ひとつの目的に対しての思惑は、大抵の場合ひとつではない。
「兄様、件のご令嬢のこと、どうなったのかしら?」
ロイドとレナードとの関係をあやしんでいる者は、ジェイミーやストーカー令嬢だけではない。
そう、ロイドの従妹である、メイヴィス王女殿下である。
子爵家が王都を発った翌日の昼──王女殿下は、公務の為に王宮に来たロイドを茶の席に招いた。
これから嫁ぐ身なので余計な憶測を生まないように庭だが、メイヴィスはいつロイドが来ても誘えるように、万全の体制で臨んでいた。
女性の早期婚姻が望ましいとされるこの国では、貴族学園のカリキュラムが性別によって違い、より早く社会に出なければならない女性の方が、三歳早く卒業する。
個人差はあるが、成人に相応しい身体の成長速度は概ね、女児より男児の方が遅い。そのため男は三年間騎士として訓練を受けながら身体を作り、勉学に励むのはそのあとの三年間だ。つまり女性は3年制、男性は6年制。
卒業は女性が15、男性が18である。
従って24になったばかりのロイドと、20のメイヴィスは同級生だ。
隣国に嫁ぐことがまだ内定に過ぎず、伏されていた学生時代──
ロイドとの仲を勘繰られ、嫉妬の目を向けられたメイヴィスは、その恐ろしさを理解している。
影が付いているので全て事無きを得ているものの、危険な目に遭わされそうになったことは何度かあった。
不敬など、彼女らの歪な恋心の暴走を止めるには軽いらしい。
年齢や諸々から敢えて有耶無耶にした件も多いが、全てしっかり覚えている。そして、ストーカー令嬢共をメイヴィスは許していなかった。
挨拶をしてくる奴等に「御機嫌よう♡」と優雅に返しながらも『独身年増確定令嬢さん♡』と心の中で付け加えるのを、学生時代から今も忘れたことは無い。事実、一部のストーカー令嬢はまだ未婚で婚約者もおらず、両親は頭を抱えているようだ。
一部は無理矢理婚姻を結ばされた。メイヴィスは『いい気味だ』と思いながら、自ら念入りに祝いの品を選び、祝いの言葉をこれでもかー!と連ねた手紙と共に送り付けている。
(折角気になるご令嬢が現れたんだもの。 是非とも兄様には素敵な恋愛をして頂きたいわ)
そしてストーカー令嬢共の悔しがる顔が見たい……!
国を離れる前の悲願である。
勿論それだけではないが、そんな私怨からも絶賛レナード推しのメイヴィス王女殿下は、ふたりのこれからが気になって仕方がない。
至れり尽くせり豪華漫遊旅風の計画を聞いたメイヴィスは、歓喜した。
もっとも諸事情によりそれは頓挫していたが『ロイドが自ら子爵家まで迎えに行く』という部分は消えていない。
彼女にしてみれば、最も重要なのはそこだ。
「それは素晴らしいですわ兄様!」
「だがこちらでの仕事がなかなか終わらん……」
伯爵位を継がせたい公爵によって以前から公務には就いていたが、実質的にエルミジェーンは公爵領の一部だった。今まではそれでもよかったが、継ぐとなると話は違う。
伯爵領当主代行として、公爵家でなあなあに賄っていた部分をきっちり切り離し、今と同程度にまで整えたい。だが、それが実に大変なのだ。
例えば今まで『公爵領分100、伯爵領分10』の量の食物を納入していたとして。
取引相手側から言うと『110』ひとつで済んだ部分が『100』と『10』のふたつになるのは、望ましいことではない。公爵家の威光を借りて『100とおまけの10』の状態で『10』を保つのは容易いが、それをロイドはよしとしなかった。
伯爵家として取引を続けるのであれば『10』自体(取引の量など)を下げる、或いは対価を上げるなど、なんらかの変更を余儀なくされる。その塩梅がなかなか難しい。
そして取引をやめる場合はもっと多方面で考えねばならぬことが多く、その進捗は芳しくなかった。
「ただジェイミーからの連絡によると、向こうも大変らしい。 子爵領の橋が壊れ、領地に戻ったら修繕に取り掛かるそうだ」
「まあ……それはさぞかし心配でしょうね」
「家が大変な時に、わざわざ遠くまで働きに出ることもあるまい。 早く戻る為に計画のコースではなく違うルートを使うらしいが、ジェイミーが機転を利かし、浮いた金を当座の修繕費にと申し出てくれた。 はした金だが……追加援助の申し出を、迎えに行った際に改めてすれば良いだろう」
「うふふ、援助もするのね?」
「…………貴女が思っているようなことではない。 俺はティレット卿の崇高さに感銘を受けたんだ」
そこは嘘ではない。
『旅の資金なら受け取らないが、民の為に修繕費としてなら有難く受け取る』という子爵の考えに、ロイドは自分の過分な申し出を恥じていた。
なにぶん鷹につけた短い手紙だ。
良くも悪くも文字で全ては伝わらないのである。
だが実のところ、自分が見たレナードと、子爵を通して見えてくる彼女の存在が気にならないわけではなかった。
有り体に言ってしまえば興味はある。
学園や社交界で接した貴族令嬢とも、伯爵邸にいる平民侍女ともレナードは違っている。
歯に衣着せぬ、というより歯にジョーゼット(※薄い布)を着せるレベルでハッキリと物を言いつつも体面も考える様は、破天荒でありながらもしっかりとした教育を感じさせた。
一昔前、女性は『貞淑であることこそ美徳』と考えられていたが、もうそんな時代ではない。確かにまだレナードが口にしたとおりの男社会だが、ゆっくりと変化はしている。
ここ数十年とまだ歴史は浅いが、だからこそ女性にも教育を受けさせるようになったのだ。
──だというのに、ロイドの周囲の女ときたら、真面目な話をしたところで合わせて持ち上げるだけか、気を引くために無意味に突っかかってくるだけで、討論に発展することすら一度もなかった。それができたのはメイヴィスぐらいである。
「──鷹でやり取りをしているのよね?」
「ああ、ジェイミーとだが」
「ティレット嬢ともやり取りをしたらいいじゃない」
「ティレット嬢と? 悪い冗談だ」
手紙にはいい思い出がないロイドは、あからさまに嫌そうにした。
彼にとって令嬢からの手紙とは、謎めいたポエムとストーキングの記録……
自らの毛髪を季節の花とともに添えた自作の栞が入っていた時は、全身に鳥肌が立った。
「普通の手紙と違うから、余計な前置きが無い分シンプルだし、近況を彼女目線で書いてもらうだけよ? 鷹に付けるものだもの」
彼の手紙への嫌悪を重々理解しているメイヴィスは、すかさずフォローを入れる。
「だって側で働くのでしょう? もっと為人がわかった方がいいのではないかしら」
「ふむ…………だが、そんなことでわかるだろうか?」
「勿論ですわ!」
「そうか……」
メイヴィスが自信満々にそう言いきったので、ロイドは半信半疑ながらやってみることにした。
実際のところ、文章に為人が出るか否かはタイプにもよるだろう。だがメイヴィスにとって、そこは問題ではなかった。
本当の狙いはやり取りをすることではない。
『ロイドがレナードのことを考える時間を作る』という部分にあるのだから。
そして、その思惑自体は上手くいった。
ロイドはレナードのことで頭がいっぱいになる。
──全く予想もしていなかった方向で、だが。
例え話で終わらせる、領主の仕事……ッ!!