第七話 三日目 サノワの村から首都 天気曇り
急ぎ足で森を抜けるとすぐに村が見えてきた。サノワの村は二十軒ほどしかない小さな集落だ。
村に着くとフィクスが「馬車か馬が手配できないか聞いてくる」と走っていった。私たちは村の入口の広場で待つことにした。
「ふう。イリス、疲れていませんか?」私は地面に腰をおろしながら立ったままのイリスを見る。短い距離だったが、大きなリュックを背負ったイリスは疲れた様子も見えない。
「全然大丈夫よ」と言ってリュックをおろすイリス。「これは体を鍛えるためにいつも背負ってるの。慣れたものよ」
「はあ、すごいですね」素直に感心した。
レティシアは魔法使いだけあって、あまり体力があるタイプではない。体力、筋力の無さは元の世界の私と変わらない。
それでも、牢獄が落ちる時やクリスティーナに襲われた時のように、並外れた勘というか危機察知能力で危険を回避してきたようだ。レティシアに備わっていたのであろうこの能力は先程のように寝ている時には発揮できない。おちおち寝ていられないというのではこの先も困ってしまう。
「それよりも、レティ」イリスはちょっと声を抑えて私の目を見つめる。「さっきの奴ら、チラッとアーベントロートの紋章が見えたんだけど、何か恨まれるような心当たりある?」
「え、アーベントロートですか……」
もちろん心当たりはある。でもそれをイリスに言っていいのか分からない。悩んでいる私を見つめながらイリスが言葉を続ける。
「アーベントロートって言えば牢獄の国だけど、そんな国の連中が野盗の真似事をするわけもないし、レティかフィクスを追ってきたのかなって思ったんだけど」
「……そうですね」
私を追ってきたのだろうけど、アーベントロートはシュタール帝国とハーフルト連合王国に攻められて滅んだはずだ。いや、滅んだところまでは見ていないけど、牢獄が落ちればお終いと老人看守は言っていた。
「何か訳ありみたいね」クリっとした丸い目が私を見つめる。「なんなら力になるわよ。サンブゾンの用事は急ぐものでもないし」
「それは是非お願いしたいね」いつの間にか戻ってきたフィクスが即答した。「僕たちはドンカークまで行く途中なんだけど、ボディーガードはいた方がいい」
「フィクス」
「もちろん、サンブゾンは途中だからイリスはそこで用事を済ませてくれて構わない。ただ、僕たちはそれなりに急いではいるのだけど」
「ドンカークとはずいぶん遠いわね」
本当はさらに先のベルナディスまで行くわけだが、とりあえずの目的地はドンカークだ。詳しくは聞いてないけど、ドンカークにはフィクスの仲間がいるらしい。
「見ての通り、僕たちはあまり戦いが得意ではないんだ。さっきのように襲われてはひとたまりもない」
「……そうは見えないけど、そういうことにしておくわ」
「助かるよ」
「でも、なんでアーベントロートの奴らが襲ってきたのか分からないと、この先も困るわ。話せる範囲で話してくれる?」
私はフィクスと顔を見合わせた。私はイリスになら話してしまっても構わないと思っているけど、フィクスはどうなのか? そんな目で見ていると、フィクスが頷いた。
「実はですね」私は声のトーンを落とす。「私はアーベントロートに収監されていたんです」
「へ?」イリスが驚いて丸い目をさらに丸くした。
「牢獄が落ちたので逃げてきたのですけど、それで追われているのだと思います」
「落ちた? シュタールが攻めてるとは聞いてたけど……」
「シュタールとハーフルトに攻められ、アーベントロートの牢獄は落ちたよ」フィクスが補足した。「国自体がどうなったかは分からないけど、おそらく両国に占領されたのだと思う」
「ふーん。あの牢獄が落とされるとはねぇ」イリスはまだ信じられないように腕を組んだ。「あそこには凶悪犯ばかりが収監されていたはずだけど、囚人たちはどうなったの?」
「それは分からないな。逃げ出した囚人を捕らえて回ってるのかもしれない」
「はぁ、それでレティが追われているというわけね」イリスが私の顔をまじまじと見た。「フィクスならともかく、あなたは悪いことができそうには見えないけど、何をしたの?」
「それはですね……」と言いよどんでいるとフィクスが私の言葉を遮った。
「詳しくはまた改めてということにしよう。馬車が来たようだ」
馬車に揺られること体感で二時間ほど、ノーブルヌの首都が見えてきた。城壁に囲まれていて、フィクスはそれほど大きくはないと言っていたけど結構立派な町だ。門で馬車を降りて、私たちは町に入った。
すでに夕暮れが深くなってきていて、大通りには街灯が点き始めている。
「とりあえず宿を探そう」
大通りの両側には店が立ち並んでいて、人出もそれなりにある。黒っぽいローブの人を見つけるたびに内心ビクッとしてしまうけど、追手ではなさそうだ。
「二部屋借りられたよ。今日は休んで、明日早めに出発しよう」
フィクスが見付けたのは、あまり上等とは言えないが、大通りから一本入った道にある小さな宿だった。
私とイリスが同じ部屋で、フィクスは隣の部屋だ。私はあまり立派ではないベッドに腰をおろすとひと息ついた。
「ふう。ひとまず落ち着きましたね」
「門もすんなり通れたし、手配書が回っているわけではなさそうね」
衛兵らしき人に誰何されたけど、とくに疑われる様子もなく門は通れた。
「フィクスは明日の馬車を手配してくるって言ってたけど、どうする? 食事くらいはしたいわね」
「そうですね。あ、でも私、お金を持ってないんですけど……」
「いいわよ。後でフィクスに請求するから」
フィクスの部屋に食事に行く旨を書いた紙を差し込んで、私とイリスは大通りに出た。すぐ目の前に比較的大きな食事処兼酒場のような店があったので入った。
「流行ってるのね」イリスが店内を見回しながら言う。「何にする?」
レティシアの記憶によるとこちらの世界の料理は、私がいた世界とあまり変わらないようだ。どうやらシチューが好きだったようなので、ビーフシチューとパンを頼んだ。
食事中の話題はノーブルヌのことだ。イリスはこの国にずいぶんと詳しいようでいろいろと教えてくれた。
「小麦が特産だからパンが美味しいんですね」私はパンを千切ってシチューに浸して口に放り込んだ。
「ええ、アポロニアで一番と言われてるのよ。あとはすぐ南に港町があるからそっちに行けば魚も美味しいんだけど、この店では出していないようね」
「豊かな国なんですね。牢獄ではカプセルだけでしたから、こういう普通の食事は嬉しいです」
「ああ、あれは栄養は取れるけど味気ないのよね。もともと兵士の携行食として開発されたものだから」
私の素性(もちろんレティシアの方)に興味があるだろうに、周りに他の客もいるからか、イリスは全然その辺りの話には触れない。幼く見えるのに自制の効いた子だ。
「これもちょっと食べてみなさいよ、美味しいわよ、レティ」
イリスが私に自分の頼んだグラタンをひと口食べるように勧めてくれた。「では」と頂こうとすると、私たちのテーブルの前に人が立った。
「レティ? お久しぶりですわね」
顔を上げると金色の巻髪。忘れるはずもない。クリスティーナ・ベステルノールランドだ。
ノーブルヌ国の首都まで来ました。
続きは明日のお昼頃です。