神と悪魔
「だから思うんだよ。車道に飛び出しておいて轢かれたら車が悪いって、そんなのありえねぇって」
「ええ、わかりました。順番にやっておきますから大人しくしといて下さい」
総理官邸にアポなしで来た俺は、村瀬からにべもなく追い出された。あいつは俺が、いつでも誰でも殺せることを忘れてしまったのだろうか? いやきっと慣れたのろう。慣れとは恐ろしい。
アメリカが服従し、いよいよ先進国だった国々も次々と先進国の仲間入りを果たした。残る国々も時間の問題。
ロシアと中国に落とした壁は元に戻した。目には見えないが今日もまた地球を宇宙の脅威から守っている。凄いぞ俺。
北方領土は日本に返ってきた。
ロシアと日本が互いに領有権を主張していた土地には壁を落とさないでおいた。そしてロシアはもう無い。当然の帰結だった。
中国だった土地は、周辺の自治区や香港に好きにしろと言ってある。俺の見解ではあそこは中国ではない。だから落とさなかった。
「暇だ」
都内に建てた自宅のリビング。官邸からワープで帰ってきた俺はソファに寝ころがる。
ゲームだとかスポーツだとか、力を使う前にしていた遊びはどもう面白くなかった。本も読み飽きた。ネットで俺の悪口を言っている奴を一人ずつ殺していくか?
「バカバカしい」
自分の考えに自分で毒ずいた俺は、引き出しの中なら一通の手紙を出す。
差出人は遠藤卓。男性だろう、文面からして大人、住所は都内。それぐらいのことしか解らない。
俺を賛美する内容の手紙は多くなったが、手元に残していたのはこれだけだ。
こいつなら俺の退屈を紛らわしてくれるだろうか、一緒に飯を食いにいくだけでもいいな。突然訊ねたらどんな顔をするかな。
マシンは心地よいサウンドを響かせる。
スポーツカーの鼓動を五月蝿いという奴は本物を知らないだけだ。
オーケストラの生演奏、あれを五月蝿いと言ってしまうのと同じ哀れなことだ。
俺は極力驚かさないよう、車で遠藤の自宅まで行った。
遠藤の自宅のアパートの前で車を止めた俺は驚いた。そして何があったのかを理解した。
窓ガラスは割られ、壁には落書きがある。俺を誹謗する内容。俺を賛美することを誹謗する内容の落書きだ。
今世界には俺を神だと勘違いした、哀れな宗教団体が乱立している。中でも過激な連中は、我々に逆らうのは神である環凌に逆らうのと同じことと叫び、強奪行為などをしている。
俺を神だと勘違いしている連中もいれば、その逆。悪魔だと思っている奴等もいる。これはそういった連中にやられたのだろう。
まだ日中。サラリーマンであれば働いている時間だろう。
「とりあえず、帰るか」
エンジンをかけ、帰ろうかと思った時、アパートの一室のドアが開いて、男が飛び出してきた。
「環様! 環様ですよね!!」
俺は再度エンジンを停止させた。ドアを開け、車から出てやる。
「ああ、環様。環様!」
遠藤だろう。飛び出してきた男が、階段をこけそうになりながら走り下りて、俺の前までくる。
「ああ、環様、まっておりました。悪い奴等に復讐してくださるのですよね」
来なければ良かった。俺は早くも後悔していた。
「環様、お手紙は読んでくださいました? 私何通も出したのですよ。私はあの日、環様が世界を救われたあの日! 目の前で見ていたのですよ!」
この人の中では事実が歪み、大きくなっている。
「ああ、あのう遠藤さん?」
「はい遠藤です!」
やはりこの人で間違いないようだ。
「立ち話もなんですからどこかに行きませんか? なんなら私の家でも構いませんし」
「いえいえ滅相もない! アーこれは失礼しました。小汚い家ですがお越し下さい」
慌てた顔をした遠藤が俺を家に招きいれる。
家の中は散らかってはおらず、宗教家のような雰囲気もない、元々はまともな人なのだろう。
「それにしても、匂いが」
「ええすいません。換気してこれでもだいぶ良くなったのですが」
遠藤の話しは俺の予想からそう外れたものではなかった。
同僚や家族は俺を危険人物とし、俺を賛美することを奇異の目で見られた。それだけならまだよかったが、自宅が嫌がらせを受けるようになり、大家からも出て行くように言われた。行くところがないので断ったそうだが、嫌がらせはエスカレートしていき、匂いは犬だか猫だかの糞尿だそうだ。仕事もクビになったがいつか俺が助けに来てくれると思い、今日まで逃げ出すこともなく待っていたそうだ。
「それで、何から始めますか? まずは復讐からですか? 私としては一思いに殺すより、ジワジワと殺す方法があればそちらの方が好ましいのですが」
遠藤は目を見開いて早口で話す。
腕は身振り手振りで忙しく動き、カリスマ演説家のようだ。
桑島とは違う。桑島のはファッションで、遠藤はガチだ。
ああいう人間特有のヤバイ自分に酔っている風もない。不幸を楽しんでいる訳でもない。救えない。俺に出来ることは少ない。
「遠藤さん、これから貴方は新しいステージに旅立つのです。私と一緒にね。今までの人類がなし得なかった偉業を達成し、見果てぬ黄金の大地を踏みしめるのです。いいですか。不要な命を刈り取ることはありますが、無駄に人を苦しめるものではありませんよ」
そう言って俺は指を鳴らす。
「今、貴方を苦しめる人は死にました。……ええ、本当ですよ。だから、安らかに眠ってください」
横たわる遠藤をそのままにして、安くて臭いアパートを出る。
エンジンをかけた俺はバックミラーを見ることもなく、アクセルを吹かした。
手紙は窓から投げ捨てた。