悲しいことに、経験則とは時に思考より強く、正しい判断をできなくさせるものである。
勿論空気を読んで、敢えて名を聞かない場合もあるだろう。
しかし、社交界でも有名人にあたるロイドにそんな経験はなく、彼の中では『聞かない=知っている』だった。
(……これ以上紳士的に振る舞うのは危険か。 しかし、まだ戻るには早すぎる)
ロイドは変なふたつ名がつく程女性に冷たいが、昔からそうだった訳ではない。
物事には経緯があるものなのだ。
次男とはいえ曲がりなりにも高位貴族の一員……ロイドは相応の教育も受けている。
だが、紳士として相応しい態度で接しただけなのに、その麗しき御面相から勘違いする令嬢が続出。彼自身は特になにもしていないのに、様々な事件に巻き込まれた。
学生時代は彼を理由にした女子同士の揉め事や、軽いストーカー行為が頻発し、物が無くなるのは日常茶飯事。
婚約破棄騒動に巻き込まれたり、誘拐事件や殺傷沙汰に巻き込まれたり、とにかく巻き込まれる。
尚、学生時代の影のあだ名は『氷の貴公子』ではなく、『傾国の美男』や『巻き込まれ王子』であった。
そんなロイドだ。
彼が自衛の為にご令嬢を冷たくあしらうのが普通になったのは、仕方の無いこと……そして今、レナードに対して急遽冷たい態度を取ることに決めたのも。
連れ出したのはロイドの都合だが、下手に勘違いさせないことは自衛だけでなく、レナードの為でもある。
ロイドとて、見過ごせないほどの不敬や犯罪を誘発したくはない。
そして、何故話すだけでそうなるのかは、むしろ彼自身が一番聞きたいのだ。
(端から見たら和やかに談笑しているように、相手がガッカリするような話をして間をもたすべきか)
ロイドはにこやかにレナードに顔を向け、まず田舎者であることをやんわり馬鹿にして反応を窺うことにした。
「そうでしょうね。 さぞかし緊張なさったでしょう。 ──ティレット嬢は誰ともお話されてないようでしたが、やはり気後れなさってでしょうか?」
(……ん?)
今なんつった? このひと。
拭いきれない違和感を感じつつも、とりあえず『慮ってくれた』ことにし、スルーする。
「ええ、なにぶん田舎貴族でして。 知り合いも少なく……」
「ああ、だから食事にばかり気を取られておいででしたか~」
──カチーン。
微笑みを崩さぬまま、レナードはハッキリと理解した。
(これは、間違いない……『田舎者』と馬鹿にされている!)
そして先程の恨みが再燃する。
田舎者なのは事実であり、食事にばかり気を取られていたのも確かだが、それをわかっていて邪魔されたのが許せない。
そう思うなら、せめて食い終わってから声を掛けろ。
(ダメよ落ち着いて私、相手は高位貴族と思しき方……余計なことを言っては不敬。 ここは我慢してへりくだり、なんならご友人か職を紹介してもらうところまで漕ぎ着けてやるべきだわ! ……そう、利用するのよ!!)
うふふ♡と笑って、レナードは我慢してへりくだる──
「残念ながら食べ損ねてしまいましたが、こうしてお声掛け頂けたのは喜ばしいことですわ。 こちらでは私のような田舎娘をからかうのが流行りなのですね? 私田舎者ですので、存じませんでしたわぁ~」
──つもりで盛大に嫌味を吐いた。
(ダメだわ────!!!!)
言いたい内容はそう変わらないが、言葉とは難しい。
冗談として自虐ネタを交えてへりくだり、場を和ますつもりがとんでもなく嫌味になってしまった。
そして、この返しが決定的な勘違いの引き金となった。
(この女……俺の気を引こうとしているのか!? ……クソっ、こういう小技を出してくる令嬢にろくなのはいない! 当たりと思ったらとんだ厄介なカードを引いてしまったか!)
歴々の面倒臭い女の中に、こういう『突っかかってくる系』も存在したロイドは、レナードもそれと認識してしまった。
これは彼の発想が斜め上なのではない。
なにもしてないのに散々女性から好かれていたロイドの認識では『ちょっと優しくすると、女性はほぼ必ず自分に好意を抱くモノ』であり、メイヴィスのように幼少からの付き合いでもない限りは勘違いしない例は殆ど存在しなかった。
なので牽制するために言った『君のような田舎娘など相手にしてはいない』ということを匂わせる言葉だが……当然相手が凹むのを想定した冷たい言葉。
凹んだところを『田舎娘の楽しい思い出作りに、今夜はゆっくり話をしよう』と(有無を言わさず)繋げるつもりでいた。
相手は子爵家。明確な線を引きながらも話を聞き出して、婚活をしているようであれば、近い爵位の男性を紹介してwin-win……そう思って。
しかしなんと、嫌味で応戦されたではないか。
過去の記憶では嫌味を言っても高位貴族の彼に応戦してくる人間はもっと上手く包むか、前出のような類の令嬢くらいしかいなかった。その上彼は、レナードが『自分を知っている』と思い込んでいる。
しかも内容に『声を掛けてくれて嬉しい』という言葉が含まれているのも良くなかった。
それらは、彼の勘違いを加速させるには充分な要素だったのだ。
もうレナードはロイドの中で『突っかかってくる系』の女であり、既に彼は好意を抱かれたことになっている。
ツンデレのいいところは、気が滅法強いことである。
それはつまり、打てば響く。萌え的な要素はここでは置いておく。
ロイドは会話(嫌味の応酬を想定)し、笑顔で冷たい言葉を投げ続けることにした。
人は疎らだが、当然いないわけでは無い。
周囲に聞こえない程度の声で、和やかに話しているように見えればなんら問題ないのである。どうせ今夜限りの、しかもただの話相手だ。
今後しつこくされないよう、最終的にトドメを刺せば良い。
フン、と鼻で笑い、軽く小馬鹿にしてから口を開く。
もう紳士的口調など必要ではない。
「田舎者でもやはり、男の気の引き方は心得ているものだな。 これは恐れ入った」
「え?」
「ん?」
「あ……いえいえ。 おほほ」
──彼が先程の発言を嫌味にとったとして。
それは理解できるが、返ってきた更なる嫌味と思われる言葉の意味がレナードにはよくわからなかった。
だが『好意を向けた結果、気を引こうとして出た言葉だ』と処理してくれたようだ……ならばレナード的にとりあえずセーフである。
なにしろ『不敬だ!』ってキレられたらどうしよう、と思っていたところなのだから。
(これは……案外心が広いのかしら?)
おかげで緊張も解けた。
相手は少し横柄な感じだが、横柄なオッサンなら田舎の方が多いくらいだ。若いし洗練されている分、特に怖くはない。
やっとマトモに会話ができそうだと思ったレナードは、とりあえず先程の失敗を挽回することにした。
「都会の方はご冗談がお好きですのね。 そんな駆け引き上手でしたら、今夜ここに来なくても済みましたわ」
全く気にしていないような朗らかな笑顔を向け、今度こそ自虐ネタで和まそうとしたレナードだったが──
「ふん、やはり男漁りか。 ご苦労なことだ」
ロイドは嫌悪感を顕にした。
そしてレナードも、ロイドの返しに普通にイラッとした。