2.夢なら早く覚めてくれませんか
ふわふわの感触が頬に触れ、夜月姫は目を開けた。
もう朝か、と思ってから、寝る前のことを思い出す。
「───っ!」
今の今まで夜月姫が寝ていたのは、知らないベッドだった。体の上には何やら黒いものがかかっている。
「あ、起きた?」
ふいに声がかけられ、夜月姫はびくりと肩を震わせた。恐る恐る、声のした方を見ると───
鮮やかなオレンジ色の髪を持つ男がいた。
男、というより少年と言った方がしっくりくる。
いや、そんなことよりも───
「・・・橙、髪・・・」
・・・私はまだ、夢を見ているようだ。
「良かった。僕はクラウス。君は?」
クラウス。どう考えても、日本の名前ではない。
「これは夢、これは夢、夢・・・」
自らに暗示にかけるように虚ろな顔で繰り返す夜月姫をクラウスは不思議そうに見て、
「君、家はどこなの?」
一番聞かれたくない質問。夜月姫は俯き、無言を貫いた。
その姿に何を思ったのか、クラウスは表情を曇らせ、話したくないなら話さなくていいと言った。
「いたいだけ、いればいいよ」
とだけ残して、外に出て行く。
夜月姫は顔をあげ、自分のいる場所を確認した。
丸太小屋のような建物は一階しかなく、トイレや風呂場などは見当たらない。家具も大きなテーブルとソファー、ランプと暖炉、そして夜月姫が座っているベッドしかなかった。
「なんで、こんなことに・・・」
夢なら早く、早く覚めてくれ。
落ち着いたカラーでまとめた家具。辞書が収まった勉強机。お気に入りのクッションにふかふかの毛布。自室が懐かしくて、恋しくて、戻りたくてたまらない。
子供のころから使っている毛布ではなく、黒い毛皮のようなものを引き寄せ、夜月姫は顔を覆った。
三十分くらいすると、外に出ていたクラウスが戻ってきた。
「はい、君の荷物」
差し出されたのは通学鞄だった。黙って受け取り、己の体を抱く。
次いで渡されたのは服。どこか着物に似ていて、着るのは大変だったが、制服をいつまでも着ているわけにはいかない。仕方なく、言われるがままに着替えた。
クラウスは気を遣ってくれているのか、話しかけてくることはなかった。好都合だ。
彼と話していると、知りたくないことを知ってしまいそうだから。
私は、信じない。信じたくない。
───これが夢ではなく現実で、自分が異世界転移したのだということを。