気持ちを自覚することは、状況を理解するより難しい場合がある。
今回ちょっと長めです。
ロイドは翌日の朝、ようやくエルミジェーン領手前の宿を出た。
伯爵邸に着くのは早ければ夕刻。遅くても夜半には、といったところ。
一方、レナードが到着して一日半……朝を迎えたのは二回目の、伯爵邸はというと。
「レナード様~! 刺繍教えてくださるぅ?」
「あ、ごめんなさい! 厩舎の手伝いがあるから……午後からなら!」
「ではお昼はお好きだと仰っていた、ローストビーフのサンドイッチにしておきますね♡」
「やった~♡」
働き者で手先が器用、貴族令嬢なのに気取らず気さくで、率先して汚れ仕事もやるレナードは、すぐ大人気となっていた。
……まだ一日しか共に過ごしていないにも関わらず。
「いやしかし驚きましたなぁ。 まさかレナード様が女性だったなんて」
「──フェリックスさん……もしや、わかってらしたのでは?」
「……はて」
情報に囚われがちな男共と違い、女性達はあっさり女の子だと看破。すぐ男装の女の子だと広まった。
短い時間ですぐレナードの人気が出たのには理由がある。
勿論ベルトランと同様の理由もあるが、それとは逆に近い点……平民侍女達は主がいずれ連れてくるであろう女主人、または女主人候補に対し、とても不安だったのだ。
特に古参の者は、まだこちらをロイドが管理するようになって間もない頃『自称・婚約者』なる不審な令嬢が、彼のいない間に部屋を占拠しようとしたという事例を体験していた。
その令嬢は居丈高に自分達に命令をし、断ると手をあげてきた。なまじ貴族令嬢なだけに迂闊に手も出せず、非常に不愉快で腹立たしい思いをさせられていた。
今は警備も万全なのでそのようなことにはならないだろうが、パーティ等が開かれることはある。
なにかとやらかしてくれるストーカー令嬢達のせいで、貴族令嬢と聞くととにかく悪いイメージばかりを侍女達は抱くことになっていたのである。
最初レナードは貴族令嬢だとは全く思われてはいなかった。あの出で立ちなら、それも当然だが。
きちんと丁寧な挨拶で自己紹介したあと、「まだ配属が決まっていないので、お手伝い出来ることがあったらなんでもやらせてください!」と自ら進んで仕事を取りにきた姿。
好感を抱きつつも、同時に皆怪しんだ。
なにしろ謎の男装新人である。
しかし、レナードが先に厩舎の掃除をしに行ったのを見ていた者がいた。
侍女のまとめ役である年嵩の侍女、ネリーだ。
彼女はレナードと握手を交わし、手入れをしっかりとしているようだが、皮膚の一部の硬さから働き者であることは間違いない……と、その感想を皆に述べた。
実際、なにをやらせてもよく働く。
一先ず安心した侍女達は休憩時に「なんで男装してるの?」など、気軽に声を掛けた。
そのうちに彼女が侍女長部屋を与えられているとわかったことから、それが何故か追求され、貴族であると判明。
既に距離感が近かったレナードに、多少遠慮しながらも詰め寄った侍女達は、彼女が夜会でロイドに仕事を斡旋して貰いここに来たと知る。
「気にせず接して欲しくて言い出せなかった」としょんぼりする男装のレナードに、侍女達(※既婚者ばかりなので殆どが歳上)の庇護欲が炸裂。ここでも、しょぼい男装がなんとなく役に立った。
量は食べるがよく見るとその所作は美しく、忙しなく動くような仕事だけでなく読み書き計算もできる。
針仕事が得意なようで、特に刺繍は凄く上手い。
それになによりあのロイド様が……!という事実。
その経緯を勝手に想像し、盛り上がり出した侍女達を止められる者はいない。
こうしてロイドはなにをすることもなく、たった一日半でレナードへのエルミジェーン伯爵邸内の外堀は、既に埋められガチガチに固められていた。
「……ところで家令殿、アレは今夜でよろしいですかな?」
「ええ、ですがひとつ。 結果としては女性で、しかも彼女のような方なんて素晴らしいこと……慶事以外の何物でもありません。 ささやかなつもりでしたが、もう少し……」
「ほっほっほっ。 私もそう思いましてな。 酒と食事は増やしてございます。 皆身内みたいなモノですからなぁ。 騎士団を含め夜間担当以外の全ての者に、今日は早目に仕事を切り上げよ、と既に伝達もしてございますよ」
「流石フェリックスさん!」
──そんなわけで、大歓迎のレナード・ティレット子爵令嬢。その歓迎会が開かれない訳がなかった。
厳しい審査を経て入ってくる使用人。
なにかと気苦労の多い騎士団員。
だがいずれもロイドには世話になり……或いは公爵に世話になり幼いロイド少年の成長を見守ってきて、今に至る。
令嬢の話は凄まじい早さで回り、皆ヴィンセントの言う通り『慶事』扱いで浮き足立っていた。
外堀を埋められているレナードとまだ邸宅に着いていないロイドという、主役の筈のふたりの意思をまるっと無視したまま、歓迎会は当初の予定より盛大に、粛々と準備されていった。
「──レナード……さま!」
「あ、ナイジェルさん。 お疲れ様です」
用意がもう終わるというのに、主役のレナードはいない。昨日、一昨日と同様、厩舎に寝藁を敷きに行ってしまったのだ。
巡回から戻ったナイジェルは自ら呼びに行く役を買って出て、レナードを連れに厩舎に赴き、声を掛けた。
「俺がやります」
「いえ、もう終わりますから~」
皆が浮かれた空気の中、ナイジェルだけは非常に複雑な心境だった。
可愛い女の子だと思った子が男でガッカリし。
だが部署は違えど可愛い後輩……面倒を見てやろう、と気を取り直すとやっぱり女の子で。
男にときめいてしまったのだろうか、という心配はなくなったものの、ときめいた相手はただの女の子ではなく主の呼び寄せた貴族令嬢。
しかもその貴族令嬢に不敬な態度どころか、髪を切らせてしまったのだ。
これで複雑にならないなら、そいつのメンタルは鋼どころかオリハルコンである。
だが、生憎ナイジェルのメンタルはオリハルコンではない。
(とりあえず……髪のことを謝らないと)
「あの……」
「──すみませんでしたナイジェルさん!」
謝る前に、何故か謝られた。
突然のことにナイジェルは呆けてしまい、身動きを取れずにいたが、すぐオロオロとしだした。
「とりあえず頭を上げてください……こんなとこ見られたら」
「あっ」と小さく息を吐き、レナードは慌てて頭を上げる。
叱られた子供のような情けない顔で、「ごめんなさい」と小声で言いながら。
「隠すつもりではなかったんです。 ただ、どこかで働く、というのが初めてで……できれば気を使われたくないと思ってしまって」
「ああ…………いや、」
「子爵領は豊かではありませんが、その分領民とも距離が近いんです。 だからできれば皆さんにも気軽に接してほしいと思って……勿論、ナイジェルさんも。 昨日のようにとはいかないでしょうが、こちらで可能な範囲で」
(やっぱこの子、貴族なんだな……)
改めてそう思い、自分がまだ少し疑っていたことに気付く。
そして、その事実にガッカリしていることにも。
「……みんな、喜ぶと思います。 ……俺も。 ──貴女の歓迎会なんで呼びに来たんですよ、レナード様」
「え!?」
ナイジェルは精一杯の笑顔をレナードに向けた。気持ちは複雑なままだが、だからといってなにが変わる訳でもない。
「その……歓迎されてますから。 勿論俺も、歓迎してます」
「えぇえぇぇぇ! ……歓迎会?! 私の!?」
「はい、ホールで。 身内の酒宴みたいな気楽なやつですが……主役がいないと始まりません。 片付けは俺が」
そう言ってレナードが持つ鋤に手をかけると、必然的に目が合ってしまった。
「やり……ます」
薄汚れてしまった平民男子のような服と、短い髪にキャスケット。──まるで、昨日と変わらないみたいだ。
「すぐですし、一緒に行きましょう!」
昨日と同様に、へらり、と笑うレナードにナイジェルは、自分が本当は何にガッカリしていたのかを、ハッキリと理解した。
「──悪かっ、いや、すみませんでした」
「え?」
「……髪」
「ん? ああ、お陰で潤いました! 懐が!」
そして更にガッカリした。
なんかもう、色んな意味でガッカリした。
「ははっ、それを気にしてたんですか~」
「そりゃそうですよ! 女の子の……しかも貴族令嬢の髪!」
「切ると決めたのは私ですから。 それに、案外気に入ってるんですよ?」
「へ~……そうすか~」
そんなガッカリなお嬢様だからこそ、益々ガッカリだった。
片付けを終わらせたガッカリなお嬢様は、薄汚れた今の服のまま、ホールへ向かうらしい。
(確かに『身内の気楽なやつ』と言ったけどさ……)
それでいいのか貴族令嬢。
「急ぎましょう、ナイジェルさん! さあさあ!」
前を歩くレナードが、ナイジェルを急かし振り向くと、ふわりと短い髪が揺れる。
「……レナード様」
「はい?」
「似合ってますよ、それ。 別に罪悪感とかからでなく、本気で」
ナイジェルがそう言うと、レナードはやはりへらり、と笑った。
些か締まりのない笑顔である。
(……クソ。 でも、早目にわかって良かった……かもしれない)
少なくとも色々複雑なナイジェルがそう思わずにいられないくらいは、ガッカリな貴族令嬢レナードは、ガッカリする程ガッカリなところが魅力的な令嬢なのだった。
──云わば、ガッカリ無双。
そして、ガッカリ無双はこの後の酒宴で更に、本領発揮することとなる。