7月3週 木曜日 その2
村35 町54
ダ40 討伐1 フ18
人1 犯1
魔100 中13 上1
剣100 剣中13 剣上1
回復94
治療85
採取100
草44 花15 実70
料理10
石工4
木工30
漁1
歌3
体55
女7
「う、うわああああー」
そんな言葉にならない言葉を誰かが叫んだ。俺ではなかったと思うが、定かではない。
事態はめまぐるしいほどに変わっていく。
最初に行動したのは馬。俺達と一緒に落下した馬だった。
ボルカノスベアルの咆哮によって恐慌状態に陥っていたものの、その声が上手く作用したのか、逃げるスイッチが入ったようだ。
立ち上がると、手綱や馬車と繋がるための棒などを引き摺って走り出した。
それを見て動きだしたのはボルカノスベアル。
馬の死に物狂いのスピードなど意に介さず、道を飛び降りてからたった2、3歩でその背中を捉えた。腕を振りかぶり、振りきる。
400kg500kg、いやもっと重い馬を、まるでピンポン玉のように弾きとばした。
馬は4,5m飛んでからぬかるんだ地面を滑り、そこに赤を描いていく。ようやく止まった馬は、5本の爪によって胴の上から半分を根こそぎ奪い去られていた。まだ生きてはいるが、それは息があるという意味でしかない。
次に動いたのもまた、ボルカノスベアル。
馬が逃げた分の20mか30m、俺達とボルカノスベアルとの間には距離があった。
それを詰めるのが面倒だと思ったのだろう、馬車の残骸周辺に固まっていた俺達4人に向けて、口から何かを放とうとする。
俺の視界には、赤い線が浮かんだ。
攻撃や危険を示す赤い線。
異世界に来てからもう3ヶ月以上が経ち、思った以上に馴染んでいるはずのそれ。だが今は異形なものに見えてしまうほど、真っ赤な色をしている。
即死。いや、即死はここまで赤くなかった。じゃあなんだ。
そこで俺はようやく動きだせた。
俺は大きな声で「逃げろー!」と叫んだ。
サンダーレンさん達3人は俺を見て、そして俺が動きだした方向へ一斉に走る。
いや、走るではなく、落ちる、と言った方が正しいか。
元の道から遠ざかる下りの斜面へ、俺達は転げながら逃げた。
口から放たれたのは、火。
燃え盛る火炎。
放射状ではなく、一点を貫く矢。いいや、それよりもレーザーに近い軌道と効果時間。
炎自体はレーザーと言い表せるくらいなので、太くはない。大体、顔と同じサイズだ。赤い線が見える俺からすれば、直撃コースを避けるのは難しくない。しかし全力で転げ落ちた。即死の範囲はなにも、炎の部分だけではないのだ。
赤い線の大きさは、両手を広げたよりも大きい。
熱だ。
炎が発する、土砂降りの雨をかき消すような熱量。少しでも近づけば、それだけで死ぬ。
それを文字通り肌で感じながら、俺達は逃げた。
「うおおおおああー」
気温が一気に上がる。熱波によって鎧が着ていられないくらい熱を持つ。雨が降っているのに乾燥で唇がひび割れる。
炎は、馬車の残骸だけでなく、燃え難いはずの雨季の生木までもを煌々と燃やし、俺達が先ほどまでいた場所を通り過ぎた。
着ている鎧の金属部分は、直接触れれば肌を焼くほどの高温になっている。
しかし、死んでいない。
助かった。
いや、助かってはないか。
「グルルル」
ボルカノスベアルは、避けられた事実に、少し苛立ったように唸る。
そこには俺達を逃がす心積もりなど、まるでないのが見て取れる。ただ、死ぬ時間が延びただけだ。
俺達が走るよりも、ボルカノスベアルは速く走れる。蜘蛛の子を散らすように逃げても、全員が狩られてしまうだろう。
かといって全員が馬車に乗り込んでも、逃げることは不可能だ。全力で駆ける馬より速いのに、8人が乗った馬車で逃げられるわけがない。それに馬はまだ怯えきって、身動き一つ取れていない。
むしろそもそも、俺達が馬車に乗りこめるかどうかも怪しい。
転落してからさらに下へ転げ落ちてき俺達は、道から随分と遠ざかっていた。馬車を見るには、かなり見上げなければならなくなっている。このぬかるんだ斜面を登るのに、どれだけかかるだろう。追いつかれずに登りきるのに、一体いくつ偶然が必要なのか、分かったものではない。
もちろん、戦って勝つことなど、到底不可能である。
八方塞だ。
何もできない。
何もできない。
何をやっても、その行動に何一つ意味がない。
凡人よりも遥かに賢く、凡人よりも遥かに強い俺には、結末まで全てが見えた。
何をしても無駄だ。
……ああ、俺の人生と一緒だ。
天才達の領域に一生かかっても辿り付けないことだけが分かっていた、俺の人生と。
何かを成すなんてこと、俺にはとてもじゃないが難しすぎた。
ようやく。
ようやく。
ようやくそれでも、何かをしようと思えるようになったのに……。
最早俺にできることは一つだけ。
これ以上の絶望を味わわないように、心を閉じることだけだった。
目を開いていても何も捉えず、耳が聞こえていても何も理解せず。生きるということを、全て諦めることだけ。
本当にもう、それしか無理だった。
「――様!」
いや、それも無理だった。
俺は天才じゃない。
俺の思いや決意なんぞ、天才の指先一つで変えられてしまう。
天才のすることには抗えない。
「エト様ー!」
アンネが、俺を呼んでいた。
上の道で、馬車から降りて、手には槍を握りしめて。
「こちらへ! 早く!」
そう叫んでいた。
まさしく天才だと思った。
多分、あそこまで登ったところで、アンネに何か策があるわけじゃない。登れるかどうかすらも、考えていないだろう。最後の結末は変わらない。
しかしやめない。止まらない。
例え可能性が0でも、その数字に風穴を開けるべく、最後の最後まで走りきれる。文字通り最期まで。それが天才だ。
まさしく天才だ。
その姿は、眩く輝いていた。
俺は心を閉じようとしたはずなのに、それに惹かれて、弾かれたように走りだす。
他の3人も同じ。あんなに怯えていたのに、一気にその目に希望を持って。
その瞬間に思う。
俺の人生は、この時のためにあったのではないか、と。
俺が異世界にやって来たのは、俺のためじゃなく、アンネのためなんじゃないか、と。
俺に奇跡が起こったのは、世界に愛される天才のアンネのため。
ボルカノスベアルから生き延びて、これから花開く主人公のため。
神様はそのために、俺を日本から異世界に転移させたのではないか。
飛躍した話だ。理由も論理も、俺である必要性もまるでない。
だが、それはとてつもなく腑に落ちた。
ならば、死なせられない。
死なせられない。アンネだけは。
そうだ。
そうだった。
俺は、俺より才能がある奴を、絶対に死なせはしないのだった。
頭が急速に回転していく。
策は、ある。
――ボルカノスベアルを見る。
俺達が走り出したと同時に、ボルカノスベアルも動きだしていた。その地響きを鳴らしながらの動きは尋常ではないほど速く、あと数秒もあれば俺達に追いつくだろう。
だから俺は、必死に走るのをやめて、必死に課金リストを探し始めた。
神様は、楽に生きろと俺に課金の力をくれた。
正直、楽に生きることに役立っているとは、そこまで思えない。もっと他に方法があっただろうと、今でも思う。
が、しかし、もしこれがアンネを助けるために与えられたものならば、それも当然だ。そこにあるのは楽に生きる力ではなく、アンネを助ける力なのだから。
なればこそ。
課金には、今この状況で、アンネを逃がせるものが、絶対にあるのだ。
『ダツモウデキールカンペーキ 銀貨50枚』
それは、缶の中のクリームを塗ればその部分の毛がなくなるという美容グッズの課金アイテム。
俺はそれの蓋を開けて、ボルカノスベアル目掛けて投げつける。
当たっても、ダメージは0で、ただ毛が抜けるだけ。
特に意味はないし、数ヶ月もすれば元通りになる。
しかし、俺のような雑魚敵からそんなことをされるのは嫌なはずだ。
生きるか死ぬかの戦いをしなければならない同格相手から、こんな攻撃をされればむしろ大歓迎だろう。
嫌がらせを食らうだけで倒せるなら、ノーリスクと言えるに違いない。
だが、超がつくほど格下相手なら。間違いなくノーダメージで倒せる相手なら。
そんな雑魚敵から、数ヶ月間も残る嫌がらせは、食らいたくないだろう。
そう思う。きっとボルカノスベアルもそう思うはず。
缶は足場が悪い中とは思えないほど速いスピードでボルカノスベアルに迫り、そして、躱された。蓋が開いているため、飛んでいる最中も中身は散乱し続けていたが、その飛散物すらも、綺麗に。
「よし!」
いける! 食らってもダメージがないのに躱したということは、食らいたくないのだ。なら、いける。1つ目から避けるのかよ、と驚いたが成功だ。
俺はそこにすかさずもう1つ缶を投げつけ、さらにスプレー缶タイプの課金アイテムを出し、投げつけた。
『ケガノビール 銀貨15枚』
かけたところの毛が伸びるという美容グッズの課金アイテム。
ボルカノスベアルはその体から尋常ではないほどの熱を放出しているので、近づけば引火するかもしれない。そうでなくても爪で弾けば穴が開く。
そうすれば全身の毛が伸びるに違いない。ちょっとくらいは嫌だろう。
だからボルカノスベアルは避ける。
俺達へまっすぐ迫るコースから、大きく円を描くコースに。横っ飛びした着地の瞬間を狙えば、その瞬間にさらに横に跳ぶ。とんでもない運動性能だ。当たる気がしない。
しかし時間はさらに稼げた。
そうして俺達は、道の上に到達した。
「エト様!」
「ああ。皆さんは早く馬車の中へ!」
馬車の中に誘導すると、3人は疑うことなく馬車の中に乗り込んでいく。
御者の行商人見習いと、行商人、その奴隷、冒険者3人の6人。定員オーバーで狭そうだ。
もちろん店員オーバーなのだから、進むスピードは遅いし、「う、動け! 動けよ!」御者が泣きながら手綱を振っても、怯えた馬は動かない。
そうこうしている間に、ボルカノスベアルはグングン近づいてくる。
課金アイテムを投げて時間を稼ぐのも、もう限界だ。
ドスン、という音と共に、ボルカノスベアルは俺達と同じ道に上がってきた。一歩一歩こちらへゆっくり近づいてくる。
さっきからアイテムを投げても、大きく躱すことをしなくなっていた。体をひょいと動かす程度で、躱されてしまっている。癖が読まれたのか見切られたのか。
道から下ろすことすらできやしない。
だから……。
作戦は成功だ。
俺は課金アイテムを3つ購入すると、ボルカノスベアルに向けてその内2つを同時に投げつける。スプレーでもないし、飛び散る缶でもない。
それらはボルカノスベアルの両脇をすり抜けるような放物線を描くよう進んでいく。
当たらないのだからボルカノスベアルは避けない。
最初のように大仰に避けることはしない。正面からゆっくりと、強者の余裕を見せつけながら近づいてくる。
読みは当たった。
動かない馬車に逃げ込めば、余裕を見せてくるだろうと思った。
さっきの馬のように素早く逃げたなら、逃がさないようにさらに素早く動くが、動かない相手なら横着してゆっくりくるだろうと、簡単に避けられる攻撃だと分かったなら、大して動かずに避けるだろうと、強者らしくくるだろうと思った。
そうして俺はそこへ、満を持してそれを投げつけた。
『チョウツヨイマモノモニゲール 金貨8枚』
水風船のような形状のそれは、1つしか入っていないのに金貨8枚もする。魔物に投げ当てて使うようで、当たれば破裂し効果を与える。
偶然2匹にあたるようなことはなさそうだから、金貨8枚で1匹にしか使えないというわけだ。いささか高過ぎる。
しかしそれが命の値段と思えば安い。
俺の投げた水風船は、わずかな放物線を描き、一直線にボルカノスベアルへ向かう。
その両脇を、丁度さっき投げた2つの課金アイテムが通っているので、避ければそちらに当たる。ボルカノスベアルは避けることができない。
胸元に、水風船が命中した。
中に入っていた粉のようなものが舞う。
さあ逃げろ! 俺は心の中で叫んだ。
――だが、分かっていた。
初めから分かっていた。
チョウツヨイマモノモニゲールはきっと、ツヨイマモノモニゲールなんてアイテムもあることから、超強い魔物までの魔物が逃げ出すアイテムなのだろう。
つまり、超強い魔物よりも強い魔物は逃げないのだ。
その判定はきっと、金貨8枚使っていれば、どうにか対策できた程度の魔物ってことだろう。
「グルルルルル」
ボルカノスベアルに逃げる様子はない。
むしろ変な粉を当てられて、不機嫌そうになっただけだ。
ボルカノスベアルは俺に、そして馬車に、一歩近づく。
分かっていた。
正解が果たしてなんなのか。どうすれば良いのか。俺は、全て分かっていた。
読み通りだ。
だから……。
「お下がり下さいエト様!」
「下がってるのはお前だ、アンネ」
アンネが前に出ようとするのを、俺は掴んで止める。
そしてそのまま、馬車の中に押し込んだ。勢いで元々馬車の荷台にいた6人はしっちゃかめっちゃかになる。
だが俺はそれを気にせず、『チョウツヨイマモノニゲール 金貨8枚』の2つ上にある、『フツウノマモノモニゲール 銀貨30枚』を購入した。
そして、馬車の中目掛けてそれを投げる。
野球をやっていて良かった。完璧なコントロールによって投げられた水風船は、馬車の荷台を通過し、前方から飛び出すと、怯える馬に命中した。
『キャリーホース
ジョブ:荷馬
HP:100 MP:100
ATK:56 DEF:57
CO:--』
この世の中にいる生物は、全てが魔物だ。
だから馬は逃げ出す。
俺から。
「ヒヒヒヒーン」
馬に引っ張られ、馬車は動き始める。俺を乗せずに。俺から遠ざかるように。
「エト様!」
アンネが俺を呼ぶ。案の定、馬車から降りようとした。
それを俺は言葉で止める。
「アンネ――逃げろ!」
奴隷は主の命令に逆らえない。
奴隷には、逃げるなという命令をするそうだが、しなくて良かった。
していない理由は、逃げて欲しかったからと、やるタイミングを逃したからで、別にこんな時を予測していたわけではないが、ともあれ良かった。本当に良かった。
作戦成功だ。
俺はくるりと振り向いて剣を抜く。
「うおおおおおおー!」
そして、叫んだ。
それは、俺の中で咆哮という意味を持っていた。
縄張りの主張という、咆哮の意味を。
ボルカノスベアルはおそらく、生まれて始めて、目の前でそんなことをされたに違いない。一瞬何がおこったのか分からないとでも言うように目を丸くした。
しかし次の瞬間、憤怒の形相で吠えた。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオー!」
鼓膜が破れそうだ。耳が一瞬聞こえなくなる。
一身に浴びる殺意に、俺は心底震え上がる。
だがこれで、ボルカノスベアルは俺が死ぬまで馬車を追いかけることはない。
剣は煌々と燃え盛る炎の色をきらりと反射する。
そして微かにだが、俺から遠ざかって行く馬車を、その側面に映した。
顔が判別できるほど、精細には映っていない。
誰も降りていないことが確認できるくらいだ。
心臓が潰されそうなほどの寂しさと恐さと悲しさが襲ってくる。
両親の顔が思い浮かぶ。最近思いださなかった友人達の顔までもが思い浮かんでくる。
凡人に生まれれば良かった。
いっそ天才に生まれれば良かった。
これからアンネに待ち受ける素晴らしい未来に、胸が焼け焦げるほどの嫉妬をもよおす。
しかし案外、後悔だけは、そこになかった。
お読み頂きありがとうございます。
前回更新からまた随分と時間が空いてしまいました。それでも読んで下さった方、本当にありがとうございます。
現状かなり忙しく、年末にかけてさらに忙しくなりますが、それでも更新できるよう頑張ります。
今後もお暇な時に読んでいただけたなら、これ以上の幸せはありません。