『家に帰るまでが〇〇です!』は、なにも『遠足』に限った話ではない。
夜会の開かれた王宮からタウンハウスまで帰る馬車の中、レナードはご機嫌だった。
ロイドが身分を明かし、仕事を融通してくれたのである。
「うふふふふ♡ しかもロイド卿ったら『話しかけたせいで食べそびれたから』って包んでくださったんですよ! ホラ!!」
ロイドは王宮の使用人に、レナードが狙っていた肉料理を具にしたサンドイッチをカゴに用意させ、紹介状と共に帰りに持たせてくれた。
なんのことはない、バツが悪かった為であるが、レナードがそれを知ることはない。
知ったところでそんなことなど、彼女にとっては『一食分食事代が浮いた』という事実以上に大切なことに非ず。
なにしろこれから帰るタウンハウスも持つには維持費がかかる為、社交シーズンのみの賃貸物件なのだから。
侍女なども当然いないので、複雑なドレスを着る際にだけこちらで人を雇っている。
食料品の備蓄などもなく、使う分だけその都度購入しており、勿論自炊だ。
そして貧乏人には、暇も無い。明日にはすぐ領地に戻るのである。
「ははは……お前には驚かされる。 正直寿命が縮んだわ……」
ご機嫌なレナードに対し、父は今にも倒れんばかりにグッタリしていた。
レナードに期待をしていなかったティレット子爵は、ここまでの距離が長く予算をなるべく削減しての強行軍だったのもあり、早目に切り上げるつもりで娘を探した。
格安賃貸タウンハウスが少し離れたところにあるのも、夜会を早目に切り上げる理由のひとつである。
見つけた娘はまさかの男とふたり──
そこまではいい。むしろ、喜ばしかった。
公的な場であり、ましてや密会でもないのだから。
帰る呼び掛けついでにさりげなく挨拶がてら素性をチェックし、問題なければ相手方の家とコンタクトを……と段取りを考えながら近付いて、ティレット子爵は度肝を抜かれた。
なにしろ相手が『氷の貴公子』と名高い公爵家御子息……ロイド・ドハティ卿だったのだ。
慌てふためきながら『先に名乗らせるわけにはいかない』と挨拶をする姿は、まさに親子。
だが直後に盛大にやらかした娘とは違い、父の方はずっと死にそうな顔をしたまま、今に至る。
ロイドは高位貴族の御子息らしくティレット子爵に先に名乗らせはしたが、家名に驕ることなく終始丁寧な対応。
黙って娘を連れ出した非礼を謝罪し、『お嬢様のお陰で楽しい一時を過ごせました』と柔らかな笑みで感謝を述べ、娘に職を与えたばかりかこうして土産まで持たせてくれた。
子爵的には、ひたすら恐縮するしかない。
恐縮するしかないのだが……
「あの『氷の貴公子』がなんでお前なんぞにお声を……っ! ああもう注目は浴びるし、正直立ってるのがやっとだった……」
そう、『氷の貴公子』ロイドが珍しくも御自ら女性を誘い会話しているとあって、周囲は流石に表立って邪魔することは出来なかったものの……動向を窺っている者は沢山いた。
ティレット子爵が現れたことでそれらは一斉に子爵とレナードに向いた。
どこの誰だか明確になったことで、羨望だけでなく『何故貧乏子爵家の令嬢が』という驚愕と共に、向けられる嫉妬やあらぬ憶測などの悪意ある視線。そして彼等をだしにロイドに近付かんとする気配がありありと感じられ、その圧に子爵は虫の息であった。
ロイドが周囲に気を配り、牽制してくれたおかげでなんとかやり過ごしたが、馬車に乗るまで本当に死ぬかと思ったらしい。
感謝の気持ちは重々あれど……同時にそもそもの原因でもあるロイドに、子爵の心境は複雑である。
「…………はっ! お前、卿に粗相などしておらんだろうな?!」
「…………(したけど)大丈夫ですわお父様!」
「大丈夫?! どういう意味だ?!」
「ん? んんぅ~……卿は心が広」
「したのか?! 粗相を!!」
「…………大丈夫ですわ!」
「したんだなァァァッ?!!!」
子爵が叫んだその時、
──ガタンッ!!
「「うわッ!?」」
馬車が何故か不自然に速度を落とした。
「ほらお父様が叫ぶから……」
「そんなわけあるか! ……どうした?!」
御者に向かって声を掛けると、この返事。
「子爵様……少し先に不審な一団が」
御者であるリュドは齢30。
黙っていればそこそこイケメンな彼は子爵領民で、こういう時はいつも御者として雇う。まだ若いが道に詳しく体力もあり、なにかと使える男だ。
今回も、リュドが子爵領の薄暗い田舎道に慣れており、夜目が利くのが幸いした。不審な一団が潜んでいるらしい草木が生い茂ったところとは、まだ充分な距離がある。
護衛は危険な道中ごとに雇っているので、今はいない。
盛大な夜会時の王都は警備が厳しいので、事件に巻き込まれることは早々ないからだ。
特に王宮~タウンハウス間は狙われやすい為、巡回が多く襲撃は難しい。
「我々を狙うだと……? 金目の物などあるわけないと一目でわかるだろうが!!」
「なんかそれも悲しいけど事実よね!!」
そう、彼らの賃貸タウンハウスは確かに少し警備兵のメイン巡回地域からは外れてはいるが、そこに戻る貧乏貴族をわざわざ狙う馬鹿はいない。
こことて巡回頻度がメインより少ないだけであり、普段より巡回は多いのだ。捕まるリスクとしては充分高く、罰も重い……見込める益を考えると、とてもじゃないが割に合わない筈である。
「物乞いとかではないの?」
「いや~、複数だしガタイが良すぎますぜ。 どうします? 振り切りますか? 振り切りますか!!」
「何故二回言った?!」
「そこはまず救難信号を出すとこよ?!」
「フゥ、そうですか……」
リュドは溜息混じりにそう言いながら、救難信号の花火を取り出した。
「折角俺のドライビングテクを披露する、絶好の機会だと思ったんですがね~」
些か血気盛んな自信家なのがリュドの長所であり、短所でもある。
リュドは馬車や馬の扱いにとにかく長けており、事実彼のドライビングテクにより何度も救われてはいるが、乗っている側がもれなく酷い目に遭うことは既に経験済みだった。
大体にして、わざわざ危険に突っ込む必要はない。
だが──
「……あれ? これ付きませんぜ子爵様。 シケってやがる」
「「なにィィィッ?!?!」」
ピンチはいきなりやってきた。
意外と疎かにしてしまう、常備品の点検──
旅支度は入念に。