恋は素晴らしいというのを否定はしないが、それを優先させるかどうかは人それぞれ。
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親愛なるお父様
夏の日射しにキラキラと緑が揺れる季節。
霧の多い子爵領……太陽が高く昇る頃には、雫が宝石のように煌めき、一際美しいことでございましょう。
昨年私が裏庭に埋めておいた、行商人からオマケに頂いた苦瓜も、スクスクと育っていることと思います。あれはワタを取り、塩揉みしてから軽く下茹ですると苦味が和らぎます。苦味と食感を楽しむのなら、火は通し過ぎないことをお勧めいたします。
瓜は勝手に育ってくれるから良いですね。
他の瓜も、もし甘くなければ皮を薄切りにし、酢漬けなどにすると良いようです。
他にも
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「ああっ……何故か瓜の話になってしまったわ!」
レナードは字が美しい。幼いころから刺繍の図案を描いてただけあり、絵もそれなりに上手い。
だが、手紙は苦手だ。
ついでに詩も苦手である。
物凄く時間を掛けて冒頭の時節の文を書いたものの、結局瓜に邪魔されたレナードは手紙を破棄した。
そう、伝えたいことは瓜の調理法ではない。
だが手紙で諸々を伝えるのはなかなか難しく、諦めたレナードは「無事エルミジェーンに着いた」「周りの方には良くして頂いている」としか書かないで出した。
そんなレナードが『仕事』としてやることになったのは、主に家令ヴィンセントと老執事フィリックスの補佐的事務である。
大して難しくはないが面倒な計算の類や、重要でない書類のまとめ作業、代筆など。手紙は苦手だが、書式と内容が予め決まっている分には問題は無い。そして──
「……レナード」
「あ、おはようございますロイド卿。 何故こんなところに?」
「いや、それは俺の台詞だ」
朝晩には来たばかりの様に、平民男性のような恰好で馬舎の掃除の手伝いをした。
「話には聞いていたが、まさか本当に馬舎の掃除をしているとは」
掃除をしていたレナードに、ロイドは呆れたように言う。
「いけませんか?」
「人手が足らない場所だから今は別に構わんが、収穫が終わったら領民から働き手がくる。 そうしたらやめてくれ」
レナード自身、貴族として下のものから仕事を奪うようなことはないように動いてはいた。
ロイドがそこを気にしても『貴族令嬢としてどうか』等とは言わないことが嬉しくて、レナードは微笑んで頷く。
宴から数日。
色々と問題はあるが、レナードとロイドの仲は一応順調に深まってはいった。
ベルトランの懸念通り一見男女の仲とは程遠い感じではあるが、ロイドに多少の意識は見られる。当て馬ナイジェルのお陰だろう。
掃除用具を片し井戸で手を洗うレナードは、ロイドの言葉に納得をしながらも少し残念そうだ。
「君は、馬が好きなんだな」
「……卿もですか?」
「ま、まあな。 予定より早く目が覚めたから少し散歩しようと。 一緒に行くか?」
「行きます!」
レナードの嬉しそうな顔に、ロイドも満足気に微笑む。
そこに明確な『トキメキ』はないが、それもいいだろう。ふたりは当然のように別々の馬に乗るが、それもまた。
ロイドはレナードといるのが楽しかった。
今朝のこれも、本当はレナードを誘うためにわざわざ早く起きたのだ。
レナードはロイド以上に恋愛的な意識が薄かったが、彼に好感は抱いている。
このまま結婚しても構わないと思うくらい。
そもそも貴族……いや、貴族でなくとも継ぐものがあれば、婚姻は通常家長が決めるものだ。互いに努力し関係を築いていくのは後からになる。周囲を愛し、守りたいという気持ちがまずあって、その先に相手がいるのだ。
それはなにかを守る責務を持つ者として生まれ育った場合、至極当たり前の価値観ではある。
勿論それが正しいとは言わないが、価値観だけでいえばふたりはそのあたりが似ていた。
置かれている状況と立場が違うせいで、非常にわかりにくいけれど。
互いに好意を抱き、努力する意思もある。
こうしてゆっくりと信頼と愛情を深めていけたら──
そう思っていたのだが、そうは問屋が卸さない。
その『置かれている状況と立場』と『価値観』こそ、ベルトランが最も危惧している部分だからである。
更に時は過ぎ、初夏に行われた件の夜会から既にふた月──夕刻になると風が涼しく感じられるようになった。
社交シーズンのピークも終わり、これからは各地、収穫とそこから派生する諸々で忙しくなる。
そんなある日、子爵家から手紙が届いた。
少しあの後の子爵らの話をしよう。
領に戻るとまず、子爵は壊れた橋の修繕にとりかからなければならなかった。
上の姉ソニアとその婚約者リチャードはとてもよくやってくれてはいたが、物流経路の確保を優先して動いていた為、橋は手付かずである。
経済の混乱を招かぬよう、まず物流を優先したのもあるが、費用や人員の確保の規模からも『子爵に任せた方が良い』という判断だ。
狭い子爵領。人員の取り纏めには、小規模地域の顔役にあたる人物などに詳しい、子爵の方が合理的。
なにしろ費用が少ないので、修繕の為だからといって無駄に人は雇えない。ほぼボランティアのような、雀の涙程の報酬で人手を募らなければならなかった。
橋は必要不可欠。領民達も自分らの生活の為に、できる範囲での労力は惜しまない。
だが不満が出ないのは、貧乏貴族ならではの民との密接な関係があるからこそなのだ。
図らずもこれを機に、ソニアとリチャードの仲も深まり、次期子爵代行となるリチャードの顔も多くの子爵領民に認知された。
──まさに、雨降って地固まる、といったところだ。
そのあたりはレナードがこちらに着いてすぐ送った手紙の返信である一通目に書かれていた。
『ロイド卿、タルコット卿に感謝している旨を伝えよ』という言葉と共に。
それとは別に感謝の気持ちを綴った丁寧な手紙が、ロイドとジェイミー宛にもそれぞれ届いている。ロイドに宛てたものにはそれに加えて、娘をくれぐれもよろしく──と。
余裕のない子爵家に、それ以上のことは特にできない。せめてもの親心だろう。
ロイドは子爵が気に病まないよう丁寧だが当たり障りのない軽めの返事を書き、融資の話は一旦見送った。
ヴィンセントとフェリックスにも相談した結果、収穫量が確定した時期を過ぎてから、必要最小限融資した方がいいだろう、と時期を改めることにしたのだ。
レナードとの婚約の打診をしなければならない点でも時期尚早といえたが、その部分はロイドが気恥しさからとってつけただけなので、まあどうでもいい。
──ただこの『どうでもいい』は、『融資』との関連性においてのことであり、全くどうでもよくはなかった。
☆仮の副題はこれでした。
【神漫画を挙げるならばそのうちひとつに『お父さんは心配症』を挙げたい。(※作者談)】