3月月末 休日2日目 その2
「うわっ、でかっ、気持ち悪」
思わずそう言ってしまうのも無理はない。
林道を抜けた小さな広場。
中央に、不自然過ぎるほど中が黒く見えない洞窟のある小さな広場。
体高30cm、体長80cmくらいの、巨大な蟻がいた。
それも20匹以上の群れとして。
人生で見た一番大きなサイズの蟻は、せいぜい1cmちょっと。2cmはなかったように思う。
子供の頃に遊びに連れて行ってもらったどこかしらの公園の、空き缶用のゴミ箱のところにいたのを、今でもハッキリと覚えている。
もちろん思い出せば、嫌悪感も一緒に蘇る。
なのに、その、何倍だろうか。
そいつらは生理的な嫌悪感や、生物的な恐怖感を、これでもかというくらいに掻き立ててくる。
一体何なんだこの蟻は!
『クレーアント
ジョブ:酸蟻
HP:100 MP:100
ATK:26 DEF:20
CO:--』
中には一際大きな蟻も――。
「ってなんか出てきたぞ、何コレ」
HP,MP,ATK、そんなゲームでよく見かける表示が急に現れた。
半透明のふきだしのようなものに表記されたそれは、明らかに蟻を指し示している。
ゲームは人並に楽しむ。
だから意味は分かるが、だからといって意味が分からない。
「君は左から頼む。うおおおりゃあ」
困惑する俺を他所に、鎧を着た人は、飛びかかるように蟻の大軍へ向かって行った。
鎧の人は、腰に差した剣を抜き放ち、巨大な蟻の恐ろしい顔面を切りつける。
俺は、公園で見かけたあのサイズの蟻でも、恐くて踏みつけることができなかったというのに。
なんて勇気だ、ちょっと感動した。
蟻は額から、体液のような液体を剣で頭と体を切り裂かれたが、即座に反撃。
突進&噛みつきを行った。
鎧の人は想定していたのか完璧に避け、さらには足蹴にし別の蟻を斬りつけに行く。
華麗な剣技と華麗な回避。
洗練された、実に手慣れた動きだ。
なんの躊躇もしていなかったから、あの鎧の人は戦い慣れているのかもしれない。
そう言えば、門のところでももう1人相手に、上から指示を出していた。
それなりに上の立場なんだろう。
鍛えているんだろう。
でも、それでも。
「一撃じゃないのかよ……」
俺は愕然とした。
攻撃を食らった蟻は、即座に反撃していたし、今もまだまだ元気そうだ。
『クレーアント
ジョブ:酸蟻
HP:84 MP:100
ATK:26 DEF:20
CO:--』
HP自体も、全然減っていない。たった16のダメージ。
1撃どころか、何度攻撃しても倒せそうにない程度しか食らっていない。
そんな化け物相手に、俺は戦わなければいけないのか。
さっきまで、ゲームをしていた俺が。
流れ星に課金要素を、なんて言っていた俺が。
魚もぶにょぶにょしていて捌けない俺が。
元々虫が苦手で、ゴキブリはおろか大きめの蛾ですら、出たらすかさず母親を呼ぶ俺が。
あんな化け物を倒せるのか?
無理に決まっている。
……しかし、もう戦うしかない。
戦いを回避するには、既に遅かった。
既に20数匹いる蟻の中の1匹が、俺の方を向いている。
俺は腰に差した剣を抜く。
鉄の擦れる、シャン、という音。
思ったよりも簡単に抜けた剣は、とても軽く、しかし、刀身部分の銀色は、とても厳か。
生まれて初めて持った剣。
男の子なのだから、剣を持つとか、そういう妄想は幾度もしたことがある。
そんな時、俺はヒーローで、誰もが苦戦する怪物をあっさり倒している。
だからか、剣を抜けば何かが変わると思っていた。
しかし何も変わらない。
手も、喉も、足も、心すら震えてしまっていた。
『クレーアント
ジョブ:酸蟻
HP:100 MP:100
ATK:26 DEF:20
CO:--』
震える剣の先には蟻。
変なふきだしがそいつのATK、おそらく攻撃力と、DEF、おそらく防御力を教えてくれるが、比べる物がないので分からない。
攻撃されれば、痛いのだろうか。
そして俺の腕前とこの剣で、果たして戦えるのだろうか。
『鉄の剣
ランク:2
ATK:20』
と、そう思っているとまた何か不思議なものが見えた。
今度は俺の持つ剣から出たふきだし。
疑問に思うと表示されるのだろうか。
しかし……。
ATKで負けている……。
武器のATKとそいつらのATKは計算方法がまた違うのか?
鎧の人のは……。
『鋼鉄の剣
ランク:3
ATK:63』
鎧の人のは強いぞ!
ズルイ! あれが欲しい!
3倍差は駄目だろう。
一応これは、神様から授かった神器じゃないのか、最終兵器なんじゃないのか。
虚しい。
……けれど、あっちの武器でも1撃で倒せない。鍛えている人があの剣を使って、たった16ダメージ。
なら、俺は?
「ふー……、ふー……」
息をゆっくり吐いて、心を落ち着かせながら、俺は蟻を見る。
武器と蟻にひょっこり出てくる半透明の白い吹き出しは、今は無視。
こちらを向いている蟻に1歩1歩近づく。
蟻は今にも俺に襲いかかってきそうな雰囲気をまとわせている。
蟻の雰囲気なんて、そんなもの分からないが。
ともかく、こっちは今、冒険者と呼ばれた人達が4人、鎧の人1人、取り乱していた人1人、俺、の7人。
蟻は20数体だから、3匹……いや2匹を受け持つのが最低条件。
あの蟻と、もう1匹を引きつけて粘れば、きっと俺自身が倒せなくても、周囲がなんとか……。
俺は動かない頭で、必死にそんなことを考えた。
しかしその計算は、あっけなくも早々に狂ってしまう。
「応援がきてくれたのかっ、これで少し楽に、――ミリアーンっ」
冒険者の1人が蟻に飲み込まれた。
いや実際にゴクンと飲み込まれたわけじゃない。表現としての話。
まず蟻に足を噛まれた。
体高が30cmなんだから、体に登られない限り噛みつきは足にしかされない。
しかしそのまま足を引き摺られ、持ち上げられ、地面に転がされてしまえば話は別だ。
蟻は自重の50倍の重さの物を運べると言う。力持ちなんだろう。
それによりミリアーンさんは、頭の位置すら高さ30cmを下回ってしまった。
『ミリアン
ジョブ:冒険者
HP:46 MP:58
ATK:27 DEF:24
CO:流血』
いやミリアンさんか。
そのミリアンさんは転がされたことで、頭の位置すら高さ30cmを下回ってしまった。
結果、全身に蟻が群がり、至るところを噛み付かれてしまう。
死んだ虫に集まる、蟻の大軍を、誰しも見たことがあるだろう。
早い話、それが人間で行われた。
『ミリアン
ジョブ:冒険者
HP:0 MP:58
ATK:27 DEF:26
CO:死亡』
HPの横に書かれていた数字は、みるみる内になくなる。
ミリアンさんは誰が助ける間もなく、あっという間に死んだ。
全身に、何かが走るのが分かる。
「はあ、はあ、はあ」
息が荒くなるのが分かる。
けれど、俺がそんな状態になっても、俺の心と体以外、何も止まってくれない。
先ほどから俺を見ていた蟻が、たくさんの足を連続して動かしながら迫ってくる。
蟻を見る視界の端に、チラリと、先ほど死んだミリアンさんの姿が映った。
その姿は、いくら振り払おうとしても、俺の姿と重なって……俺は……。
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