己の利を捨てて誰かの為に動けるなら、それは素敵なことかもしれない。もしかしたら。
帰ってきたロイドらを、一番に出迎えたのは老執事フェリックス。
はじめの段階でこの歓迎会がグダグダになることは予測済だったが、彼は若者達が羽目を外すことに寛容である。何故なら面白いからだ。
フェリックスは、自分の中で困ったことになると感じなければ放置。そして彼の許容範囲は広く、あまり『自分の中で』困ると感じることはない。
そんな彼なので、ホールは勿論放置したまま外まで迎えに出た。
すると、伝達の兵が言っていたように何故か馬でふたり。
どうやらなにかあった様子だが、伝達されないところを見るに、大事ではないのだろう。なのでそちらもスルーする、スルースキルの高い老執事である。
「ロイド様、ベルトラン様、お帰りなさいませ」
馬から降り、警備の騎士に馬を託しながらロイドは「ただいま」と答えるより先に、老執事へ「ティレット嬢は?」と尋ねた。
尋ねながらも、足は玄関へと向かっている。
フェリックスがおもわずベルトランを見ると、呆れた笑顔の彼と目が合った。
「……気になって仕方ないらしい」
小さくそう言うベルトランに、フェリックスも、ふっ、と軽く吹き出して、ロイドの側まで足を速める。
「ロイド様。 本日はレナード様の歓迎会を開いております故、ホールへ」
「んんっ……そ、そうか」
自分が不必要に急いていることに気付き、ロイドは咳払いに似た感じで声を詰まらせた。だが、足は止まらない。
ロイドは先の夜会の一度しかレナードと会っていない。
だからこそ彼女と再会し、前のように探るようなことをせずに、ちゃんと向き合って話してみたかった。
接した少しの間を思い出してみても、彼女の表情は勢いよく変化した。照れ隠しもあって子爵を出したが、表情や動きを可愛らしいと感じたのは事実だ。口が回るのも良い。今までロイドを一人の人間として対話してくれる女性なんていなかったのだから。
これからレナードがどんなことを話し、自分の返しにどう表情を変えるかと想像すると、物語を読む子供のようにわくわくした。
その時を物凄く自分が心待ちにしているのだ……と、何度も自覚するくらいには。
その気持ちは、まだ到底恋とは言えない。
だがベルトランの思った以上に、レナードはロイドに鮮烈な印象を残していた。
そんな胸の高鳴りを意識しながら、パーティホールの扉を開けると──
「「「「ロイド様、お帰りなさいませ!!」」」」
騎士達が並んで出迎えてくれた。
「──…………酒臭い」
……そして男臭い。
何故か騎士しかいない。歓迎会と聞いていたのに、主役のレナードどころか、侍女達もいない。
男だらけの酒宴inエルミジェーン伯爵邸ホール……良く言えば薔薇が香りそうな状況であるが、香ってくるのは酒と男の臭いでしかない。
いくら自領の精鋭達に労われようと、彼が急いだ理由はレナード……『こいつぁガッカリ』の一言に尽きる。
しかし、それはある理由から皆で考えたサプライズ風演出だったのだ。
──フッ。
「?!」
突然消える照明。
柔らかな灯りと共に、ロイドが入ってきたのとは逆側の扉がゆっくりと開かれる。
その灯りを逆光の様に背後から受け、凛とした姿でそこに佇んでいたのは──
「ティレット嬢……!」
そう、レナードである。
「お帰りなさいませ、ロイド卿」
レナードはその場でニコリ、と微笑んで、優雅にカーテシーをとった。
「ティレット嬢……」
ロイドは近付こうと、まだ違う方を向いている身体をレナードの方へ向けた──
──パタリ。
向けた途端に、扉は閉められた。
「……ええ?!」
全く意味がわからない。
ロイドのこの反応は当然だろう。
意味がわからないまま、再び扉に向かおうとするロイドを騎士達が囲む。
「ロイド様! さあグラスを!!」
「お帰りを祝して!!」
「えっちょっと待て!?」
それでも扉に向かおうとするロイドに、機転を利かせたナイジェルがハグしにかかった。
「ロイド様! ……お帰りなさいませ!!」
「……ナイジェル?!」
ナイジェルは17。今ではロイドより背が高いが、ここに来た時は小さく可愛らしかった彼を、ロイドは弟のように可愛がった。ロイドは末っ子なので、弟が欲しかったのだ。
だが年頃になってからは年下扱いをとにかく嫌がり、わざと素直じゃない振る舞いをするようになった。
そんなツンデレ・ナイジェルの、謎のデレ。
「……そんなに寂しかったのか? 涙目じゃないか」
とりあえずお兄ちゃんとしては、噛まれる覚悟で『頭を撫でてみる』一択。
ナイジェルの瞳は更に潤む──それは勿論感動ではなく、恥辱の涙である。だが、耐えた。
(今、行かせるわけにはいかない!)
そう……今行かせるわけにはいかなかった。
淑女降臨は一瞬だけ──矜恃や気力だけではどうにもならず、直後レナードはリバースしてしまったのだ。
幸い素晴らしい瞬発力で吐瀉物は調度品の壺を犠牲にし、被害は最小限に食い止めた。だがやはりドレスには幾分か付着し、厚化粧はデロッデロと酷いことになった。
「ごめん、無理だった」……と涙ながらに言うレナード。
彼女の努力とそれが無に帰した瞬間を垣間見た皆は、大いに同情し、奮起する。
それがまさに今──サプライズ風演出は、サプライズ演出に非ず。
ドレスに付着した分を落とし、化粧をそれらしく整えると、レナードにはほんの少しだけ頑張ってもらうことにした。
エルミジェーン伯爵邸家人一同は、一丸となって彼女の貴族令嬢としての矜恃を守ろうとしているのだ。
挨拶だけはなんとか誤魔化し、部屋に戻って持ち合わせのワンピースに着替えて戻ることになっている。
それまでは、この場を持たせなければならない。
「……ええ、そうです! 悔しいですが!!」
「はは、そうか。 だが、今はちょっと」
「お早いお帰りに、一同喜んでおります!!」
「うん、でもちょっと今」
「ロイド様ァァァ!!!」
ナイジェルの機転のあと、騎士達は真の酔っ払いであるヴィンセントをけしかけた。
「鷹の返事が適当過ぎますゥ~!! 私を粗雑に扱い、排除する気ですねッ?! そうなんですねッ!!」
「そんな訳ないだろう!?」
そして間髪を入れずに畳み掛ける。
「さあさあロイド様! 皆お待ちしていたんですよ?!」
「そうそう、先ずは乾杯を!」
「ロイド様! 剣の勝負では勝てずとも、酒の勝負では勝ってみせます! いざ尋常に!!」
「「「勝負! 勝負!!」」」
そして湧き上がる、勝負コール。
「ちょ……だからもう少し待てないのか!?」
「ロイド様……」
ナイジェルは困惑するロイドにそっと耳打ちした。
「レナード様は、全ての杯を気持ちよく受けてくださいましたよ?」
「!!」
煽るような言葉だが、そこに含まれる棘のような違和感を感じ、ようやくロイドは冷静に場の状況を見た。
レナードの歓迎会。
酒臭いホール。
全ての杯を受けたというレナード。
「──あっ」
事を漠然と察したロイドは、小さく声をあげる。
(煽られたというより、教えられたのか)
気付けなかったことが悔しくてナイジェルを見ると、苦虫を噛み潰したような顔に、無理矢理笑顔を貼り付けたような、そんな表情。
ロイドは自分の不甲斐なさに小さく舌打ちし、顔を上げると酒の注がれたグラスを手にし、大きく掲げた。
「──皆、今更とは思うが杯を持て! 不在の間、ご苦労だった!!」
わあっ、と歓声が起こり、場は再び賑やかな酒宴となる。その中でロイドはフェリックスを確認した。
(いない。 ……なら大丈夫か)
フェリックスは先んじて動いているだろうし、侍女達の大半は戻っていることから大した事態ではないようだ。
迎えに行きたいが、彼女もそれを望んではいないだろう。
ロイドは皆からの杯を受け、飲み続けた。
皆テンションは高いが先程までの必死さはない。
(この短期間で皆を味方に付けるとは……)
ひとたび冷静になって考えてみれば、それが凄い。
だが、ナイジェルにだけは少し違うものを感じていた。
「……ナイジェル、お前は彼女と仲が良いのか?」
「歓迎しています」
「答えになってないな」
「ヤキモチですか?」
「気にはなる」
「答えになってませんよ」
ナイジェルは不敵に笑い、ロイドを見据えた。
「一杯飲み干す毎にひとつ、質問に答えましょう」
「……いいだろう」
一先ずグラスの中味をぐっと空けると、ロイドはナイジェルに次を注がせる。
「ロイド様も、同じくらいまで酔ってしまえばいい」
「……なんだ?」
「いえ」
「全く損な役どころだ」……注ぎながら彼が小さくそう呟いたのをロイドは聞き取れなかったが、ずっと少年のイメージだったナイジェルの姿は、すっかり大人の男になっていた。