知らないことが多い者程、自分に都合よく想像し、よく知る者はそれを妄想と呼ぶ。
ヴィンセントが鷹を飛ばしてから三日後、ロイドはようやくエルミジェーン手前まで到着していた。
子爵家の馬車とは違い、その道程は安全性を考えたものであり、御者も当然マトモである。
無茶苦茶なスケジュールを脅威の集中力でこなしたロイドの疲弊は凄まじかった。
極力急げとの命だったが、彼が馬車内で死んだように眠っているのをいいことにその指示はロイドの側近である騎士、ベルトランによってある程度是正されていた。
ベルトラン(32)はロイドの右腕の騎士だが、武の方だけでなく頭も切れる。
如何なる時も側にいられるだけの実力こそ、側近足る所以。彼の隊服のみ正装用があるのは、控えているだけでなく社交も行う為だ。
左腕は職務の面ではヴィンセント、剣の腕ではジェイミーだが、ベルトランに比べてしまうとふたりはまだ大分見劣りするところ。
彼らはまだ若く、甘い。
だが、それは主であるロイドにも言えたこと。
(しかし、ここ数日のロイド様は素晴らしかった)
ロイドはその甘さ故に、決断力と押しに欠けるところがある。
だがここ数日は一切それがなく、美しい顔には鬼気迫る威圧感が備わっていた。(※寝てないせいもある)
それは『血筋と顔だけの若造』と高を括っていた取り引き先の相手も気迫負けする程で、結果、滞っていた仕事を全て片付けるに至らせたのである。
馬車の中──
「ん…………着いたか?」
「もうすぐ着きます。 手前の宿に、ですが」
「……ならばこのまま向かってもいいだろう」
目を覚ましたロイドは、眉間に皺を寄せながら気だるげに座り直し、不服そうにベルトランにそう言う。まだ眠いのか瞳は閉じたままだ。
「ロイド様はいいでしょうが、馬が疲弊してしまいますので。 こんな手前で乗り換えることもありますまい」
「わかっている……文句ぐらい聞き流せ」
実際強行軍だったのは王都での公務の方であり、急ではあったがエルミジェーンに帰る道程や日程自体に無理は強いていない。
自分の身体は良くても、周囲にはなるべく無茶はさせないのだ。それをベルトランはわかった上で、わざと馬を引き合いに出している。
ロイドもそれをわかっているため、少々不貞腐れた。
「ふふ、そんなに気になりますか。 件のご令嬢が」
「!」
「ジェイミーを護衛につけるぐらいですもんね? もっとも途中で戻ってきてしまいましたが」
「違──……」
否定しようとしてロイドは一転。軽く咳払いした後、意外にも肯定した。
「……くはない──そりゃ、気にはなる」
「おや」
「正直……そうだな、好感を抱いていると言ってもいいだろう……」
「…………」
(まあそうだろうが、すんなり認めるとは意外だな)
ロイドが急ぎ、ここまで頑張れた理由が他にはない。だが、それを主がきちんと意識していたのはベルトランにも意外だった。
「結婚はしないつもりでいたが、今回のことで反省した。 相手を探すフリで少し話しただけの令嬢が、そのせいで毎回酷い目に遭わされたのでは目も当てられん」
「!では……」
「色々考えてみたが、ティレット嬢さえ良ければ……このまま親睦を深めてみようと思う」
これは驚きの発言だった。
「この先好感を抱ける出会いはある気がしないし、子爵家のことも気になる。 融資をするにせよ、具体的な理由があった方がいいだろう」
少し投げやり気味にロイドはそう言い、腕を組み直す。
「……そっちの理由は兎も角、親睦を深める理由としては大分消極的ですが、まあいいでしょう」
ベルトランはまるで教師が生徒を窘めるように返したが、内心では興奮気味だった。
消極的な理由だろうがなんだろうが、『結婚を前提に女性と仲を深めるつもり』だなんて、前向きで常識的なことを言い出すとは。
主君と決めたからには代々仕えてこそ、騎士の本懐──希望はあれど、期待はしていなかった騎士や家人にとって、こんなに嬉しいことは無い。
彼等が自分に期待をかけないでくれたのはありがたく、それがひとえに自分の気持ちを重視してのことだとロイドもわかっている。無理だと思い開き直ってはいたが、やはり後ろめたさはあった。
そんなこれまでの申し訳なさと、今更的な気恥ずかしさからロイドは素っ気なく続ける。
「……夜会で一度会っただけだからな」
「逆に言うと夜会で話しただけなのに好感を抱き、反省や後悔があるにせよ、手厚く庇護しようとなさった女性ですもんね!」
「お前といいメイヴといい、どうしてそう圧が強いんだ……?!」
そう言いながら頬を紅潮させるロイドに、ベルトランは「ははっ」と笑った。
ロイドの身体を慮り、これ以上急がせる気は無いベルトランも、実のところ件のご令嬢と早く会ってみたくて仕方がない。
益々その気持ちに拍車がかかっていった。
普段は夜会時もロイドの側にいるベルトランだが、今回はメイヴィスがいるので別に参加するよう命じられていた。
メイヴィスがいれば必然的に影がいるので心配はしていなかったが、そのせいで彼はレナードを遠目からしか確認できていない。
メイヴィスと離れレナードと庭園に向かった際は、他の令嬢に邪魔をさせないよう牽制していたので、見ることは叶わなかった。
ジェイミーや身代わりとなった護衛女性の話を聞く限りだが、機知に長け、胆力もある。
「きっと可憐でありながら、凛と咲き誇る野の花のようなご令嬢なのでしょうね……」
「ん……? うん……いや、あまりそんなイメージではなかったような」
「ほう、ロイド様の目にはどのように?」
「…………──」
どのように、と尋ねられ、ロイドはレナードを思い浮かべた。
「見目がどうこう、というよりは、動きや表情が可愛らしい……?」
「何故疑問形なのですか」
「いや、それを言ったら子爵も可愛かったのでは、と。 慌てっぷりがそっくりだった」
「何故子爵を出すんですか」
「そんな慌てていた割に、いざとなったら頭も口も回るようなのはいい。 子爵も──」
「だから何故子爵を出すんですか」
そっくりな親子であることは理解した。
親子共々、好感を抱いたことも。
……ただ、同時にベルトランが『前途多難』と不安に思ったことも事実である。
これは政略結婚の話ではないし、無論、親父と恋愛するわけではない。
(まあいい、伯爵邸には娘しかいない筈だし……『人として』好感を抱いているのだとしても、それはそれで)
どんなかたちであれ好感を抱いているという事実は、他の令嬢からは得難いアドバンテージだ。
ここから距離を縮めていってもらうのは、むしろ女性不信気味な主にはいいのかもしれない。
とりあえずベルトランは、そういうことにしておいた。
──そして翌日の夜。
帰ってきたロイドとレナードのふたりはようやく再会を果し、その一幕は後々まで語り草となる。
……お察しの通り、ロマンスとはかけ離れた感じで。