第六十六話 三十八日目 アンハレルトナーク城 天気晴れ
目を開くとイリスとトールヴァルドの顔が目に入った。その後ろにはクリスティーナもいる。どうやらまた気を失っていたようだ。
「レティ、大丈夫?」
イリスが私の顔を覗き込みながら聞く。ベッドに寝かされているのだとようやく気付いた。イリスの部屋だろうか?
「私は……」
「あの後レティは倒れてしまったの。今は夕方よ」
「あの後……」
だんだん頭がハッキリしてくる。夢ではなかったんだ……。私はベッドに体を起こした。
「アーシェは……」
「わたしく後を追ったのですけど、南の山脈を越えていってしまいましたわ」クリスティーナが言う。南ということは中央アポロニアの森のほうだろうか。
アーシェ……。
何も言わずに俯いていると、トールヴァルドが私を慰めるように話し掛ける。
「行ってしまったのは残念だけど、アーシェのおかげでクラウディアの思い通りにはならずに済んだな」
「クラウディアはどうしたんですか?」
「霧のように消えてしまいましたわ」クリスティーナが肩をすくめる。「どういう魔法なのかしら?」
あの黒い霧の転移魔法か。クリスティーナに取り押さえられていたあの状態でも発動できたのか。
「爆発から身を守るためにちょっと手を離したら、胸からなにか紙を取り出してあっという間に消えてしまったのですわ」
「あらかじめ魔法陣を紙に描いて、魔力を込めておいたみたいね。ケルベロスを召喚したのも同じ手だったわ」イリスも言う。
「用意周到だったわけですね」
脱出まで計算しての襲撃だったわけだ。
「あの魔法陣は何だったんでしょうね?」
「エストに聞いたのだけど、古代の破壊魔法らしいわ。どうやらヴァーラの町ごと吹き飛ばすつもりだったようね」
「そう言えば、ヴェードルンドの首都を吹き飛ばした魔法だとクラウディアは言ってました」
「そんな危険な魔法だったのかよ」トールヴァルドが驚く。
「みんなのおかけでヴァーラの町は救われたわ。ありがとう」
イリスが私たちに礼を言う。発動しなくて本当に良かったと私も思う。
「アーシェはどうなっちまったんだろうな?」トールヴァルドが呟く。
「私のことも分からないみたいでした……」
「レティ……」
「でもアーシェがその魔法を止めて、みんなを助けてくれたんだ。感謝だな」トールヴァルドが明るく言う。つられて私も笑顔になる。
「ええ、本当に。お別れは寂しいですけど、助けてくれたことは嬉しいです」
でも羽の傷は癒えてないはずだし、ちょっと様子がおかしかったような気もする。吸い込んだ魔力が良くなかったのかもしれない。
「たしかにそうだけど、焔のドラゴンが本来どういうものなのか分からないし、もう私たちにはどうすることもできないわ」イリスが少し寂しそうに言う。
たしかに成竜となった焔のドラゴンはそもそもそういうものなのかもしれない。攻撃と吸収が特性だと言っていたし。
「そのあたりはシルックに聞けば分かるかもしれないな」トールヴァルドが思い出したように言った。
「そうですね」と言いながら私も思い出した。「フィクスとシルックを探さないといけませんね」
これからどうしようと考えていると、扉がノックされて大柄な騎士が魔法使いを従えて入ってきた。魔法使いはあの通路で助けた女性だ。イリスはエストと呼んでたっけ?
「クリスティーナ殿、トールヴァルド殿、レティシア殿。このたびのクラウディア撃退、まことに礼を申す」
騎士の言葉にクリスティーナが跪いた。「あのような危機、見過ごすわけにはいきませんわ。当然のことです」
「クリスティーナ殿には世話になりっぱなしだな」騎士が苦笑する。
「とんでもございませんわ、アンハレルトナーク王」
王! イリスの父親だった。私も慌ててベッドから飛び降りようとすると王が手で制した。
「レティシア殿、ご気分はどうだ?」
「え? ええ、もう大丈夫です」
「レティシア殿とトールヴァルド殿がこれまで大事に焔のドラゴンを守ってくれていたからこそ、今回アンハレルトナークは救われた。心から礼を申す」
「いえ、そんな……。アーシェが心優しかったからですよ……」
「うむ。そうだな」アンハレルトナーク王は少し目を閉じてから言う。「焔のドラゴンは成竜となり、大地に解き放たれた。もはやクラウディアのような者でも手出しはできぬであろう」
「そうですね……」
たしかにこれでアーシェが狙われることはないだろう。それは良かったと思う。
「アンハレルトナーク王。我らはレティシアが回復次第、フェヴローニヤに戻るつもりだ。しばらくの滞留を許可いただきたい」トールヴァルドが王に言う。相手は王なんだからもっと丁寧に、と思ってしまうが、王は気にしないようだ。
「うむ。もちろんだ。ゆっくりとするが良い。他に何か必要なものがあれば用意させるゆえ、イリスレーアに言ってほしい」
「感謝する」
トールヴァルドが頭を下げた。ちゃんと頭を下げられるんじゃないのと思ったところ、今度は王の後ろに控えていたエストが口を開いた。
「レティシア様、先ほどは助けていただきありがとうございました」
「いえ、私はちょっと運んだだけですよ。救ったのはイリスですよね」私はイリスの方を見る。
「ですが、治癒魔法も掛けていただき、本当に助かりました」
「ああ、そう言えばそうでした。大したことではありません。無事でよかったです」
「はい」エストが微笑んだ。
二人が退出していくのを見送った私たちは今後の話をする。
「二、三日休養して、まずフェヴローニヤだな」トールヴァルドが言う。「フィクスとシルックがどうなっているか分からんしな」
「そうですね。アマリアさんが見つけてくれてるといいんですけど」
「そうだな。イリスレーアはどうする?」
「私はクリスティーナをラスムスまで送るわ」
「いえ、わたくしは一人でも──」と言うクリスティーナをイリスが遮る。
「ダメよ。もうクリスティーナはアンハレルトナークの大恩人だわ。一人で返すなんて言ったらお父様に叱られるわ」
後で聞いたところによると、青嵐のドラゴンからイリスを救ったのもクリスティーナらしい。大変な活躍である。
「フェヴローニヤで二人と合流したらシーグバーンに戻るとおそらくベアトリスも帰ってると思う」
トールヴァルドの海賊船ベアトリスは、私たちがヴァーニャ山に行っている間にペトルリークで点検を受けたはずだ。そろそろシーグバーンに戻っているだろうとトールヴァルドは言う。
「シーグバーンで船に乗ったらバルヴィーンの南を回って東の海に帰るつもりだ。シルックも送ってやらんとな」
さすがにまたリーゼクーム海峡を抜けることはないだろう。とくに急ぐ用事もないのだ。
「では、ちょうどその頃には私も旅に戻れていると思うから、スティーナの港あたりで落ち会えるといいわね」イリスが言う。
「そうだな」と言ってから、思い出したようにトールヴァルドが首をひねる。「でも、イリスレーア。また旅に出るつもりなのか? ユニオールはどうするんだ? これから戦争だろ?」
「いいえ」
イリスが言うには、とりあえずすぐには戦争ということにはならないそうだ。クラウディアが単身で攻めてきたとは公表せず、見た者にも口止めをして、国民にはモンスターの襲来という話にするらしい。
「城もそうだけど、騎士団や魔道士団にも大きな被害が出たしね」
クラウディアが消えたことでゴーレムやサイクロプス、ダークスケルトンも消えたらしいが、それでもすいぶん被害が出たようだ。
「それにクラウディアがとんでもない魔法を使うことが改めて分かったし、対策をとるにも時間が必要とお父様は考えているみたい」
「なるほどな。たしかにやみくもにユニオールに攻め込んでも被害がデカそうだな」トールヴァルドが頷く。
「じゃあ合流したら一度エーリカに会いに行くのも良いかもしれませんね」
アーシェの薬を作る用事はなくなったが、古代魔法の話は聞いてみても良いかもしれない。
「そうね」イリスが頷いた。
「ともかくしばらく休養させてもらおう。さすがに疲れたわ」
トールヴァルドが肩を回す。あの険峻な山を越えてきたら、この戦いである。トールヴァルドもさぞ疲れているだろう。
「そうですね。ちょっと休ませてもらいましょう」
アンハレルトナークの戦いはこれで一段落です。
続きは明日の昼頃です。




