悪役令嬢は「ボンバイエ!」と叫ぶ〜マリーの輿入れ騒動〜
「はあ? 王都で有名な悪女が、うちの旦那さまの元に輿入れする?」
ヤンキー風のドスの効いた声を出すメイド頭に、メイド仲間のメラニーが「ちょっとレベッカさん、その声はヤバいわよ」と注意をした。
しかし、クラスト辺境伯の屋敷で働くレベッカは、見た目の怖さで人から敬遠されがちな主が、剣士としての腕も良く、見た目は女性に好かれないが心身ともに強く真面目な働き者であることを知っていたので、悪い噂のある令嬢が彼の妻になること、つまり、主にはろくな女じゃない嫁しか来手がないという事実に憤慨していた。
「ヤバいのはその嫁の方じゃなくて?」
「嫁言わない」
「何処の馬の骨だか知らないけど、男どもを手玉に取るようなク○女が、この屋敷の奥方さまとして振る舞うなんて、わたしは許せないわ」
「ク○言わない」
「辺境を守るという大事なお役目を果たすフレッドさまを、舐めんのもいい加減にしやがれっつーもんよ!」
「しやがれ言わない」
「とにかく、わたしは認めないわ。そんな女、わたしが追い出してやるから!」
餅つきの合いの手のように入る教育的指導をすべてスルーして、焦茶の髪をきりりとお団子にしたレベッカは鼻息を荒くした。
「でもね、レベッカさん。フレッドさまは愚かな男性ではないわ。きっとお考えがあって、そのような問題のある女性を娶ることになさったんだと思うの」
おっとりしたメイドだが、意外に芯の強いメラニーが言った。
「たとえ評判の悪い、男性をたぶらかすと言われている女性でも」
「たぶらかす? まさか、旦那さまがたぶらかされたっていうの? そのク○ビッ○に!」
「レベッカちゃーん、お口が悪すぎますわよー」
「ぐぬぬぬ」
レベッカの唇が、メラニーに思いきりつままれた。
「仮にもメイド頭を張ってるんだから、もうちょっと落ち着きなさいな。旦那さまが女性にたぶらかされるなんてヤワな男性ではないことを、よくわかっているでしょう?」
「むぐぬぬ」
レベッカが頷くと、万力に挟まれたような唇が解放された。
「こんな辺境には、その令嬢の毒牙にかかるようなアホ男はいないだろうし、いたらいたで駆逐するチャンスだと、旦那さまはお考えではないかしら?」
「確かにね。……奥方さまがいるかいないかは、旦那さまの評判に影響するから、そんな令嬢でもお飾り奥方として有用だということかしら」
「わたしはそう見てる。だから、少し様子を観察しましょうよ。先走って追い出すような真似をする前に、どの程度のク○ビッ○なのかを見極めましょう」
「メラニーも言ってるじゃないの!」
唇をつかみ返されたメラニーは、痛い痛いと笑いながらレベッカから逃げ出した。
そんな話が屋敷内でされているとはつゆ知らず。
シルクの履き心地の良い下着と新しいドレスを数着買ってもらって、ご機嫌のマリーが花嫁として到着した。
「長旅で疲れていないか?」
新妻を労るという、フレッドらしくない言葉を聞いた馭者は(あーあ、フレッドさまは嫁にベタ惚れだな……まあ、納得だけど)とにやついた。旅の途中で、天真爛漫なマリーと彼女に振り回されて調子が狂いまくるフレッドの様子をすべて見てきた馭者には、マリーが猛禽を手懐けてしまった強者であることがわかっていた。
さて、猛禽に心配されているマリーはというと。
「あら、全然疲れてなんかないわよ。あなたが気持ち良く寄りかかれるクッションを買ってくれたし、馬車に乗っている以外なにもやることがなかったじゃない、疲れっこないわよ」
サテンのクッションをぎゅっと抱きしめて笑う、ふんわりした金髪に青い目のマリーは、控えめに言って天使だった。
「そ、そうか。それならいいが」
「このクッションは、お部屋に持っていってもいいの?」
「好きに使うがいい」
唸るように言うフレッドは、とても不機嫌そうでお世辞にも優しそうに見えないのだが、マリーは「ありがとう、フレッド。これはとても綺麗なピンク色だし、すべすべしてお姫さまが使うようなクッションだから、とても素敵だと思うの。お部屋に置いて抱いて寝たいわ」とお礼を言った。
抱いて寝たい、のくだりで何故か顔を赤らめたフレッドは「好きにしろ」と吐き捨てるように言った。そして、不機嫌そうな顔で馬車から降りると、そこには家令とメイド頭をはじめとする使用人たちが待っていた。
彼はマリーをエスコートすべく手を差し伸べたのだが。
「じゃあ、これはお願いね」
その、大きなハート型のピンク色のクッションは、2個でワンセットであった。
そのため、ひとつがフレッドに預けられ。
「奥方さまのお荷物は、わたしどもが運びますので」
馭者が言って、マリーの粗末な鞄をおろした。
「よろしくね」
さらに、もうひとつのハートを大切そうに抱えたマリーが身軽に馬車から降りると。
「……お帰りなさいませ、旦那さ……ま?」
お揃いのハートを抱えた猛禽と天使という、なんとも言えない絵面になった。
結局、怒ったような顔のフレッドは、ピンクのハートをレベッカに預けて、さっさと自室に引っ込んでしまった。
愛想のない主人に慣れている使用人たちは、華麗にスルーしてマリーと向き合った。
「いらっしゃいませ、奥方さま。わたくしは家令のロバートでございます」
「初めまして、ロバート。わたしはマリーよ。縁あって、フレッドと結婚することになったの……あら、結婚の手続きってどうなっているのかしら? でも、フレッドってしっかりさんだから、お任せしておいて大丈夫そうね。これからよろしくね。この辺りは自然が豊かで良いところね。森の中に入ったら、食べられる木の実とか野いちごとか取れるのかしら?」
「しっかりさん? あ、いえその、こちらこそよろしくお願いいたします。森は大変豊かでございますから、美味しい木の実も採れると聞いておりますし、様々なベリー類も……」
「まあ、タダで食べ物が手に入るなんて素晴らしいわね!」
ハートのクッションを抱き締めながら、マリーはワクワクした口調で言った。
ロバートは首を傾げながら「野山で採れる恵みをお召し上がりになりたいのでしょうか? それならば、のちほど使用人に用意させましょう」と返事をした。しかし、マリーは眉をひそめた。
「もしや、森の食糧の場所は、クラスト家の秘密なのかしら?」
「……は?」
「でも、わたしはマリー・クラストとなるのだから、採る権利があると思うの」
「採る、権利?」
「そうよ。だから、わたしに食べられる実がなっている場所を……」
「奥方さま。まずはお部屋にご案内いたしますわ」
訳がわからなくなっているロバートを押しのけて、メイド頭のレベッカ(まだハートのクッションを持っている)が言った。
「こちらがお部屋になります」
曰く付きの妻のためにフレッドが選んだ部屋は、日当たりはいいものの壁紙が剥がれかけた殺風景な部屋であった。だだっ広い部屋に置かれているのは、物置に入っていた無骨な家具で、目立つ傷の付いているものもある。
さすがに女性に使わせるのだからと情けをかけて、メイドたちは部屋の掃除をして布団を洗って干し、家具の汚れは落としておいた。
しかし、そんな部屋でも、ヤウェン男爵家の貧乏暮らしに慣れたマリーにとっては、隙間風のない部屋でお日さまの匂いのする布団で眠れるという贅沢な環境だった。おまけに、素朴とはいえ洋服ダンスも書き物机も、割れていない鏡のはまった鏡台までもが用意されているのだ。
「素敵素敵!」
歓声をあげたマリーは、ハートのクッションを抱えながら部屋の中を歩き回り、これはベッドに置こうかしら、それとも普段は書き物机の前の椅子に置いて、目立つように飾ろうかしら、などと嬉しそうに悩んでいる。
「ハートだから、ふたつ並べて置こうかと思うんだけど、あなたはどうお思いになる? ええと……メイドさん?」
「わたくしは、メイド頭のレベッカと申します」
「レベッカさんね、よろしく! 枕のところにふたつ並べると可愛いかしらね?」
マリーに促されて、レベッカはハートのクッションを枕元に置いた。
「悩むわー、どうしましょう?」
「……」
レベッカは混乱した。
『こんなみすぼらしい部屋を用意するなんて!』と激怒するはずの、王都からやってきた身持ちの悪い令嬢は、辺境伯に買ってもらったという安物のクッションを嬉しそうに抱えて、どうコーディネートしようかと悩んでいる。
(贅沢なプレゼントを貴族の男性に貢がせる、欲深な悪女ではないの?)
「うわあ、このお布団、お日さまのいい匂いがするわ」
ぽふんとベッドにうつ伏せになり、金髪に青い目の天使が嬉しそうに笑った。
「今夜はよく眠れそうよ。レベッカさん、素敵なお部屋をありがとう!」
(違う、こんなのおかしいわ……)
無言のレベッカの後ろで、メイドがドレスをしまっていた。
「あの……」
一枚だけ、使い古してかなりくたびれたドレスがあったので、メイドのひとりがマリーに近寄った。
「このドレスは、いかがいたしましょうか?」
「普段着にするから、下げておいてちょうだい」
「はい……あの、」
ドレスに穴を見つけてしまったメイドが、視線でレベッカに尋ねる。レベッカはドレスを受け取ると、念入りに状態を調べた。
「奥方さま。このドレスはだいぶすり切れています。もう処分なさってもよろしいかと。ほら、こちらに穴が空いておりますし」
辺境伯夫人が着るのにふさわしくないドレスでございます、と続けようとしたが。
「おや……これは、穴の空いたところを飾り刺繍で補強されているのですね。しかも、かなり見事な腕前です」
数カ所繕われたドレスだが、ただ穴を塞ぐのではなく美しい花と蝶々の刺繍が施されていたのだ。
「そうなのよ」
ベッドの端にちょこんと座ったマリーが笑った。
「穴を塞いだだけだと可愛くないから、刺繍で誤魔化したの。ちょっぴり贅沢な気分になって、素敵でしょ? うちは穴の空いてない服の方が少なかったから……わたしと、弟と妹の服は、ね。だから、わたしが繕って着ていたの」
「……」
レベッカは口をぽかんと開けて、閉じ、また開けてから、ようやく声を出した。
「これを奥方さまがお縫いになったとしたら、かなりの腕前にございますわね。このレベッカ、感服いたしました。とはいえ、このドレスは裾の方がかなりすり切れていて、今にも穴が空く箇所が多々ございます。ここはひとつ、これからは旦那さまがプレゼントなさったドレスを着ることになさって、こちらは処分することにされてはいかがでしょうか?」
「でも、このドレスはいい生地でできているのよ。ほら、この辺りはまだまだ綺麗だわ」
「綺麗な生地部分は、リメイクして小物などになさるとよろしいかと」
「……それはいい考えだわ! ありがとう、レベッカ。それでは、さっそくフレッドに、裁縫道具をおねだりしてくるわね!」
「あっ」
部屋から飛び出したマリーは、ロバートを捕まえてフレッドの部屋を尋ねると、難しい顔で机の前に座っているフレッドの部屋のドアをノックした。
「フレッド、わたしよ、マリーよ」
「騒がしいな。入れ」
部屋に飛び込んだマリーは、夫に言った。
「素敵な部屋をありがとう、フレッド。とても気に入ったわ」
「それは良かった」
彼は、マリーに用意された部屋の様子を知らない。
「それでね、お願いがあるの」
「なんだ?」
(この女、本性をあらわして高価な宝石でもねだり始めるのか?)
内心でそんなことを考えるフレッドだったが。
「古いドレスの生地を使って小物を作りたいから、裁縫道具と、できればビーズが欲しいのよ。お願いできるかしら?」
「……は?」
「わたし専用のお針箱が欲しいの」
フレッドは顔を顰めてしばし考えてから「高価なものでないならかまわん。レベッカに用意させる」と言った。
「ありがとう! あなたって本当に親切な夫だわ」
ぱちんとウインクをして、天使が去っていった。
フレッドは「針箱とは……そんなに高価なものなのか? 宝石よりも?」と奇妙な表情で天井を見上げた。
そこへ、今度はメイド頭のレベッカが飛び込んできた。
「失礼いたします!」
「……どうした、レベッカ?」
「奥方さまの部屋を改装して、奥方さまにふさわしい家具や内装を新たに作るべきです。今すぐ手配をしてもよろしいですか?」
「お、おう、お前が必要だと判断するならば、別にかまわ……」
「はい、必要でございますありがとうございますそれでは失礼いたします!」
「……」
メイド頭が去った後、フレッドは「なんだか屋敷内が騒がしい気がするが、皆マリーにつられたのだろうか?」と不思議に思うのであった。
そして、針箱がいくらするのかレベッカに聞くのを忘れたが、あの変わった令嬢が欲しがるのだから、ひとつくらい好きなものを与えてもいいかな、などとらしくないことを考えた。
そして、数日後。
マリーはたくさんの美しい糸とガラスのビーズが添えられた針箱を、嬉しそうに受け取った。
彼女の部屋は、辺境伯の妻にふさわしいインテリアで整えられたが、ピンク色のハートのクッションだけは処分されずに、仲良くベッドに並んでいたのであった。
FIN.