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蒼天已死



 成廉、魏越、張遼の三人は長く過ごした邑を後にした。

 成廉は既に両親が死んでいたので問題無かったが、魏越と張遼は家族とかなり揉めた。特に長男の魏越は激しく反対され、親から勘当された形での別れとなってしまった。


「自分の道くらい自分で歩むんだ」


 魏越は強がっているが、野営した時に一人河原で目の辺りをしきりに拭うのを成廉は見た。


 翌朝。

「さて、改めて名乗ろう。俺は姓を呂、名を布という。

お前達の名前も聞こうか」

 それぞれ名乗ると呂布は

「よし、今乗っている馬を三人に与えよう」

とだけ言って朝食を食べ始めた。

「えっ、良いんですか?」

 返事は返って来なかった。




 その頃、正確には西暦一八四年。

 後漢は大乱が起きた。『黄巾の乱』である。


  太平道。


 それが事の発端となった宗教結社だ。指導者は鉅鹿の張角である。張角は山で出逢った仙人に授けられた書物により、妖術を会得した。本来、悪政と貧困に喘ぐ人々を救う宗教だったが、彼の力にも限界があった。


 結社全体が出した答えは漢帝国の打倒だった。そもそも政が悪い蒼天(漢帝国)に替わって、黄天が太平の世を導き出す。


 これが彼等の言い分だった。そして、遂に一斉蜂起したのだ。本拠地鉅鹿を中心に何十万という信徒が全国各地で、である。

 朝廷はこれを賊として対処した。

 しかし、衰退した官軍に何か出来るわけでも無く、有力な者が立ち上がる機会となった。

 群雄割拠の幕開けである。




 一行は并州の晋陽にたどり着いた。

 呂布は丁原に面会したが、対する丁原は不愉快だった。というのも臣下となったはずの呂布が一度も臣下の礼を執らなかったのだ。

 丁原は気に入らなかった。

 そんな態度のせいか割り当てられた兵はわずか三百だった。


「あまりにも少なすぎではないでしょうか?」

 兵数を聞いた張遼は眉をひそめた。呂布なら、いきなり五千の兵を率いても大丈夫だろう。

「兵は数ではない。一人が十人分の働きをすれば三千ではないか」


 ――つまり訓練は厳しくなるのか。


 成廉は肩を落とした。

 早速、呂布は召集をかけた。

 成廉らは呂布の傍らから兵達の服装を見て唖然とした。明らかに正規軍ではない。

 その軍は盗賊やごろつき上がりの者で構成されていた。中には匈奴と思しき者もチラホラ見受けられる。

「どうやら寄せ集めをあてられたみたいだな……」

 皆思い思いの武装をしてるだけにまだましだった。これが丸腰の農民だったら、どうしようもない。丁原から支給されるのは糧秣のみなのだ。

 馬を数えると五十を満たさず、しかも殆どが駄馬だ。

「文句を言っても始まらん。

早速調練を始めるぞ」


 調練は朝から晩まで行われた。皆がバラバラの武器のため、間合いもバラバラとなってしまう。

 呂布は同じ系統の武器同士、小集団を組ませることでこれを解決した。1ヶ月もすると丁原の軍と比べれば、ましな部隊に仕上がった。

 成廉ら三人もしっかりと厳しい調練について来た。

 呂布は他の兵と同じように三人を贔屓無く扱ったので、めきめき力をつけた。

 それでも呂布にはまだまだ遠く及ばなかった。




 呂布は晋陽城の官舎に一室を与えられていた。三人も従者として隣室を設けられてある。

「奉先さん、夕飯ですよ」

 呂布は大抵、室では武器の手入れか睡眠しかしない。

「……そこに置いとけ」

「はい。……そういえば明日で張遼は元服です。

知ってましたか?」

「ああ」

「てっきり忘れてるかと思いました」

「元服といっても、お前達は今更志を立てることもないだろう」

「そうですね。僕等にとっては奉先さんに仕えるだけで十分すぎるほどです」

「未熟者が偉そうな口を叩く前に手柄の一つぐらいたてて欲しいもんだ」

 呂布は食膳に手を伸ばした。兵卒と同じ中身だ。ちゃんとした食事を用意させていたが呂布は食べたがらなった。

 成廉はこういった呂布の兵への思いやりが好きだった。




 翌朝、調練前の短い間にこじんまりとした元服の式が行われた。形式どうりに進み、皆が祝い酒を口に付けた程度で終わった。

 城を出ようかという時に伝令が駆けてきた。

「報告! 黄巾賊が各地で一斉蜂起!

并州内でも叛乱が起きたため、召集がかけられています」

「!!」

「遼、黄巾賊って?」

「知らないのかよ。張角という男が教祖の宗教結社だ」

 兵達も少しざわついている。

「張遼!魏越!お前らは兵を率いて半日駆けて官庁前で待機していろ。

成廉は俺について来い」

「俺達が兵を率いるんですか? まだ元服したばかりなんですよ」

「ただ駆けるだけだ。それ位近くで見ているのだから容易いだろ」

 魏越は嬉しそうだ。対してまだまだ子供な自分達で大丈夫だろうかと張遼は心配である。

「これは命令だ。出来なければ暇に出す。

成廉、行くぞ」




 官庁には主だった部将が集められた。

「知っての通り、黄巾蜂起のため賊が并州内を荒らしておる。

既に五カ所の邑が襲われてしまった。

更に黒山の張牛角が混乱に乗じて并州に迫っている」

 丁原が諸将を見渡すと一人挙手した。実力者の張揚だ。

「殿! それがしに張牛角はお任せください」

 何時も得意顔の男だ。呂布は何となく理由も無いが、嫌いだった。

「うむ、黒山の賊はお主に任せよう。他の将は…

………そして呂布は河郷邑の討伐だ。

以上」

 呂布には最後に命令が下った。

 河郷は恐らく并州黄巾の重要拠点だ。とても三百の兵で討つのは不可能である。しかし呂布は断らなかった。

「承った」

 成廉は目を白黒した。




「いくらなんでも無理な命令です。僕達一隊だけですよ?」

 退出しながら成廉は小声で言った。

「お前はその弱気を治せ。

目の前の敵に立ち向かえないようでどうする? やっと俺の本気も出せるというものだ」

 無事に帰って来た兵達に明早朝発つ事を告げると、呂布は三人を呼び出した。

「渡したい物がある」

と言って持ってきたのは漆黒の具足と真白な直垂、四人分だった。


「お前達の初陣だ。

四人でこれを身につける。

死人の着る白は抵抗があるかもしれないが、死人は死ぬことは無いのだ。逆に縁起が良かろう」



 呂布が三人を思っての贈与である事は明らかだ。三人は不器用な優しさを感じた。

「命を惜しまず、全力で闘います!」

 不思議と寡兵で大軍に立ち向かわなければならない、という恐怖は成廉から消えた。




 白い四人を筆頭に三百四名の一隊が城を出た。

 その他の隊もそれぞれの目標に向かったようだ。并州刺史である丁原は上党で張牛角と対する。張牛角率いる黒山の賊は総勢数万とも十数万とも噂されている。

 大将が出征するのは当然だが、恐らく張揚に任せて城に腰を据えるだろう。丁原は偉そうな態度だが、それだけである。


 ――仕える奴を間違えたか。


 呂布は既に後悔していたが、やはり戦となると血が騒いだ。

昔、匈奴に混じって暴れたのを思い出した。

 あいつ等は元気にしてるだろうか。

 呂布は五原にいた頃は漢人より匈奴の方が付き合いが多かった。が、そのせいで邑の者からは避けられていた。

 手に握る長柄武器を見下ろす。呂布はそれを方天牙戟と呼んでいた。

 邑から出て行くと決めた時、旅をする商人が武運を祈る、と方天牙戟を譲られた。その男はどんな馬も手懐ける呂布からよく馬を買っていたからだろう。

 本当は方天牙戟が作られたのは西の果てのようだ。涼州より、西域より、更に西へ行った大秦国という国で買ったと、その男が買い付けた商人が言っていたらしい。


 大きな矛に三日月状の片刃が付き、その反対側に牙状の刃が五本生えている。とても普通の者には使いこなせそうもない。

 使いこなせたのは呂布だけだった。


 戦において武器を使いこなせるか、という事はかなり重要である。

 魏越は呂布への憧れのためか戟を好んだ。張遼は大刀だ。どちらも柄を短くしたものだ。そうしないと彼らの手に余ってしまう。

 成廉は戈を好んだ。

 時代遅れの武器である。止めとけ、と呂布は言おうと思ったが止めた。戈は古の戦車で使われた武器だったが成廉は上手く使っていた。きっと高い馬上から振り下ろす闘い方が、大柄な馬に乗る成廉に合っているのだろう。

 呂布は少しずつ自分らしく成長する武を邪魔するつもりは無かった。




 河郷は予想以上の兵力だった。

 総兵力約一万の黄色い塊だ。

 黄巾賊は黄色の頭巾を自軍の目印としている。

「三十倍かぁ」

「弱気になるな、と言ったはずだ」

 賊とは言え、三十倍の敵を打ち破った話は無い。三人は呂布を信じるしかなかった。

「黄巾賊の主力は并州では無い。

故に武器を持っている兵は少ないだろう。ほとんどが農民のはずだ。

しかも我等がこんな寡兵で攻めるとは思っていまい。

そこが隙となる。

勝機があるとしたら、相手は民なのだ。恐怖を与えるしかない」


「……どうするんです?」

「俺一人で大将の首を取る」

 呂布は少しも表情を崩さなかった。




 両軍が対陣した。

 黄巾賊は討伐軍が小勢なのを知って、数を頼みに全軍で出てきた。

「好都合だ。全軍に恐怖を植え付けてやろう」


 既に呂布は一人だけ突出していたが、魏越が追って来た。

「奉先様、俺もお供させて下さい。

やっぱり、一人じゃ……」

「自信があるから言ったのだ。

お前らにはまだ本気を見せた事がないから心配かもしれんが、俺一人で十分だ」

 これ以上魏越に言う事は無い。

 三人は騎兵四十三騎を先頭に敵軍から一里(約四百メートル)の所で待機した。


 呂布が黄色い軍勢の中に埋もれて行った。出来るだけ威圧感無く、ゆっくりと馬を進めた。

 黄巾賊は何をするつもりなのか興味深そうに見ている。たった一騎で何ができるかと考えているのだろう。

 大将と思しき男を見つけた。呂布を見てニヤニヤ笑っている。


 ……赤黒い軌跡を描いて、ニヤニヤ顔が宙を舞った。

 時が一瞬止まった。

 しかし、次の瞬間更に五、六人首が飛んでいた。

「お……お頭が殺られた!!」

 呂布の周囲は恐怖で引きつっている。

後方の兵はまだ何が起きているのか分からないようだ。

 呂布はありったけの殺気を放ち、敵の騎兵目指して駆けながら、頭上で方天牙戟を回した。


「合図だ」

「本当に大将斬ったのかよ」

「敵が立て直す前に叩く! 奉先様目指して駆けまくれ!」

 張遼が叫ぶと騎兵を先頭に突撃した。

騎兵がぶつかり、歩兵がその合間を突く。敵の精鋭は少数でほとんどが戦闘経験が無いのだ。

 それだけで黄巾賊は崩れ始めた。

 呂布の元に三人が辿り着いた時には、呂布の周りに敵兵が無数に転がっていた。

 成廉は人の死体を直視してしまい、厭な気分になった。だが、顔に出ないように努めた。

「追撃するぞ!

打ち破ったとは言え、敵はまだまだ多勢だ。

恐怖を植え付けて立ち直れないようにする」


 騎兵のみで追い、歩兵には武具や糧秣の回収をさせた。追撃は一方的だった。草でも刈るかの様に首が飛んでいく。

 成廉は初めて人を殺す感触を感じた。人はあっさり死ぬものだった。

 追い抜きざまに兵の首に戈の刃を引っ掛けると、藁の束を斬るかの様に容易い。頸骨に引っ掛かって、ゴツゴツと音が手に伝わるのが生々しかった。




 大勝だ。

 夕刻。

 追撃した道筋を引き返すと転がっているのは黄色い頭巾の死体ばかりである。

 一兵も欠けなかった。重傷二人軽傷八人の損害に対し、恐らく千近くは討っただろう。

 魏越は三人の中でも目立って活躍したが、呂布とは比べようが無かった。

 二百近い敵兵が方天牙戟の餌食になったようだ。

 正に無敵、鬼神の強さ、一騎当千の武と武威である。

 三人はようやく己の主の強さと恐ろしさを知ったのである。


 その日は河郷の近くで野営した。

 黄巾賊は物資を運ぶ余裕も無かったのだろう。三百人には多すぎて輸送も出来ない量だ。呂布は必要な分を残して、余剰は河郷邑の蔵に収めさせた。




 ようやく呂布は具足を解いて一息ついた。

 白い直垂が返り血で所々染まっている。戦の度に新調しないといけない、と苦笑していると成廉が酒と食事を持ってきた。

 三人の中で一番戦に慣れてない様子なのが成廉だが、馬や呂布の身の回りも世話をする。

 三人の中で一番従者らしいのも成廉だ。

「ご苦労様です。

今日の戦で奉先さんが僕達にかなり手加減してくれていると分かりました」

「……全くだな。

稽古の時もうっかり捻り殺してしまわないか、とヒヤヒヤしているのだ。

早く本気でやり合える位になって欲しいものだ」

「越や遼はすぐにでも強くなります。

でも僕は……」

「今日の戦で少しは弱気が治るかと思えばこの様か」

「……至らない部下で申し訳ないです」

「そんな事を言う暇があるなら素振りでもしろ!」

 呂布に怒鳴られて成廉は慌てて飛び出していった。




 張牛角率いる黒山の賊は予想外の強さだ。張揚は一人頭を抱えた。

 自薦した張揚だったが賊を相手に苦戦していた。特に張燕という男が率いる歩兵は精強だった。

 誘う様に森へ退却する張燕軍を追撃した軍勢は還って来ない。

 張揚は救援を要請するか迷っていた。黒山賊は森に籠もって居れば良いものの、こちらが気を抜くと邑だけで無く軍の蔵まで襲撃する。

 救援を要請しようにも丁原は動かないだろう。


 河郷での呂布の活躍ぶりは張揚の耳に入っていた。三百の兵で一万の黄巾賊を打ち破った。

 張揚は救援を頼むとしたら呂布しかない、と思った。


 張揚は字を雅叔、并州雲中郡の生まれだ。

 雲中郡は并州の辺境で、呂布とは同郷とも言える。

 張揚は決心した。


「河郷に伝令を送れ」




 呂布率いる三百の兵は上党に向かった。

 呂布はあんまり乗り気がしなかった。


 ――俺は張揚が好きでは無いのに、むこうは同郷の誼で好感でも持ってるのだろうか。

……利用されているだけかもしれない。


 武一点張りの呂布を利用しようと思う者は山ほどいるだろう。しかし、そんな事を呂布は気にしなかった。


 歩兵に合わせて、駆けること三日。張揚の元に辿り着いた。


「よく来てくださった、呂布殿」

「……いや、なかなか黒山賊も曲者の様で」

 張揚は呂布が来てくれて素直に喜んでいるようだ。

「それでは呂布殿には作戦に加わってもらいたい」


 まず張揚軍を三手に分け、黒山賊が森から出撃したら中央の軍が当たる。

 その背後を呂布が突撃し、分断された敵軍を左右の軍が殲滅する。


 なかなかの作戦だが呂布が敵軍を分断できるかどうかで勝敗が決まる。

 たが呂布は自信があった。

「任せろ。あわよくば張牛角と張燕も討ち取ってやろう」




 黒山賊が森から出てきた。

 呂布は早速、密かに出陣した。感ずかれないよう夜半に移動し、馬や兵には縄を噛ませた。


 日が高くなってきた頃、両軍がぶつかったようだ。風に乗って喚声が聞こえてきた。


「……続け」


 呂布は方天牙戟を構えると駆け出した。

 成廉、魏越、張遼も後に続く。

 敵軍の最後尾がこちらに気づいた時には呂布が首を飛ばした。

 暫く駆けると大将らしき男がいた。張牛角だ。

「背後を襲うとは思わなかったぞ!」

 槍を小脇に張牛角が突っ込んで来た。呂布は止まらなかった。

 槍を擦り上げるとすれ違い様に一閃した。張牛角の胴から上が吹き飛んだ。血飛沫が賊に降り注ぐ。

 張牛角の頭を方天牙戟の先で突き刺すとぶら下げながら、また駆け出した。

 もう、敵兵を殺す必要も無い。大将の死体を見ただけで道が開いていった。

 最後に左右から張揚軍が襲いかかると黒山賊は総崩れだった。


 呂布らは帰還した。勝利に湧く本陣で早速宴が始まる。

「いや〜呂布殿、お手柄でしたな。

第一戦功だったと丁刺史に伝えましょう」

「止してくれ。

兵さえ与えてもらえれば位などいらん」

「無欲な男なのだな。儂は周りの目を気にしてばかりだ」

 張揚はいつもの見下した目では無く、真っ直ぐ呂布の目を見ていた。


 ――意外と小心者なのかもしれない。


 何となく呂布は張揚が嫌いでは無くなった。




 成廉の馬が脚を折ったのは上党から晋陽へ帰還する途中の事だった。


「奉先さん! なんとか助けてください」


 成廉が月光と名付けてその馬を可愛がっていた事は呂布も知っていた。

 馬が脚を折ると立ち上がれない。立ち上がれないで横になると内臓に負担がかかり、苦しんで弱っていく。自分の重さに耐えられないのだ。

 つまり、それは死を意味していた。


「……殺せ」

「なっ!? どうしてですか」

「さすがに脚が折れるとどうしようも無い。

良かったな戦場で折れたら命取りだぞ」

「……助けられないのですか」

「お前が殺して救ってやれ。走れん馬に幸せは無いのだ」

 成廉は俯いて月光の所に向かって行った。


「月光……」

 成廉は月光の首の後ろをさすってやった。月光はこれが好きなのだ。

 しかし、既に月光の息遣いは荒かった。月光と目があった。苦痛の色だ。

 不思議と成廉は馬の気持ちが分かる。


 ――いやだ、月光を殺るなんて。……いやだけど


 殺して救ってやれ、と呂布は言った。

今も月光は苦しんでいる。出来る事は何なのか。


 ――自分の我が儘で苦しみを長引かせるくらいなら……それなら。


 涙で月光が良く見えない。


「ごめんな」


 成廉は腰の剣を抜いた。


 月の光が綺麗な夜だった。

 その日の野営は月光の肉が振るわれた。

「元気出せって、廉」

「気持ちは分かるけど今夜の飯はこれだけなんだよ」

 魏越と張遼が必死に励まそうとした。成廉は食事に手をつけようとしない。

 仕方ないか、と張遼は思った。

 成廉は自分の具足を解くよりも月光の世話を先にやるのだ。騎馬隊を攻撃する時も絶対馬を攻撃する事は無い。友とまではいかなくても一緒に闘った相棒みたいである。

 それを殺したのだ。張遼が馬を殺す感覚とは違うのだろう。


 呂布が幕舎に入ってきた。

「成廉と話がしたい外してくれるか」

 頷いて二人は出て行った。呂布が先に沈黙を破った。

「お前は今回の乱で何人殺した?」

「……必死だったので覚えていません。

十人は確実に殺しました」

「人を斬った感想は」

「………」

「では、なぜお前は月光を殺しても平気でいられ無いのだ?」

「それは……」


「食え」

 呂布は月光の肉を差し出した。

 成廉は横を向いたまま黙った。


「俺はな、月光の事を忘れろと言っている訳ではないのだ。

死んだ者も自分が手を掛けた者も俺もお前も月光も、皆等しい命だ」

 呂布の目はいつになく穏やかだ。

「だが命とは絶えず他の命を糧に生きるものだ。

月光を食えば、それはお前の血肉となり成廉という存在の中で生き続ける」


 父も似たような事を言っていた気がする、と成廉は思った。

「忘れるな。

武人は手に掛けた命全てを背負って生きて行かなければならないのだ」

「……奉先さんもそうして生きて来たのですか」

「そうだ」

 成廉は呂布に初めて会った時の悟りにも似た哀愁の様な『気』が、この武人の覚悟だと気がついた。


「食え」

 呂布が再度促した。今度は手を伸ばした。

 月光の肉は締まりが良く、旨かった。




 間もなくして張角が死んだ。


 病に蝕まれ、乱の当事者は弟の張宝・張梁となっていたが張宝・張梁も官軍に敗退しそれぞれ斬首された。その直後の死だった。

 黄天の世は潰えた。

 しかし、太平道の信者は減らなかった。まだ夢見る者達、悪政に耐えられない者達によって叛乱が頻発した。


 漢帝国はその微弱な力で鎮圧するのに十数年を要することとなる。




 呂布に一千までの兵の指揮が許されたが兵は補充されなかった。それでもまだましな方だった。張揚の計らいが影響したのだろう。

 他の手柄を立てた部将で何の沙汰も無い者もいたようだ。

 殆どの手柄は丁原のものとして朝廷に奏上された。よって丁原は并州刺史兼任で、騎都尉、河内太守に任命された。


 張揚が呂布を訪ねて来た。

「これは……わざわざよく来てくださった」

「晋陽の近くに用があってな。寄らせていただいた」

「ちょうど従者に兎を調理させてるところだ。酒でもどうです」

「では、お言葉に甘えて」

 しばらくして成廉が焼いた肉を持って来た。

「?

君は先の黄巾の乱の時の……」

「はい。奉先さんの傍ら戦に出させて貰いました」

「そうか。呂布殿は有能な部下に慕われているのだなぁ。羨ましい限りだ」

「張揚様も部下思いだと有名ですよ」


 実際、張揚は少ない恩賞を全て部下に分け与えた、という噂である。

 成廉は一礼して退出した。


「良い少年ではないか」

「しっかりしてる様に見えてもまだまだ未熟で」

 呂布は張揚の杯に酒を注いだ。


「丁刺史のことをどう思われる」

 程良く酔ってきた頃に張揚が聞いてきた。

「仕える程の男でも無いですな」

 呂布は素直に答えた。

「やはりそう思うか」

「当然、他人の手柄を己のものにするなんて人のする事では無いでしょう」

「……実は配下の校尉(部隊長)達の不満も募っていてな。

丁刺史も何とかして欲しいものだ」

 張揚は呂布の目をじっと見た。張揚が何を言おうとしているか何となく分かった。

 共に叛逆しようというのだ。

 普段他の将にえらそうな態度な分、自分の部下には思いやりがあるのだろう。

 丁原は嫌いだが、張揚が下野しても部下の境遇は変わらない。丁原の下に収まるのも嫌という訳だ。


 ――だが、まだその機では無いのだ。


「……………考えておく」


 ――まだ我慢時であるはずだ。




 呂布は成廉ら三人を連れ、黄河を渡り西へ向かった。

 丁原に兵の補充を求めると募兵を命じられたのだ。そこで南匈奴の生活圏へ強者を求めに来たのだ。

 於夫羅

という男がいるはずだった。


 小さい集落に辿り着いた。

 入って直ぐに呂布は見知った男を見つけた。かつて、つるんでいた仲間の一人だった。

 何故か鍬を手に土を耕している。昔の彼からは想像出来ない姿だ。


「奉先じゃないか!どうしたんだ、こんな僻地に」

 男は嬉しそうに近づいて来た。

「ちょっと兵を集めに来た。ここの長に許可を貰いたいのだが……。

於夫羅はここに居ないのか?」

「あいつは相変わらず大暴れだ。

今は白波賊を率いてる」

 男は白い歯を見せた。

「長はあの丘にある館にいるよ」

「そうか。

………ところでなんで農業などしているのだ?」

「盗みからは足を洗ったんだ。ここは痩せた土地だから収穫は多くはないけど、作物が穫れるのは嬉しいよ」

「らしく無いじゃないか」

「今は妻もいるし、土地もある。

昔ほど大きな富は手には入らないけど、安定した幸せだよ」

 そんな幸せも在るものなのか、と成廉は思った。


 礼を告げると四人は丘へ向かった。

 長は呂布が名乗ると喜んで中へ案内した。長と聞いて成廉は老人を思い浮かべたが、年齢を計り難い引き締まった男だった。

「集落内で募兵をしたいのだが」

「構いませんよ。

既に呂布殿は当代の『飛将軍』と匈奴の中でも有名です。

沢山若者が集まることでしょう」

「七百人ほどで十分だ」

 長は眉をひそめた。

「それはまた少ない」

「校尉だからな」

「あれほどの戦功を挙げたのにですか」

「仕える相手を間違えた」

 長はふっと笑った。

「というより人の下に収まる方では無いですな、呂布殿は」

「天下はまだ俺を求めておらん」

「雌伏の時……なのですな」



 しばらく呂布は長と雑談し、成廉らは早速募兵を始めた。

 布地に募兵について書き記し、集落の広場に掲げた。文字を読めない者のために口でも広めてもらった。

 翌日から五、六人纏まって呂布の元へやって来て、一週間もすると二千を超えた。喜ばしいのは、半分は自分の馬を連れてる事だった。

 丁原は并州が駿馬の産地にも関わらず馬を支給しなかった。出し惜しみしてるのだ。そんな状況で馬が手に入るのはありがたかった。

 呂布は募兵を打ち切ると集まった若者を広場に整列させた。


「皆、よく集まってくれた。

……しかし全員を連れて行くことは出来ん」

 みんな顔を見合わせた。てっきり全員ついていけると思っていたのだろう。

「俺はここで戦士を集め、最強の麾下軍を作るつもりだ。

よってこれから二週間、俺の調練について来れん奴は家へ帰ってもらう」


 地獄の調練が始まった。

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