なにかが起こるのは、いつも突然なのだ。
レナードの復活には時間が掛かった。
酒に酔ってリバースしたことがある人ならばわかると思うが、実は「リバースしたからスッキリ!」となる場合は案外少ない。
彼女の場合は、アルコールというより食物摂取量と圧の問題であったため、吐いて緩めたら割とすぐ楽にはなった。
たが侍女達の心配と謝罪が半端なく、それを宥めるのと吐瀉物の臭いをとるのに時間を要した。──主に、壺の。
レナードは靴と服を脱がせて貰うとシャワールームの片隅にある浴槽にドレスを投げて、それまで着ていた服を急いで身につけた。
「レナード様?! まず身を清めなければ……」
「私の身なんていいんです! それより壺は?!」
「トレーシーが中味を捨てに……」
「ひゃあぁぁぁ!!」
駆け出し、厨房裏口先にある生ゴミを堆肥にするための穴に向かうと、トレーシーは横の井戸から水を引いていた。
絶叫しながら壺を奪うレナード。
ただし、あくまでもそっと。壺を傷付ける訳にはいかない。
「私が洗うぅぅぅ!!」
「そんなの私共が洗っておきますって!!」
「いや、洗わせてくださいぃぃ!!」
(こんなお高そうな壺を私のゲ〇で穢してしまったなんて……!! 死あるのみだわ!)
レナードの脳裏に静かにブチ切れている、母の顔が過る。
「数々の恩義をゲ〇で返すなんて、母に殺されてしまいます!! せめて洗うくらいしたいの!!」
「まぁ……レナード様ったら……」
涙ながらにそう訴えるレナードに、トレーシーは若干引き気味で壺を渡すよりなかった。そんな彼女に「ひとりで大丈夫だから、湯を浴びてください」と懇願して戻らせ、壺を洗い出す。
なにしろ彼女には自分の吐瀉物の処理をやらせてしまったのだ。いたたまれない。
「おい、君。 なにをやっている? 見慣れない顔だな」
突然横柄な感じで声を掛けられ、手を止めて振り向くと、そこには長身の騎士がいた。
夜間の巡回警備中の騎士だろうか。
まだ自分のことを知らない人は当然いると思っているレナードは、その態度を特に気にすることも無く、丁寧にお辞儀をして返した。
「お務めご苦労様です。 見ての通り壺を洗っております」
「いやうん……それは見てわかるが。 ……何故そんな恰好を? 女性だろう」
「動くのにスカートは不向きですし……」
「……まあいい。 ホールでは酒宴の最中だ。 終わったら行くといい。 いい酒と飯にありつけるぞ。 もっとも飯は残りモノしかないかもしれんが」
「騎士様は、任務でらっしゃいますか?」
「ああ……まあ……そんなもんだ」
実はこの騎士、ベルトランである。
暫く件の令嬢が戻らないようなので、酔っ払いの狂乱に巻き込まれたくないベルトランは、ひとり外をブラついていた。
見慣れない人間がいたので不審に思い声を掛けてみたが、女性だったので戸惑っている。
ここには知らない女性はいない筈だ。
──件の令嬢以外は。
「……──少しこちらでお待ち頂けませんか?」
「ん? えっ、おい!」
そう言うとレナードは、洗った壺を逆向きにし、部屋へと走り出した。
「すぐ戻ります! 壺、見ててください!」
(まさかあれがティレット嬢だろうか……)
それしか考えられないが、あまりにも想定外で衝撃的な姿だ。
そして、視線の先には──壺。
(壺を洗っていたのか……? 何故今壺を……?)
ベルトランが答えのわからない疑問を繰り返していると、宣言通りレナードはすぐ戻ってきた。胸になにかを抱えている。
「お待たせしました。 ……これ、良かったら」
「これは……」
ベルトランに渡したそれは、レナードをエルミジェーンまで送ってくれた夫婦から貰った酒である。
「これを取りにわざわざ?」
「宴の最中、働いている方もいらっしゃいますもんね。 終わったら皆さんで……というには少ないですが、どうぞ」
「…………」
「お忙しい中、お時間とらせてすみません。 では!」
ペコリと頭を下げてそう言うと、レナードは壺を大事に抱えつつも、足早に戻っていった。
複雑な表情のベルトランを残して。
部屋に戻ったレナードはようやくシャワーを浴びてワンピースに着替え、ホールへ戻った。ドレスは侍女達が洗って干してくれていた。
ドレスを貸してくれた侍女に詫びたが、「それより早く戻りましょう!」と急かされる。
(お給金で新しいの買って渡そう……)
そう決意を新たに雇い主のところへ向かうと、雇い主であるロイドは騎士達に囲まれていた。レナードが戻ったとわかると、その肉壁は素早く散り、酔っている時でも騎士の俊敏さを感じさせた。無駄に。
「ロイド卿、先程は御無礼を……」
再びカーテシーをとったレナードに、ロイドは突如跪き、その手をとった。
「ティレット嬢……結婚してください」
「──……はァ?」
──わぁぁぁっ!!!
ホールは歓声に包まれる。
今度はレナードの方が、意味がわからない番だった。
「まだそこは早いでしょ?! アンタ馬鹿なんじゃないっすか!!」
ナイジェルがふらつきながらも割って入ると、周囲から「行けー!当て馬!!」という野次だか声援だかよくわからない言葉が飛ぶ。
「当て馬言うな!!」
「ナイジェルさん? ロイド卿どうされたんですか……」
この後すぐにロイドに遮られるナイジェルの代わりに説明すると、ロイドとナイジェルのやり取りを見ていた騎士達が参戦。ロイドはとにかく飲まされた。
レナードに負けず劣らず酒豪のロイドだが、なにぶん身体が回復しきっておらず、しかも酒しか腹に入れていないのでアルコールの回りが早かったのだ。
始まりの内容が内容だけに、散々レナードとのことを煽られて、今に至る。
──そう、ロイドは完全に酔っていた。
「ティレット嬢……俺も名前で呼んでもいいだろうか……?」
「いやそりゃ構いませんが」
以前にも記述したが、この国で姓は特権階級しか持たない。故に、貴族間以外は当然ながら名で呼び合う。
貴族間でも姓(=功績を示す爵位であり、家名)への敬意をあらわすのに、爵位を持つもの以外の男性は『下の名前+敬称(卿、様など)』が基本。女性は家族がその場にいない場合は『姓+敬称(嬢、夫人)』が丁寧だが、『名前+敬称(様)』でも特に失礼にはあたらない。
なので名前で呼ぶ、と言った場合、『親しみを込めた敬称略の名前呼び』を指すのが一般的だ。
貴族間マナーはあれど、領によって平民と貴族間の近さや階級意識に違いがある。家人にも名前で呼ぶのを許さず『旦那様』等の代名詞でしか呼ばせないところもあるが、領民と距離感が近く家人がいないティレット子爵家と、家人が平民ばかりのエルミジェーン伯爵家は該当しない。
尚、ロイドを『旦那様』と呼ばないのは、伯爵位を継いでないことから本人が嫌がった為である。
話を戻すとレナードは状況を全く理解できていない。一応驚いてはいるが、酔ってのご乱心程度の認識だ。
「ロイド様ァァァッ!!」
「ああまた面倒なのが……」
「ご結婚の話などこのヴィンセント、聞いておりませんよ! ううっ、確かに私は独身ですが……っ」
「む……行きましょう、レナード。 ここは外野がうるさい」
「はぁ……じゃあ、庭園でも散歩しますか?」
「庭園……ふふ、出会ったときのようだ」
「そ~ですね~(棒)」
ロイドが手を離す気配はない。
酔っているなら外の空気にあてさせた方がいいかもしれないと思ったレナードは『庭園』を提案した。
一応貴族令嬢として一線を引く選択だが……そういう心配より、どちらかというと介護気分でいる。
ナイジェルに「ヴィンセントさんにお水をあげてくださいね~」と言い残し、ふたりは皆に見守られながらホールを後にした。
副題→よもやここでタイトル回収することになろうとは、とは作者も思わなんだ……