誤解を生みやすいタイプの人間は、その原因が自分であるという自覚に欠けていたりする。①
騎士はなんとなく驚いたような、困惑したような微妙な表情でレナードを見つめた後、自嘲気味に笑って謝罪した。
「……はは、乱暴な声掛けをしてすまない。 どうやら勘違いだったようだ」
「ふん?」
なんでもレナードと背格好の近いキャスケットを被ったスリがいたと情報が入り、確認するために声を掛けたそうだ。だが実際に前から見たら、風貌が聞いたのと全く違っていた……ということらしい。
「子リスちゃん、君は旅行者か? 随分大荷物だが、君も気を付けたまえ」
「ふふふふふふっふふふふん……!」
「ふっ、何言ってるかわかんねぇよ。 ……オッサン、それくれる?」
「あいよ~」
騎士の青年は途中からぞんさいな物言いになったが、先の露店で飲み物を買って渡してくれた。
飲み込めていない肉の塊の残りとともに、一気に飲み干す。
「──……『子リスとは失敬だな』!」
「ぶはっ! なにを言うかと思えば……あれだけ頬袋膨らませといて?」
「むっ! やっぱりそこか! 腹立たしいことに、食べる時に声を掛けられて食べそびれたことがありましてね!」
「そりゃー悪かったよ……くくく」
大爆笑したあとで、悪かったと言いながらも彼はまだ笑っている。レナードは呆れた。
「……まあいいや。 お飲み物代は支払いますよ。 おいくらです?」
「いいよ、まだあと二切れ残ってんじゃん。 それで新しい飲み物買えば? 頬袋がはち切れないように」
自分で言って面白かったらしく、更に笑い出す騎士に、少しムッとしたレナードは
「そっちこそ追わなくていいんですか? 私と間違えたスリ」
と、軽く応戦するかたちで嫌味を述べた。
彼はチャラいようでいて、意外と真面目でもあるらしい。
もともと休憩時間で食事を摂りに出たのだが、話に聞いていたのと似たようなのを見付けたから、動いたのだそう。まあ、勘違いだったワケだが。
「──ところで君、どこまで? そんな大荷物でひとりとか……そりゃここは治安がいい方だけど、宿を探してるなら日が暮れる前に決めた方がいい。 良かったら案内しようか?」
「いや……実はそちらでお世話になります」
「ん?」
ここでレナードは、姓を名乗るか悩んだ。
子爵家に侍女はいないし、社交も盛んではないため、侍女として働くのに、身分をどうすべきかがいまひとつわからなかったと今更気付いてしまった。
下の姉が嫁いだ伯爵家で、色々教わるべきだったと思っても後の祭り。
貴族令嬢とバレて気を使われたくはない。
姓も名乗るのが普通なのであれば、今後はそうすればいいだろう。そう考えたレナードは、とりあえず姓を伏せることにした。
「ロイド卿にご紹介いただきまして、これから伯爵邸で働きます、レナードです」
だが、その判断が要らぬ誤解の発端となる。
発端の、ひとつの要因というべきかもしれない。
「…………えぇ?」
一方、騎士の青年はレナードが伯爵邸で働くと聞いて、明らかに動揺している様子。
「──あ、そう。 ロイド様に? えっと……レナード?」
「ええ、レナードです。 よろしくお願いします!」
「ああ……そう……レナード……ふぅん」
名を名乗ると、先程見たような微妙な表情でやはりレナードを見つめたあと、俯いて小さく『はぁ』とため息を吐く。
彼は俯いたまま眉間に皺を寄せて、額を右拳の一部でコンコンと叩いた。
「…………」
「……?」
暫し沈黙したが、騎士は気を取り直したように微妙な笑顔で顔を上げ、額を叩いていた右手を差し出した。
「…………俺はナイジェル。 まあよろしく、レナード」
レナードも、握手に応じる。
──タレの付いた手をズボンで拭いてから。
こういうところが令嬢として駄目だと思うが、この服は汚れてもいいものなので、レナード的にはセーフである。
ただ、ナイジェルはその雑な仕草に何故か頬を緩めた。
「ナイジェルさん。 案内してくれるなら、ご飯の美味しい店を教えてくれませんか?」
「肉、残ってんじゃん」
「今食べます!」
「一個食ってやるよ。 貸せ、子リス。 せっかくの美味い飯が食えなくなるだろ?」
かってぇなぁ、と言いながらナイジェルは肉をひとつ食べ、さり気なくトランクを持ってくれた。
ナイジェルの案内してくれた店はリーズナブルで美味しかった。しかも荷物を持ってくれただけでなく、その後伯爵邸まで馬で連れて行ってくれると言う。
「ところでレナード、その髪ウザくねぇのか?」
「ん? ああ、そうですね~。 確かに手入れは面倒ですが」
「手入れとかしてんのか!? 道理で……ゲフンゲフン、おい、そんなもん切っちまえ!」
「なんですかイキナリ!」
「長さも量もあるし、結構良い値で売れるぞ~。 手入れも楽になるし。 ……ちょっと触っていい? おお……いい手触り」
いいと言っていないのにナイジェルは、レナードのひとつにまとめた三つ編みの結び目を持ち上げるかたちで、先の解かれている部分に勝手に触れた。だが、レナードの頭は別のことでいっぱいだった。
──良い値で売れる。
「良い値……本当に?」
「うん」
レナードの心は動いた。
手入れも確かに面倒ではあるし、髪はどうせ伸びる。
子爵領では髪なんぞ売っても買う相手がいなかったが、どうやらこちらでは買う人がいるらしい。
みっともなくならないよう、定期的に切り揃えてはいるのだ。一度くらいちょっと短くしてもいいだろう。
そして、どうせなら売れる場所での方がいいに決まっている。
「切りましょう」
「……お前、顔に似合わず漢らしいなぁ」
ナイジェルに連れていかれた髪結処(※注)で、レナードの髪は、肩が見えるボブ程までに切り揃えられた。
一応後ろで結べる、ギリギリのところだ。
切ってもらっている間にナイジェルは一旦街にある騎士団の詰所に戻り、邸にレナードを連れていく為抜ける許可を得て再び現れた。
「──どうですか?」
(……ん?)
「いや、うん……似合ってる。 っていうか……うん……すごく似合ってるな……?」
「おかげでサッパリしました! 頭が軽いです!! しかも懐は思った以上に……ふふふ♡」
ご機嫌にレナードが歩き出すと、その短い髪がふわりと揺れる。
ダークブロンドの髪の下から除く、白く細い首すじ──
ナイジェルの胸は、不覚にもドキリとした。
彼はそんな自分が許せなくて仕方がない。
(……なんで短くした方がより女の子みたいになってんだ?!)
──それは女の子だからである。
そう、ナイジェルは完全に勘違いしていた。
……というか、最初は男装の女の子だと思ったので、真実を勘違いだと勘違いする羽目に陥っていた。
レナードの恰好と、名前……そしてなにより主の存在。
以前にも述べたように、伯爵邸で働く女性には厳しい条件がある。
まさかあのロイドが、自分の邸宅に女の子を自ら呼ぶなどとは、彼を知る人間ならば夢にも思わないことなのだった。
そしてその勘違いは、エルミジェーン伯爵邸でも起こっていた。
※髪結処
主に髪を美しく結うのと髪を切るのがお仕事。剃髪、剃毛は行わない。
服飾雑貨店や帽子屋などと兼業している場合も多く、特に女性の髪結いのみをしている場合、店舗の一部スペースに併設していることもあるが、区別した名称は特にない。
カット技術はそんなに発達していないので、女性のカットは切り揃えるだけが普通で、家でやるのが殆ど。高位貴族の場合、侍女の中でもレディースメイドと言われる世話係が行う。
髪結屋での散髪客は7割が男性。
カツラやつけ毛は需要がそれなりにあり、髪結い屋では主に原材料を提供するだけで、大抵の場合加工は別に委託する。