『自分のことは自分が一番よくわかる』というのはあくまでも一部のことに対してであり、俯瞰で見れる分他人の方がわかっていることも多い。
時は少し遡り、ティレット子爵家の馬車を送り出したばかりの王宮──
余計な干渉を受けたくないロイドが、冷気と殺気に似たものを発しながらホールに戻る途中のこと。
「ロイド兄様」、と声を掛けられて彼は安堵し、振り向いた。
彼をそう呼ぶ者は一人しかいない。
従妹メイヴィスである。
従妹とはいえ王女。
彼女が望んだことではあるが、対外的な意味合いから離れた非礼を臣下らしく詫びた。
「それよりも少々疲れましたの。 バルコニーで一息吐きたいわ。 エスコートしてくださる?」
「御意」
(これはなにか言われるな……)
待ち構えていた上、『バルコニー』がその証左。
この王宮ホールには王族用のバルコニーがある。
周囲を一望でき周囲からも見えるが、許可なくは入れず……警備は厳重。話が漏れる心配はない。
バルコニー中央にゆったりと寛げる豪奢な長椅子と、趣向を凝らしたクロスが敷かれたローテーブル。優雅な仕草で長椅子に腰をかけると、メイヴィスは直ぐにロイドに視線を向けた。
端から見たら、珍しく一人のご令嬢を構ってしまったかたちだ。
冷やかされるのかと憂鬱な気分でいたロイドだったが、向けられたメイヴィスの表情は何故か堅く、冷たい。
予想していた浮ついたものとはかけ離れた表情に、ロイドの背中に冷たいものが走った。
「……殿下?」
「兄様。 確かに私は『探している風を装え』と言いましたが……まさか一人と話し込むなんて。 貴方、先程の彼女に護衛はつけて?」
「!」
その言葉にロイドの整った顔から一気に血の気が引き、蒼白になる。
『氷の貴公子』というふたつ名の原因──
それは言わずもがな、ロイドが女性から執拗に迫られ、時に事件となるような酷い目に遭ってきたことにある。
いつしか彼は、近付く女性全般に冷たく当たるようになった。
そんな彼が、珍しく一人のご令嬢を構ってしまったのだ。
「……つけてないのね。 ──シルベスタ」
メイヴィスの影の護衛の一人、シルベスタが音もなく現れ、王女に傅いた。
「ティレット子爵家の馬車を追って。 なにもなければそのまま密かにお送りしなさい。 それと、タウンハウス周辺の警備の指示を。 警備は極力目立たないように」
「はっ」
「──っりがとうございます殿下!」
傅いていたシルベスタが消えた代わりに、今度はロイドが傅く。
「軽率でした……お手を煩わせてしまい申し訳ございません。 お気遣い心より感謝致します……!」
メイヴィスはおもわず苦笑した。
「私も言葉足らずで兄様の背中を押したから、今夜のことはいいのよ。 ここなら余計な耳もない、いつも通りになさって。
……でも兄様、これからどうするおつもり? 」
「……そうだな」
暫し逡巡し、ロイドは再びホールに戻ることにした。
『彼女は仕事を求めており、職を斡旋しただけ』と、さりげなく広めなければいけない。
今夜なにもなくとも今後、危険だ。
……実際、職を斡旋しただけである。
その事実を知ったメイヴィスは呆れた。
ロイドだけでなく、レナードにも。
男女がふたり、月明かりに照らされた美しい庭園の下で語らい合う、というロマンチックなシチュエーションに相応しい内容ではない。
「──まあいいわ。 今後はお気をつけあそばせ?」
「ああ。 ティレット嬢にも怒られたが……婚活とはなかなか大変なモンなのだな」
「……兄様の場合、ちょっと特殊な気がするけど」
(ティレット嬢とどんな話をされたのかしら)
怒られた、というのが引っ掛かった。
嫌われる為にわざと怒らせたとしては、その割に後の対応が良すぎる。
既に周囲から誤解が発生し、こうして対応せねばならぬ程だ。
「……ところで仕事って、どちらで?」
「ウチでだが……それは上手く伏せておくよ」
「あら……」
『ウチ』とはこの場合、公爵邸ではない。
ロイドが管理を任されている土地にある、彼の住む邸宅のことを指す。
優秀で武にも秀でたドハティ公爵は、継承された公爵位だけでなく伯爵位他、いくつかの爵位を賜っている。当時、隣国との諍いがもっとも激しく、そこで活躍した……というのも理由のひとつ。
賜った伯爵領は肥沃だが、公爵領とするには飛び地。この地を、伯爵位と共にロイドが継ぐ予定だ。
尚この国では家長の爵位名称が姓に当たる為、平民に姓はない。爵位が複数ある場合は一番上を名乗り、継承後は『前〇〇』というかたちで呼ばれる。
余談ではあるが、まだピンピンしているがさっさと隠居したい公爵は、任せられるほぼ全ての仕事を嫡男とロイドに任せている。自身の影響力から公爵位は難しいが、ロイドの結婚を機に伯爵位くらいはさっさと継承したいのが本音。
ここでもロイドの結婚に、身内からの圧が働いている。
そんな伯爵邸の侍女は、ロイドの事情から『既婚者の平民女性』と決まっており、厳しい面接も行われる。
警備も厚いことから、採用された殆どが伯爵領騎士の妻からとなってしまったが、それはそれでなにかと都合が良かったりする。
尚『平民女性』と決まっているのは、その親族が介入し、ゴリ押しするのを回避するためだ。
それら諸々の事情を知っているメイヴィスは、ロイドがレナードに興味を抱いていると確信した。
(どうせなら、私が本国にいるうちにくっついて欲しいのだけれど……)
隣国に嫁ぐ予定の王女・メイヴィス殿下は、ホールに向かう親愛なる従兄の背中に『頑張ってね』と声を掛ける。
右手を上げて応えるロイドは、その意味するところを残念ながらまだ、理解していない。