐる呂布が映った。

 そう言えば三人はもう一月近く呂布の姿を見てない事に気付いた。呂布は誰とも面会せずに室に籠もりっぱなしだ。


 ――奉先様に会いたい。また共に闘いたい。


 郷愁にも似た感情が三人を占める。

「分かった、その方法に賭けよう」

「先ずはどうすれば良い?」

「中途半端に兵を残してはいかん。高将軍と陳軍師は…」


 未明、無垢な謀叛が実行された。


「何だ? 三人揃って」

 高順は窶れた顔をしかめた。

 連日の包囲の重圧は想像を絶する。鈍色の群れは眼だけを光らせて包囲する。城壁から幾らか距離があるのにも関わらず、その気の圧は心の隙を突く。

 休んでも疲れが取れない。眠れば寧ろ起きた時の疲れが増す。その上、規律が厳しく、何より己に厳しい高順は酷い心労だった。

 そんな高順が三人掛かりの将に勝てるはずが無かった。問答無用で縛り上げられた。

「貴様ら、謀ったな!」

「申し訳御座いません、将軍。ですが、暫しの辛抱です」

「奉先様を生かすには下々の我々が降るしかないのです」

 宋憲が高順の口に猿轡を掛ける。


 ――嗚呼、……。殿が例え一人になったとして降るだろうか。

 全ては儂の掌握不足。


 高順は出血する程、固く拳を締めた。

「よし、白旗を掲げよ。西門より進軍する」

 陳宮も同様に捕らえた三人を先頭に城内のほとんどの兵が西門より出た。

 皮肉にもこの時に呂布から降伏命令の伝令が放たれていた。しかし、その命令が侯成の元に着いたのは曹軍の陣門をくぐろうかという時だった。

「しまった!!」

 三人は下[丕β]城を振り返った。

 こんな命令を出しておいて、呂布は一向に城から出ない。

 部下の命を救い、己は決して降らぬという意志の表れ。

 三人は崩れ落ちた。


 ――我々は何て愚かなのか。


 悔やんだところで遅過ぎた。

 飛将の残党は曹の大軍に包囲された。




 降伏命令を出して、次の報告が返ってくるのは驚く程速かった。

「侯成、宋憲、魏続を先導に城内の兵のほとんどを率いて降りました」

 閑散とした政庁に兵の声が響く。送り出した伝令では無かった。

「早いですね」

 成廉は意外だ、と僅かに眉を上げた。

「いえ、命令によるものでは御座いません。謀叛と思われます」

「!!」


 ――まさかあの三人が……!


 三人は丁原の下からの仲間であった。

 最初は兵卒だった。蝗紅隊に選抜されない代わりに校尉として成長した。高順が蝗紅隊から将に格上げした時からその下にいた。兵からは陥陣営の『左右中将軍』と仇名された程の側近である。


 ――そんな三人がどうして……? どこですれ違いがあったと言うのだろう。


 呂布は笑っていた。

「賢いな、あいつらは。それに比べてお前は馬鹿だ」

 胡床を寝台に近付けた。

「そんな事言うと本当に置いて行っちゃいますよ」

「……そうしても良いのだぞ」

 呂布の表情は変わらなかった。

「冗談ですよ」

 呂布は成廉に目を向けた。

「本当に良いのか? お前には白鈴が、」

「奉先さんの生き様を」

 成廉は呂布の気遣いを揉み消した。

「奉先さんの生き様を誰も邪魔出来ません。僕の生き様も然り。天命に従うまでです」

 呂布は天井に視線を戻した。

「そう、……だったな」

 呂布は静かに瞼を閉じた。

「成廉、」

「はい」


「俺は、俺の人生は正しかったのだろうか」


 呟きに成廉は一瞬、息が止まる。

「人の人生に正しいも誤りも無いのではないでしょうか」

「答えになっとらん」

 呂布が顔を向ける。その双眼に有り得ない物が浮かんでいた。目尻から一滴が零れる。

「俺は正しかったのか」

 聞いた事の無い声が呂布の口より漏れた。

 成廉は思わず呂布の頭を抱き寄せた。以前では考えられない程に弱々しい。


――何時の間にか奉先さんが小さい。


 泣くまい、と思った。だが、意に反して成廉の涙腺は壊れた様に涙を吐き出した。

「正しいに、……決まってるじゃないですか」

「魔王に仕えていたのにか」

「はい」

「気分に任せて主を変えたのにか」

「はい」

「留守を狙って城を奪ったのにか」

「はい」

「曹操に勝てなくてもか」

「……はい」

「この城でお前を巻き込んで死んでもか」

「……はい!」

 安堵したかの様に呂布は微笑んだ。

「そうか」

「そうです」

 呂布はその双眼に飛将の光を灯した。

「夜明け前に出撃だ。夜襲を仕掛ける」

「はっ」

「その前に」

「?」

「白鈴のところへ行ってやれ」

「……ですが、」

「七年も共にした仲間でもあるだろ」

 成廉の言わんとする事を悟って、呂布は促す。

「……直ぐ戻ります」

 成廉は音も無く退出した。

 それを見送った呂布は息を吐いた。躰に力が全く入らない。


「なる程な。あの文優が最期に休みたいと言う訳だ」

 呂布は眠る様にゆっくりと目を閉じた。




 成廉は政庁内の一室に避難させていた白鈴の元に訪れた。

 そっと戸を開けると白鈴は此方を向いていた。しかし、焦点が定まっていない。

 少しだけ開いた口を灯火がちらちらと照らした。呆けた顔のまま動かない。きっと、寝る事も無く帰りを待っていてくれたのだろう。

「白鈴?」

「あっ!」 途端に命が吹き込まれたかの様に飛び上がった。

「お疲れ様。休憩の時間?」

「いや……、今から曹軍に夜襲を掛けてくる」

 直ぐに白鈴は黙り込んだ。

 沈黙が二人にのし掛かる。

 何も言わなかった。ただ、見つめ合う。次第に白鈴の大きな瞳に涙が溢れる。

 手を伸ばすと素直に飛び込んできた。

「私も連れて行って。もう、置いてきぼりは嫌!」

 白鈴が縋り付く。優しく頭を撫でた。

「……駄目だよ。外は危険なんだ」

 何度口から吐き出した言葉だろう。その度に白鈴は愛しい頬を膨らませたものだ。

 しかし、今回は何かを感じ取っているのか。柔らかな頬は涙で濡れている。

「行かなきゃ」

「駄目!」

 行かせまいと白鈴は袖を掴む。

「……放して」

 白鈴の小さな手を包んだ。

「僕は行かなきゃいけないんだ。奉先さんの為、……僕の為に」

「じゃあ、約束して。必ず還ってくるって。絶対還ってくるって!」

「分かった」

「信じて……いいの?」

「……」

 成廉はどちらを答えるか迷った。信じろと言うか、己を忘れろと言うか。

「ねぇ!」

「……信じて、僕を」

 そう言って、まるでそれが呪縛の様な口付けを額にする。

 決して叶わない、最初で最後の嘘。最悪の嘘。

 白鈴がゆっくりと手の力を抜くと、成廉は指の間をすり抜けていった。




 成廉は呂布の寝室に戻った。

 室内の光景を見た途端、息が止まる。

 呂布が室の中央に両手を広げて仁王立ちしているのだ。

 遂に最後の出陣。呂布の背中は甲冑を着けろ、と言っている。

 既に室の隅に甲冑は準備している。戦の度にする様に成廉はそれらを掴むと呂布に装備しようとして近付いた。

「っ!!」

 思わず籠手を取り落とした。

 呂布の双眼は敵を前にした時と同様に開かれている。しかし、その眼に光は無い。何処を見据えているのかも判らなかった。


「奉先さん……」

 涙はもう出ない。甲冑を着けながら、僅かに残っていた呂布の温もりが徐々に逃げていくのが感じられた。

 呂布は闘志だけを遺した。いや、これが呂布だったのだ。余計な不純物が除かれた呂布が遺ったのだ。

 その証拠に呂布の開かれた右手に成廉が方天牙戟を差し出すと、それが最後の希望の様に反射的に握り締める。


 呂布は闘いを求めて歩き出した。


 厩に向かうと赤兎と雷音が主を待ち受けていた。

 呂布を確認すると深紅の躰が喜びを発した。呂布はしなやかに赤兎の鬣を掴むと颯爽と跨った。ここ何年も見ていない一番の雄姿だ。


 ――やっぱり奉先さんはこうじゃなきゃな。


「お前は残るか」

雷音に語り掛ける。途端に怒った様な嘶きが応える。そして額を胸に擦り付けてきた。

「……分かったよ」

 成廉は渋々、雷音に跨った。

 先導しようと赤兎の手綱を掴もうと呂布の前に出た途端、何の前触れも無く方天牙戟が襲い掛かった。寸でのところで戈で受け止める。呂布の膂力は成廉を雷音ごと後退させた。

「何を!」

 そこで気が付いた成廉は小さく微笑む。


 ――そうでした。先頭は奉先さんですよね。


 赤兎の尻を軽く叩くと白門に向けて進んだ。


 雷音に揺られながら、ふと夜空を見上げた。東の空は既に紺に染まっている。しかし西は無数の光が瞬く。


 ――結局、僕の星は判らなかったなあ。


 馬邑にいた頃、今の様に冬の夜空を見上げた事を思い出す。今頃、馬邑は雪でも降っているのだろうか。視線を前に戻して自嘲した。


 ――いや、僕の星なら此処にずっとあったじゃないか。


成廉の一歩前に常に煌々とした呂布がいた。ただそれを追いかけた十五年だった。


 成廉は一人、思い出に浸っていたがそれは背後の気配に中断された。

 振り返ると黒ずくめの一隊が笑っていた。

「抜け駆けはいけませんよ」

「お前達……」

 よく見ると百を切った蝗紅隊の後ろには二百騎程の騎兵も集まっていた。

 人中の呂布、馬中の赤兎。そしてその後ろに漆黒精強の騎馬隊あり。

 揃う者は揃った。

 ただ、成廉の左右に頼もしい友がいない事だけが悔やまれた。


 呂布は開け放たれた城門で一旦停止した。

 大分、水が引いている。静寂の城外は見事に澄んでいた。曹軍の幕舎が良く見える。

 本来なら呂布が呼ばわって彼らを叩き起こすべきなのだが、恐らくその声帯は機能していないのだろう。無言のまま呂布は曹の旗を睨んでいた。

 代わりに成廉が声を上げる。


「飛将・呂奉先より曹孟徳に申し上げる!

 直接見えに向かうついでに天下無双の武威を此処に示さん!! 其処を動くな!!」


 しんとした大地に成廉の声が響きわたる。同時に朝日が顔を出す。陽の光が水溜まりに反射して戦場は穢れも無く輝いた。

 呂布が馬腹を蹴った。赤兎が駆け出す。

「行くぞ! 我らは飛将共に在り!!」

「応!!」

 若き指揮者に寡兵が応じる。

 真白の先導を二騎に減らした最強の騎兵隊は最期の戦に飛び込んだ。

 曹軍の対応は速い。敵陣に到達する前に迎撃部隊にぶつかる。

 だが、呂布の武威は遂に修羅を超えた。

 曹軍の騎兵は近付こうとしない。只ならぬ殺気に騎馬が怯えているのだ。

 距離を詰めると呂布の方天牙戟が炸裂した。寝起きの曹兵は夢見心地のまま昇天する。倒れ伏す曹兵は蝗紅隊に踏みつけられ、肉塊に化す。

  細い細い刃が鈍色の巨体に突き刺さる。だが、進めど進めど、牙旗は遠い。


 曹の波を掻き分ける様に小柄な歩兵が呂布を目指して殺到する。

 青州兵。

 その動きは明らかに周囲を凌駕する。所持するのは長剣のみ。

 三人が多方向より呂布へと跳び掛かる。鋭利の刃が閃くより速く、方天牙戟が呂布を中心に一蹴する。三人の青州兵は驚愕を顔に貼り付けたまま四散した。

 それでもめげずに青州兵は次々と襲い掛かる。

 成廉も応じる。

 高みから戈を振り下ろす。小気味良い音と共に伝わる手応え。兜ごと頭蓋を貫通する。素早く引き抜くと次の兵。軽やかな動きで充分、劣勢を撥ね退けた。


 不意に左右の軍が引く。

 同時に右方は何処からか出した大楯を隙間無く立て並べる一軍が押し出される。そして左方には数え切れない無数の弩。ご丁寧に歩兵も竹槍を手に投擲態勢だ。


 ――さすが曹操。この奇襲に対して此処まで応じるなんて……。


 また一人、青州兵を屠りながら成廉はしたを巻いた。

 直後に空気を揺るがす弦音。

 矢の雨は横殴りに降ってきた。雷音を守らんと必死に成廉は戈を振り回した。

 しかし、無情に矢は降り注ぐ。

 全滅。飛将の随従は一騎のみ。

 呂布も成廉も矢を受けた。赤兎は矢が額より生えている。それでも駆け続けた。

 雷音もまた、尻に一本、矢を受けていた。

 それを認めるや否や、成廉は手綱を引いた。雷音が急停止し、成廉は反動で転がり落ちる。

 立ち上がると、振り向く事も無く駆け出した。


 ――ありがとう雷音。さようなら雷音。


 雷音を巻き込む事は出来ない。成廉にとって雷音は只の騎馬では無くなっていた。

 置いていくな、という悲痛な嘶きを背に成廉は駆け続ける。

 牙旗はまだ遠い。

 呂布はまだ進む。


 ――僕の天命はまだ消えちゃいない。


 隻騎と随従は曹の群れに埋もれていった。

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