7.何で私はこの世界に来てしまったんですか
セレナが出ていった後、クラウスはしばらく呆然としていた。
彼女に振り払われた手を見る。
『放って、おいて』
泣きそうな顔。
あの表情をさせたのは、きっと自分だ。
こうしては、いられない。彼女を探さなくてはならない。
「フィンスターニス」
クラウスの手のひらから闇が宙に放たれ、ある方向に進んでいく。───追跡魔法だ。
時間が立てば追跡魔法は使えなくなるが、今ならまだ追えるはずだ。
クラウスは闇を追いかけ、走り出した。
がさり、と音がして、セレナはそちらを見た。
オレンジ色の髪。髪と同じ色の双眸。
「クラウス・・・何で・・・」
クラウスは安堵の表情を浮かべ、
「ここらは魔獣に襲われる可能性がある。取りあえず行くよ」
「・・・何で」
腕を引こうとするクラウスに逆らい、
「───なんで、追いかけてきたの」
「それは・・・」
クラウスは言葉に詰まった。───今は、それが癇に障る。
「なんで、私はこの世界にきたの。なんで、どう、して・・・!」
セレナの言葉はクラウスに理解できないだろう。でも、言わずにはいられなかった。
見当違いな相手に言って責めているのは分かっている。分かっているのに感情が制御できない。
視界が滲む。クラウスの姿はぼやけてよく見えない。
だから───
「え・・・」
突然温もりに包まれ、驚いた。
声が、すぐ耳元で聞こえる。
「───君が、何に苦しんでいるのかは分からない。でも、これは分かるよ」
「───」
「セレナが、寂しさを隠してるってこと」
クラウスはセレナを引きとめるように抱きしめ、続ける。
「話して、くれる?セレナが何を思ってるのか。───知りたいんだ」
その言葉は、やけにすっと心に入ってきた。
気が付いたら───どうしようもない思いが、溢れ出していた。
異世界に来てしまったこと。どうやって戻ればいいか分からないこと。何もかもが違いすぎて、おかしくなってしまいそうなこと。
クラウスは黙って聞いている。
話し終えても、クラウスは無言だった。
セレナだって、信じられないのだ。戯言と思われるのが『普通』だ。もしくは気が触れたと思われるか、どちらかで───
「───大変だった、でしょ?」
「───っ」
クラウスの言葉は意外で、セレナの心の弱い部分に滑り込み、優しく包みこんでしまう。
「信じ、るの・・・?」
「信じるよ。会ってからそんなに日はたってないけど、セレナはそういう冗談が言える人とは思えないから」
「───ぁ」
涙が溢れた。
自分自身受け止めきれない現実を、信じると言ってくれて。
それが、今までにないくらい───嬉しくて。
嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。
クラウスに伝えたいことが沢山あるのに、言葉にならない。
だから、最も短い言葉で、最も分かりやすい言葉で。
「ありがとう」
何故、セレナはこの世界にきてしまったのか、それは分からない。
でも。
現実世界でももらったことのない言葉を言ってくれたから。
きっと、私はこのために。
このために、異世界にやってきたのだ。
現実は何も変わっていない。それでも。
───クラウスの言葉で、これ以上ないほど救われた。
その事実だけで、充分だ。
「・・・クラウス」
「どうかした?」
頬には未だ乾かない涙が光っているし、涙声でしまらないが。
「私に、教えて。いろいろなことを」
あれこれと理由を探すよりも、受け入れる努力をしたほうがずっといい。
クラウスは眉を上げ、セレナの顔をまじまじと見ると───
「───分かった。セレナがそう言うのなら」
これが、始めの一歩。
異世界で生きる始めの一歩を、今、踏み出すのだ。
───何度だって、セレナは、立ち上がれる。
一人では辛くて無理でも、手を引いてくれる人がいるから。
セレナは涙の雫を払い、自嘲ではなく本心からの笑みを浮かべる。
───あれほどセレナを苦しめた孤独は、もう欠片も残っていなかった。