あとがき
昔々、人々が貧しかった頃。そこには自由なんてなかった。生まれおちたときには生き方が決まっていた。農民の子供は一生農民であったし、奴隷の子はやはり奴隷だった。
時代が進み、文明が発展するに従い人々は自由を手にし始める。生き方の自由。思想の自由。自由は身近になり、当然になる。自由を認識し、自由を求めた。
自由は素晴らしいものだ、今更そんなこと説明するまでもないと思う。しかし自由を追い求めると孤独になる。
森の奥で一人で暮らす人と、絶大な権力を持つ王は、共に自由で共に孤独だ。
自由に生きたい欲求と、他者から認められたい余裕はしばしば対立する。
みんなに合わせれば承認されるが自由ではない。
好き勝手にすれば人から認められない。
この自由と承認には共通点がある。それは自分の価値の確認。
僕は詳しくないのですが、ヘーゲルの精神現象学という本では、この自分の価値の確認を精神の成長というそうです。精神の成長には段階があって。
第一段階 承認の闘い。
闘争。喧嘩。相手を負かして自分を認めさせる。勝てば自由と承認の両方を得る。
第二段階 自分だけの価値の追求。競争の奴隷がアホらしくなる。
人から認められたいと思わない。自分で自分を認める。自由に生きる。自分で自分だけを認めると苦しくなる。自分の個性を求める。他人と比較しない。
第三段階 普遍を求める。
自分も他人も認めるものを求めてゆく。
自分が本当にいいと思うものを求める。しかし承認を拒絶せず他人からもいいと思われるもの。
以上が『最強の男』の骨子となっています。骨子の上に僕の長年の妄想を乗せました。
環凌は何を考え、何を得たのでしょう。彼の自由と承認は、彼の精神は。
それは本編をご覧になられた皆様、それぞれに委ねます。自由に決めてください。僕が承認します。