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飛将中原を駆ける




「も〜やだっ! 河でもいいから行ってくる!」

「そっそんなこと言っても……」

「だってもう五日間も湯浴みしてないんだよ!? こんなこと初めてなんだから」

 白鈴は頬を膨らませてだだをこねた。

「奉先さん……」

 成廉は助けを求めるように呂布を見た。


 事の始まりは呂布らと白鈴の習慣の違いにあった。呂布ら毎日野営する時には躰を拭いたりと当たり前の事はしていた。

 ただ、貴族暮らしに馴れていた白鈴には湯浴みは当たり前だったのだ。白鈴は幼く見えても年頃の女の子である。身なりに何かと気を使うのであろう。

 成廉は一緒に居てくれるだけでもうれしかった。白鈴の身なりなど気にもしていないのだが、白鈴の気持ちを考えると文句も言えない。しかも、うっかり口を滑らせて


「そもそも放浪する身分で身なりなんて気にしなくてもいいんじゃない?」

 なんて言ってしまったのでなおさら不機嫌なのだ。遂に河に沐浴しに行くなんて言い出してしまった。

「とんだお荷物姫様だなぁ」

 魏越が苦笑しながら皮肉すると、近くで肉を頬張る蝗紅隊の者からどっと笑い声が上がる。

「なによ! あんた達こそおかしいんじゃない。そんな状態で五日間もよく生活出来るわね」

 軽蔑の眼差しで白鈴が言い返す。

 そうは言ってもその五日間はほとんど騎馬による移動だったので汗をかいた者など皆無である。


「ったく、やっぱあの時置いて行きゃ良かったな」

 魏越が冗談めかして言った。あの時とは勿論嵋城の一件である。

 途端に白鈴は口を噤む。躰に氷を流したかの様な冷たさが走った。

 兵達からまたも笑い声が上がるが、収まるとやってきたのは嫌な感じの沈黙だった。

「……」

「……」

「……なんだよ、お前らしんみりしやがって」

 白鈴の目はいつの間にか溢れんばかりの涙目になっていた。

「……ェック……ヒック」

「げ!?」

「白鈴?! ちょっ! 越、言い過ぎ」

 はらはらと涙が流れる白鈴を見て、よく解らないが言い過ぎたと思った魏越は慌てて立ち上がった。

「悪ぃ悪ぃ、安心しろって冗談だって」

「あーあ、魏越様が姫君を泣かせた」

「うるせー!」

 ニヤニヤと兵達からちょっかいが飛ぶ。

 不意に呂布が口を開いた。

「董白、俺は一度言った事を曲げはせん。いらぬ事に心を散じるな」

 呂布の言葉ももっともだった。確かに呂布は有言実行の漢である。故にそれが美点でもあり、盲点でもあるのだが……。


「そうだよ白鈴……」

 成廉が寄り添う様に肩へ手を伸ばすと白鈴はそれを振り叩いた。

「ぇ……?」

 こんな風に拒まれるのは初めてだ。胸に痛みが走った気がした。

 白鈴は拳を握り締めて俯いていた。

「……解ってる」

 白鈴の胸の奥に溜まっていたものが溢れ出した。相変わらず頬に涙が光る。

「あたしは所詮、魔王の孫なんだ」

 皆がハッとする。それは極力言わないようにしていた事だ。

「じぃじがどんなに悪い事していたのか初めは分かんなかったけど、今なら知ってる。じぃじがそれで殺された事も分かってる」

 睫毛にも涙の粒が光っていた。不謹慎だが成廉はそれがいたく美しいと思った。

「みんなに受け入れてもらえた時は凄く嬉しかった。あたしは廉々とみんなと一緒に居たいし、でも……でも……みんなはじぃじを従姉妹を嵋城のみんなを殺したんだ……!」

 兵達がうなだれる。それはしょうがなくも事実だ。

「いつ捨てられるか……いつ殺されてしまうか……ってどんなに怖いかみんなに解りっこない!」

 白鈴は踵を返して駆けだした。

「あっ! 白鈴!!」

 成廉はすぐに追わず、足踏みした。

「何をやってる? 早く追いかけてやれ」

 呂布が促した。成廉はその声を聞いて少しだけ心が落ち着いた。

「……はい!」

 成廉は力強く頷いた。


 成廉が後を追うと、白鈴は森を抜けた小さな川のほとりに佇んでいた。

 すすり泣きが聞こえた。それでも膝を突かずにしゃんと立っているところが白鈴らしかった。

 成廉は無言で後ろからそっと抱き寄せた。今度は拒まれなかった事が幸いだった。白鈴も顔を成廉の胸にうずめる。


「……どうしよう」

 白鈴の涙声は弱々しかった。

「あんな風に怒鳴っちゃって、みんなに嫌われたらここに居れないよ……」

 成廉の顔を見上げる。

 成廉は愛おしい上目づかいにくらくらしながらも力強く抱き締めた。

「みんな嫌ったりなんかしないよ」

「でも、じぃじは廉々達に……」

「確かにみんな董卓には怒ってたよ。でも、それは董卓個人であって董氏じゃない。ここに白鈴の事を憎んでいる奴なんて一人もいないよ」

 白鈴を優しく撫でる。

「でも……でも、あたしみんなの足手まといだって……」

「越が言ってたのは本当に冗談だって。あいつはああ見えて皆の雰囲気とか気にするんだ。

ただ冗談言って皆を和ませようとしただけだって」

「本当に?」

「ああ、絶対。だから安心して白鈴はここに居ていいんだよ」

「……」

 白鈴は嬉しいような申し訳無いような恥ずかしいような顔をして黙り込んだ。

「笑って白鈴」

 成廉が笑いかけると白鈴はそっぽ向いた。

「ほら、笑って!」

「うるさい!」

 白鈴は成廉から離れると河原に駆けていく。

「待てよー……ぅわたっ!」

 追いかける成廉は河原の石で滑って転んでしまった。途端に笑い声が降ってくる。

「ば〜か」

 釣られて成廉も笑い出す。


 以来、白鈴はちょっとだけ素直に、そして笑顔を絶やさなくなった。




 冀州に入った呂布一行は黎陽に留まり、袁紹のいる州城・[業β]へ面会を求める使者を送った。

 この使者にはもう一つ、冀州に置かせて貰えるよう許可を願う意味合いもあった。しかし、十日経っても使者は帰ってこない。

「何やってるんですかね」

 魏越はイライラと呂布に聞いてみた。

 呂布は腕を組むと、恐らく……と口を開いた。

「公孫讚と戦が始まるかもしれないからだろうな」

「コウソンサン? どうして連合同士で戦なんですか?」

「もう、董卓もいないからな……乱世になれば連合なんて関係無い」


 諸侯は二人の袁氏に分かれていた。南陽の袁術、[業β]の袁紹である。袁術は孫堅、公孫讚、陶謙と、袁紹は曹操、劉表、韓馥と盟約していた。

 袁術は孫堅が戦死したため、その軍を吸収して強大だった。その勢力範囲は荊州最北の南陽から東に揚州北部と淮河周辺にまで及ぶ大勢力である。対して、袁紹は先年、冀州牧の地位を韓馥より譲られたばかりでまだまだ地盤の固まっていない勢力だ。

 北平の公孫讚とは冀州をめぐって激しく敵対している。裏では袁術が支援しているだろう。いつ戦が起きても不思議じゃ無い情勢だ。


「……だから、袁紹もそれどころでは無いのだろう。だが、逆を言えば今は少しでも戦力が欲しいはずだ。確実に受け入れてくれるだろう」

 州城に入れた時には冀州に入ってから一月経っていた。


「洛陽、長安も凄かったけどここも賑やかだな」

 魏越が感嘆して唸った。

 [業β]の城門をくぐるとすぐに広がる市場から威勢の良い声が飛び交う。冀州の中心である[業β]は河北の商業の中心でもある。

 北の州境では袁紹軍と公孫讚軍が睨み合っているというのに、ここは全くその影響を受けてないようだ。

「政庁はこちらです」

 袁紹の侍中を名乗る男が案内した。


 政庁前で蝗紅隊を待機させると呂布は三人だけで袁紹の待つ広間に向かった。

 成廉は一瞬迷ったが白鈴は留守番として残らせた。蝗紅隊の兵達はならず者や賊上がりばかりだが、白鈴に何かするような者達じゃない。

 彼らは女より闘う事を喜びとしている。何かしたとしてもちょっかい位だろう。

 それに、袁紹に女が居る事を強調するのはあまり思わしくない。侍女のような大した地位でも無いように見せるのが賢明だ。「どうぞ」

 侍中が案内した広間の北に袁紹は座っていた。

 まるで玉座の様な椅子に腰掛け、呂布を値踏みするように見ている。

「此度は有り難く存ずる」

 呂布は礼をして言った。

「呂布よ、よく参った」

 まあ座れ、と袁紹は顎をしゃくった。

 成廉と魏越は袁紹の横柄な態度に腹立たしく思ったが、大人しく正座した。

 が、呂布は違った。酒宴にでも来たかの様にドカッと胡座をかいた。

「ちょっ……!」

 成廉から驚きの声が洩れる。袁紹も片眉を上げて、顔をしかめた。

 今の呂布らは袁紹の客将の身分である。客将は領主の好意で養ってもらえるのであって、とても対等とは言えない。

 しかし、呂布はそんな舐められた真似をするつもりなど微塵も無かった。

 最初のかしこまった礼とは打って変わって対等に話し出した。

「話は書状の通りだ、冀州公。少し世話になりたい。許可するか、否か?」

 まるで脅しでもかける様に呂布は尋ねた。

「条件がある」

 袁紹は負けじと睨み返すと口元だけ歪めた。

「我が方の将と対決せよ」

「!!?」

「我が軍は戦を間近に控え、本来なら客将を養っている余裕など無い。だが、我が軍の誰よりも強いと言うなれば……」

 侍中が目を見開く成廉と魏越に説明した。

 二人は呂布を見上げた。

「よかろう」

 袁紹が更に口元を歪める。

「よい心意気よ。その方らの将が三人なればこちらも三人選抜しよう」

「は!?」

「俺達もかよ……」

「受けて立とうじゃないか」

 呂布の予想外の答えに成廉は慌てる。

「そんな、奉先さん……」

「なんだ、お前ら充分強くなったぞ」

「でも……」

「廉、諦めろ」

「越までそんな事言う」

 成廉は二人を睨んだ。もし、負けたらどうするのか。その時は拠る場所を無くすだけでなく、呂布軍は天下の笑い者である。


「日時は明日の正午、政庁前の広場だ。期待しているぞ」

 袁紹はさっと立ち上がると奥の室に消えた。


「どーしよう」

「大丈夫だって!」

 魏越が脳天気に成廉の背中を叩く。対照的に成廉の顔は青かった。




 翌日、広場に大勢の人集りが出来ていた。

 誰が流したのか、噂を聞きつけた兵や民が押し寄せて来たのだ。人の多さにかこつけて露店まで出す商人までいた。たった三回の対決の為にお祭り騒ぎだ。

 あの呂布の武が間近で見れるとか、文将軍の方が勝るに決まってるとか、それより呂布の隣りの二人は誰なんだとか、人々は言いたい放題だ。


 そんなお祭り騒ぎを横目で見ながら成廉はそわそわしていた。

「ああ! こんなに人が集まって!……負けたらどうしよう」

 成廉は頭を抱え込んだ。

 その様子を呆れた様に呂布は見下ろした。

「その弱気癖は何とかならんのか」

「……そんな事言われましても」

「だいたい、廉はあれこれ考え過ぎなんだよ」

 越が溜め息混じりに諭す。

「真の武人とは何より己の武を解する。そんな風では成廉もまだまだぞ」

 成廉は呂布の助言に反発した。

「じゃあ、具体的にどうしろと言うのです?」

 同時に幕を分けて係らしき兵が顔を出した。

「準備が整いました。成廉殿、こちらへ」

 最初の対決が始まりそうだ。

 成廉はうむやむ一人愚痴りながら帷幕から出た。

「今まで何人殺してきたか思い出してみろ」

 成廉の背中に呂布の投げかけた言葉が染み込む。


 ――殺した人数……か。


 だが外に出た瞬間、成廉は大勢の気に呑み込まれてしまった。

 広場は四方を柵で囲まれ対決の準備が整えられている。成廉と対する方には既に対戦相手が待っていた。


 その男は荒々しさを内に秘めていた。平静を装っているが、何か粗暴な印象を受ける。獲物を静かに狙う獣の様でもある。

 ただ、成廉はその顔つきが気に入らなかった。

 良く見れば、袁紹の配下のほとんどがそれと同様だ。その傾向は能力の高い者ほど顕著である。己以外を見下す癖は主と大差無かった。


「名も無き将よ、涼州の麹義とは俺の事よ! 尋常に勝負!!」

 成廉と相対する男、麹義が名乗った。途端、袁紹の兵達から歓声が上がる。

 麹義は袁紹の部将の中でも実戦に実戦を重ねた勇猛の男である。本来なら冀州北部で公孫讚と睨み合っているはずである。

 予想外の名に成廉は僅かに気圧された。

 袁紹軍の将と言えばまず顔良、文醜が上がるが、その次には麹義が上がる。

 袁紹軍三位の男が目の前にいるのである。

 ただでさえ乗り気の無いこの対決。次第に成廉の戦意は萎縮し始めた。

「勝負は両者どちらかが負けを認めるか場外にでる、あるいは続行不可能に陥るまで行う」

 上座から見下ろす袁紹が高らかに告げる。「始め!!」

 合図の銅鑼が鳴らされる。勝ちの見えない対決が始まってしまった。


 じりじりと迫る麹義に対し、成廉は下がるにも進むにも出来なかった。

 麹義が近付くにつれて気の圧は更に増す。

 とうとう何も仕掛けないうちに手を伸ばせば棍で撃てる距離にまで狭まった。

 この対決で使用する武器は勿論刃物では無く、両端に布を捲いた棍である。とは言え、打撃には申し分なく、寧ろ危険なぐらいだ。

 そんな事を考えながら成廉は相手を油断無く見ていた。


「ガっ!」


 つもりだったのだが、いきなり繰り出された突きを顔面に受けてしまった。鈍い痛みが広がる。思わず額に手が行く。

「どうした、どうした! 所詮、呂布軍はこの程度かぁ?」

「……」

 成廉は何も言い返せなかった。

 そんな事は無い。魏越の武は他軍に誇れるものだし、張遼の武も同じである。


 ――それに較べて僕は……。


 魏越がこんな風に侮辱されたなら、頭に血が昇るだろうし、張遼なら実力を証明しようとするだろう。

 成廉は何も言い返せない己自身が赦せなかった。

「くっそ!」

 腹立ち紛れに振るった成廉の棍は虚しく空を掻く。すかさずその隙を麹義が突いた。

 振っても振っても当たらない。

 なぜだか成廉は全く判らなかった。普段の戦ならもっと動けた気がする。遂に容赦無く振り下ろされる棍を前に成廉は倒れ伏した。

「想像以下だな。本当に将かよ? 兵卒並の武でよくここまで来れたな」

 麹義が唾を吐いて罵った。背中に足が載せられるのを感じた。

 麹義が棍を持つ手を高く挙げると勝利を確信した袁紹軍から大きな歓声が上がった。

「この程度なら呂布も大したことなさそうだ」

 降りかかってきた言葉が成廉を突き刺した。袁紹軍からも嘲笑が洩れる。


 ――大……したこと無いだと……?


 成廉は唇をきつく噛んだ。


 ――僕のせいだ、僕が至らないから。


 己が罵られるならまだしも、幼き日に天命を見た呂布が馬鹿にされるのは成廉の生き方全てを罵るのに等しかった。

 それは耐え難い屈辱だった。


「ほ……を……な」

 俯せた成廉の呻きに麹義は顔をしかめた。

「ぁあん? 聞こえんな」

 麹義は嘲りながら踏みつけた足に力を入れようとしたその刹那、成廉は素早く反転して麹義に下から潜り出た。

 麹義は慌てる事無く成廉の立ち上がった隙を突こうとした。

 しかし、それよりも先に成廉の突きが麹義の喉元を捉える。

「グクッ!」

 麹義は堪らず二、三歩退いた。

 兵達からは驚きの声が上がる。

 成廉は先程とはまた異なった気迫を漂わせていた。

「僕を……舐めるな……!」

 消えかけていた闘志が再燃した。


 成廉は息吐く隙も与えず棍を振り回した。しかも、先程までの隙だらけの技とは異なり的確に麹義を押していた。

「くっ……こいつ」

 麹義は受けるので精一杯だ。


 ――何なんだ!? この様変わりは! まるで歯が立たない……!


 麹義はこれに至って初めて焦っていた。

 成廉の隙を突こうにも隙が見えない。下手に手を出せば応じ技が襲いかかってくる。

 あっという間に形勢は逆転していた。

 しかし、麹義とて袁紹軍の将としての自負が無い訳ではない。そこいらの一介の将とは格が違う。名も知られてない若造に退く事すら許すまじき事なのだ。


 ――負ける訳にはいかない。いや、負けるはずがない。


 麹義が力ずくで押し返そうとした瞬間、成廉が視界から消えた。

「!!?」

 すぐに擦れ違い様に水月を突かれた事を悟った。だが、もう遅かった。

 腹部に激痛が走る。息が出来ない。

「かはっ!」

 麹義は倒れた。立ち上がろうとしてそれが無理だと分かった。

 成廉が棍の先を麹義の首に据えて見下ろしていた。それでも麹義は抵抗して立とうとした。


「そこまで」

 止めたのは苦々しい顔で見物していた袁紹だった。広場が急に静かになる。

「殿!? 俺はまだ闘えます!」

 驚いた麹義が喘いで言った。

「お主の負けだ、麹義」

「何を仰る?! まだ……」

「見苦しいぞ! 麹義!」

 袁紹は怒鳴った。後半の負けっぷりが相当頭に来ているようだ。

「貴様は我が軍の将でありながら無名の将にここまで愚弄されたのだぞ!

この袁紹の顔に泥を塗った罪は重い。早々に北へ帰れ。公孫讚を討ち殺すまで冀州に還ってくるでない!」

「…………」

 麹義は開いた口が閉まらなかった。

 そもそも北の守備に就いていた麹義をくだらない対決の為に冀州へ呼び寄せたのは他でもない袁紹である。

 麹義の怒りが沸き起こる。

 しかし、反論する事が出来ない。敗者に口を開く権利など無かった。


「連れていけ」

 袁紹が命じる。

 茫然とへたり込んで動かない麹義を兵が肩を支えて広場から連れ出す。

 連れられる麹義は成廉の視線と目が合った。それが申し訳なさそうな、憐れむ様なものだったのでなおさら腹が立った。


 麹義は公孫讚を殺して、必ず冀州に還る事を心に誓ったのである。




「奉先さん、本当に僕達だけで行くのですか?」

「ああ、何だ? 麹義なんかじゃ、まだ己の武が信じきれんか?」

「そうじゃないですけど……白鈴もいますし」

 そう言うと成廉は共に雷音に跨る武装した少女を心配そうに見下ろした。

「大丈夫だって、雷音に乗ってるんだから廉々が守ってくれるでしょ?」

 呑気に笑う白鈴は意外にも甲冑が似合っていた。


 今、呂布らは黒山賊の張燕討伐の為、再び黎陽に向かっていた。

 呂布、成廉、魏越の対決はと言うと呂布らの圧勝だった。成廉が紙一重のところで麹義に勝利した後、勢いづいた魏越は幾重にも撃ち結んだ結果、対決相手であった文醜を気絶せしめた。

 呂布に至っては猛将・顔良を当然の如く場外へ一蹴りして終わらせてしまった。

顔良、文醜と言えば河北にその名の轟く武人だ。この二人が河北で最強だった。

 それを打ち倒したと呂布らの武名は否応無しに広まった。

 こうして呂布らは袁紹が示した無理難題を見事にこなして見せたのだ。

 面白くないのは当の袁紹である。

 だが、ここで受け入れを拒否するのは愚行であり、天下の笑い物になるのは間違い無かった。

 そこで袁紹はすぐに機転を利かせた。

 己の軍の自慢の将を倒した、と言うことを根拠にまた無理難題を押し付けようと考えたのだ。


 それが黒山賊の討伐だった。


 失敗して還ってくれば罪に問い、追放、あるいは処刑すればいい。

 断れば――、客将の分際で断れるはずもなかった。呂布は袁紹の要請に一考する事無く即答で承諾した。

 黒山賊の総数は十万を超える。普通、五百程度の兵で攻めればそれは自殺行為だ。勝てるはずがない。

 全て袁紹の思惑通りに事が進んでいた。 その事を呂布は知ってか知らずしてか気に留めた様も無く、全くの普段通りである。

 毎度の事ながら成廉はこの些か無謀過ぎる主を頼もしく思いながらも勝算があるのか気になった。

「奉先さん十万もの賊を相手に勝算があるんですか?」

「……」

 呂布は腕を組んで返事をしなかった。

 どうやら今考えている様である。しかし、すぐに思い付いた様だ。呂布は成廉を振り返った。

「無くは無い」

 また突飛な事を言い出すのか、と成廉は身構えた。

「だが、勝利を掴むには黎陽の将の協力が必要だ」

「はあ」

 呂布が他人の助勢を当てにするなんて初めての事だ。成廉は少し不安になった。

「それでは協力が得られない際には……?」

「その時はそん時だ」

「はあ……」

 腑に落ちない、と言うよりも先行きの暗さに不安を隠せない成廉の肩を魏越が勇気付ける様に叩いた。

「本っ当に廉は心配性だな」

「袁紹の将が協力するとは思えないし、」

「成廉は袁紹が嫌いか?」

 吐き捨てる様に言う成廉を見て呂布が聞いた。

「……はい」

 己の力を過信したあの顔達を思い出すと虫酸が走る。どうしても成廉は袁紹以下の者達を好きになれなかった。

 それを見透かした様に呂布は笑った。

「擁護する訳じゃあ無いが、袁紹は他者を見下せる程の実力を持ち合わせているぞ」

 そう言えば袁紹に会いたいと言い出したのは呂布だ。

「奉先さんは袁紹をどう見ましたか?」

「袁紹は……」

「袁紹は漢帝国の臣では無いな、既に帝の存在価値は無いものと考えているのだろう」

 張遼が聞けばさぞかし怒りを露わにするだろう。帝を無いものと振る舞うのは僭越にも程がある。


「しかし、その方が自由に政が出来るのも事実だ。中原は戦乱でどこも人が減っているというのに冀州はむしろ増えている。畠は肥え、諸商業も栄え、その上袁紹の領民は帝では無く袁紹を君として崇めているそうだ。

人民が困窮しているのを上手く利用して仁政で人を集める、まさに乱世の成功者だな」

 いつに無く喋る呂布に成廉と魏越は目を丸くした。そもそもどうしてそんなに冀州内の様子に精通しているのか。

「何でそんなに知ってるんですか!?」

「ん? ああ、俺も文優を見習って間者を使ってみてな……」

 更に二人は驚きを隠せなかった。

「だが、やはりいろいろと面倒だ。雇うのはこれで最後にするつもりだ」

 自嘲して呂布は微笑んだ。

「どうも性に合わん」


 らしくない事はしない方がいい。

 成廉はその言葉に頷きそうになって慌てて誤魔化した。


 一行は黎陽に到着した。

 呂布らを出迎えた将は名を張[合β]と言った。袁紹陣内にありながら誠実な物腰に成廉は好感出来た。

 早速、酒宴でもてなしてくれた所が袁紹陣内の他の将と違った。

 并州との州境を任されている割に聞かない名ではあるものの、袁紹以下、有名な者よりむしろ無名の方が親近感が湧くのは当の成廉が無名だからかもしれない。


「呂将軍、賊討伐に兵が必要でしたらいつでも申し付けください。某の配下、五千足らずですが出陣の備えは出来ております」

 酒宴の最中何を言い出すかと思えば、張[合β]は呂布に助勢させてくれ、と言うのだ。呂布に注がれるその目は熱かった。

「大変有り難いが、お断りしよう」

 呂布は丁重に断った。

「お立場はお察しします」


 どうして袁紹はこんな過酷な任務を与えたのか。それは呂布が断れないのを理解していたからである。

 既に呂布の武名は古の飛将になぞらえて天下に轟いている。そして先だっては袁紹陣内の三強を打ち負かした。

 拠る所の無い呂布らには今必要なのは天下の風評だ。

 飛将の名を冠する者が戦を前にして退く事は赦されないのである。他者の助勢に頼ってはならないのである。

 例え、それがどんなに困難なものでも。

「しかし、」

 そこらの事情を知っているであろう張[合β]は引き下がらなかった。

「某は将軍、あなた様と共に戦いたいのです」

 すぐ目の前に最強の武人がいる。

 共に出陣出来たらどんなに名誉な事か、と張[合β]は目を輝かせた。


「すまんが……」

 呂布は再度断った。

 張[合β]の肩が力無く下がった。

「左様……でございますか……。いえ、無理には申しません」

「だが、」

 この者なら他の袁紹陣内の者と違って信頼出来る。

「俺の戦が出来るように協力してほしい」

 張[合β]の表情がぱっと明るくなった。




 黒山賊――。

 冀州と并州の州境となる山である黒山から冀州の常山まで勢力を張り、張燕という者が前頭領の張牛角の姓を継いで率いている。

 賊と呼ばれてはいるものの張燕を中心に一種の自治体として機能しており、総勢五万とも十万とも言われるのは、彼らが山奥で生活している為に正確な数が判らないからである。その為、具体的な軍事力も見えない。


 黒山賊は山の民であるが故に食糧の確保が重要課題である。山で採れる食糧だけでは全ての民を養い切れないのだ。勿論、貯蓄も出来なかった。

 結果、食うためには略奪しかない。黒山賊の勢力範囲に近い邑や県城はその対象となり、しばしば蓄えを強奪された。

 それを袁紹ら代々の支配者達は黙っていなかった。しかし、何度攻めようと大した成果を挙げられなかった。むしろ被害の方が大きい。

 黒山賊は略奪の際に攻撃されようとも、すぐに山へ退けば良いのだ。山という自然の要害が味方についている為、山の地形を熟知した彼らにとってみれば、追撃してきた者など蟻地獄に嵌った蟻に等しかった。


 呂布らは皆騎兵。その機動力を生かせない山中では全滅も必至だろう。直接攻め滅ぼすのは不可能だった。

 しかし、それなりの成果を出さなければ袁紹は満足しない。その為には彼らの主力を呂布の力を存分に発揮出来る平地におびき寄せる必要があった。


 そこで張[合β]の協力である。

 まずは州境に主戦場として適した平坦な地ににわか作りの食糧基地を作る。これは守備を考えずにただ膨大な備蓄をする。

 そして付近一帯の邑の守備兵には襲撃があったら残りの備蓄を食糧基地に輸送するように指示した。


 時期は収穫の秋を迎え、どこの蔵も有り余る備蓄だ。食糧を求めて黒山賊が山を下るはずだ。全ての指示を出すと、後は黒山賊がどう動くか待つだけだった。


 そして――最初の襲撃が発生した。

 黒山賊の規模は二千ばかり。奪われたのは五千の兵が一月間、食に困らない量。すぐに残りが輸送される。

 そんな襲撃が二、三日おきに半月続いた。その間に無人の食糧基地は襲撃される気配が無かった。黒山賊もさすがに怪しいと見たのだろう。しかし、周辺の邑を襲えば襲う程、基地の備蓄は膨大なものになる。遂にその量は十万の兵、二月分に及んだ。


「なる程、これで食糧基地を襲撃する為に出て来る主力を奇襲するんですね?」

 ここに至って成廉は呂布の作戦が見えてきて聞いた。

 一度にこれだけの量が手に入るこの機を黒山賊が逃すはずが無かった。万全を図って主力で襲撃するはずである。

「いや、まだだ。出撃するのは黒山賊が食糧基地を占領してからだ」

「でも、それでは……」

 もし、失敗すれば備蓄は全て失う。この戦は呂布にとっても賭けであった。

 既に袁紹から度重なる襲撃の問責の使者が三人も来ていた。

「主力の出頭を叩いたところですぐに山奥へ逃げ帰るだけだ」

 それでは大した成果は結局挙げられない。

「だから敢えて食糧基地は黒山賊にくれてやる」

「??」

「人間ってのは欲深い。手に入らない物を諦める事は出来ても、手に入れた物を諦める事は出来ない」

 成廉は全て悟った。

 黒山賊は自分達の生活圏外に守るべき物が無いから、攻撃されればすぐ山へ逃げ帰れた。

 しかし、食糧基地を手に入れてしまうとそうは行かない。恐らく攻撃されようともそこに留まり、抗戦し、持ち帰ろうとするはずである。

 必死に抵抗する黒山賊はこの上無く強いだろう。しかし、逃げられてばかりだったが故に討てなかった彼らを討つ好機でもあるのだ。

「後は俺達次第だ」


 程無く食糧基地陥落の報せが訪れた。

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