残念な現実が受け入れ難い現実とは限らない。
幸い軽い脳震盪を起こしただけで済んだロイドだったが、微睡みの中にいた。
(そうだ俺はこともあろうに無様な姿を……)
脳が先にやんわりと覚醒したものの、身体はままならない。酔いと疲労から、金縛りに近い状態になってしまっているのだ。
「ロイド卿……無理なさらないでください」
遠くからレナードの声が響く。
「いいんですよ、暫くそのまま眠っていて」
(もしや……彼女の膝に……ダメだ……)
頭の下にある感触と温度は人のそれである気はするものの、意識をそちらに向けようとしても心地好い波のようなものに飲まれていく。
彼が現実と夢の狭間の世界にいたのは、ほんの束の間の出来事。
そのままロイドの意識は、柔らかく沈むように夢に食われていった。
「ははぁ……それでご結婚されない、と。 おモテになるのも大変なんですねぇ」
「ええ、そうなんですよ」
ロイドはガゼボに備え付けられているベンチに身体を横たわらせていた。
ただし、彼の頭を乗せているのは、残念ながらレナードのではなく、ベルトランの太腿である。
頭を打ったロイドをなるべく動かさないようお姫様抱っこで抱き上げ、様子を見るため近くのベンチに座って今に至る。
先の謝罪と自己紹介をしたベルトランは、大丈夫そうだが眠っているロイドを気遣って「暫くここにいる」というので、レナードもそれに付き合うことにした。
余談だが、ベルトランはレッドクリフ侯爵家の子息だ。
生涯ロイドに仕えると決めている為、家名は必要でない限り名乗らず、滅法強いが正騎士にもなっていない。
故にベルトランの呼称もやはり、ベルトランである。
ベルトランはあの後厨房でグラスを失敬し、ガゼボで飲みながら少しゆっくりしようと思って庭園に来た。
しかし先客がおり、しかもそれが今絶賛、彼の脳内を占めているふたり。
『警備』と称し(※嘘ではない)、一部始終を眺めていた。
話すついでに、ベルトランはあまりにも恋愛にポンコツだった主君の代わりに、彼の悲惨な女性遍歴をレナードに伝えているところだ。
「私とロイド様だけ先に来たでしょう? あれも宿を出るなり道中の目立たないあたりで、わざとらしく停車している馬車がおりましてね……」
馬車はロイドが道中自領を通った際、彼がいると聞きつけたご令嬢の馬車だった。わざわざ隣の領に行った後を待ち構え(※自領だと家人や領騎士を呼ばれてしまう為だろうと推測)、馬車を壊して(※これも推測だが、あるあるらしい)助けを求めてきた。
馬車に同乗し、送って貰おう。そしてそのまま歓待……酔わせてあわよくば、という助平親父のような魂胆が透けて見える。
こちらとしては送り届ける義理はなく、さっさと人を呼べよ、という話だが……わざと護衛を置いてきたりして警備を手薄にするという質の悪さ。危険度を顧みず、こちらが放置する外聞の悪さを見越しているのだ。
近くの宿まで騎士に送らせる、と言えば『お金を持っていない』『宿に他領の男性と入れば噂になる』などの内容をさも同情を誘うような芝居がかった口調で訴え、挙句『男性は恐ろしくて』からの『でも不思議とロイド卿はおそろしくありませんの♡』等と宣う始末。
結局押し込むように伯爵家の馬車にその令嬢と従者を入れ、無理矢理送り帰した。
勿論ロイドは乗らず、事の経緯を手紙に記した。
一通は令嬢の父親に、一通は門番経由でここの領主に渡るように。
噂を立てられては今後も迷惑なので、それを防ぐ為の手筈と、令嬢並びに家への圧である。
第三者である他領に迷惑を掛けた……厳密に言うと、ロイドの機転により掛けずに済んだことになる。
こういう場で本来頼るべきは領主。別にロイドとしては、送り返す先が令嬢の邸宅ではなく、ここの領主の邸宅でも立場的には構わなかったのだ。
手紙は経緯と形式的に令嬢を心配する以上のことは書いてないが、そのことの貸しと、事の次第を解する証人(門番と領主)がいることをしっかりと示すようにはしてある。
このせいで時間が物凄く押したので、さっさと帰る為に馬車の戻りは待たず騎士の馬二頭を使って先に帰ったので、ふたりのみの帰還となった。
その騎士ふたりは令嬢を送っている間、令嬢の家の馬車を警備させつつ伯爵家の馬車が戻るのを待たせてあるので、問題はない。
エルミジェーンの門番の伝達が遅れたのは、馬車でなかったせいで領境の監視塔から目視しづらく確認が遅れた為と、ふたりの馬が速すぎた為のようだ。
「それは大変でしたね~」
「もう慣れたものですが、今回は少し大変でした……貴女のせいですよ、レナード様」
「はい?」
「主は貴女に再会するのを、本当に心待ちにしていたんです」
「…………なんでですかね?」
「そういうところじゃないですか?」
「──そういうところ。 成程……」
レナードはロイドに対し、これまで一度も恋愛対象や結婚対象として意識したことはない。
恋愛に関してはそもそもポンコツだし、結婚は家格が違いすぎて、現実主義なレナードにはそんな意識など到底持てるわけが無いのだ。
(それが楽だってことなのかしら?)
そのへんはやっぱりよくわからないが、少なくとも他よりは確かにマシなのは理解できた。
そして、どうやら家格差どうのよりもその辺が大事だということも。流石に公爵家まではわからないが、伯爵家の家人はロイドの気持ちを重視している様子だ。
「主は子爵家に融資するつもりです。 その都合がいいと考えたのもあるようで……子爵領のことも気にしてらっしゃいましたから」
「……ああ! それで!! なんてお人好しな……お人好し過ぎて、私の気持ちを疎かにして進めるのは不味いと感じたのかしら」
「え? いやそれは……」
「道理でなんか様子がおかしかったわけだわ……」
(余計なことを言ったか? これではまるでそちらがメインであるような)
ベルトランが伝えたかったのは、主に特に興味がなさそうなレナードの利になるようなことであり、それくらい主がレナードのことを考えている、ということ。
「──やはり、ロイド卿は私が好きというわけではなかったのですね」
「!!」
ベルトランは焦った。これでは意図とは真逆である。
せっかくロイドが羞恥心に耐えながら頑張ったのに、台無し──
「ならばロイド卿の力になりますわ!」
「えっ……ええぇぇぇぇ?」
──だと思ったら、何故か話が纏まった。
レナードは、恋愛音痴であり、現実主義者。結婚に夢は……特にない。強いて言うなら安定である。
その安定レベルは貴族のそれではない。衣食住にあまり困らない程度だ。
そしてこの国の貴族の婚姻はどうあれ「スグ結婚」とはいかず、最低でも一年の婚約期間が必要だ。離婚となると流石に問題もあるが、別に婚約破棄ならされても痛くも痒くもない。
家のために融資までしてくれようと考え、更に自分の気持ちまで慮ってくれたロイドの好感度は、むしろダダ上がりだった。
それに恋愛なんてよくわからんものを出されるより、よっぽどがわかりやすくて納得がいく。
ただ、懸念はないでもない。
他者……つまり家が関わる案件だということ。
両家の家長の合意なくして婚姻契約は結べない。
そして、ロイドを狙う女達と、ロイド自身のトラウマだ。
「融資や婚約など家に関わることはとりあえず置いておいて、私自身がなにかロイド卿のお力になれるなら、是非! ……なにかできることはございますか?」
「あ、その……側にいて仲を深めてくだされば? いやその! 特別なことがどうとかではなく、まずは話相手と言いますか」
焦るベルトランをレナードは不思議そうに眺める。
ベルトランは少し恥ずかしそうに、後頭部を撫でた。
改めて聞かれて、答えてみるとなんだかいかがわしいような感じがしたのだろう。レナードは察して吹き出した。
「はは、大丈夫です! ロイド卿がそういう方でないのは物凄くよくわかりましたし……普通に働きながら、ロイド卿と普通に仲良くなればよろしいですか?」
「ええ、勿論!」
(そりゃまあそうか……)
ロイドはまだ寝ている。ベルトランの膝枕で。
幸せそうな寝顔に見えるのは、気の所為だろうか。
そしてすぐ近くの椅子に腰掛けているレナードも、大変満足そうである。
(普通に仲は深めるらしい。 だが……いまひとつレナード様がどう捉えたのかがわからんなぁ……)
主は恋愛にポンコツで、婚約者候補はリアリスト。
ベルトランは自分がいいアシストをしたのか、それとも余計なことをしたのかよくわからないまま、レナードに貰った酒で、彼女と乾杯した。
ぶっちゃけ、前途多難さが消えない。
もう、酔ってしまいたい。
☆オマケ①☆
ベルトラン「ところでどうして壺を洗っていたのですか?」
レナード「乙女には秘密があるものなのです」
☆オマケ②☆
ロイド「その……昨日はすまなかった」
レナード「いいえ! 私こそ」
ロイド「……足は……疲れていないか?」
レナード「足ですか? いや特に」
ベルトラン「私は疲れましたが」