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天命を知る



 ――天命。


 それは不意にやって来る。

 三人の少年に決断の時が迫っていた。




 後漢の末、雁門郡馬邑県。


 その男は中原から遠く離れた地よりやって来た。

 様々な民族の血が混じる深蒼の眼。漢人に見られない体躯。漢では見慣れない馬を連れている。


 男は姓を呂、名を布、字を奉先といった。




 今朝は寒い。

 が、少年には程良く心地よい寒さだ。少年は仮住まいの小屋から飛び出した。

「よし、今日こそ僕が狩りまくってやる」

 少年は大きな伸びをし、弓を携えて通い慣れた友の元へと駆け出した。


 少年は姓を成、名を廉という。




 それから数刻後、三人の少年の前に兎や鹿が積まれた。

「くそっ、今回は廉の勝ちだ」

 魏越は悔しがった。

「まぁ、次は俺が一番になってやるよ」

 今回は仕方無さそうに張遼が言った。

 今回の狩りは成廉が見事に鹿一頭、兎二羽仕留めた。

 彼らは幼なじみであり、ここ馬邑でも有名な仲良し三人組だ。成廉は早くで両親を無くし、魏越と張遼とは本当の兄弟の様に育った。好奇心の塊みたいな三人はしばしば大人達は手を焼いていた。

 日が傾いている。

「そろそろ帰るか? 家に来いよ」

 魏越の家は邑で唯一の酒屋だった。

 客に混じって三人は自慢の獲物を調理してもらった。酒が回り始めて、大人達が騒ぎ出す。

 そんな中、成廉はある男が目に入った。

 長旅でもしてきたのだろうか。着ている物はボロボロで砂まみれだ。しかも見かけない服装である。

 男が隅に座っているのにも関わらず、途轍もない存在感なのはおよそ漢人離れの引き締まった巨体故か。それともその端正な、しかし全くの変化の無い無表情に漂う独特の空気故だろうか。


「おっちゃん、あの人って?」

「ん? ……ああ、あの大男のことか?

奉先とかいったかな。朝から飲んでるよ。

今朝この邑に来たらしいな。

西から来たって言ってるから五原あたりの人かも知れん」

「……奉先……か」




 翌日三人はいつもの様に狩りに行った。

「今日はやけに静かだな……」

 一番気配りの出来る張遼が呟いた。

「確かになんか変だな」

 もう日も高く、仕留められなくても兎の一匹位見かけてもいい頃だ。そんな時、離れた茂みが動いて、何かから逃げるように兎が飛び出した。

「あ」

「よっし! 追っかけっぞ」

「ちょっ、待ってよ」

 魏越が走り出し、成廉も慌てて追いかける。

「オイ、様子が変だって」

 二人は聞いて無いのか、どんどん先に行ってしまう。夢中で走る二人は森の奥へと茂みを掻き分けた。


 開けた所にそれはいた。

 赤橙の毛皮に黒の縞が視界に飛び込む。

「ぅわっ、とっ虎?!」

 眼前に両眼を光らせた大きな虎が睨んでいた。


『ここら辺りには虎は居ないが、虎ってのは力・速さ・気どれに於いても人に勝るんだぞ』


 成廉の脳裏に今は亡き父の言葉が蘇る。

「……いるじゃんかよ」

 そうこうするうちに虎はじりじりと迫って来る。一歩一歩近付く虎を前に、弓を持っている二人は躰が動かせない。

 遂に虎が牙を剥いて飛びかかった。

 その刹那、弦音がしたかと思えば、虎の眉間に風を鋭く切って矢が突き立った。

「えっ!?」

 振り返って見ると酒屋で見た男がまだ弦が振動する弓を持って立っていた。

「ほ、奉……先さん」

「す、すげぇ! あの虎を一矢でかよ。

おい、廉! この人誰なんだよ?」

 魏越は興奮状態だ。追いついた張遼もこの光景に目を丸くしている。

 奉先は三人を尻目に虎を解体し始めた。無表情で黙々と小刀で裁く奉先に若干の畏怖を抱きながら、成廉は話し掛けた。


「あの……助けて戴いてありがとうございます」

「…………別にお前達を助けたわけではない」

「でも、」

 解体し終えた奉先は手早く獲物を馬に括り付ける。

「…………お前らも帰った方がいいだろう。虎が一頭とは限らない」

 悠々と馬に跨り邑へ帰り始める。


「暗くなってきたし、あの人について行った方がいいんじゃないか?」

 張遼が言った。

「そだな、帰るか」

 三人は奉先を追い始めた。




「…でさぁ、あの人が弓でビュンッ! てやって虎を仕留めたんだぜ!?

一矢でだぞ、一矢!!

ぜってーただ者じゃないぜ。な? 廉」

「へ? ……あ、うん。凄かったよ」


 酒屋は普段にも増してドンチャン騒ぎだ。と、言うのも魏越が土産話を持って来たからである。彼は酒屋に来てからずっと奉先の武勇伝を大人達に話している。帰ってからもその興奮は醒めそうにない。

 静かな所に行きたくなった成廉はそっと裏口から出た。


 外は予想以上に寒かった。近いうちに雪でも降るかもしれない。冬が近づいた夜の寒さは酒屋の熱気でボーっとする頭を冴えさせる。

 成廉は夜空を見上げた。

 空はたくさんの小さな光に彩られていた。

「僕の星はどれなんだろう」

 父の言葉を思い出す。


『人には誰しも自分の天命を司る星があって、その運命は変えられない』


らしい。


 ――それなら僕の運命も既に決まっているのだろうか?


 ふと、奉先の事が思い浮かんだ。

 確かに成廉は奉先に運命とまで言わなくとも、惹かれていた。あの弓術を目の当たりにして、男として憧れを持つのが当たり前だろう。そして、成廉は会って間もないのに直感的に奉先が力のみの脆い存在だと感じていた。


 ――あんな人は

誰かの支えが必要なんだろうな……。


 その時、背後に気配を感じて成廉は振り返った。後ろに張遼が立っていた。

「遼……」

「寒いな。……こんな所でどうしたんだ?」

「えっ?……いや、ちょっと外の空気が吸いたくて」

 ふーん、と気の無い返事が返ってきた。

「魏越は今日にでも奉先殿に弟子入りする勢いだ。よっぽどあの方の武に惚れ込んだんだろうな。

……廉はどうするんだ? 今その事考えてたんだろ?」

 成廉は虚を突かれた。


 全く張遼の観察眼は素晴らしかった。後年、彼が魏の将軍として活躍したのも、こういった人の上に立つ者に必要なものを持っていたからかもしれない。

 十四歳の張遼は三人の中で一番のしっかり者で、熱くなりやすい魏越とそれに流されやすい成廉の抑え役である。彼無くしては今日の三人はなかった。

「僕は……」


 ――奉先さんの元で生きていきたい。


 成廉は率直にそう思った。

「……遼こそどうなんだよ」

 一瞬間が空く。

「どちらかというと反対だよ」

「そう……なんだ」

 成廉は少し肩を落とした。

「はははっ! その様子だと廉もかぁ。安心しろ、絶対反対じゃないから。

廉達が本気なら俺も、な」

 察した張遼が続ける。

「……ただなぁ。奉先殿を見た時感じたんだ。

空気というか、気っていうの?

とにかくそれが途轍もなく馬鹿でかく感じたんだ」

 張遼は少し声を落とした。


「俺が怖いのはさ……それが善なのか、悪なのか全く見当がつかないんだよ」




 翌日は酒屋に集まった。

 正直、成廉は奉先から感じた魅力の様なものが善でも悪でもどっちでも良かった。

 魏越が珍しく落ち着いた声で二人に告げる。

「俺、奉先様の弟子にしてもらおうと思う」

「越、」

「いや! 廉、何も言うな。今回ばかりは誰も俺を止められん」

「そうじゃなくて……僕も行く」

 魏越は少し驚いた様だがすぐに顔をほころばせた。

「なんだ、それなら話が早いぜ……ってことは三人揃って行けるんだな?」

「遼……」

 成廉は心配そうに見た。

「廉、そんな目で見るなよ。俺が行かなきゃ誰が二人を世話すんのさ」

「よし!! そんじゃ早速奉先様の所に頼み込むかぁ!!」


 邑には義舎が一つあり、奉先はそこに寝泊まりしていた。この季節は訪れる旅人も流れて来る難民もいない為、彼とその馬が五頭いるだけだった。

「お願いします!

是非とも俺達を弟子にしてください!

奉先様のような武を身に付けたいんです!」

 奉先は突然の訪問者に驚いたようだ。


「帰れ」


 彼は三人を追い出そうと立ち上がった。三人は動かなかったが、軽々とつまみ出してしまう。

「くっそー!

おぃ、こんくらいじゃ諦めねーぞ!」

 以来毎日、朝昼晩、三人はそこに押し掛けて、つまみ出された。

 そんな事を繰り返すうちに外は雪が積もる時期になった。

 遂に奉先が折れたのは十一月の始めだ。しかし、条件付きである。


「俺が選び抜いた馬が五頭いる。

好きな馬を選んで今日中に一人でも乗りこなせられれば、新年までお前達の相手をしてやろう」

 三人はもちろん今まで乗馬したことなど無い。

「よし!やってやろうじゃねーか」

 果敢に魏越と張遼は馬に跨ろうと近付いた。

 が、結果は散々だった。

 魏越は後ろから近付いたため蹴り飛ばされて、張遼は手綱をなんとか掴めたが跨ろうとすると引きずられた。

 しかし、幸い二人は怪我は無かった。

 それを見て奉先は密かに感心していた。

 馬邑に流れて来るまで居た邑では、同じ様に馬に挑んだ子供らがいたがいずれも蹴り殺された。


 ――それを考えればこいつらはまあ、骨はあるわけだ。


「おい! 廉もやってみろって!

今日中に出来なきゃあ、お終いなんだぜ」

 魏越が今度は前から手綱を掴もうとしながら叫んだ。

「うん」

「怖いって思ったらやらなくてもいいんだよ」

 張遼は心配そうだ。

 恐る恐る成廉は一番大きな馬に手を伸ばした。

すると、

「……あれ?」

 馬は大人しかった。首の後ろを撫でると気持ちよさそうに耳をパタパタと動かした。


 ――いけるかな。


 ゆっくりと鞍に手を掛けると馬の上に乗った。

「………僕、乗れた?」

「なっ」

 奉先は自分以外にこんなに馬を大人しくさせる者を知らなかった。

「す……すげぇぜ!!

廉、やったじゃねーか!」

「驚いた! 廉、お前才能あるんじゃないか?」

「奉先さん、僕達弟子にしてくれるんですよね?」

 成廉は笑いかけた。奉先は嫌そうな顔をしていたが

「……分かった。俺に二言は無い」




 奉先の稽古は凄まじいものだった。

 最初は乗馬の仕方、弓の引き方を丁寧に教えた。

 しかし、十二月に入ると内容が根本的に変わった。本格的な戦闘の稽古を始めたのだ。木製とはいえ大怪我をしかねない。剣術、槍術、騎射術、馬上での身のこなし、対人戦、奉先は持っているもの全てを叩き込んだ。

 奉先は手加減する気など全くなかった。

 彼らなら立派な戦士になる、という確信があったし、そもそも弟子になりたいと言い出したのは三人の方だ。短い間とは言え弟子にするからには自分の武を伝えてやるのが武人だろうと奉先は考えていた。

 三人の中でも騎乗がうまいのは、やはり成廉だ。三人の中で騎射ができたのは成廉だけだった。

 しかし、他の武術に関してはあとの二人とくらべると見劣りする。魏越は力のみ大人顔負けで、張遼は常に落ち着いて見切る事や技が長けている。


 奉先は三人に本名を教えなかった。教える気も無かった。そして三人の名前も聞かなかった。


 ――どうせ新年を迎えたらおさらばだ。

武以外に何か教える必要もあるまい。


 奉先には仕官の誘いが来ていた。并州刺史丁原である。

 流浪の身から一躍部将となれる。仕官すれば食う事に困る事はないだろうし、なんといっても兵が欲しかった。

 だから三人と過ごすのもあと僅かとなっていた。




 新年まで後一週間という日に奉先は急に泊まりがけで騎馬の訓練をすると言い出した。

 それを聞いて三人はホッとした。

 ここ連日、武術の稽古が続いて三人とも生傷だらけなのだ。かかり稽古を奉先は三人まとめて相手をしていたが血を見るのは三人だった。騎馬ならそんなに痛い目には遭わないだろう。


 四人は三日間、二百里(約八十キロ)ほど北へ駆けた。

 そこは見たことの無い景色だった。


「この草原を西へ向かった所が俺の故郷だ」


 三人は草原を始めて見た。手前からまばらに生えた蒼が遠くへ行くにつれて濃く広がり、四人の後ろ以外、山と呼べる様なものは無い。己がちっぽけな存在に感じられた。

 地平線が何処までも続いていた。

 四人は一言もしゃべらずにその景色を見ていた。

 不意に奉先が口を開いた。

「………今日此処にお前達をつれてきたのは、別れを言うためだ」

 自分がこんな事を子供なんかに言うなんて柄じゃないな、と奉先は思った。

「!!?」

「どういう事ですか!?

確かに約束は新年を迎えるまでですが……」

 成廉と魏越は慌てた様に叫んだ。しかし張遼は薄々気付いていた。

「……邑を、出るんですか?」

 奉先は頷いた。

「何時までもフラフラしている訳にもいかんだろう。

ひとまず丁原の元へ行くことにした」

「それなら俺達も連れて行って下さい!!」

「駄目だ、お前達に何が出来ると言うのだ」

「…………そばにいることが出来ます」

 成廉は俯いて答える。

「何?」

「奉先さんを主として仰がせて下さい。

そばにいれば共に歩んで行けます!

一人より四人の方が良いに決まってるじゃないですか!」


 四人にはたった一、ニヶ月の間に寝食を共にするうちに言い表せ無い様な信頼が出来ていた。

 考えてみれば奉先がこんなに人と関わったのは故郷以来だった。


 ――言い換えればこいつらとは家族みたいなものなのではないのか?


「……俺についてくるからには戦に出なくてはならん。

命を張る覚悟はあるのか」

「勿論です。

僕達は何処までもお供します」

「俺も」

「手足となって存分な働きを見せてやります」

「……分かった。しっかりついて来い!!」

 奉先は馬に鞭打って駆け出した。慌てて三人も後を追う。

 馬に揺られて成廉は思った。


 ――やっと見つけた僕の天命。

奉先さんについて行く事が……いや、奉先さんこそが僕の天命だ!!

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