第四話 我が奔走
「着きましたよミツキさん!」
「すぐ横なんですね」
今日一日案内をしてくれるというアヤカに続いて屋敷を出ると、外ではトラックが走っているし銃を持った兵士たちがあちこちにいた。
彼女の服装からして時代が一つや二つは飛んだような光景が広がっているというのに、彼女はそれを気にも留めない。
それらの疑問を解決してくれるという師団長とやらに会うため、アヤカが案内してくれた先は屋敷のすぐ横にある建物だった。
「見た目は屋敷と全く同じなんですね!」
僕らが立っている脇道の、そのすぐ後ろの道路を行き来するトラックのせいでつい大声になる。
「中身もそうですよ! 使い道は違いますけどね!」
瓜二つの豪華な屋敷が横に二つ並んでいる。
だがそんな光景も、その後ろにそびえる巨大な壁と比べるとやはりインパクトに欠けていた。
屋敷の二倍はあろうかというこの灰色の大きな壁についても、師団長というのが教えてくれるらしい。何度見ても圧巻なその壁を感心しながら眺めていると、アヤカが僕の手を取って言った。
「ところでミツキさん、そろそろ敬語なんて必要ないと思いますよ!」
「本当ですか。アヤカさんがいいならそれで」
「アヤカ、です! ミツキさん!」
「じゃあ僕もミツキでいいよ、アヤカ!」
「いえいえミツキさんは転生者ですからね! さあ行きましょう!」
「あ、そう……」
少しの悲しさを感じながら僕は彼女に続いた。
入り口となる大きな扉さえ屋敷の物と全く同じだった。しかしその横には屋敷とは違い、「第二師団司令部」と書かれた木の板が下がっていた。文字の部分は漆で塗られたその看板を横目で見つつ、アヤカを追って建物の中へ入ろうとした時だった。
「危ないっ!」
「ひゃあ!」
アヤカが扉を開けた途端に、一人の兵士が建物から飛び出してきた。まさに突進と呼ぶべき勢いで出てきた兵士ではあったが、その彼がなんとか体をひねったおかげで、アヤカと僕とをすんでのところで避けた。
しかしそのせいでアヤカは派手にしりもちをついてしまったし、兵士はそれよりもさらに派手にずっこけて、持っていた書類を地面にぶちまけてしまった。それらが細い脇道を超えて道路にまで散らばったこともあって、トラックの車列が高い音を立てて止まった。
「いてて……。あ、ご、ごめんよ!」
彼はそう言って起き上がったかと思えば、すぐに散らばった書類を集めに動いた。そして再び一つとなったそれを大事そうに抱えると、本当にごめんよと言い残して、手を何度も振って反対車線のトラックまで止めると走って道路を横断して行った。
テント群へと消えた彼の通った後には、まるで足跡のように鮮やかな血痕が続いていた。再び活発となったトラックの往来がその血痕を何度も踏む。
あまりの出来事に一言も発せなかった僕だったが、その血の色で我に返った。
「大丈夫?」
「はい大丈夫です。あの人も大丈夫でしょうか」
そうは言いながらもその薄いピンクのくちびるをとがらせながら、しりもちをついた際にドレスについた土を払うアヤカ。彼の身を心配してはいるものの、それはそれこれはこれということだろうか。
幸運にも鼻血を流した彼とは違いアヤカにけがはないようだった。そのことに安心していると、彼女は満足がいったのか最後にもう一度手で土を払ってから、よしと意気込んで建物に向き直った。そして今度は慎重に、奥の様子を伺いながら彼女は大きな扉を引いた。
ほんの一瞬の間に様々なことが起こったこの場所を後にして、僕は建物の中へと足を踏み入れた。
アヤカの言った通りに中身まで全く一緒の建物の中を見渡して一番に気づいたのは、忙しいのはあの兵士だけではないという事だった。
この建物にいる兵士は誰もが、書類を抱えたり機材を運んだりしながらその中を駆け回っているのだ。外にいる兵士達とは違い、ヘルメットではなく帽子をかぶった彼らの忙し気な足音が二階からも聞こえてくる。
そんな彼らの邪魔にならないようにと壁に沿って進むアヤカを追って、師団長がいるという一階にある部屋の前までやって来た。
この部屋は、建物の一階の左半分をほとんど使うかのような作りになっていた。その両開きの扉へとノックをしようと手を伸ばすアヤカに僕は尋ねた。
「大丈夫なのアヤカ? みんな忙しそうだけどさ」
「はい! たぶん大丈夫ですよ!」
たぶんという言葉に引っかかったが、そんな僕の気も知らずアヤカは扉を二度叩いた。どうぞという男の声が返ってくると、彼女はその取っ手を引いた。
「ようこそ! 待っていましたよ。アヤカちゃんにミツキさん!」
大きな部屋の中にいたのは一人の男だった。欧米的な顔立ちに緑の目を持つ男。彼は僕らが入ってくるなり席から立ちあがると、さわやかな笑顔を見せながらそう挨拶した。
そんな彼の年齢はそこらにいた兵士と変わらないように見えた。
しかし彼の上着の肩や襟についた装飾や、帽子の正面と右の胸ポケットの上についた金のワシの刺繍が、彼が間違いなく階級の高い人間であるという事を物語っていた。
それはこの大きな部屋もそうだった。建物の構造から見て取れたように、僕の寝ていた部屋が四つか六つは入ってしまうほど広い。
だがそんな大きなこの部屋で家具と呼べるものは、入り口から最奥にある彼の机と彼がちょうど今立ち上がった椅子、そしてその後ろにそびえる本棚だけだった。
あとは窓が左手に等間隔で二つあるだけで、ただ大きいだけのひどく殺風景な部屋だった。飾り気のない白い壁紙が余計にそう思わせる。
「任務完了です! 師団長さん!」
「ご苦労! アヤカ君!」
びしっと決めたアヤカの敬礼に同じようにして返した師団長は、僕の前へ歩いて来るなり右手を差し出した。
「どうぞよろしくミツキさん。転生者だそうですね」
「はい、よろしくお願いします」
顔を間近で見ると、余計に若さが印象に残った。その年齢はおそらくヤマトさんの半分も無いだろう。影いわく18だという僕から見て、おそらく2歳か3歳くらい上に違いない。
固い握手を済ませると師団長は続けた。
「僕はこの師団のリーダーをやっている、イガサキです。みんなからは師団長って呼ばれています。僕もこの仕事に誇りを持っていますからね、ぜひ師団長と呼んでくださいミツキさん」
「分かりました、師団長さん」
僕の名前を知っているところからして、僕が自己紹介をする必要はなさそうだった。いや、そもそもそんな間もなく彼は続けたのだが。
「ところで、この国の歴史について話してほしいと言われたんだけど。それでいいのかな、アヤカちゃん」
「はい! よろしくお願いします!」
アヤカは僕の方を向いて言った。
「ミツキさん、この国の歴史を知ればミツキさんの謎もきっと解けますよ!」
トラックに銃、そしてあの巨大な壁。それらの謎を解くにはまず歴史からということだろうか。
「じゃあぜひともお願いします、師団長さん」
「分かりました、お任せください! ではこちらにどうぞ」
師団長はそう言って部屋の奥にある自身の机を手で示した。上機嫌な足取りでそこへと向かう師団長に続くと、彼はその後ろからパイプ椅子を取り出してきて僕らの前に二つ並べた。そしてそれらと向き合うようにして自身の椅子を引っ張り出してきた。
話すと長くなりますからねと言った彼はパイプ椅子に座るよう僕らに勧めた。
「失礼します!」
「失礼します」
三者面談のような配置だ。そこに腰を下ろしたところで窓の外で素早く動くものが見えた。テント群と道路の間を忙しそうに走るその人物は先ほど出会った兵士に違いない。鼻や口元に乾いた血が見えたのだ。
「そういえば皆さん忙しそうでしたけど大丈夫なんですか?」
「ああ大丈夫ですよ、私の役目はすでに終わってますからね。ただ、明日は忙しくなるでしょうけど」
それを聞いたアヤカは意気揚々と師団長に尋ねた。
「明日ってもしかしてアレですか?」
「そうともアレさ、たぶん明日の朝になるんじゃないかな。おっと話がそれましたね、この国の歴史について話すとしましょう。とはいっても簡単にですけれど」
「お願いします」
「たぶんミツキさんが一番気になっているのは、私たちの進んだ技術じゃないでしょうか? まあさすがにミツキさんの元いた世界よりは劣っていると思いますが」
「そうですね、銃やトラックだなんて驚きました」
「そうでしょうそうでしょう。かく言う私も五年前は、兵士といえば剣を持つものだと思っていましたし、物資を運搬するものといえば馬車でした」
「五年前……」
「そうです五年前。僕たちの常識をひっくり返したのがあのお方というわけなんです。ミツキさんも出来ますよね、人の能力を見ることが」
「人の左右に出てくる二つの数字ですか?」
「ええそうです、ちょっと僕のを見てもらえませんか」
分かりましたと返事をし、見えろと呟き彼を見た。
「師団長さんから見て右手に17、左手の方には420って見えます」
「ありがとうございます。この数字はですね、右が魔力、左が気力を表しているんです。アヤカちゃんのは見ましたかね、たぶん僕のと同じで左の気力ってのが高かったはずです」
「ええ、確かにそうでした。逆に右の魔力というのは師団長さんみたいに低かったですけど」
「ええそうでしょう。この国の人々は、我々人間はみんなそうなんです、気力はあるけど魔力はない。でも逆に魔力の方を持つ人々もいました。そんな彼ら魔族は魔法が使えたんです。特に魔女はね」
「魔族に魔法。魔女……?」
僕がそうつぶやくと、師団長は一言謝って座り直して続けた。
「また話が脱線しちゃいました。我々の歴史について話すんでしたね。我々が気力を持つということが発見されたのは今から十年前になります。そしてその年こそ、転生者様がこの世界にいらっしゃった年になるんです!」
単調で客観的だった彼の語り口は、転生者様という単語が出たとたんに熱を帯びた。
「気力によって成し遂げたんですよ! 我が民族が内に秘めていたこの力こそが! それこそが今に至るまでの近代化の鍵というわけなんです。転生者様と我々はこの力を研究しました。そしてついに気力から、原油と火薬、そして電気を生み出せることを突き止められたのです!」
身振り手振りでは満足できなかったのか、ついに彼は立ち上がった。
「転生者様はそれらを活用する方法さえもお持ちだった! 火薬は銃という新たな武器を生み出し、電気は夜を昼に変え、油は鉄の塊を走らせました! つまり我々の発展は我らが内なる気力にあり、ひいてはそれを発見し、活用して下さった転生者様にあるんです! 我らが偉大なる総統閣下のその奔走にこそにあるのです!」
彼の熱意に気圧されながらなるほどと思った。いや他に何も思わなくなるくらい、彼の口ぶりには大きな喜びと少しの怒りが混じっていた。
「じゃあどうやってあなた方の気力からそれらを生み出すんですか?」
僕のその質問に対して師団長は椅子に戻り、一呼吸してから答えた。
「それはこの発展の根幹となる情報ですからね、僕も詳しいことは知りません。でもまあ要するに、この十年に及ぶ転生者様の尽力によって我々はここまで発展を遂げたというわけです。それはご理解していただけましたか?」
僕より十年前にやって来た転生者が、その歳月を持って大きな技術の発展を行った。
だがしかしそうは言っても十年だ。戦車を走らせるのにだって原油だけで出来るわけじゃない。火薬さえあれば銃が出来るわけでもない。エンジンや薬莢といったさまざまな部品を作ることも必要なはずだ。先代の転生者はたった十年で果たしてそれらも成し遂げたのだろうか。
いや、外でトラックが走っていて、さらには銃を持った兵士たちがあちこちにいるのだ。彼は開発と量産に成功し、だからこそ総統閣下と呼ばれているのだろう。
だがその他に一つだけ、どうしても理解できない部分があった。
「えっと、一つ質問なんですけど。トラックや電気の開発は分かるんですが、どうして銃なんて作る必要があったんですか? そしてなぜここにはその銃を持った兵士がたくさんいるんですか」
「ああそれはですね、今戦争をしているからと、ここがその最前線だからですよ」
師団長は、顔色を全く変えずにそう言った。僕にとってはなじみのない戦争という言葉を。彼はまるで簡単なことですとばかりに発したのだった。
「せ、戦争、最前線。それってアヤカやヤマトさんは?」
彼らはどうなるのかとアヤカの方を見るが、何か問題でもあるのかと言わんばかりに、彼女はきょとんと首をかしげていた。
「それについては大丈夫ですよ。ここが最前線とは言っても、直接敵とにらみ合っているわけではないんです。それに戦争といったって、まやかし戦争だと言われるくらいには何の音沙汰もありませんし」
「じゃあここはまだ大丈夫なんですか? そもそも何と戦うんです」
「魔族ですよ。魔力によって我々を支配し続けてきた魔族と戦うんです」
魔族。師団長は言っていた、その者たちは魔力を持ち魔法を用いるのだと。
「勝てるんですか?」
「もちろんですよ。我々は銃ですが奴らは剣です。それに我らの力の象徴たる戦車も。続々と壁の向こうで生み出されていますしね」
それを聞いたアヤカが嬉しそうに言った。
「そしてその戦車は明日ここにも到着するんですよね!」
「その通り! だからみんな忙しそうなんですよ、私以外はね!!」
あっはっはと笑い合うアヤカと師団長だが、どうにもその雰囲気に飲まれることはできなかった。
それはここが最前線だと聞かされたからでもあった。ただそれと同じくらいに、十年前にやってきた転生者に興味がわいたからでもあった。銃やトラックに戦車を作り、これから戦争を始めようという先代の転生者に。
「戦車って言うと、キャタピラがついてる奴ですか」
「ええそうですよ。さすがにチャリオットのほうではないです」
くすりと笑いながら言う師団長だが僕の疑問は終わらなかった。
「じゃあもしかして、あの巨大な壁も転生者様が?」
「そうですとも、あの大きな壁は転生者様と我々とで力を合わせて作ったんです」
僕がこの世界に来てから驚かされたものはすべて、かつての転生者によるものだった。その事は、僕の抱いた転生者への興味をよりいっそう強めた。
「その転生者様は今どこにいらっしゃるんですか? 遠くだとは聞いたんですが」
「それについては位置関係を先に話さないといけませんね。あの壁は大きな円を作っているんです。そして私たちがいるのがその円の外側の真北に当たります。円の入り口はその反対の南にだけにありまして、そこから入った円の中のその一番北の街、首都であるブライゼルに転生者様はいらっしゃいます」
師団長の言葉を基に、頭の中に地図を浮かべた。つまり壁は視力検査でいう下を表すマークになっているのだろう。僕らはてっぺんに立っていて、それを隔てた向こうの側に先代の転生者がいる。
「えっと、つまり直線距離だとすぐそこですけど、実際に行くとなるとぐるっと回らないといけないってことですか?」
「そうですね、そうなりますね。でですねミツキさん、ミツキさんさえよければなんですが、転生者様にぜひとも会っていただきたいんです」
「本当ですか。僕も会いたいなと思っていました。ここは最前線だそうですし、できたらすぐにでもがいいんですけど……」
「ああすいません、私も出来ればそうしたいんですが、先ほど言ってた通りに明日には戦車が来るんです。ですから出発の用意ができるのは明後日になりそうなんですけど、それでもよろしいですか?」
明後日ならば文句はなく、むしろ感謝だけがあった。
「はい。ぜひともお願いします」
そう決心を固めたところで、これまで黙っていたアヤカが口を開いた。
「てことはミツキさん、もう行っちゃうんですか?」
彼女の方を見るとそこには寂しそうな表情があった。そんな顔を向けられた僕も戸惑いを覚えたが、転生者に会ってみたいという思いほうが少しだけ勝っていた。
「う、うん。そのつもりなんだ」
僕の返事を聞いて残念そうにしたアヤカを見てか、師団長は僕に近づいて、うつむいて口をすぼめる彼女には聞こえないようにか小声で言った。
「ここではミツキさんが一番、アヤカちゃんと年が近かったですからね。ミツキさん歓迎作戦も一生懸命考えていたんですよ。ですがまあ、ここは私に任せちゃってください!」
そう言って右目をつむって右の親指を立てた師団長。
「お、お願いします」
僕がそう言うと、師団長は二度の空咳の後に声色を明るくしてアヤカに言った。
「よーしアヤカちゃん! せっかくだから、『我が奔走』についての研究をミツキさんと一緒にしようか!」
師団長がそう言うと、さっきまでの悲しい顔が嘘だったかのようにアヤカは満面の笑顔になった。
「本当ですか!」
ちょっと待っててねと言った師団長は、本棚から二冊の本を取ってくると一冊を僕に手渡した。辞書と変わらぬ厚さを持つ本は、それに見合う非常にずっしりとした重さを持っている。
その本のタイトルは『我が奔走』。作者は転生者とある。これは僕が目覚めたときにアヤカが読んでいたものだ。まさか作者が先代の転生者だとは思っていなかったが。
作者の欄に名前ではなく肩書があるのは、彼が名前を失って転生したからだろうか。
アヤカの分がなかったが、彼女はそれを青いドレスの胸元から取り出した。黒い表紙に金の文字の『わが奔走』だった。それはとは違って僕の渡されたこの本は白の表紙に黒の文字のものだった。
「ミツキさん、アヤカちゃんのは転生者様のサイン入りなんですよ!」
「はい! 自慢の一冊です!」
「これは一体何の本?」
そうアヤカに尋ねたのだが、答えたのは師団長だった。
「これは偉大なる転生者様がこの国の指導者となった際に、国家を率いる総統となられた際に書かれた物なんです。転生者様の五年間の奔走の軌跡や、その中で得られた教訓が書かれているんですよ!」
「素晴らしい言葉の数々が書かれているんですよミツキさん! ぜひ読んでみてください!」
本の概要を語っただけだというのに、二人の顔は笑顔で満ちていた。そこまで言うならと開いてみると、目次からして難しい言葉が並んでいた。第一章、私の元居た世界。第二章、アリタでの研究の年月。第三章、アリタで得られた政治的考察。
これだけでも少しの眠気を感じた僕は、急いで本文の一ページ目を開いた。
『最初が最も難しいというのは、私がこの本の書き出しに苦労しているところからして間違いないですね。どうも、転生者です。私がこのヴィゼントルムの最高指導者となったことを記念して、本を書くことにしました……』
本の初めの数行を読んでいるだけで意識が持っていかれそうになった。恐ろしいほどの強い眠気が僕を襲ったのだ。
それは何度やってもそうだった。文字を追えばまぶたが降り、句点にたどり着くと首が落ちる。
五度目の挑戦の後に諦めて、仕方がないので本を閉じ、何やら盛り上がる二人の会話に耳を傾けた。
「そうそう! それはこの本の言葉の中でも特にいいね!」
「はい! 「爪は足から切れ」に、勝るとも劣らないと思います!」
「でもやっぱり、一番をとなると難しいね。「禁忌は損気」がいい線だと僕は思うな」
本の格言で一番を決めているのだろうか。なんにせよ、僕が蚊帳の外に置かれているのは間違いなさそうだった。
「もちろんもちろん! でも、「毛布は布団の上にかけた方が温かい」って言葉のほうが素敵じゃない?」
「いえいえ譲れませんよ! 絶対に「転ぶ前にしゃがめば転ばない」のほうが偉大です!」
「まあそこはいろんな解釈があるからね、確かにそっちの方が。いや、でもやっぱり僕は……」
白熱する二人の議論の決着には、まだまだ時間がかかりそうだった。その時間を埋める物を探していると、例の我が奔走がぴったりそのまま当てはまった。せっかく眠くなるのだから、これを活用しない手はない。
……。
…………。
ひと眠りから覚めた僕は、空腹感を覚えるようになっていた。だというのに目の前の光景には変化がない。嬉しそうにあれこれ言葉を交わす師団長とアヤカがいる。
「やっぱりね、数ある言葉の中でも一番を決めるとなると「我が夢は有名である」でしょう、アヤカちゃん」
「一番ですからね、私も譲れませんよ! 絶対に「借りた本の帯を捨てる友人こそ捨てろ」です!」
二人はついに候補を二つにまで絞ったようで、互いにいろんな方向からの議論を続けていた。そして、お互いに譲れない戦いであることを悟った二人は、その判断を僕に委ねた。
「この言葉があってこその転生者様なんですよ! 分かっていただけますよね!」
そう言う師団長に負けじとアヤカも力説した。
「すべての格言の根本原理があの言葉なんです! 分かりますよねミツキさん!」
「ええっと。えー……」
本を読むと眠くなるのでさっぱり読んでいないのだと言える雰囲気ではなかった。どちらの言葉が一番なのかに対して全く興味がないのだとも。
「どっちがいいんですか! ミツキさん!」
詰め寄る二人から後ずさった拍子に僕のお腹が鳴った。
「ぼ、僕は「腹が鳴ったら食事にするべきだ」が一番だと思いますよ」
適当に作った言葉だったが、彼らは驚いた顔をして互いを見合った。そして次の瞬間には僕を指さして「それだ!」と二人は言ったのだった。