風は奪えない
どいつもこいつもゴミだ。
久しぶりに出社してみれば俺のデスクはまだ残っていた。
誰も俺に話しかける者はおらず、遠くから怯えるように見るだけ。
「そりゃそうか」
一体何しにきたんだろ。早々に退社した。きっともう来ることはない。
――俺はきっと、怖かったのだ。
この力があれば俺は自由になる。なんでも出来る。誰も俺に逆らえやしない。この自由が俺は恐ろしかったのだ。俺はおれ自身が恐れているという事に、この時はまだ気づいていなかった――。
クラブに行く、暗い店内では誰が誰なのかすぐにはわからない。
ブスではないが、美人というほどでもない女に声をかける。生まれて始めてのナンパだ。
「こんばんは」
「え? 何?」
クラブというものに始めて入ったが、この中の音楽というのは騒音に等しい。機材は音量を上げることだけを考えて繋げられ、音飛びが激しく一つ一つの音の粒がバラバラである。カセットテープ以下の音質だ。かかっている曲も芸術性が乏しい。ここの住人は音楽偏差値が低い。
振り返った女の顔は、騒音みたいな顔だった。
メイクや服装に統一感がない。うるさいだけの格好。ああ正にクラブの女だと思ったさ。
そうさ、それでいい。今俺が欲しているのは極上の女ではない。ただ性欲を満たすだけの相手が欲しかった。
「俺を知っているか?」
まっすぐ騒音女を見て言う。言葉は普通だが俺が言えば意味がまるで違う。脅迫のような質問。我ながら最低だ。いい、俺は最低でいい。
「え? 知らないあんた誰?」
準備していた言葉に、予想外の返答が返って来る。女に嘘を言っている様子はない。
「え? マジ? タマキリョウって知らない?」
「全然。なに? 芸能人?」
女の瞳に興味の色が浮かぶ。俺はなんだか会話をするのが億劫になりながらも「そのようなものだ」と返した。
「じゃあガーベラのサインもらってきてよ」
女が訳のわからぬことを言う。誰だよそれ、外人か?
「知らん。邪魔したな」
暗がりに逃げるようにしてその場を去る。一度トイレによって、扉を開ける。
暗がりとライトと騒音と人々。
「なんでこんなところにきちまったのか」
全部壊してやろうかと考えて、やっぱり止めた。フロアの端っこを通って地上へ向かう。
外の空気はきれいじゃない。よどんだ東京の夜。それでも中よりはいくらかマシな気がした。
この街の全てを壊したらどうなるか想像して、実行はしない。
夜の風を壊したかったのではく、自分の物にしたかったのかもしれない。でもその方法が解らなかった。
その晩、俺は動画投稿チャンネルを開設した。
生放送、俺は顔を隠しはしない。クラブでは女がアレだっただけで俺の顔は売れているはずだ。今更隠す意味もない。
タイトルには『宣戦布告』