目的が明確ならその最適解はあるかもしれないが、目的を決めるのは気持ちという不明瞭なモンだったりする。
「──ですからロイド様には、もっと頑張って頂かなければなりません。 互いが一番になるくらい」
執務室の机で仕事をするロイドに、ベルトランは厳しくそう告げた。後ろにはヴィンセント、ジェイミー、ナイジェルが控えて並んでいる。いずれも厳しい顔だ。
「……なにを言ってるんだ?」
「温いって言ってるんです」
前にも述べたが、この国の貴族の婚姻はどうあれ「スグ結婚」とはいかない。
最低でも一年の婚約期間が必要だし、両家の家長の合意なくして婚姻契約は結べない。
レナードも気にしていたように、家格差がありすぎるのが問題のひとつ。ただ、これはレナードが思っているのとは逆だ。
ロイドの過去から公爵は半ば息子の結婚を諦めている上、溺愛する美貌の妻にそっくりなロイドになんだかんだ甘いところがある。しかも早く爵位を継承したがっている。
伯爵位を継げば伯爵家の家長はロイドになる──おそらくドハティ公爵とはロイドが伯爵位の継承をするかたちで話はつくだろう。
一方のティレット子爵は『金がない』といいつつも、交易の手を広げることはせず、むしろ最小限に留めている。
ベルトランがフェリックスにそのことを尋ねると、どうやら初代が仕えていたヘンリット辺境伯家に関係するらしい。
調べてもみたが細かい情報はわからなかった。
そしてやはり一番の問題は、ロイドを諦めない女達がいることだ。
「私達はレナード様をお守りする気でおりますが、ご実家などへの不安から逃げられる可能性があるということです」
ベルトランの懸念はこれだ。
それは勿論彼以外の皆も考えていたこと。
だが、今まで散々ロイドが異常な程モテていたのも知っている。彼がちょっと頑張れば、すぐに夢中になるだろう……皆そう思っていたのだが。
「……なってないっすからね、現状」
「しかもご実家もなんだか難しいですし」
「子爵家のことが心配です!」
ナイジェルがロイドとレナードの関係を冷たい視線で責め、ヴィンセントが溜息混じりに婚姻関係の書類を置き、ジェイミーが直立不動で訴えた。
「仮に苦しい二択を迫られた時に、レナード様がご実家を選ばれては困ります。 子爵家になにかあっても最終的には助けられるでしょうが、その信頼を得ていないことがなにより問題です」
「ロイド様、これはご結婚なさっても、この先ずっと付き纏う問題でもありますよ?」
そう、関係構築に時間を掛けてはいられない。
伯爵家との利害関係ならば予測はつく。
しかしロイドを偏愛する女達の恐ろしいところは、誰がなにをしてくるかわからないところである。
そしてレナードの婚姻への価値観は三女とはいえ正しく貴族……しかも家族との絆は深そうだ。まだ婚約すらしていないレナードに、実家より伯爵家を優先する理由はない。
伯爵家家人一同は、主君の為にもレナードを逃したくはなかった。
「事が起こる前に未然に防ぐには、立場も重要です」
「あまり想定したくはないですが……何かあった時に、こちらとしても『婚約者』と『家人』では表立ってできることが違いますし」
散々責められてはいるが、ロイドも考えてはいたことだ。レナードとの距離を無理に詰める気はないが、婚約に関してはせめて子爵家にきちんと打診すべき頃合だろう。
「わかっている。 融資の話を出すタイミングと合わせようとしていただけだ」
レナードに子爵家から手紙が届いたようだし、これを機に話を進める、と話を打ち切った。
「──レナード、子爵からの手紙にはなんと?」
宣言通り、ロイドはレナードに話を切り出すことにし、彼女を呼び出した。
翌月くらいなら丁度レナードもこちらに来て三ヶ月……一時帰郷の頃合としても良い。
「橋の修繕費用だけでなく、ゲストの通行上の問題から姉の式が一年程延期になったそうです。 ……それくらいですかね~」
「そうか……修繕の進捗が良くないのか?」
「ええ。 ですが例年より作物の育ちがいいようであることと、単純に時期の問題ですね」
作物の育ちがよく、人手が足らなかったらしい。そして修繕がズレこんだことにより、橋の完成は冬前になってしまうようだ。──子爵領の冬は厳しい。
「予定通りに完成すればすぐに式を挙げても問題ありませんが、作業も天候も不確かですから。 完成しても雪が降るのが早ければ人を呼ぶには不向きなので仕方ありません。 呼ばれる側の予定の調整もありますしね。 早目の判断とは言えませんが、妥当だと思います」
「姉君は残念だろうな……」
「いや~、収穫量が多ければその分式にお金もかけられますし、じっくり準備出来ていいんじゃないですか?」
「……そういうもんか?」
「姉は生粋の子爵家長女なんで、豊穣を喜ばないことはありません……それに」
レナードはふふ、と笑った。
仕送りとは別に、姉の為に給金の一部を積立てている。一年あれば、多少纏まったお金になるだろう。
式の為の準備品には間に合わないが、夫婦の為に新婚旅行を用意出来るくらいにはなる。
(でもロイド卿に言ったら余計な気を回しそうだからやめとこう)
「なんだ? 気になるな……まあいい。 翌月子爵家にご挨拶に行こうと思うんだが、どうだ?」
「それは…………婚約と融資のお話でしょうか?」
「……融資の話はする。 婚約の話は……しても、いいだろうか?」
圧はかけられたが、強引にはいけないロイド。
それは伯爵家やレナードの気持ちを重要視するところからでもあるが、一番は自分の気持ちからだった。
周囲の懸念する部分はレナードの実家とロイドへの気持ちだが、ロイド自身も伯爵家とレナードへの気持ちで揺れていた。
伯爵家のことを優先して考えるなら、レナードを囲い込むべきである。皆の言うことは正しい……それはロイドとてわかってはいる。
皆は『彼女と子爵家を守るためでもある』と主張を展開させていたが、逆もまた考えられる。
確かに夜会後、ふたりの間にまだ何も無いのにレナードは襲われたが、『婚約者』となればその可能性は一層増す。
そして、どうしても表舞台に立たねばならなくなる。
伯爵領内ならば常に厚く警護できるし、そもそもレナードが伯爵邸で働いていることすら今のところバレていない。
だが『婚約者』となれば、むしろ危険度は今より確実に上がるだろう。
レナードに覚悟がないなら、逃げた方がいいのではないか……
ベルトランの言うように『互いが一番』ではないが、そう思うくらいには既にロイドには彼女に情があった。
彼女が過去を知り、女嫌いな自分の為に力になろうと決めてくれたのはベルトランから聞いている。家人らに申し訳ない気持ちはあるが、元々は結婚を諦めていた身だ。
天秤にかけるまでもなく、レナードの気持ちの方が大事だ……正直なところ、そう思っている。
──だがその反面、レナードがいなくなるのは嫌だった。
それは、我儘で個人的な気持ち。
そう自覚があるのに加え、ロイドは甘く、潔癖過ぎた。
彼は未だ、伯爵家の為ということにして気持ちに折り合いをつけることもできずにいるのだ。