第六話 使命
落ちる太陽を眺めながら屋敷に戻る途中。
すれ違った兵士たちの赤く照らされた顔には、どこか達成感のようなものが見えた。アヤカがする彼らへのあいさつも「お疲れ様です」に変わっている。
屋敷に戻った僕らを出迎えてくれたのはヤマトさんだった。彼は色鮮やかな花柄のエプロンと三角巾を、その赤い衣装の上から身に着けていた。
「お帰りなさいミツキさん」
「ど、どうも」
「ただいま! お父さん!」
屈託なくただいまと言えるアヤカが、なんだか羨ましく思えた。異なる世界からやって来た僕が、果たしてただいまと口にする日は来るのだろうか。
「お帰りアヤカ。ミツキさんはこれからどうなさいますか? お風呂、お食事、それとも」
「そ、それとも?」
「もうお休みになさいますか?」
「あ、ああなるほど。ええっと、アヤカはどうする?」
「私はお風呂に入りたいです!」
「じゃあ僕は先に食事にして、その後でお風呂にしたいです」
「分かりました。じゃあアヤカは先にお風呂に。ミツキさんはこちらへどうぞ」
「はーい!」
「分かりました」
すでに場所は覚えていたが、それでも案内するというヤマトさんに続いて食堂に入ると、大きなテーブルにぽつんとお皿が二つずつ、横にならんで置いてあった。
僕がその一つに着くと、ヤマトさんは部屋の隅にあるカートへと向かった。三段となったその一番上には、バスケットと大鍋が乗っている。
ガラガラと僕のそばまでそのカートを押すと、ヤマトさんはお皿の一つにガーリックトーストを、もう一つには大なべからクリームシチューを注いでくれた。
そうして僕の反対に座ったヤマトさんだったが、最初から最後まで彼は常にぎこちなく動いていた。スープをすくうお玉を持つ手は震えていたし、バスケットから取り出したパンも一つ落っことしていた。極めつけには彼が椅子に座るまでの間、その左右の手足が同時に出されていた。
「パ、パンもシチューもおかわりがあります。どうぞ召し上がってください」
上ずったその声にいただきますと返してスプーンを取ったが、やはり食事の最中でも彼のことが気になった。
ヤマトさんがまるで、主人の指示を待つ忠犬かのように僕の顔をじっと見つめてくるのだ。それが気になってしょうがないのでヤマトさんのほうを見ると、今度なぜか逃げるように目線をそらされてしまう。
そんな視線の攻防を何度か繰り返していると、いつしか彼は汗をかいてもいないのにしきりと額をぬぐったり、手をそわそわとテーブルの下で動かしたりするようになっていた。
「どうしたんですかヤマトさん」
「い、いえ、なんでもありません」
じれったさからそう尋ねたがはぐらかされてしまった。だがやはりそう答えた次の瞬間にも、ヤマトさんは落ち着きなく手をこすり合わせている。
その真意を知ることができないまま、ついに食べ終えてしまった時だった。謎の緊張が走るこの大きな食堂の扉が勢いよく開いた。
「ふぅ上がりました。次いいですよミツキさん」
青い寝間着姿のアヤカが入ってきた。湯気ののぼる彼女の頬と鼻の先は赤くなっており、その肩にはタオルがかかっている。
「で、では案内しますミツキさん」
そう言って席を立ち、風呂場まで先導してくれるヤマトさんだが、その足取りはやはりどこかおぼつかなかった。先ほどの様子から考えても、彼は何かを思い悩んでいるように見える。
何かあるのかと再び問うと、またも慌てながら誤魔化され、ならばと僕も気にするのはやめようと決めた時だった。屋敷の右側の最奥にある、のれんのかかった入り口へとたどりついた。
その赤い垂れ布をくぐって奥に進み、一度角を曲がった先。そこにはまるで銭湯かのような大きな脱衣所が広がっていた。曇った鏡の洗面台に、丸い測定器がついた体重計。そして脱いだ服を入れるためのかごが、部屋の端の棚に三段になって並んでいた。
驚く僕を残して、ヤマトさんはそそくさと去っていった。
他に何と表現しようもなく、ここはまさに銭湯の脱衣所だ。床は温かみのある木製で、脱衣所の真ん中には長椅子がおかれている。惜しむべきは牛乳の入ったガラスの冷蔵庫がないことくらいだろうか。
感心しながら服を脱ぎ最寄りのかごに投げ入れてから、僕はすりガラスの引き戸をガラガラと横に引いた。
この大きな屋敷によく似合う、大きなお風呂がそこにはあった。その広い湯船に加えて、手前のタイル張りのところの壁際にはシャワーまでもが備わっている。
風呂につかる前にとシャワーの前の小さな椅子に腰を下ろすと、さらに驚かされた。シャワー周りまでそっくりそのまま、元居た世界の銭湯のようになっていたのだ。
ボタンを一度押すタイプのシャワーと蛇口が一体となった装置や、そこに伸びる温度を調節するレバー。そして最後にプラスチックのボトルに入った、シャンプーとボディーソープが備え付けてあった。
元からこんなお風呂があったとは思えないし、おそらくこれも転生者によるものなのだろう。
ありがたく使わせてもらおうと、まずはシャワーのボタンを押した。シャワーノズルから無数の線となってお湯が伸び、体を上から下へといきわたる。
頭のてっぺんから顔、首、そして耳の裏へとノズルを巡らせて、その心地よさに浸っていた時だった。背中の方からガラガラと、扉が開いた音がした。
驚いたがボタン式なのでシャワーはすぐには止まらない。勢いが収まるのを待ってからノズルを戻し、振り返った先にいたのはタオル一丁のヤマトさんだった。
その体は年齢を感じさせないほど引き締まっていた。全身に程よく筋肉がついており、特に腹部は高低差こそ控えめながらも六つに割れているのが見て取れた。そんな彼のうっすらと血管が浮き出た太い右腕には、腰の物に加えて二枚目となるタオルがかけてあった。
「ヤ、ヤマトさん……?」
神妙な面持ちのまま、彼は口を開いた。
「ミツキさん、お背中は流しましたか?」
「いや、まだですけど……」
それはよかったと言って僕の後ろに小さな椅子を一つ置いた彼は、そこにどっしりと構えた。
「さあ取ってください」
ボディーソープの入ったボトルを指しながらヤマトさんはそう言った。
恐る恐るそれを渡すと、彼はへこへことタオルで僕の背中を洗い始めた。
アヤカよりもずっと大きい両手が僕の背中を上下する。
だがしかし、なぜこんなことになっているのだろうか。どうしてヤマトさんは入ってきたのだろうか。これまでのぎこちない態度と、それらは関係しているのだろうか。
それらの疑問がまさに背中の泡のように膨らんでいる最中だった。なんの前触れもなくヤマトさんは口を開いた。
「ミツキさん、先ほどは言えなかったのですが、実は大切な話があるのです」
「は、はあ……」
不器用な私にはこうするしかなかったと言って、彼は一言謝ってから続けた。
「ミツキさんは転生者様に会いに行くのですよね」
「はい。そうですね」
少しの空白があって、彼は続けた。
「大事な話というのは頼み事なのです。アヤカをその旅に連れて行ってはいただけないでしょうか」
「え? アヤカさんをですか?」
思わず聞き返した。まさか彼女の名前が出るとは思ってもいなかった。
「ええそうです。 もちろん理由はお話ししますが、なにとぞ他言無用でお願いします」
僕の背中を擦る彼の手に、少しだけ力が込められた。
「わ、分かりました。それで理由っていうのは?」
「師団長さんから聞かれたと思います、転生者様によってこの国が大きく変わったと。実は私も、その大きく変わったものの内の一つなのです」
彼は静かに語りだした。
「あの大きな壁の内側にあるこの国の領土は、かつて三つに分かれていました。それらが転生者様によって統一される以前に、三つの内の一国を治めていたのがこの私、サクマヤマトなのです」
「ってことはヤマトさんは王様ってことですか?」
「ええ。しかし「元」がつきます。ですから私も、転生者様によって変わったものの一つなのです」
なるほどと納得した。言われてみれば確かに、彼の立ち振る舞いや恰好にはそう思わせるものがあった。かつて王様だったと聞かされた今も、驚きはしても疑いはしなかった。
「本題はここからです。国が統一されることで、政治体制も大きく変化しました。それによって生まれによる階級の差はなくなりましたが、それは当然、王や貴族の地位がなくなることも意味していました」
ヤマトさんが僕の背中を擦る手は、また少しだけ強くなった。
「かつての貴族の中にはそのことに不満を募らせているものが多くいます。そしてその一部に、組織的な反乱を企てている者もいるのです」
「貴族が反乱を。それでなぜアヤカさんが?」
「アヤカは私の娘です、アヤカに反乱を止めさせます。彼らの多くは今も私を慕ってくれています。反乱についての詳しい情報も、暗号に乗せて私に教えてくれたのです。私が反対するとは知らずに」
少しの沈黙が訪れ、同時に彼の手は止まったが、またすぐに動き出した。
「私が直接動くわけにはいきません。かつての王としてこの辺境の地に縛り付けられた今の私には。だからこそ私の娘に反乱を、アヤカに彼らの武装蜂起を止めさせなければならないのです」
「ぶ、武装蜂起……」
「向かうべき場所、するべき行いはすべてアヤカに教え込みます。決して迷惑はかけさせません。どうか、どうかお願いします。私の娘をミツキさんの旅にお供させて下さい」
ヤマトさんの大きな手には、その思いが強く込められていた。
「ここの人たちに頼むってのは駄目なんですか?」
「国家への反逆は、企てるだけで死刑と決まっています。今も私を慕ってくれている者を死なせないためには、彼らに知られないうちに食い止める。これしかないのです」
か細い声でヤマトさんはそう言った。年端もいかない娘にすべてを託すことしか出来ない彼の、そのやりきれない思いが声に詰まっていた。
そんな彼の必死の願いを断る理由はなかった。それに僕には一飯の、いや二飯の恩があるのだ。むしろ力になりたいとさえ思った。
「分かりました。僕にできることがあるのなら協力しますよ」
「ありがとうございます。ですがアヤカの同行を許可してくだるだけで十分です」
アヤカ一人に任せるのは不安が残るのではないかと尋ねたが、ヤマトさんは大丈夫だと言って、僕の申し出をきっぱりと断った。
「ミツキさんが少しでも関われば、今度はミツキさん自身に危険が及びます。それは私の娘だけで充分です」
何度も手伝うと申し出たが、やはり返事は決まっていた。仕方がないのでここはひとまず了承しておいて、その時になったらアヤカを手伝おうと決めた。
「分かりました。じゃあ僕は何もしないでいいんですね」
「ええ大丈夫です。それと先ほども言いましたが、このことはくれぐれも内密にお願いします」
「もちろんです、誰にも話しません」
僕がそう答えるとヤマトさんは、ありがとうございますと言って小さな椅子から立ち上がった。そして出口へと確かな足取りで向かい、すりガラスの前で一礼してからこのお風呂場を去っていった。
ふうとため息をつくと、体の力まで抜けていきそうになった。眠気が来る前にと急いで泡を落としてから、残された頭を適当に洗い、一歩一歩タイルを踏みしめながら湯船に向かった。
そうして、肩までお湯に浸かりながら考えた。かつての転生者がいろいろなものを生み出してきた中で、同じく負の面も生まれていたのだなと。
電気や銃、戦車を生み出した半面で、同時に行われた改革に不満を持っている者もいる。どちらが正しいのかは分からないが、僕はただ、彼の願う武装蜂起の中止を目指すだけだ。
そう決心し、今は心地よい湯船に身をゆだねて、ただひたすらに天井をぼーっと眺めている最中だった。危うく寝かけた。
大きく頭を振り、頬を叩いてから風呂を上がる。体を拭き、元の服に着替えて脱衣所を出ると、しんと静まった廊下の涼しさが今の僕には心地よかった。僕が眠っていたあの部屋を目指して屋敷の真ん中へと進み、階段に足をかけると食堂のほうから声がした。
「ミツキさん! おやすみなさい!」
アヤカは楽しそうにそう言った。その笑顔から見ておそらく、まだあの話を聞いていないのだろう。
「おやすみ、アヤカ」
あの話を聞いたアヤカは一体どう思うんだろうか。年端もいかぬ彼女に託された願いはあまりにも大きすぎるはずだ。
ならばこそ、僕がアヤカにできることはすべてやろう。そう決心したところであの部屋の前にたどり着いた。
部屋に入るなりベットに飛び込み、毛布で体を包むと睡魔はすぐにやって来た。
影に会いたいという気持ちは微塵もわかぬまま、僕の意識は地面へと溶けていった。






