3月月末 休日2日目 その1
異世界。
異世界とは、地球や太陽系や銀河が違うだとか、そんなこと以上に異なる別世界。
宇宙よりも遠いが、宇宙よりかは想像できて、しかも好き勝手に作り変えられる。
そんな世界のことだ。
だから、そんなファンタジーな世界を夢想し、冒険の旅に出かけることは、よくあることかもしれない。
男ならば特に、眠る前にそんなことを考えることもあるだろう。
漫画の主人公のように、と。
けれども、実際に行くことになるとは、眠る前も、そして眠った後ですら思わないに違いない。
俺もそうだった。
そうだったのに。
隕石と向かい合った恐怖により、俺は目をぎゅっとつむって身構えていた。
「――……あれ?」
けれども、いつまでもいつまでも衝撃がやってこない。
それどころか、あの耳をつんざくような、隕石が空気を震わせる音もなくなった。
どうしたんだ?
俺は目を開ける。
「……?」
そこには、俺の見知ったものは、何一つなかった。
隕石も。
町も。
部屋も。
そこにあったのは、それはそれはのどかな、田園風景。広大……とまではいかないが、住んでいた区ではそう見かけない規模の畑。
「……はい?」
そんな言葉しか出てこない。
「モー」
左を見れば、そうやって鳴くような牛っぽい生き物がいた。
右を見れば、林がある。
手前数十mが、切りかぶばかりなので、林業用の林か何か。
後ろを振り返ってもやはり見覚えのない景色。
5歩も歩けば壁に突き当たったはずなのに、今は20m以上も開けていて、先には木の棒を十字に合わせて作ったような簡素な柵が見える。
柵の向こうには、外壁が木、そのままの、木造の平屋がまばらに建っている。
林とは逆方向に首をずらせば、柵と連結した門があり、門の前には、鎧を着込み、剣を持った人がいた。
鎧。
剣。
日本では決して、いやどの国でも、もう見かけない代物。
俺は頬をつねる。
痛い。
「……」
ファンタジーな世界を夢想しても、自らが本当に行くことになると、思ったことはなかった。
願ったこともない。
願ったこともなかったのに。
俺は死んだ。
隕石で死んだ。
そうして、誰かの言葉にあった通り、肉体がうんたらかんたらなって、異世界に転移したのだ。
異世界に。
「異世界に」
異世界に。
馬鹿げた話だと、笑いたい。
けれども、そんなことすらできない。
血の気がドンドン引いていくのが分かる。
手足に力が入らない。
地面が傾いていくような気がする。今にも倒れてしまいそうだ。
夢であれ、夢であれ、と願い、目をぎゅっと瞑って、開けてみる。けれども景色は何も変わらない。
なぜこうなったのか、理由が全く分からない。見当もつかない。
だが、理由は分からなくても、現実は今ここにある。
異世界という、非現実的な現実が。
「クレーアントが出たぞー! キングもだー!」
と、そこへ不意に、大きな声が響く。
林、振り返った今の俺から見れば、左側の林から。
すると、そこから、俺よりもさらに取り乱した男が走ってやってくる。
ぜえぜえはあはあ、と、息も表情も格好も、髪の毛すらも取り乱したおっさんだ。
あのおっさんもまた、異世界に転移してしまったのだろうか。
近隣に住んでいて、隕石の余波を食らってしまった犠牲者なのか。
だとしたら、俺の願いのせいである。こんなに申し訳ないことはない。
だがそんなわけがない。
あのおっさんは、また別の理由で取り乱しているのだろう。
……しかし、今の俺より取り乱す事情は、この世に存在しない。
なにを大の大人が取り乱している。
異世界に転移してしまった16歳の子供の俺よりも、取り乱す事情があるのか。
隕石が自らに直撃する恐さを、知っているのか!
「クレーアント! キングだと!? ダンジョンか!」
俺がそう思っていることは、もちろん伝わらない。
30前後だろうに老け顔のせいで40前後に見えるがおっさんは、大粒の汗を垂れ流すほどに取り乱しながら、鎧姿の2人の元ヘ駆け寄る。
鎧姿の2人は、門番か何かなのか、簡素な門の近くにいる。そのため会話は俺から20数mも離れたところで行われた。
「ダンジョンから、今あいつ等が相手をっ」
けれどもよく聞こえる。
そのくらい大きな声。
「何匹か分かるか?」
「キングは1匹、ですがクレーアントは20匹以上、残ってる冒険者は今4人だ!」
その中身には、見知らぬ単語が非常に多い。
ダンジョン、冒険者、クレーアント、キング。
だからか、俺はそんな会話を、呆けながら聞いていた。
まるで映画か何かを見ているような気分で。
「くそ、人数が全然足りてないじゃないか!」
「早く! 早く! あいつらが死んでしまう!」
そうして、なんとなくだが、事情を察した。
クレーアントとキングはつまり、敵である。
敵がダンジョンから出てきて、味方である冒険者達が食い止めているが、今のところ不利。
ダンジョンとはゲームに出てくる物と同一なのだろうか。
ならクレーアントとキングはモンスターか?
詳しい姿や強さは不明。
だが、武装したおっさん達が焦るくらいには、強く、危険な状況である。
どうやら、異世界には化け物が出るらしい。
本当に馬鹿みたいな話だ。
ますます現実と認識したくなくなる。察さなければ良かった。
「俺はすぐに戻る! 頼みます!」
「俺もすぐ行く。おいっ、伝令だ」
「はい、伝令ーっ、緊急ーっ、鐘鳴らせーっ」
おっさん達は、厳しい顔をしているが、対処しようとしている。
だから、全く太刀打ちできないピンチではないんだろう。一先ずそこは良かった。
が、しかし、焦っているということは、負ける可能性もはらんでいるのかもしれない。
負けたらどうなるんだろう。
映画では、化け物に負けたら、その後の展開は大方決まっている。
違いと言えば、その化け物が人を食うのか食わないのか、それくらいだ。なるほど、負けたら食い殺されると。
察しなければ良かった!
林から出てきたおっさんは、再び林の方へと戻って行く。
そして、鎧の2人の内の1人は、門のところに備え付けられた鐘を鳴らす。
あまり綺麗に響かない、ただ鉄と鉄を打ち鳴らしたような音が、そこら中に響く。
「……」
なんとなく俺は、そのなんでもないような音で、泣きそうになった。
映画を見ているような感覚が消え、ああ、ここが現実なのだと、思ってしまった。
普通はもっと、壮大なことであったり、ロマンチックなことであったり、そんなことで、現実だと認識するものだと思う。
けれども上手くはいかないものらしい。
俺は、異世界に転移した。
何の前準備もなく、ただどういうわけか偶然に、異世界に転移した。
それも、化け物はびこる異世界に。
それも、その化け物に、今まさに襲われている場所に。
……神様、五礼もしたじゃないか……。
「おい、そこの君!」
と、そんなことを考えていると、鎧姿の2人の内、鐘を鳴らしていない方の人が、突然叫んだ。
林へ向かって駆けていく途中。
完全に俺を見ている。
違え、とよく分からない言葉を祈りながら、俺は、自分を指差してみるが、
「そう君だ!」
どうやら違わないらしい。
なんだろうか。
いや、なんだろうかってことはないか。
俺は、間違いなく異常なまでの不審者なのだから。急に現れ、異国人で、鎧も着てないし剣も持ってないし。
声をかけられて当然である。
むしろ、斬りかかられても当然だったりするのかもしれない。ピンチじゃないか。
「格好からして冒険者なんだろう? 手伝ってくれ、報酬は払う!」
だが、言われたのは予想外な言葉。
反射的に俺は、自分の格好を見る。部屋にいた時の、部屋着を思い浮かべながら。
俺は、西洋甲冑のような完全武装ではないものの、頭から足まで、防具を身にまとっていた。
鉄っぽい胸当て。腹部分はどうやら皮素材。
股間の前も鉄の前当てがあり、腕は布っぽい服だがかなり厚い。
ズボンは腕よりもさらに厚手の布で、すね辺りはさらに分厚く、靴は編み上げの皮のブーツ。
そして極めつけに、腰には剣が。
「頼む手伝ってくれっ」
なるほど。
斬りかかられないような、自然な格好だったのは良しとしようじゃないか。
……しかしつまりだ。
今俺は、あの鎧の人に、異世界で暮らしてきた大の大人ですら焦る化け物の群れを、一緒に退治しに行こう、と言われているのだろうか。
馬鹿かあの人は。
俺にそんなことができるわけないだろう。
断りたい。
とてもとても断りたい。
「ま、任せて下さい」
けれども、俺は16歳の子供だ。
大人から、あんな風に真剣に、切迫した表情で頼まれては、ノーと言い辛い。
「助かる。行くぞっ、こっちだっ」
そうして俺は、鎧のおっさんと共に林に入る。
そして、林道と呼ぶのか、そんな小道を、5分も入った頃だろうか。
俺は、生まれて初めて、自分を食い殺すかもしれないような、そんな化け物を見た。
お読み頂きありがとうございます。
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