第九十四話 ユニオール暦八百七十三年八月十日 中央アポロニアの森 天気晴れ
「クラウディア様、本当によろしかったのですか?」
森を北に進みながらマルガレータが聞く。
「ヒルデガルドの件かえ?」
「はい……。燃やしてしまわれたのですよね?」
「うむ。とりあえずはレティシア・ローゼンブラードの手に渡らなければよいのじゃ」
「ですが、その、偉大な五体のドラゴンを倒すほどの力とはヒルデガルドのことではなかったのですか?」心配そうな表情を浮かべるマルガレータ。
「ヒルデガルドもその一つじゃな。まぁ他にも色々あるゆえ問題なかろう」
「色々……ですか?」
「そうじゃ。アンシェリークの秘宝も同じようなものじゃ。この世界には人智を超えたものがたくさんあるんじゃ」
「そうなのですね」
来た時と違って帰りはすでに道もあって余裕がある。ローベルトら騎士たちはモンスターの襲撃に備えて周りを警戒しながら進んでいるが、来た時も大したモンスターはいなかったので問題ないだろう。
「それにしてもヒルデガルドなんておとぎ話かと思っていました」
「古の魔道書じゃな。ラウツェニングやパーヴェルツィーク、ウルブルといったおとぎ話の魔道書も本当にあるんじゃぞ」楽しそうにクラウディアが言う。
「え? 本当なんですか?」
いずれも古くから言い伝えられている魔道書だ。どれもおとぎ話だと思っていたマルガレータは目を丸くした。
「ああ、ラウツェニングはラスムス王が持っておる。パーヴェルツィークはダービィの魔道図書館にあってダービィ王の許可があれば読めるぞ」
「もしかしてクラウディア様は読まれたのですか?」
「まさか。そう簡単に許可は下りぬわ」クラウディアが苦笑する。
「そうですか」
「そう残念そうにするな。大したことは書かれておらぬし、今は使えぬ魔方陣を見たとて役には立たぬ」
「そういうものなのですね」
「うむ。触媒がすでに失われておったりするからの」
クラウディアとマルガレータが話しているのを耳にしたか、ローベルトがちょっと下がってきた。
「クラウディア様、ところで偉大な五体のドラゴンを倒すというのは何か策があるのでしょうか?」
「策とな?」
「はい、我々も準備をしたく思います」
ローベルトの言葉を聞いてクラウディアはクックッと小さく笑った。
「なんじゃ、ドラゴンと戦うなとか言いよるのかと思うたわ」
「そのようなことは申しません。クラウディア様のご命令でしたらどこへでも参ります」
ちょっと胸を張るローベルト。
「クックックッ。それは心強いが、準備はいらぬぞ。あれらは我が何とかする。そなたらはその後の戦争に備えてもらわぬとならぬ」
「しかし――」ローベルトが慌てて言葉を返そうとすると、クラウディアが遮る。
「案ずることはない。あのように見えて奴らはそうそう攻撃はしてこない。短気なのは青嵐のドラゴンくらいなものじゃが、あれは単純ゆえ何とでもなる」
「大地のドラゴンはどうなのでしょう? 人を滅ぼそうとしているのですよね?」
「ああ、大地のドラゴンなら」クラウディアがニヤッと笑う。「イリスレーアたちがなんとかするであろう」
しばらく歩くと日が傾いてきた。ローベルトたち騎士が宿泊地の設営を始める。クラウディアが折りたたみ式の小さな椅子に腰掛けて設営を待っていると、目の前の地面に小さな魔方陣が浮かび上がった。
「クラウディア様! それは――!」
魔方陣に気付いた魔法使いが慌てて駆け寄ってくるが、クラウディアはそれを制する。
「ああ、問題ない。諜報からの連絡じゃ」
魔方陣の上に封書が浮かび上がる。クラウディアはそれを手に取って、中から手紙を取り出した。
「ふむ」
クラウディアは一つ頷いた。そして手紙をひょいと投げると、手紙は一瞬で燃え尽きた。
「みなの者、野営は中止じゃ」
「え?」騎士と魔法使いたちがわらわらと集まってくる。
「すぐに荷物を片付けよ。出発するぞ」
「はっ!」
設営中だったテントなどを素早く片付け、騎士、魔法使いがクラウディアの前に並ぶ。
「クラウディア様、出発準備整いました」
「うむ」
「夜の森は大変危険ですので、お気を付けください。我らも全力でお守りします」ローベルトが言う。
「いや、森を歩くのはもう終わりじゃ」
そう言うとクラウディアは小さくなにやら呟いた。その瞬間、クラウディアと十人の従者たちは黒い霧に包まれた。
「みな良くやってくれた。二、三日休むと良い」
いつの間にか見慣れたユニオール城の大広間にいた十人はクラウディアの言葉も耳に届いているのか、周りをキョロキョロと見回すばかりだ。
「クラウディア様、これは……」マルガレータが何とか問う。
「ん? ここはユニオールの城じゃ」
「それは分かりますが、こんな魔法が……」
「クックックッ、秘密じゃぞ」
「――はっ! かしこまりました!」
大広間の入り口から数名の騎士たちが掛けてくる。その中にはセラフィーナの姿も見える。
「陛下!?」
「うむ。帰ったぞ、セラフィーナ」
「お、お帰りなさいませ。いったい、どうされたのですか?」
まだ困惑を続ける周囲の騎士や魔法使いたちをよそにクラウディアが言う。
「ちょっと状況が動いてきたのでな。自室に行くので付いて参れ、セラフィーナ」
「は、はい!」
部屋に戻ると側仕えたちが急いでクラウディアを着替えさせる。「風呂は後で良い」と言って側仕えたちを退出させると、ようやくソファーに腰掛けた。
「さすがに疲れたわ」
「お疲れ様でした。エルフはいかがでしたか?」
「ああ、問題ない。これから先は人間に関わらぬよう釘を刺してきたわ」
クラウディアはセラフィーナに着席を勧めて座らせる。
「それでの、セラフィーナ。何か周辺からの情報はないか?」
「情報ですか。シルヴェンノイネンで内戦が始まりました。ちょうど陛下が出発された直後です」
「ああ、始まったか。どちらが優勢かの?」
「アドラースヘルム王側が優勢と見られていますが、戦力的には拮抗していますね。北のホルプが参戦するようなことがあると長引くかもしれません」
「ふむ。引き続き状況は追うようにな」
「はっ」
「それだけかえ?」
「はい、大きなところですとそれくらいですね」
「なるほどの。我の方に入ってきた情報だと、どうやらシュタールとハーフルトの戦争が始まるようじゃぞ」
「はあ、始まる始まるとは言われておりますが……、ハーフルト各国の意見がまとまったのでしょうか?」
「いや、そうではない。どうもシュタールの方が先にハーフルトに攻め込むという話のようじゃ」
「え? シュタールが、ですか?」
「うむ」
クラウディアがお茶に口を付けて、話を続ける。
「ハーフルトが偉大な五体のドラゴンを手に入れたという話がある。それを聞いた老いぼれが焦っているらしい」
「老いぼれ……、ジークヴァルト・シュタール七世皇帝ですか」
「うむ。奴も老い先長くないからの。揉めてる隣国が強力な兵器を手に入れたと聞けば、居ても立ってもおられんのだろうさ」
そう言うとクラウディアは笑った。
「しかし……、あの両国が戦争となりますと荒れますね」
「うむ。我らもヴェードルンドの統合を急がぬとならぬ。予定通りに進んでおるな?」
「もちろんです。騎士団、魔道士団の再編は完了しておりますし、兵の再編も予定通り進んでいます」
「引き続きよろしく頼むぞ」クラウディアは微笑んだ。
「はっ、かしこまりました」
クラウディアが国に帰りました。
続きは明後日です。




