誤解を生みやすいタイプの人間は、その原因が自分であるという自覚に欠けていたりする。③
「やることが……無い?」
「ええ、ですがご心配なく。 返事が来るまでのことですから」
レナードはホッとしたが、眼鏡を上げながら無表情でヴィンセントが続けた諸々の説明と、更にその後案内された部屋に驚愕することになる。
「その間……邸内には一部入れないところもありますが、自由に動いて頂いて結構です。 騎士以外の皆は部門毎、休憩時に食事を摂っておりますので、もしお腹が減ったら厨房へ行けば、なにかしら用意してもらえます。 外出は許可を取っていただけば可能ですが、門限はあるので気を付けてください」
「えっ……あ、はい……」
ヴィンセントから話を聞いたレナードは不安に駆られた。
「こちらがレナードさんのお部屋です」
「…………ええ?!」
そして部屋に案内されるや否や、みるみるうちに恐怖を帯びた表情になった。
かつて子爵が言った言葉──
『……なんだコレは……! 至れり尽せりじゃないか!!』
──あの時と一緒である。
「──えっと?! 紹介状ご覧になりましたよね? 私従業員としてこちらに来たのですが……」
そもそも家令になる筈のヴィンセントさんは、何故こんなにも口調が丁寧なのか……
レナードにはまずそれが謎だった。
更に案内された使用人部屋は個室で、シャワールームとトイレまで付いている。
しかも造りは泊まっていた宿より豪華だ。
いくら貴族令嬢相手とはいえ、自分はお客様に非ず。完全におかしい。
そうレナードは思ったのだが、実はそこまでおかしくはない。
この部屋は通常侍女長が使用する部屋であり、平民侍女しかいないここには、事実上の侍女長は存在しない。そのため、どのみちロイドはレナードをここに入れるつもりだった。
ヴィンセントはあらぬ想像から、主に水まわりの点で余計な気を回しただけだが……結果としては一致している。
「紹介状もそうなんですが、詳しい指示がありませんので。 今後部屋の変更はあるかもしれませんが、一旦はここで」
「う…………は、はい」
(指示がないからお客様扱いするしかないのかしら……ああぁ、逆に気が重いわッ!)
レナードは不安のあまり涙目になった。
部屋の変更は望むところだが、それまでに使用料とか食費を差っ引かれないだろうか。いや、差っ引いてくれた方がいい気もする。働いてもいないのに高待遇すぎる。
そんなレナードを見て、
(……この子本当に貴族かな)
ヴィンセントはそんな疑問を抱きながら扉を閉めた。
ヴィンセントは現在20歳。メイヴィスと同い年だ。
男爵家の四男の彼が貴族学園に入れられたのは、家令としてここで働く為である。本来騎士として身体を作る工程をパスして、ロイドと共に勉学に励んだ。
ただでさえ身分の低い彼は他より低年齢なこともあり、『公爵家の腰巾着』と謗られ、男女共に嫉妬を受けながら、貴族の傲慢さや陰険さを身に受け、肌で感じてきた。
勿論悪い面ばかりではないが、すべからく矜恃や自尊心は高いものであり、時にそれは非常に攻撃的だった。
主の前では丁寧で親切だった人が、自分だけになると簡単に尊大になる姿も、彼は飽きるほど目にしている。
ヴィンセントが慎重で、主への確認を重要視するのは当時が原因でもある。
当然ロイドに紹介状を貰ったからといって、レナードへの警戒を怠ってはいなかったが……
目の前で涙目になっていた謎の美少年には、全く裏表を感じなかった。
そして、所作には教育が感じられるものの、あまりに貴族っぽくない。
ここで件の詳細の書かれていない貴族名鑑が作用する。
(──もしかして、同情から子爵の愛人の子でも拾ってきたのでは……?)
ロイドの性格とレナードの態度を鑑みたら、『愛娼』よりは大分真実味がある推理だ。
(先程も涙目になっていたし……考えてみれば十代前半の男児ならば、もう学園に入れられる年齢だろう。 それにあの服装……正妻の子でなく爪弾きにされて育ったのなら、この待遇に感動していてもおかしくはない……)
確かにおかしくはない。
全く事実ではないが、妙に辻褄が合ってしまった。
(思えば私も四男で身体が弱かったことから、家の事情を優先し年齢より早く教育を施され、辛酸を舐めたものだが……)
思い出される自らの過去からの共感──自分より遥かに厳しい境遇である(※想像)レナードに湧き上がる同情。
(ああ、なのにあんなひねくれた見方をしてしまうなんて! ……私はなんて穢れた人間にッ……!)
そして、その前の想像に対する反省。
ヴィンセントの見た目はクール眼鏡だが、中身はウェットなのである。
(──ふむ……放置するのも不安かもしれん。 あまり不安そうであったら、資料を綴じるような簡単な仕事を手伝わせてもいいか……)
学生時代、変わらず親愛の情を示し、期待と信頼も向けてくれたロイドの態度……ヴィンセントはそれに、どれだけ救われたかわからない。
敬愛する主は今も変わらないのだ──そう感慨深く当時を思い出し、倣うべきだと決意したヴィンセントは、老執事のフェリックスを呼んだ。
このところ出掛ける予定のないヴィンセントは、フェリックスにレナードのことを話していない。邸にいる場合、レナードの受け入れは自分の管轄だ。
老執事は献身的な働きぶりから男爵位を賜っており、経験も長い。その分何事もそつなく、上手くやり過ぎるのだ。
まだ家令として未熟なヴィンセントは、フェリックスに頼るのを極力控えていた。
またフェリックスも先を考え、敢えて必要最低限の仕事しかしておらず、勿論このことを知らなかった。
「家令殿、なにか御用ですかな?」
「ティレット子爵家のご子息がこちらに勤めることになりました。 フェリックスさんには後でご紹介致しますが、なにやらワケありのようで……」
「はて……?」
(──ティレット子爵家に息子なんぞいたかいな? いや……いないような気が)
フェリックスは貴族系譜に関しては、ヴィンセントより遥かに詳しい。当然そこに疑問を抱いた。
だがそもそも色々と疑問に思いそうな案件であるため、彼の「はて?」はごく自然にスルーされた。
「それが、旦那様の紹介なのです」
「旦那様の? そうですか~……ティレット家……ほほぅ」
そして、フェリックスだけが真実を理解した。
だが余計なアドバイスはしない老執事。
「それでですね、彼の歓迎会を開けないかと。 こう……ささやかで、自然な感じに」
「おや、随分お優しいですね? 気に入られましたか」
余計なアドバイスはしないが、初めて主が呼んだ女性。必要以上に近付かれては困る。
「うぅぅぅん、気に入ったというか……お恥ずかしながら、自分があれくらいの頃と重ねてしまいまして……」
「おや……ふふ」
(そういえば家令殿は誤解しているのだったか。 しかしまた何故? ……まあいい)
「承りました。 では近々。 ところでかの、ゲフンゲフン……彼の部屋はどちらに?」
「空いている侍女長が入る予定の部屋を……過分でしたでしょうか?」
「いえいえ、私もそこがよろしいかと。 まずは紹介していただけますかな?」
「勿論です!」
余計なアドバイスをしない老執事は、歳若き家令の勘違いと同情に興味津々。
勿論その原因である、女嫌いの主がわざわざ紹介状を書いたご令嬢には、もっと興味津々である。
──しかし、フェリックスを連れてレナードに与えた侍女長部屋に行くと……
扉は施錠され、レナードは既に不在だった。
その頃のレナードはというと。
「いや~坊ちゃん慣れてるねぇ!」
「まあねー! これはよく手伝ってるから!!」
邸の裏手にある大きな厩舎で、馬達の寝藁を敷く作業をしていた。
「自由に動いていい」と言われたため、自由に動いて仕事を自ら見つけ、手伝うことにしたのである。