恥ずかしいふたつ名を持つ、ロイド・ドハティ公爵令息はこの場から逃げ出したい。
夜会と一口に言っても様々。
今回の夜会の舞台は王宮……貴族という貴族が揃う盛大な夜会である。
レナードのような木っ端貴族の子女子息もいれば、当然ながら高位貴族も存在する。
公爵家次男であるロイド・ドハティが従妹であるメイヴィス王女をエスコートして王宮ホールに入ると場が色めき立った。
ロイドは齢24の美丈夫でありながら、なんとまだ婚約者もいないのだ。
ここが競馬場で男性が馬ならば……次男とはいえ彼は間違いなく本命中のド本命。群を抜いたサラブレッドである。
競馬場でいうなら間違いなく、その本命馬の馬券を握りしめレースの行方を熱く追う観客に過ぎないご令嬢達であるが……残念なことに、ここは競馬場ではない。
甚だ下品な例えだが、本命馬に賭けるのが目的ではなく、乗るのが目的なのだ。
──ただ、どちらも勝負だからか、視線に篭る熱はよく似ている。
勝負の行方を楽しんでいるのは、隣で美しく微笑む麗しき王女である。
エスコートされてはいるが、従妹メイヴィスは隣国に嫁ぐのが決まっている、単なる傍観者に過ぎないからだ。
「またそんな嫌そうな顔をして。 もう少し楽しそうにできないのかしら?」
「楽しいわけないでしょう……」
余計にむっつりと不機嫌さを醸すロイドに、メイヴィスは扇に隠した半笑いの顔で言った。
「そんなんだから『氷の貴公子』なんて呼ばれるのよ」
「ぐっ……!」
ロイドは『氷の貴公子』という、甚だ安直なふたつ名を持つ、所謂女嫌いである。
その不名誉なふたつ名を知った時、彼は「これだから女は……」と言いながら脱力している。
ハッキリ言って、死ぬ程恥ずかしい。
その死ぬ程恥ずかしいふたつ名を口にし、ロイドを煽るだけ煽りながらも、ふたりは挨拶を卒無くこなしていく。
そこそこ終えたあたりで、メイヴィスは蝶が花に移るようにひらひらと華麗に、そして自然にロイドと距離を取り……
──放置した。
それはさながら、か弱い兎を肉食獣の檻に置いていくような行為であると、理解して。
「私はね、従兄が心配なの」……そう言って美しく微笑むメイヴィスだが、微塵も彼を心配などしていなかった。
国を離れる前の楽しい思い出作りのひとつである。
そんな罠に嵌められた捕食対象とはいえ、ロイドはか弱き兎ちゃんではない。
『氷の貴公子』である。
群がる令嬢を薙ぎ倒すが如く冷たくあしらい、何人もの美しき乙女がそれに凍りつき、敗北していく。
『氷』はともかく、『貴公子』が行方不明。
それでも群がるご令嬢が後を絶たず、流石に業を煮やしたロイドは、最終手段に出た。
「メイヴィス殿下、踊っていただけますね?」
メイヴィスをダンスに誘う。語尾に明確な圧をかけつつ。
勿論ダンスをした後即座に逃げるつもりで。
檻から出てしまえばこっちのものだ。
しかしメイヴィスはロイドの考えを見抜いていた。
誰にも悟られないよう嘆息すると、にこやかにダンスをしながら彼に話しかける。
「ロイド兄様、兄様がそんなでは私お嫁に行けませんわ。 今夜は叔母様から『くれぐれも』と頼まれてます。 ここから抜けるのは結構。 ですがどなたか見つけないと無理矢理婚姻を結ばされるだけよ? せめて探してる風を装うぐらいのことはなさらないと」
「……探している風、か」
メイヴィスも、ただ令嬢をけしかけて楽しんでいるだけではない。それはそれとして、一応心配もしている。……ただし、ロイドにでは無く、無理矢理選ばれた場合の令嬢側に対して。
彼がフリーなのは、女嫌いを拗らせに拗らせた結果……つまり無理矢理結婚させた場合、『次男だし』という理由を以て妻を捨て置く可能性がある。
ロイドは別に非道な人間ではないので妻へそれなりに配慮はするだろうが、相手が『ごく普通の結婚』を思い描いていた場合は目も当てられない。もし彼に恋心など抱いていたら、傷つくことは必至。
マトモな結婚を望まないのであれば、契約結婚でも虐げられている令嬢を救う代わりに妻の真似事をさせる、でも、相応の相手を見つけて上手くやればいいのだ。
……そうメイヴィスは思っている。
叔母にはとても言えないが。
だがそもそも女性と関わろうとしない男には、それすらハードルが高い。
関わろうとしないのだから、接点がないのである。
この夜会の主とする目的のひとつは、貴族同士の婚活。
毎年デビュタントの際と、他二回ほどそういう夜会があるが、特に今夜はその色が強い。
隣国と長い間あった対立が解消云々……と、まあ幾つかの事情が重なった結果だ。
ロイドは嫌悪しているが、ご令嬢達がギラギラするのはなにも自分の為だけではない。お国やお家事情を重んじる貴族としては優良物件を探すのは当然といえる。
美貌と家柄から常にモテるだけでなく、人脈という点でも何不自由なく育ったロイドはそこらへんに疎い。次男であることの身軽さが、それに拍車をかけていた。
兄には既に子がおり夫婦仲も良い。
自分のような男は生涯独身でいいと思っているが、それを貫くにしてもあてがわれてはなにかと面倒が発生する。
(メイヴィスの言うことは一理ある。 無理矢理婚姻しても互いに不幸になるだけだ……)
『自分で探す』となれば立場的にそこまで強く言われることはないだろう。
そう考えたロイドはダンスを踊りながら『探している風』を装うことに決め、『今夜限りの婚約者候補』を見つけることにした。
とりあえず女性をとっ捕まえてちょっと話し、合わなかったことにすればいいのだ。
疑われない程度の親密さを醸しながら少し集団と距離を置くことで、少なくとも沢山のご令嬢を相手にしなくて済む。
(ギラギラしてない令嬢がいい。 なるべく地味で、尚且つ婚活に勤しんでない感じで、相手らしき男といない令嬢……ッ!)
その条件にピッタリの令嬢を、ロイドは見つけた。
──そう。
既に色々諦めて『王宮の豪華な飯を食う』ことに専念し始めた……レナード・ティレット子爵令嬢である。