生まれ育った環境
眩しい朝日が冷えた空気を少しずつ温めていく。
道端に生える草に朝露がつき、朝日に照らされキラキラと光る。複雑に入り組んだ城下町の道。建物に隠れる一部のそこはまだひんやりとしている。日当たりの良い庭先で婦人たちがパタパタと衣服を干す。まだ数人しか起きていない城下町は鳥のさえずりがよく聞こえた。母親の手伝いだろうか、小さな少女が大きなタライに入った沢山の洗濯物を井戸まで運んでいる。あれは帰りが辛かろうと、商人は思いながら自宅へ帰る足を早めた。
商人はいつもの隣町へ仕事に行っていた。隣町へは丸一日かかる距離なので、いつも隣町の途中で宿泊し帰っていた。だが昨日は一睡もせず歩き続けている。一一娘が倒れた。幼い娘、生まれた時から体が小さく生死をさまよっていた。奇跡的に一命を取り留め、この数年なんとか生きてきたのだ。しばらく何事もないと安心し仕事へ出かけた途端これだ。商人はどうか無事であれと願いながら、人が増え始めた城下町を走り抜けた。
少女はかじかんだ手に息を吹きかけた。よし、と呟くと再び手を冷水に漬ける。ぴちゃんと跳ね返ってきた水滴が頬に当たると身震いをした。この時期の洗濯物は堪える。それでもあと少しで洗い終わるのだ。少女は意気揚々と衣服をこすり洗う。息が自分の口からほぅっと出る様子を、少女は楽しんでいた。
「エリー、終わった?」
井戸の前でしゃがむ少女の背中に声をかける女性。少女は振り返り笑顔で女性に話しかけた。
「うん、終わったよママ。」
「ありがとう。運ぶわ。」
エリーという名の少女は女性をママと呼んだ。エリーは母親がタライを持ち上げると、ニコニコしながら一緒にタライを持つ。
「私もやりたい!」
いちっにっ、いちっにっ、とエリーの掛け声で、広くは無いが朝日がしっかりと当たる庭に運んでいく。エリーの母親は洗濯をした衣服をぱんっと広げると、木と木に括り付けられたロープに手際よく掛けていく。エリーも真似をして衣服を掛けようとするが、惜しい。あと数センチ足りなかったようだ。背伸びをして腕を伸ばすエリーを母親は優しく笑った。
洗濯物を干し終わるとエリーの楽しみの時間が来る。タライをいつもの場所に戻し、ドタドタとリビングへ向かう。棚から大きめの木箱を取り出すと、遅れて部屋へ入ってきた母親に差し出した。小さなリビングには物が溢れている。ここと寝室しか部屋は無いため必然的に物をリビングに置くようになるのだ。部屋を余すことなく使う為なのか、小さな椅子に母親は座ると小さな机に普通の木箱を置いた。
ぱかっといい音を鳴らし木箱の蓋が開けられる。中から取り出されたのは、淡い紫の花が散らされた透明の液体が入った瓶だった。母親の手より小さい瓶のコルクが抜かれると、母親の手にとろりと液体が垂らされる。
「手を」
母親が言うとエリーは顔を輝かせ両手を差し出した。母親は両手でエリーの手を握り、ラベンダーの匂いがするアロエのハンドクリームをエリーの手に塗った。エリーの手も母親の手も冷たい。母親がエリーの手を温めるように包み込み揉む。母親お手製のハンドクリームを塗ってもらうこの時間が、エリーはとても幸せだった。
ラベンダーの匂いの中に香ばしい匂いが交じった。
「さあ、朝食にしましょう。」
エリーの一日はこうして始まるのだった。