Gift_I
だいぶ長くお待たせしてしまいました。申し訳ありません。
私は、悪役だった。
…いや、今も悪役だからその言い方は不適切だろう。私は、今も昔もずっと悪役だ。
* * * *
畏れ、嫌悪、恐怖、怒り、軽蔑…
誰も私の話など聞いていないけれど、負の感情が滲んだ視線ばかりが私を突き刺している。
私の話が終わっていくらか遅れて響いた拍手に軽く頭を下げて壇上を去るが、いつまでたっても脳裏にはあの壇上からの景色が染み付いて消えない。
きっと、先生方も善意で私を新入生代表にしてくださったのだろう。でも、その判断は少し間違っていたかもしれない。いや、そもそも私の「学び舎に通う」という決断が一番間違っていたのかもしれない。こうなることは…わかりきっていた。ただ、希望が捨てきれなかっただけで。たぶん、私はこの学園に居ない方が周りのためにはいい。私はなるべく早くこの学び舎から立ち去るべきなのだろう。
…しくしくと頭が痛み始める。
別に、こんなことは慣れ切っている。負の感情を向けられることも、誰からも受け入れられないのも、それを自覚することも。だけど、今日はあまりにも多くの人から一斉に負の感情を向けられすぎた。
壇上から降りてすぐ「頭が痛いので早退する」と、私の担当になるらしい教師に小さな声で告げれば、顔を青くしつつも震える声で私の体調を気遣ってくれる。
恐ろしさから来る義務的な問いかけであるとはわかっているが、それでも少し嬉しい。それと同時に申し訳なくなる。頭が痛いのは本当だけれど、たぶん早退するほどでもない。でも今日は…教室に行く勇気がちょっとない。
なるべく息をひそめて講堂から出ると、誰も周囲にいないことを確認してから、魔法の櫛で髪をとかしながら呪文を唱える。
一瞬のふわっとした浮遊感のあとには、いつもの見慣れた赤レンガの壁と小さな窓。
落ち着くけれど、あまり好きではない私の塔。高い高い塔だけれど階段などは一切ないし、窓だって今見えているあの小さな窓が一つあるだけ。
__この塔はまるで…私という罪人を閉じ込めるための牢獄のようだ。
実際、そうなのではないかと幼い頃から思ってもいる。
物心ついた時にはもうここに一人でいた。母や父はもちろん、祖母も祖父もいない。でも、別に生きるという意味では特に問題はない。魔法だって使えるし、金も食事も衣服もなにもかも塔の周囲にある村に住む人たちが勝手に用意してくれた。でも、それは残念ながら、なにかしらの温かい感情ゆえではない。私が悪役だからだ。私が特権階級で、魔法を使えて、おそろしいから彼らは私に親切にしてくれる。
その事実は…少し寂しいと思うが、なんの不満もないし感謝しかない。
むしろ、彼らになんのお返しもできないことが申し訳ない。もちろん、金品が足りないからではない。彼らのおかげで私の生活は物質的にはとても満ち足りている。ただ、なにかお返しをしたくても受け取ってもらえないのだ。私が悪役だから、彼らに猜疑心を抱かせてしまう。なにか裏があるのではないかと。
__私が彼らになにかを与えようとする方が彼らの心の負担になる。
そんな簡単な事実に気づいたのは11歳の時。
あの日は天気もよかったしなんだか気分もよくて、バジルが沢山とれたからバジルのクッキーを焼いた。まだ幼くて愚かだった私は、常日頃のお礼にと村に住む彼らにそのクッキーを配り歩いたのだ。当然ながら、なかなかクッキーは受け取ってもらえなかった。みんな「申し訳ない」だとか「恐れ多い」だとか言って何度も頭を下げることを繰り返す。だけど、どうか遠慮せず受け取ってほしいとお願いすれば、最終的にはみんな恐縮しながらも受け取ってくれた。だから単純な私は「ああ、みんな遠慮深いんだな。でも、受け取ってくれてよかった」なんて満足して、塔のてっぺんにいつも通り一人で帰った。
でも、そんなの私の愚かな自己満足でしかなかったのだ。その日の夜、塔の上から村を眺めていたら、もうかなり遅い時間なのに村の広場のあたりが明るかった。そこは普段、村人たちの憩いの場として使われたり、話合いの場として使われる場所で、決して夜中に明かりが灯るような場所ではない。火事でも起きたのではないかと心配になって、慌てて広場に向かった。すると、そこには子供以外のほぼ全員の村人がいた。村長を中心にみんな不安そうな顔でなにかを話し合っていて、その村長が持つ皿の上には昼間に私がみんなに配ったはずのバジルのクッキーの山があった。
最初はどういうことなのかわけがわからなかったが、話を少し盗み聞けば嫌でもわかる。
…まぁ、そういうことだ。彼らは私が渡したクッキーをどうするべきか…処理に悩んでいたのだ。悪役がつくったものなど、なにが仕込まれているかわからないし恐ろしくて食べたくない。でも、食べなかったら食べなかったで、魔法かなにかでそれがバレて私の機嫌をそこねるかもしれないし、それはそれで恐ろしい。
その話し合いはなかなか終わらなくて、揉めに揉めた結果、クッキーは村の外れの孤児を保護している教会に押し付けられることとなった。その教会は塔からはかなり離れたところにあるし、なにより幼い子は…私に対してとても素直な反応をする。だから、当時の私でも子供の多く集まるその場所には、さすがにクッキーを渡しに行かなかったのだ。それで、教会の彼らは事情も知らなかったし、あの夜の広場にも行っていなかったし招集もかけられていなかった。ゆえに、子供達へのプレゼントとして体よく私のクッキーを押し付けられたのだ。
私は、私の浅はかさを恥じた。
とても、とても恥ずかしかった。喜んでもらえるかもなんて淡い期待を抱いていたことも、結果的にそういったことになってしまったことも、とてもとても恥ずかしかったし申し訳なかった。
もちろん、毒やら魔法やらの類がクッキーに混ぜられていたなんてことは当然ながらない。本当に、おいしくできたと自分でも思ったから配ったのだ。教会の人々は事情なんか知らなかったはずだし、喜んで食べてくれたかもしれない。特に子供たちはなんの違和感を抱くこともなく、純粋にクッキーを食べてくれただろう。それはそれでよかったのかもしれない。でも、私は彼らを彼らが知らないうちに被害者にしてしまった。それと同時に、村の人々を加害者にしてしまった。どちらも、そんなものになる必要はなかったのに、私の浅はかな行動が原因で。
…ただひたすらに、本当に私の手は誰からも求められていない。
ただ、いくら脳みそがそんな事実を理解しても、もともとの性質なのかどうしても、文字通り余計なお世話を私はしてしまう。
もちろん、クッキーのように求められていない物をわざわざ渡すようなことはもうしない。でも、泣いている子供には小さな奇跡を、飢えた人にはなにか食べ物を、病魔に苦しむ人には癒しを…。いくら私の手は求められていないとわかっていても、助けを求める人々を見て見ぬふりなんてできない。困っている人を見つけたら、どうにかして手を貸したいと思うのは人間の本能ではないか。この本能は悪役だからと失われるものではない。…まぁ、現実にはその本能を失っている悪役が大半であり、私がその中で浮いた存在だというのは揺るぎがない事実なのだが。
…この現状をどうにかしたいとは思う。できることなら、悪役たちが人間としての本能を取り戻し、他の人々と共存できる世界が欲しい。私のお返しが、私の手が、私の愛が当然のように受け入れられる世界。本当に美しい、誰も不幸にならない世界。
だけど、いくら悪役が特権を与えられているとはいえ、私一人で世界は変えられない。私には協力者など存在しないし、話を聞いてくれるのだって物言わぬ薔薇とちしゃだけ。彼らが本当に聞いてくれるかどうかは知らないが、私が話しかけた時に逃げたり顔色を変えたりせずにそこにいてくれるのなど、本当に彼らぐらいなのだ。
だから…そんな夢物語はもうすでにほとんど諦めている。私には、私にできる範囲で人を不幸にしないことしかできない。悪役としての役割も当然放棄する。
ただ、いつか私の庭にちしゃを盗みにくるであろう彼らの娘は物語通り私が預かろうと思っている。当然ながら、私の話し相手が欲しいからといった自分勝手な理由ではない。
ちしゃごときのために自分の娘を差し出す親など、親に相応しくないからだ。
もちろん、いつか来るその日に彼らが娘を想い、ちしゃをもっていかなかったのならば私は彼らを親と認める。もしくは、ちしゃを持って行ったとしても、娘を迎えにきた私に命をかけて抵抗してくれるのならば、私は彼らを親と認められるだろう。そうでないのであれば、私は決して彼らを認めない。
親は子を愛し、守るものだ。
私には親なんていたことはないけど、そういうものだと認識しているし信じている。
力が足りず守りきれないのであれば、それはそれで仕方ない。でも、せめて命ぐらいはかけるべきだ。その覚悟があってこそ人ははじめて親になれる。
その覚悟と愛さえあるのであれば、そこに血のつながりなど関係ない。だけど、その覚悟と愛がなければ、血のつながりなど何一つ意味はありはしない。
だから、私はきっと__あの娘の本当の両親よりもずっと完璧な親になれる。
__目を閉じて、両腕でゆるく楕円の形をつくって、そっとその虚空に頬を寄せる。
この動作をすると少しだけ寂しさがまぎれる。抱きしめたところで空気は空気だし、もちろんなにもない。でも、いつかここには柔らかで小さな命が収まるかもしれない。そう考えると、少しだけ心が温かくなる。
ふくふくとした手。トクトクと穏やかに刻まれる心臓の音。柔らかくてふわふわの頬。
…きっと、すごくかわいい。
人どころか動物すら抱きしめたこともない私が、赤子を抱き上げる妄想をしてるだなんてとんだお笑い草だろう。でも__きっと…すごく、完璧な幸福で…
様々な想像と思案が頭を駆け巡った後、ふと我に返って軽くパチンと頬を叩く。
これだとまるで、あの娘が実の両親にちしゃの代わりに私に売られることを望んでいるみたいだ。私は、そんなこと…望んでいない。親に売られるような経験が、子供にとって幸せであるはずがないのだから。
…今日はもう早く眠るべきかもしれない。あんな出来事もあって疲れているから、おかしな思考になる。明日だってまた学校なのだし、沢山眠って少しでもまともな顔で行かなくては。
なんて、考えていたのに結局昨夜はとんど眠れなかった。
まるで嵐が来る前の草木のように心がそわそわして、延々と寝返りをうっていた。一昨日の夜もなかなか眠れなかったが、昨日はもっと酷かった。
正直、もう学園にはあまり行きたくはない。でも、私が入学式の翌日から休んだりなどしたら、きっと担当教師は怒られてしまうだろうし、他の教員たちも自分たちがなにかしたのではないかと不安になってしまうだろう。これは私が私の我儘で勝手に始めたことなのだから、周りへの迷惑は最小限に留めなければいけない。もちろん、彼らにとっては私が在籍しているというだけで心の負担になるだろうが、しばらくは登校しておいて「飽きた」とでもいって辞めた方が彼らにとってはいいだろう。きっと、悪役のいつもの気まぐれだと思われて完結する。
顔を洗ったあと恐る恐る鏡を覗き込んでみると、とてもとても酷い顔をしていて笑ってしまった。いくら私贔屓の鏡だったとしても、この状態の私を世界で一番美しいとは決して言ってくれないに違いない。
どうしようかなと苦笑いしながら、とりあえずいつも通りブラッシングを始める。つっかかりがなくなってきたら、少しずつ薔薇の精油を髪に馴染ませていく。そんな風にやっていると、髪の毛がさらさらになるだけでなく艶がでてくる。腰まである髪の手入れは大変だがこの瞬間はとても好きだ。
少しだけ満たされた気分になって、鏡をもう一度覗き込んでみれば少しだけ顔色はマシになっている。でも、あくまで「マシ」なだけだ。これでは普通にはまだまだ足りない。仕方ないので、下地とファンデーション塗る。それでもまだまだ目立つ目の下の隈にため息をつきつつ、コンシーラーを何度か重ねてみる
もういい加減いいかなとコンシーラーをしまって顔全体を確認すると、少しは普通に近づいた気もする。もちろん、普通には遠く届かないが、もうこれ以上あれこれやるのは面倒だ。この青紫色の唇もどうにかするべきなのだろうけど、あいにく口紅はどこにしまったかも忘れてしまった。口紅を塗ったところで、どうせ毒々しい色は変わらないし放置でいいだろう。
「…今日も、頑張ろう」
大丈夫。今日もいつも通り過ごすだけだ。
+ + + +
「…君。そろそろ起きて移動しないと、次の授業に遅れてしまうよ」
声をかけても目覚める気配のない彼女に苦笑しつつ、彼女がその顔を横たえる机を軽くノックしてみる。だけど、やっぱり起きる気配はない。
授業の序盤で船を漕ぎ始めたと思ったら、ついに最後まで目を覚まさなかった。黒板に問題を書いた教師が、そんな彼女を目ざとく見つけて指名してきた時は、なぜか私が大いに慌てることになった。だが、どうにも目覚める気配がないので、仕方なく私が代理を申し出て代わりに解答した。あんなに私は焦ったにも関わらず、今も呑気に眠っている彼女を見ると少々腹も立つが、それにしても…
「…かわいい」
その健康的に日に焼けた丸っこい頬に思わず伸びそうになる腕を自重する。眺めているだけで十分幸せだ。でも、本当に幸せそうな寝顔をしているものだから、起こす方法など他にもっとあるとわかっているけれど、結局実行に移せずにいる。
…せっかく素敵な夢を見ているようだし、今日ぐらいは寝かせてあげてもいいかもしれない。教師からのお叱りは、後で私と一緒に受ければいい。いや、きっと私が一緒にいれば、彼女が叱られることもないから大丈夫。
…本当は学園に来るのはさっさとやめにしようと思っていたけれど、もうしばらくはいようかなと思っている。少なくとも、彼女がハンカチを私に返せるその日まで。可能であれば、彼女がもう少ししっかりする日まで。
ああ…でも………
「…くださーい…きてくださーい…」
ささやかな温もりが、春風のように私の肩を撫でる。
なんだか泣いてしまいそうな気分だ。できることなら、この微睡に永遠に浸っていたい。物心ついたころから、ずっと私にまとわりついている世界から拒絶されている感覚が…今は少しだけ薄い。
「……ないな…」
ああ…でも、やはり永遠なんてありえない。ささやかな温もりは私の肩から遠く離れていき…
「わっ!!!なんですか!!!」
先ほどまで机につっぷして幸せそうに眠っていたはずの彼女が、眩しい光とともになぜか私を見下ろしている。そして、なぜか驚いている。
「あれ…?」
「…寝ぼけてます?」
「寝ぼけて…?いや、君が…」
「その…手…」
「手?」
言われてみれば、左手が温かいが…
「わっ…!すまない…!」
思い切り彼女の腕を鷲掴みにしていた。慌てて頭を下げつつ、素早く手を離す。
…状況がよくわからないが、私は眠っている彼女を見ながらいつの間にか眠ってしまっていたのだろう。そして、夢と現実を混同して彼女の腕を鷲掴みにしてしまった…と。
なんとも恥ずかしいし、申し訳ない話だ。私なぞに触られたりして嫌だっただろうなと、バックから予備のハンカチを取り出して彼女に差し出す。すると、なぜかキョトンとした顔でこちらを見つめてくる。
「…使ってないから大丈夫だよ?」
「えっと…なんのためのハンカチですかね…?」
すでに家に一枚あるしさらに渡されても困るんですけど…と彼女は首を傾げる。
「手を拭う用、かな?」
「そりゃハンカチの役割はそうですけど…。…あ、もしかして私の手、汚かったですかね…?」
「君の手は綺麗さ。そうじゃなくて、私に…
「あなたに?」
「触られて…不快な思いをしただろう?」
「あ、セクハラに対する謝罪の品みたいな…?」
合っている…?いや、おそらくほぼ完全に間違っている…?
答えに窮した私が黙り込むと、彼女なりにそれが正解だと勝手に納得したらしい。気にしないでください、と目線を合わせて頷かれる。
「私も、眠っているあなたを起こすために肩を叩いたりしたので…。チャラです」
「えっ?あ…」
あの微睡の中の温もりは夢の世界のものではなく、彼女のものだったらしい。
「ついでにいうと、実は少し髪の毛にも触れてしまいましたし…。あ、いや、前からやたら綺麗だなとは思ってはいたんですけど、別に今回のはわざと触れたわけじゃなくて…
彼女は必死な様子で、私が知りもしなかった行為について勝手に白状して弁解している。きっと彼女はとりあえず言い訳しているんだろうけど、たしかに他の部位とは違って髪の毛に触られるのは少々困る。
「…ふふふ」
だけど、そうだな…うん、
「あははははははは!!!!」
__なんだかとっても気分がいい…!
「え、えっと…?」
ひとしきり笑った後、手元に残っていたハンカチで目元に滲んだ涙を軽く拭う。笑い過ぎて涙が出るなんて…生まれて初めてかもしれない。ハンカチをしまうと、困惑している彼女に向き直って笑いかける。
「…触るかい?」
「え?」
「髪さ。君にだったら、いくら触ってもらっても構わないよ」
本当はよくないのかもしれないね。でも、君のことを信じてみたいって思うんだ。