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泰山に臥す


 泰山。

 それはエン州、豫州、青州、そして徐州の州境に跨る山々の中心にある。深林と断崖が広がり、此処ら一帯は古来から仙人が住んでいると噂されてきた。

 人を寄せ付けないこの泰山を根城に独立する勢力があった。

 朝廷は彼らを『泰山賊』と呼ぶ。

 任命された訳でも無いのに土地を領し闊歩しているのだから、叛逆として扱われて当然だ。

 勿論、朝廷は太守、県令に捕縛するよう命じた。しかし、泰山賊は付近の県令を言いくるめ、泰山の東・瑯邪郡開陽を勢力下に収めるに至ったのだ。

 全て泰山賊頭目の仕業である。姓を臧、名を霸、字を宣高と言う。


 臧霸は泰山の西、泰山郡華県の出自だ。若い頃から武侠で名を馳せた。齢十八の時、父親が太守に罪を着せられ逮捕された。臧霸は当時から手下を百名程抱えており、官舎に連行される前に父親を救い出した事がある。臧霸は父親と青州東海郡へ逃れた。太守は臧霸らの行方を調べたが、地元の者でその行く先を密告する者は一人としていなかった。

 黄巾の乱が勃発した際には徐州刺史、陶謙に属した。そこで功を上げた臧霸は陶謙に認められ、その地位を確固たるものにしたのだ。

 徐州は各地に点在する土豪の力が他の州に較べて強い。その中でも臧霸の泰山賊は強大だった。


 一九四年、エン州で曹操と呂布が争う中、徐州牧に昇進していた陶謙が死んだ。

 陶謙の息子は主の器では無かった。そこで牧を代任したのが徐州に援軍として屯営していた劉備だった。

 臧霸は陶謙が死んだ事で完全に独立した。

 劉備との関係は中立が保たれたが、他の土豪は劉備に従おうとしなかった。劉備は度々土豪との仲介を臧霸に依頼したが、臧霸の対応は一貫して中立だった。


 そして翌一九五年。正に徐州内の勢力図が群雄割拠となる中、ある客が泰山に辿り着いた。

 エン州の覇権争いに負けた呂布である。




「呂布殿、医者が参りましたぞ」

 呂布の帷幕に臧霸が医者を伴って、やって来た。

「すまない。奥へ」

 剣の鞘を突いて立ち上がる呂布を見て、成廉は直ぐに肩を貸そうとした。

「よい、皆此処で待機しろ」

 成廉は毒に冒されながらも愚直なまでに補助を断る呂布に少しばかり呆れながら、奥の寝台に向かう呂布を見送った。


 魏越が死に、泗水を渡った呂布らは徐州に入った。

 そこで遭遇したのが泰山賊だった。呂布らが誰なのか判らなかった彼らは丁度良い獲物と言わんばかりに金目の物を奪おうとしてきた。

 しかし、弱っていても呂布は呂布。十人程を斬り捨てると頭目に面会を求めた。そこで臧霸と出会い、更に呂布と名乗ったのである。

 臧霸は部下の愚行を詫び、呂布に出来る限りの協力を約束した。お蔭で食糧物資と寝床を提供してもらい、医者まで呼び寄せてもらえたのだった。


 成廉はどうして臧霸がここまで手篤くもてなすのか理解しかねた。呂布を匿うという事は則ち曹操に敵対を表明した事になる。

 徐州は先年曹操に攻め込まれている。青州兵と呼ばれる黄巾残党の中でも精強な若者で編成された先鋒の猛攻を、曹操は敢えて御さなかった。

 結果、十数を超える城を落とし、徐州側の被害は住民を含めて万を超えた。死体で泗水を堰止められる位だった。

 勿論、臧霸もその有り様を目の当たりにしているはずである。曹操の強さも十分理解しているはずなのである。


 ――なのに何故……?


 成廉は絶望で頭を抱えて座り込んでいる皆の中、ぽつんと立っている臧霸に近付いた。

「臧霸殿は、」

「うん?」

 臧霸は組んでいた逞しい腕を解くと好奇の目を向けた。此方から話し掛けるのが初めてだからだろう。


「臧霸殿は何故ここまで協力してくださるのですか?」

「そうさなぁ……」

 臧霸は呂布とほぼ同年代だ。筋肉質な体格と漂わせる空気は荒々しい。本質は明らかに『武人』だった。そして、目は際立って柔和だ。

 成廉は何となくこの優しい目が無ければこの男は人の上に立っていなかった気がした。

「部下の責任を取るのが主ってものだろう」

「それだけの些事でここまで出来ますか? 兵達の食糧から寝床まで世話してくれる程に?」

 臧霸は驚いた様に目を開けた後、目で笑い掛けた。

「儂は君の主を尊敬しているよ」

 またか、と成廉は思った。

 最強の『武』はこの乱世に於いて呂布の一番の美点だ。しかし、逆に言えば呂布は『武』の一面しか見られていないのだ。

「天下の人々は奉先さんの武しか見ません」

「儂は少し違うぞ」

 成廉は顔を上げた。

「確かに武を見ているが、儂は呂布殿の武の『在り方』を見届けたいのだ」

 臧霸は成廉も促しながら胡床に腰掛けた。


「北の辺境に最強と称され、匈奴からは飛将の再来と畏れられる武人あり。それが儂の初めて知った呂布殿だった。

洛陽で丁原を殺し董卓に仕えたかと思えば今度はその董卓を殺し、」

「それは、」

 臧霸が口に指を当てた。

「天下に号令するかと思えば都を棄て、放浪した果てには曹操に喧嘩を売る」

 臧霸の目が輝いた。それはやはり今まで呂布を見る群雄と変わり無く感じた。

「自分勝手で破天荒で天下を飛び回る、別の意味で正に『飛』将と言えよう。だが、それが呂布殿という人間であり、それが呂布という名の武なのだ。

儂は今まで呂布殿を見続けてきたし、これからも最後まで見続けるつもりだ。そんな存在である呂布殿が傷付いて儂の下に辿り着いたのだ。誠心誠意を尽くすのが当たり前だろう」


 自分とはまた別の視点で呂布を見ている者がいる。それはごく当たり前の事で意外にも気付きにくいものだった。

「要は己のやりたい事をやっているだけなのさ。これが答えでは不服かね?」

「いえ……」

 成廉は目を逸らした。

「急に無礼な事を聞いて申し訳無いです」

 臧霸は不思議そうに成廉を見た。

「君は……」


 何かを臧霸が言う前に奥の幕間から医者がひょっこり顔を出した。

 一同顔を上げる。

「奉先様は!?」

 張遼が駆け寄ったが、医者は静かに首を振りながら言った。

「成廉様と文優様はいらっしゃいますか」

「成廉は此処です。が……文優殿は」

「崖の方におったぞ」

 高順が帷幕の外を示した。

「将軍様は診断をお聞きなさって、最初に参謀長と従者長のお二方に説明を聞いてもらいたいとの事です」

 張遼は戸惑いと疑問の入り混じった視線を成廉に向けてきた。


 ――どうして張遼を抜かしたんだ……?


「あの……文優殿、呼んできます」

 よく分からないまま成廉は帷幕を飛び出した。


 文優は暫く林を抜けた開けた所で崖を見下ろしていた。

「文優殿、」

 風が強い。崖っぷちで揺れる文優は今にも落ちるのではないかと思えた。


「文優殿!」

 成廉がその腕を掴んで漸く此方に気付いた様だ。成廉を見る目もどこか虚ろだ。

「あ……何でしょう?」

「奉先さんがお呼びです」

「そうですか」

 文優は直ぐには動かなかった。

「大丈夫ですか?」

「少し考え事を……」

 二人の間を沈黙が駆けていく。崖から見える景色は森が続いていた。朧気ながらその先には畠も見える。しかし実りは無く、焦土が広がっているだけだ。


「成廉殿は何故、呂布様に仕えているのですか?」

 不意に文優が口を開いたかと思えばそう問うてきた。

「何故って、今更……」

 そこでよくよく考えてみると文優に呂布に仕える理由を話した事など無い事に気付いた。

「それが天命だからです」

「天命?」

 文優は虚ろに景色を眺めたままだった。

「奉先さんに仕える事だけではありません。『呂奉先』という存在自体が僕の天命なのです」

「天命……フフ、ハハハハっ!」

 乾いた馬鹿にした声で文優は笑い出した。こんな文優を成廉は見た事が無かったが、戸惑いよりも己の生きる意味を馬鹿にされた気がして怒りが先行した。

 だからと言って感情を露わにしたりはしない。成廉は昔と比べて随分と己を抑えられる様になった。

「可笑しいですか」

「ええ、可笑しい。いや、愚かですよ!

天命にのみ従い、生き、そして死ぬ。人間とは本当に愚かだ」

 今度は文優の自嘲を含んだ笑みに何となく自分だけに向けられた言では無いと成廉は感じた。


「それなら文優殿は何故奉先さんに仕えているのですか?」

「……」

 文優から表情が消えた。まるで吹けば飛びそうな位に覇気が失せてしまった。

「……天下」

 ぽろりと文優の口から零れた。

「私は天下を統べる為に生きてきた」

「でも、奉先さんの天下は潰えてしまった、そう文優殿は言いましたよね」

 文優はその場にへたり込んだ。

「ならば董卓や王允の時の様にまた別の主を仰げば良いじゃないですか」

 言ってはいけない。そう良心が止めるのに成廉の口は動きを止めなかった。

「今の奉先さんは決して天下への近道ではありませんよ」

 文優の唇が震えている。成廉は自分が自分で無い様な気がした。

「そうだ、その通りだ!」

 文優の表情が崩れた。

「それなのに私は、私はただ天下を統べたかったはず、なのに……今は呂布様との天下しか見えない」

 文優は弱々しく呟いた。文優は自分に敗北した。


 ――そうか、……文優殿も奉先さんに天命を見出してしまったのだ。


 平生の文優はずっと天命を信じ、従う者を心底嘲笑ってきたのだ。それなのに己の志を超える程の天命の出会ってしまった。自責自虐、戸惑い、後悔、……、沢山の葛藤が文優を襲ったに違いない。


「呂布様は天下を治むる器では無い。その上に猛毒に冒されこれからどうなるのか見当もつかない。……それでも、望みは薄いと解っていても頭に描かれるのは呂布様の天下だ」

 文優は今まで誰にも打ち明けずに独り自問自答を続けてきたのだろう。

「私は、私は……どうしたらいいのだ」

「……」 遥かに年長の者が足に縋りつく。

 成廉には文優にとっての『答え』など解るはずも無かった。それでも成廉はへたり込む文優に手を伸ばした。


「行きましょう。僕達の天命を受け入れに」




 成廉が文優を伴って帷幕に入ると皆の視線が集まる。張遼と目が合った。ぎこちなく頷くと成廉と文優は奥へと向かった。

 呂布は寝台に横になっていた。成廉が思っていたよりも毅然としている。診断が思わしくなければもっと気落ちしていると思っていた成廉は一安心した。弱気など一欠片も無い、晴れ晴れとした顔つきだ。


「掛けろ」

 呂布が顎でしゃくった胡床に腰掛けると医者は神妙な面持ちで口を開いた。

「宜しいですな?」

「構わん」

「では、単刀直入に言わせていただきます」

 医者が生唾を呑む音が聞こえる。医者の口から出た言は予想に反していた。


「将軍様は……保って一、二年の命です」


 成廉の世界が急に歪み始めた。


「将軍様は河豚の毒に冒されております」

「……ふぐ?」

 冷静になろう、そう心掛けても声がうわずった。

「河の豚と書いてふぐと言います。黄河で漁師が発見したのが最初で、猛毒が有り食用に全く適さないために我々が目にする事は殆どありません。私も河豚の猛毒を目の当たりにするのは初めてでございます」

 医者の言が機能しなくなった頭蓋に響く。


「私の師は修行の為、全国を巡回されております。師が申すには渤海の河豚の肝を乾燥させると、僅か一匙であらゆる生物を死に至らしめるとか。

恐らく兵糧にはこれが混入していたと思われます」

 成廉も文優も口を開けなかった。


 ――曹操の仕業か……!!


 成廉はきつく唇を噛み締めた。文優は既に放心寸前だ。

「河豚の毒は四肢と筋肉を司る器官を蝕みます。本来なら犠牲になったと言う兵達の様に苦しんだ後、心の臓に毒が達して死んでしまいます。

が、将軍様は強靭な肉体と運に恵まれました。摂取した毒は致死量以上と思われますが、臓腑の何処かにて毒が滞っていらっしゃる。奇跡的に命を取り留めてはおりますが毒が心の臓に達すれば即死で御座います」

 成廉は吸う空気が重たく感じた。胸が苦しい。

「何時、心の臓に達するか判りません。しかし、奇跡的に毒が心の臓に達しなくても毒は時間と共にジワジワと全身に広がります。ですから余命は長く見積もって一、二年で御座います」

「解毒方法は?」

「有りませぬ」

 聞かなければよかったと成廉は後悔した。

「それでは奉先さんは……死ぬのですか?」

「遠からず」

 そんな、と言ったつもりだったが口からは重たい息しか出て来なかった。


「すまんが」

 呂布が口を開いた。

「三人にさせてくれるか」

「畏まりました、くれぐれも激しく体を動かす事の無い様にしてくださいませ。これは気休めにしかなりませんが四肢の痙攣を抑える丸薬で御座います」

 呂布は頷いた。

「代金は陳宮に請求しろ」

「それでは……」

 医者は憐れみを含んだ目で成廉と文優を見ると静かに帷幕を去っていった。

 帷幕内に沈黙がのし掛かる。成廉は直ぐにでも大声で叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。が、抑えた。


 ――越の次は奉先さんか……。


 まるで大切な者が次々と離れようとしている様だった。


 ――天よ、これも僕の天命だと仰るのですか?


「なんだ、二人とも。この世の終わりと言わんばかりの顔だな」

 呂布は全く変わらず、何時も通りの調子で言った。

「人は何時か死ぬ。俺だって人間だ、この死は早いとも遅いとも思っとらん」

 呂布が微笑んだ。それはついさっき死の宣告をされた者の表情とは思えなかった。

「でも、僕はまだ……何一つ奉先さんから学べておりません」

「前も言っただろう、最強の武の答えは己自身しか見つける事は出来ん」


 呂布は小さく息を吐いた。

「二人にこんな遺言じみた話の為に呼んだ訳では無い。今後の我が軍についてだ」

 呂布は成廉と文優を見比べた。

「お前達はどうする?」

 成廉にとってそれは愚問だった。

「僕は死ぬまで奉先さんの従者です」

 呂布はそうか、と小さく呟いて、今度は文優に促す様な目を向けた。

「文優、俺の未来は見えん。天下統一の志は果たすなら俺の下から去っても良いのだぞ」

「私も最後まで呂布様に従います」

 力の抜けた、しかし何処か揺るぎない決意を匂わす口調で文優が答えた。

「天下を諦めるのか」

「いえ。……呂布様、天下を狙いましょう」

「俺はお前の人生を食い潰すつもりはない」

「人は何時か死ぬ。そう仰ったのは呂布様ではないですか。戦場に生きる呂布様は常に死と隣合わせだったじゃないですか。今更何時お亡くなりになるか、だなんて大した問題じゃありません。これまで通り、私は呂布様の軍師で御座います」

「確かに己の死に場所は戦場と心得ている。だがその死に様の為にお前達の未来まで奪いたくないのだ」

 天下に武のみ取り柄と謳われる最強の武人の言とは思えない。

 だが成廉は解っていた。呂布は最強が故に己が皆に無理をさせてないか、と周りを密かに気遣う男だ。

 成廉は初めて呂布に出会ってから今までの経験からそれを感じていた。それが常に呂布が軍の先頭に立つ理由でもあるのだ。

「お前達は俺に最後まで追従すると言う。それならば俺が死んだらどうするつもりなのだ」

 成廉は文優と顔を見合わせた。そして静かに微笑む。

「その時には共に戦死します」

「!!?」

「奉先さん、奉先さんは僕の天命なんです」

「……天命……」

「奉先さんに仕え、奉先さんのために生きる、それが僕の天命なのです。そして天命を失えば生きてはいられません」

「だが、」

「奉先さんを一人で死なせたりはしません。安心してください、僕達が勝手に死ぬと言っているのです」

「全く……勝手だ」

 苦い物噛み締める様な顔で呂布は吐き捨てた。

「どうせ俺が死んだ後の話だ。もう死んだ後は知らん」

 少し諦めたのか呂布はそれ以上止めようとはしなかった。


「またしても話が逸れた。俺が話したいのは我が軍の今後だ」

「分かりました」

 文優は姿勢を正した。

「まず、呂布様の命に関しては別状無し、毒に冒されたが時と共に全快すると通達します。我が軍は呂布様を中心に成り立っていますからこの事が洩れれば士気に大きく関わります。外部なんかに洩れたなら元も子も有りません。どうか味方にも内密にお願いします」

 念押しする文優に成廉は頷いた。

「して、これから何処に向かう? 何時までも泰山で世話になる訳にもいくまい」

「この絶望的状況で天下への光が見えるのは一つだけ、」

 あくまでも文優は呂布の天下に拘った。

「州牧が代わったばかりの徐州。そこが次なる旗揚げの地です」

「徐州だと? しかし、その牧はあの劉備だ。一筋縄ではいかんぞ」

「重々承知しております。劉備は土豪からまだ支持を獲られてないのか徐州は混乱の様子。更に南からは寿春の袁術が北上の期を窺っています。徐州に隙が出来る事は間違いございません」

 目に静かな光を宿して文優は言った。


「呂布様、もう一度天下を狙いましょう」「……いいだろう」


 それはこの上無く愚かで虚しい行動だった。それでも敢えて誰も口にしなかった。


 騎馬四千全軍に呂布の偽りの容態が通達された。

 勿論、張遼も例外では無かった。十年以上苦楽を共にしてきた戦友がそれを知らない事はおかしい。成廉は告白するべきだと訴えたが、呂布がそれを許さなかった。

「あいつはそんなに強くない」

「そうでしょうか? 少なくとも遼は僕よりは強いと思います」

「俺の言う強さとお前の言う強さは違う

武勇が、では無く心が、だ。張遼は繊細過ぎる、多感な心の持ち主だ。魏越の死を目の当たりにしてあいつの心は弱っている。

今、俺の命があと一、二年と告げれば、それがあいつにとってどれだけの衝撃になるか……」

「越の事は……僕だって」

「張遼の心は孤独だ」

「ぇ?」

「辛い時、頼れる者が側にいたとしてもあいつは絶対頼ろうとはしない。辛さや悲しみ、心の弱みがあれば寧ろそれを隠そうと必死に普段通りを装おうとする」

「そう……なのですか」

「多感が故に張遼は将として良く気付く資質がある。何時だって本音や弱音を吐かない、我慢強い男だ。だが人の心にも限界というものがある」

「……」

「俺は……怖いのだ」

「えっ?」

 その時の呂布は何時に無く情け無かった。

「成廉、お前は俺に死ぬまで付いて行くと言った。だが、張遼はどうだ?」

「……」


「俺の命が少ないと知ればあいつは俺の下を去るかもしれん」

「そんな事……!」

「張遼が何故俺に仕えるか、お前は知っているのか?」

「それは……」

「お前と魏越は純粋に俺の武への羨望からだろう。だが、張遼は何を思い、俺に仕えるのか分からんのだ。あいつはなかなか本心を見せないからな」

「……」

「馬邑でお前達に出会って今まで当たり前の様に過ごしてきた。魏越が死んだ時、悲しかった。胸が張り裂けそうだった。が、しかし恐れなど抱かなかった。

人は何時か死ぬ、魏越は最期まで俺の部下だった。だが、張遼はどうだ?

あいつが俺から離れるとしたらそれは死ぬ時では無く、呂奉先を見捨てた時だ。だから怖いのだ。共に過ごした時が長ければ長い程、恐怖は大きくなる」

「遼はそんな男じゃありません!!」


 叫びは届かなかった。

 張遼が呂布に仕える最初の動機は至極単純で、成廉と魏越が呂布に仕えるから、というものだった。

 それは成廉も重々承知している。問題はそれが今でも変わらぬのか、である。


 魏越が死んで、特に張遼は変わらなかった。少なくとも表向き成廉にはそう見えた。表面上何の変化が無ければ無い程、ますます内心何を思うのか分からない。

 それを知る方法は簡単だ。本心を普通に訊ねれば良いのだ。幼い時から家族同然に育った仲で聞けない事などあるはずが無い。

 が、なかなか話を切り出せない。

 意識すればする程に切り出せなかった。それが何故か己にとっての張遼の存在を表しているようで、情け無く悲しかった。

 成廉もまた、怖くなったのだ。

 もし、張遼に呂布への忠誠心を問い、その答えが呂布の想像する様なものだったら、その時はどうすればよいのか。

 成廉からしてみれば呂布も張遼も家族同然なのだ。


 ――もし、遼が奉先さんを離れると言ったら……僕は……。


 成廉に答えは判らなかった。




「……れ……ん、廉々、廉々ってば!」

「へっ!?」

 白鈴が裾を思いっきり引っ張っている。

「隊列からはみ出しちゃうよ」

 周りを見渡すと確かに雷音は街道から外れようとしていた。どうやら考え事に没頭し過ぎた様だ。

「大丈夫?」

「ぅ、うん、ありがと」

「本当に大丈夫?」

 心配そうな大きな瞳が見上げる。

「大丈夫、心配要らないよ」

 そう、と少し落胆した声が返ってきた。


 呂軍は徐州に向かって泰山を発った。突然の出立に臧霸は驚き、まだ滞在する事を勧めたが呂布は丁重に断った。そしてエン州から辿り着いた騎兵四千余と徐州を目指す。


 成廉は未だ張遼の本心を知る事が出来なかった。

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