第二十七話 最強の恐竜
先ほど通った中庭に、見知らぬ人物が二人いた。どちらも給仕服に身を包んでいる。一人は肩までの黒髪と茶色い目を持つ女性で、顔立ちはルナにそっくりだった。ルナが言っていた、中庭にいるはずの姉とは彼女のことだったのだろうか。その背は僕よりもやや高かった。
「うーん、やっぱりさっぱり分かんないなあ。もう一回いい?」
ルナの姉であろう人物にそう尋ねられた女性。少女とも呼べそうな彼女は他のメイドたちよりもやや若い印象を受け、その背も年もアヤカと変わらないように思えた。
だがその彼女の瞳の色は僕やサトウさんのような真っ黒色をしていて、ショートボブの頭髪は真っ白をしていたのだった。
他に違和感を覚えるところなど一つもないが、その髪の毛の色だけがまさに異色を放っている。彼女は一体何者だろうか。
「ここをこうして、こうやって掃いていくんです。」
その二人のやり取りを横から見るに、どうやら白髪の少女が、ルナの姉にほうきの使い方を教えているようだった。
丁寧に手の動きを見せながら、竹ぼうきで石畳を掃除していく白髪の少女。しかしそのほうきがルナの姉に渡ると、それはただ空を切るだけだった。
「あれ? あれ?」
そもそも彼女の持ち方が教えてもらったものと全く違って、まるで野球のバッターかのように握っている。これでは無理だ。
「ちょっと待ってください。焦らないで!」
「ぐぬぬぬぬ!」
上手く掃けない悔しさからなのか、ルナの姉であろう人物が顔を赤くしてほうきを振り回していると、それは彼女の手からすっぽ抜けた。
「ありゃ?」
「ああ!」
「うおっ」
風を斬り裂いて飛んできた竹ぼうき。瞬きの間には僕のすぐ右を通過しようとしていたそれを、僕は反射的に掴めてしまった。僕自身も驚いた。
「おーすごい!」
呑気に拍手を始めたルナの姉。彼女に対して竹ぼうきを持つ右手を掲げると、反対に白髪の少女は駆け寄って来た。
「お怪我はありませんかミツキ様!」
なんともないと言ってほうきを返すと、ルナの姉が言った。良かった良かったと。
「ご無事なら良いのですが……」
少女は厳しい顔をして振り返った。
「でもリナさんぶきっちょなんですから、ちゃんと気を付けてください。まずはきちんと謝るところからです」
その少女のしっかりとした口ぶりを前に、ルナの姉はたじろいだ。
「まあそうだな悪かったよ。ごめんなミツキさん」
「いやあ大丈夫だよ。けがはなかったし」
そう返すと「なら良かった」と言った彼女は、左手を腰にあて、右手で鼻の底を擦ってから続けた。
「っていうかさ、初めましてだよな。俺たちとはさ」
「わ、私たちは転生者様に仕えるメイドで、ミツキ様は転生者様のお客様なんですよ」
あわあわと口を震わせながらそう言った白髪の少女に構うことなく、リナと呼ばれた女性は砕けた口調で続けた。
「いいよなあミツキさん。俺は人によって態度を変えない女だぜ」
別に構わないよと答えると、「だよなあ」と表情を明るくした彼女は、自身を親指で指しながら言った。
「俺はリナだ、イヌヅカリナ。ルナってメイドがいるだろ? あいつの姉だ。んでこっちは俺の上司のヨウちゃんだ」
紹介を受けた白髪の女性はやや慌て気味ながら、両手でそれぞれのスカートの端をもつ丁寧なお辞儀をしてくれた。
「お初にお目にかかります。このお城のメイド長、シンジョウヨウです。よろしくお願いします」
「メイド長? ってことは、ここのメイドさんたちのリーダー?」
「はいそうです。何でもお申し付けください」
「俺も最初はびっくりしたぜ。うちの妹とナルミを差し置いて、ヨウがメイド長なんだからさ」
リナの言う通りだ。これまで見てきたメイドたちの中で、おそらくヨウが最年少だろう。その背もリナの肩までくらいしかない。
しかし肩甲骨を程よく引き、両手をお腹の前に置いたその立ち方には確かに気品を感じるし、僕をまっすぐと見つめる黒い瞳には誇りと自信だろうか、強い意志が宿っていることが伝わってきた。
そんな彼女が身に着ける給仕服は、胸元についた四つのボタンが、リナや他のメイドたちと違って金色をしていた。これはメイド長の証で間違いないだろう。
納得がいった僕のその目は、次にはユウの白い髪へと向いた。それに気づいたのか、彼女は下を向いて言った。
「やはり気になりますよね。……見ての通り私は魔族です」
魔族。言葉では知っていたが、その存在は知っていたがこの目で見るのは初めてだった。見ての通りと言うところからして、髪が白いことが魔族の特徴なのだろうか。
「そうなんですね、初めて会いましたよ、魔族の方と」
「そうでしょうね。この国にはもう私くらいですから」
悲し気にそう言った彼女だが、僕はふと思った。この国はこれから魔族と戦争をするはずだ。そのために戦車を作り上げ、兵士を育て上げ、軍備を整えていたはずだ。
だからこそ彼女は、私くらいしか魔族はいないと言ったのだろうか。だとすればなぜ彼女だけは、この国にいるのだろうか。
それらの僕の疑問は解決しなかった。リナへの指導があるのだとヨウが言うのだ。
「ああそうですよね、すいません。じゃあ失礼しますね」
「いえ。それと、この度は本当に申し訳ありませんでした」
「じゃあなミツキの兄貴。今度飛ばした時も頼むぜ!」
そう言って呑気に親指を立てるリナと、それとは反対に丁寧なお辞儀で深々と頭を下げるヨウ。そんなメイド長がリナに向かって、よりかみ砕いたほうきの使い方を説明し始めたのを見て、僕は前へと向き直した。
自室に戻るとクレヨンを手に画用紙と向き合うヘクセルと、我が奔走よりも一回り大きな本を黙々と読み進めるアヤカがいた。ベッドに座ってページをめくる彼女の隣に着いて、何を読んでいるのかと尋ねると、歴史を読んでいるんだと返ってきた。
「歴史?」
「ああそうだ。なあミツキ、これを誰だと思う?」
「アヤカとサトウさんだ。いつの?」
彼女が指さしたモノクロ写真は、このお城をバックにサトウさんと写るドレス姿のアヤカだった。今よりもずっと幼い彼女は、サトウさんの右腕に抱えられている。今日では見られなくなったいい笑顔だ。
「戴冠式の時のだな、もう五年くらいも前だ。もっともあの男に渡ったのは冠ではなく、このお城だったがな」
「はあ」
彼女が読みふけるこの本は、どうやらこの国の様々な事象が写真と共に乗っているものらしかった。それを素早くめくっていく彼女の隣で、先ほどあったことを話した。
「それで髪が真っ白くてさ、自分を魔族だって言ってたんだ」
「ああこの城のメイド長だな。名前は確か、ユウ?」
「いやヨウだったね。でもこれからこの国は魔族と戦争するってのにさ、その一人がこのお城で働いてるってのは変じゃない?」
するとアヤカは分厚い本を閉じて、その表紙を、『大ヴィゼントルム史』の文字を見ながら言った。
「それは彼女も被害者だからだろうな」
「被害者?」
「ああそうだ。ミツキ。奴らが我々人間を支配し搾取するとき、その方法は何だったと思う?」
僕は少し考えた。といっても大したものは出てこなかったのだが。
「うーん。魔法を使って脅すとか?」
アヤカは眉を上げて言った。それじゃあ強い反発を受けると。
「その方法は264年続いたんだ。もっと安定的な奴だ、反乱の起きそうにない奴」
そうは言われても僕にはさっぱり分からなかった。
「そんなのあるかな。わかんないや」
「ふふん、これだ」
自信満々に彼女が指した白黒の写真。そこにはなんと恐竜が写っていた。角ばった武骨な頭、大きな口、そこにずらっと生える鋭い牙が確認できる。
太い後ろ足で地面を踏みしめている反面、前足は不釣り合いに小さい。地面と水平をとる胴体とバランスをとるようにして、後ろへと長く伸びるしっぽ。これは間違いない。最強の恐竜、ティラノサウルスだ。
その左足は民家の半分を踏みつぶしており、大きな口はカメラに向かって強く開かれている。周囲で逃げ惑う人々の倍以上はある背丈は、まさに恐ろしい竜だと僕に思わせた。
「ほ、本物? これ」
「ああ。それでこの竜の中身が、ここのメイド長の姉だ」
「姉?」
唐突に出てきたメイド長ヨウ。そしてその姉がこの中に入っているとアヤカは言うが、どう見てもこれはただのティラノサウルスだ。いやティラノサウルス自体はすごいのだが。
「魔法だ魔法。魔法を使ってこの竜の中に入って、竜を操って我々を襲ってたんだ。そしてそれを魔族があたかも退治したかのように見せて、その見返りとして魔力を持たない我々から物資を頂く。自作自演の討伐ごっこで搾取していたわけだ、我々人間からな」
つまるところ魔法でティラノサウルスを操ることが出来るわけだ。そもそも元の竜の体がどうして存在するのかは分からないが、僕はそこに浪漫を感じずにはいられなかった。
「へーすごいね、魔法ってんなら僕も出来るのかな?」
「何を言ってるんだミツキ? 魔法は一人一つだぞ」
「え?」
瞬きしながらそう言うと、アヤカも何度か瞬きした。
「一度発現した魔法は変えられないぞ、一生涯な。転生者だって白い腕しか出してないだろう? あれももう腕しか出せないからだ。まあ拡張性はあるかもしれないな、火球を大きくしたり、そこから火炎放射だのやってたりしてた魔女みたいに」
じゃあ僕はもう刃しか出せないのかと尋ねると、彼女は迷わず肯定した。
「ああそうだな。だから大概の魔族は転生者みたいに腕を選ぶ。もっとも、あんなに大きく強くはなくて、せいぜい普通の大きさのやつが一本か二本増えるだけだがな。だがまあそれでも、我々よりははるかに便利だろう」
魔法は一生で一つしか選ぶことが出来ず、だからこそほとんどの魔族は腕を出すことを選ぶ。そこまでまとめたところで、僕の頭には疑問が浮かんだ。
「普通は腕を選ぶんだよね。だったらさ、何でメイド長のお姉さんは竜に入る魔法を選んだわけ?」
「選んだわけじゃないから被害者なんだ。竜の体に入って自作自演の襲撃をするのなんて、誰だってやりたくないだろう。魔法が一生ものなんだから余計にだ。だから適当な孤児を捕まえてきて、それにその魔法を選ばせたんだ。人生を無理やり決めたわけだな」
「じゃあその孤児ってが、メイド長のお姉さん?」
「ああそうだ。それと、メイド長自身も予備としてその魔法のはずだ。ほら」
彼女が見せてくれた写真には、部屋の隅で手を握り合う二人の少女が写っている。お互いに手を取り合う彼女らは、どちらも怯えるような上目づかいをカメラに向けていた。
モノクロ写真でもはっきりと分かる髪の白さは、そのどちらかがヨウであることを表していた。しかし僕にはさっぱり見分けがつかなかった。まさに瓜二つ。おそらく双子なのだろう。
そしてヨウは今でも十分幼いと言えたが、この写真ではもっと幼い。僕の元居た世界で言えば、小学校に入学したか、もしくはぎりぎりしていないかくらいの年齢に見えた。
「写真のタイトルは『パイェジョムに選ばれた少女』だ。選ばせたくせにな。で、そのパイェジョムってのが竜に乗り移る魔法だ」
「なるほどね。でも乗り移る魔法ってことはさ、その元の体がいるよね。それも魔法?」
「ああ魔法だ。トヴォルヴァという魔法。それを使って発掘してきた骨に肉付けして、竜の体を作るんだ。これも魔法の腕より応用が利かないが、出来た剥製の需要がある分パイェジョムよりまだ生活の役に立つな。この国の西側にあるアラキアって国で、代々その魔法を選んでる一族があるらしい」
「全部が全部魔法なんだね。それで襲ったふりをして、魔法でそれを退けたふりをしてきたんだ」
「ああそうだ。魔族でないと、魔法の腕を持つ者でないと、その怪物は倒せないんだと誰もが思っていた」
アヤカは少し嬉しそうな顔で続けた。
「だが現れた。魔族よりも大きな魔力を持つ者と、魔法なくとも竜と戦える者がな。その二人によって竜が退けられ、世界のつくりが大きく変わった。そんな中で奴ら魔族の所業も明らかになった。自作自演の襲撃を起こしてきたことと、それによる利益に頼り切った経済が、魔族の側では成り立っていたことがな」
アヤカは強い口調で続けた。
「そしてそれを受けて、我々人間は二つに分かれた。これまでの支配を許し、魔族の経済への自立を援助しようとする派と、奴らの一切を許すことなく、その罪を追求しようという派閥に。どちらが優勢だったかは考えるまでもないし、そこにさらに追い打ちをかけるようにして大恐慌が起こった。これで決まった」
「大恐慌?」
「ああそうだ。魔族は竜退治の対価として、主に穀物を徴収していた。この国の東にある、それほど土地が豊かでない国が主導してな。だが突然その徴収が止まった。すると例年なら引き渡していたはずの大量の穀物が行き場を失って、我々人間の市場になだれ込んだ。それによって当然供給過多になった穀物は大きく値崩れを起こしたが、かといって魔族に売り渡すのは世論が許さない。奴らによる自作自演の襲撃で、死者だって少なからず出ていたからな」
アヤカは座り直して続けた。
「食料はあるが金はない。そうなった農家の消費は著しく落ちたし、そこから連鎖して人々の消費は落ち込んでいった。経済の足が止まることで多くの人々が職を失ったし、その不満はもちろん魔族に向いた。その一連の騒動で異常に増えた失業者を活用し、道路や巨大な壁の整備、さらには軍備や軍需の拡張をあの男が急速に進めていったのは、また別のお話だな」
「……えーっと。つまり?」
「つまるところ、転生者の登場によって人間の脅威がついに打ち破られ、そうして明らかになった魔族による支配の歴史を理由に、転生者を中心とした我々人間は、魔族と戦うと決めた。だな」
そして、「一年後らしい」と彼女は続けた。西にある魔族の国家、アラキアへの侵攻が一年後に始まるというのだ。
「敵は十三個騎士団、総兵力二十八万の大国だ。それに対してこちらは、一年後には総兵力を六十八万まで成長させて、その内の三十七万人、十六個師団を戦線に投入する計画のようだ。魔族との本格的な戦争は、これを機に始まるだろうな」
アヤカがここまで詳しいのは、これから始まる戦争についていろいろと調べて回っているからだった。ほらと指された椅子の上には何冊もの本が重なっている。その背表紙は上から、『三ヵ年計画とは何か』、『機甲師団運用』、『歩兵よすゝめ』、『アラキア陸軍調査中間報告書』だった。
そして彼女は、サトウさんから何か聞いたら教えてくれとも言った。戦争に関しそうなものはすべてなと。
徐々に徐々に現実味を帯びてきた戦争という言葉。聞きなじみのない言葉だが、聞けばすぐに否定したくなるような言葉だが。
僕はただ。ようやく安住の地を見つけた僕はただ、この今がずっと続けばそれでいいと思ってしまった。
うわの空で分かったと返してから気づいた。そういえば、発端となったメイド長の話がどこかに消えてしまったなと。
そう考えていた僕だったが、翌朝その彼女が僕の部屋を訪ねてきた。