第九話 魔女、襲来
ノックに対してどうぞと返すと、入ってきたのはヤマトさんだった。そのまま何も言わずに窓へと進んだ彼は、青いカーテンを開けた。
月明かりを一身に受けて、いつもの赤い服装が青白く染まるヤマトさんは、体はそのままに顔を僕に向けて言った。
「やはりミツキさんも眠れませんか。明日が出発ですからね」
「そうですね、ヤマトさんもですか」
彼は「ええ」と優しい表情で答えた、アヤカもそうでしたと付け加えて。しかし彼は体を僕に向けると、真剣な面持ちで言った。
「ですが私の場合は、大事な話があるからでもあるのです。ミツキさん」
何となくそんな気はしていたが、ではなぜ風呂場に来なかったのかと尋ねると、ヤマトさんはまた微笑みながら、アヤカを寝かしつけていたからですと答えた。
「なるほどアヤカさんが。それで大事な話ってのは何ですか」
ヤマトさんは再び顔から笑みを消し去った。そして僕の瞳の奥を見通すような鋭いまなざしで言った。
「大変申し訳ありません。アヤカを旅に同行させることをミツキさんは納得していただけましたよね。ですが師団長さんはそうではありませんでした」
師団長は彼女が旅についてくることを了承しなかったのだろうか。しかし今日の帰りにアヤカから聞いた。二人で転生者の下に行くので、トラックを使うことになったのだと。
そのことをヤマトさんに伝えると、彼は口を引き結びながら頷いた。
「そうです、何とか合意はしていただけました。ですがそれは、私があることを勝手に決めてしまったからです」
「あることというのは?」
彼は頭を深々と下げた。
「本当に申し訳ありません。ミツキさんは私の息子だから、娘のアヤカも連れていく。そう説得したのです。本当に、本当に申し訳ございません」
頭を下げたままの彼と言葉を交わし、事の整理を図った。
アヤカを連れていくことに師団長が渋ったため、説得の材料が必要だった。クーデターのことを話すわけにはいかないので、それとは別の何かが。
そこで戸籍のない僕をヤマトさんの息子にした。自分の息子を連れて行くのだから、自分の娘も同行させる。そうして説得することで、なんとか許可を得ることに成功した。
事の次第がつかめたところで、ヤマトさんはまたいろいろな謝罪の言葉を口にし始めた。
しかし僕には彼が謝る理由が分からなかった。ここに来てからよくしてもらったし、食事をくれて寝床も貰った。そんな彼が親という存在となったことに対して、さしたる抵抗はなかった。
「大丈夫ですよヤマトさん。蜂起のことを話すわけにはいかなかったんでしょう。それに、ヤマトさんが僕の父親ってことは、またここに帰ってきてもいいんですかね」
ひたすらに謝っていた彼は、驚いた顔をして言った。
「え、ええもちろんです。ミツキさんが良ければですか。しかし、ミツキさんがお嫌でしたら……。ああ本当に申し訳ありません、お嫌でしても私が勝手に言ってしまったので、もうどうすることもできないのです」
また始まった謝罪大会に、僕は笑って言った。
「嫌じゃないですよ。じゃあ僕が前の転生者に会ったあとで、蜂起を止めた後で、またここに顔を出しに来ます。ただいまって言いたかったんですよ、僕は」
そう宣言すると彼は何度も頷きながら言った。分かりました、ここで待っていますと。
「だったらそれでいいじゃないですか。僕は大丈夫です」
「……本当ですか?」
綺麗な青い瞳をぐっと近づけて、ヤマトさんはそう言った。もちろんですと、自信をもって返した時だった。けたたましい音が外で鳴った。
二人して驚いて、並んで窓に飛びついた。すると隣の本部の両開きの扉が、見事なまでに開け放たれていたのが見えた。そしてそこから兵士が一人飛び出している。彼による騒音かと思っていると、その兵士は道路を超えて、テント群の中のテントの一つに飛び込んだ。
するとそのテントに明かりがついた。そしてそこから今度は三人の兵士が飛び出して行った。彼らはそれぞれ別のテントに入っていくと、新たに三つのテントに明かりが灯った。
そこからはもうネズミ算式にテントに光が灯っていって、眼下のテント群はあっという間に真っ昼間になってしまった。
「一体何なんでしょうね、こんなに大慌てで」
その僕の言葉に返事がないのでヤマトさんの方を見てみると、彼の顔は窓の外を向いたまま強張っていた。
「ヤマトさん?」
「あ、ああミツキさん。ちょっと師団長さんのところに行ってきますから、私の部屋に来ててください、すぐに戻ります」
ヤマトさんはそれだけ言い残すと走って部屋を出ていった。何もわからないまま取り残されたので、とりあえずまたテント群を見下ろしてみると、そこはさらに賑やかになっていた。岩場を流れる水のようにたくさんの兵士たちがテント群の外を目指して動いており、道路には戦車までもが動き出している。
屋敷と本部の前を左から右へと、一台の二号戦車と四台の一号戦車が縦に並んで進んでいる。戦車部隊の四分の一ほどだろうか、243の戦車も見えた。
「トモヤさん、何かあったんですか?」
243の戦車から顔を出すトモヤにそう尋ねると、彼はこぶしを掲げて言った。
「魔女を倒すんですよミツキさん」
「魔女? それでトモヤさんは、いったいどこに向かってるんです」
「僕らは行きませんよ、第二中隊はここで待ち構えるんです。このもう一戦車中隊が、第二連隊のいるところに行くんです。第一連隊の展開地に出たそうなんですよ」
魔女が連隊の一番目に出たというのなら、なぜ戦車は連隊の第二に行くのか、そもそも魔女とは何なのか。それらについて僕はさっぱり分からなかったが、それでも彼は去っていった。おそらく同じ車両にいたであろうリカは、操縦しているためか顔も見えなかった。
謎を解くために声をかけたのに、それがさらに謎を呼ぶ事態になってしまったことに戸惑っていると、戦車の消えた方から蹄の音が聞えてきた。同時に「おーいみっちゃん」とも聞こえたので顔を向けてみると、そこには馬に乗って近づいてくるユキさんがいた。
その背後に同じく乗馬した兵士を三十人ほど引き連れている彼女は、後ろの兵士たちに待つように合図してから屋敷の真下にやって来た。
「急いで隠れるか逃げるかした方がいいよ、みっちゃん」
「魔女ってのが来てるんですよね? 一体何なんですかそれは」
早く行こうと急かす赤い毛並みの馬をなだめてから彼女は言った。
「なんて言ったらいいかな。あたしら人間と、それから魔族がいるでしょ、その三つ目の存在って感じかな、世界に二人しかいないんだ」
「世界に二人。それでなぜそんなのが来てるんですか、ここに」
「ごめんみっちゃん時間がないんだ、かいつまんで説明するね」
彼女は語った。
世界に二人いる魔女の内、一人は味方で一人は敵だ。今襲ってきているのがもちろん敵の魔女で、第一連隊がいる場所に現れたらしい。機甲戦力を持たない第一連隊は足止めをするのが精いっぱいで、今も徐々に押されつつあるのだった。
「なるほど。でもさっき戦車部隊の半分は、第一じゃなくて第二連隊のとこに行くって言ってましたよ」
「うん、もう第一連隊には撤退しろって命令が出たんだって。それで魔女が次に向かうのは、第二連隊の展開地か、もしくはここかってわけ」
「なるほど、それで戦車を半分ずつに。じゃあユキさんは何をするんですか、今から」
「偵察部隊は偵察をしないとね。魔女がどっちかに行くでしょ? そしたら行かなかった方にそれを伝えに行くの。そいで戦車を連れてきて、魔女を一気に倒すってわけ」
「戦車で包囲ですか。それじゃあ安心ですね、朗報を待ってますよ」
二十二台の戦車に囲まれて、無事で済む者がいるのだろうか。いや、一台は乗り手がいないので二十一台だ。それでも到底負けるはずはないだろうと思ったのだが、彼女の見解は違った。
「でもさ、よく分からない以上、悪いように考えておいた方が良くない?」
「それは確かに、そうかもしれません」
「早いとこ逃げるか隠れるかしてね、大丈夫ならそれでいいし、そうでないならあれだし」
そう言って彼女は馬を走らせた。三十人は超える彼女の部下たちもそれに追随して闇夜に消えていった。
本当に中隊長だったのだなと思いながら、彼女の言葉通りに僕は急いで一階へと向かった。そしておそらくヤマトさんの部屋であろう、隣の建物なら師団長の部屋があった場所へ向かった。
駆け込んだ先はやはりヤマトさんの部屋で間違いなかった。大きなその部屋のカーペットやカーテンが、ヤマトさんの衣服と同じく赤を基調としたものだったのだ。
しかしやはり師団長の部屋と同じく簡素な部屋だった。色以外での唯一の違いと言えば、部屋の最も奥の壁に二本の刀が飾ってあることくらいだろう。地面と平行になって上下に一本ずつ、赤い鞘で赤い柄の刀が飾ってある。
そんなこの部屋にぽつんと、寝間着姿で枕を抱えたまま立っているアヤカは眠そうに目を擦っていた。
「あ、お父さん、じゃなかった、ミツキさん、こんばんは。おやすみなさい……」
アヤカはそう言って後ろへと倒れ掛かった。慌ててアヤカを両手で掴むと彼女はすでに寝息を立てていた。力の抜けたその体をゆすってみたが、何の反応も返ってこない。
彼女の名前を呼びながら、二度三度と前後に振っていると突然に背後で鳴った爆音によって、僕もアヤカも飛び上がった。
「何をしているんだ! 着替えておくように言っただろうアヤカ!」
扉を壊すような勢いで部屋に飛び込んできたヤマトさんは、アヤカを見るなりそう言った。初めて聞いた彼の大声に驚いたのは、おそらくアヤカもそうだった。
「だ、だって、いきなりそんなこと言われても……」
怯えるアヤカに対してヤマトさんは膝をつき、彼女と目線を合わせてから言った。
「すまないアヤカ。でも今はとにかく着替えてほしいんだ。そして着替えたら」
彼はそこまで言うと僕の方を向いて、ミツキさんもこちらへと言った。アヤカの手を引きながら、速足で進むヤマトさんを追って部屋の中央まで来ると、彼はその真下のカーペットを押しのけて、取っ手の付いた長方形の床に手をかけた。
そして掴んだ床を唸りながら引き上げた彼は、地下へと続く階段を出現させた。
「ここに隠れるんだ。ミツキさんも何かあればここへ」
「ですが今は」と彼は続けた。
「師団長さんに頼みます、ミツキさんを直ちに出発させてもらうように。少々お待ちを」
そう言ってヤマトさんは部屋の奥まで歩いて行った。そして壁に飾ってあった二本の刀を外した。そして腰の左右にそれぞれ刀を挿した。
彼のマントは腰の位置で切れており、上向きに反って突き出た鞘が邪魔にならないようになっていた。
「ではついてきてください」
有無も聞かずに歩きだす彼についていく途中、その刀は何なのか、魔女とはどんな人物なのか、さまざまに尋ねてみたが答えは返ってこなかった。ヤマトさんの深刻そうな表情から察するに、そもそも耳に入っていないように思えた。
そうして屋敷を出ると、目の前の道路を戦車が通過していた。
先ほどは右に向かって進んでいたが、今は左に進んでいる。243の戦車を見つけて僕は声をかけた。
「もしかして、第二連隊のとこに行くんですか? トモヤさん」
「ええそうですよミツキさん。向こうに出たみたいです。これから中隊と合流して倒しに行くんです」
彼のその言葉を聞いていると、隣からひょっこりとリカも顔を出した。
「ああリカさん。リカさんも気を付けてくださいね」
「ありがとうございますミツキさん。でも、私たちには戦車がありますから」
その考えにこそ気を付けてほしかったのだが、それを伝える間もなく彼らは行ってしまった。
僕の中ではいまだに正体不明の存在「魔女」。そんな魔女との戦いが始まろうとしているのだなと何の実感も得られずにそう思っていると、遠くの方で、本当に遠くの遠くの方で乾いた銃声が聞こえたような気がした。