第六十一話 ユニオール暦八百七十三年七月二十一日 ルベルドー北東部の町トンヘレン 天気晴れ
トンヘレンはルベルドーの北東、シュタール帝国との国境に隣接する町だ。シュタールとの交易の拠点として古くから栄えている。
美しい町並みだな。
クリストフェル・オールフェルドはトンヘレンの石造りの町並みを見回して思った。道も白い石で綺麗に舗装されている。
アンハレルトナークに行くときも立ち寄ったのにあのときは何も思わなかった。よっぽど余裕がなかったんだな。
クリストフェルは心のうちで苦笑した。とにかくアンハレルトナーク王に会うことしか考えてなかった。
もう少し落ち着かないといけないな。
父からももっと冷静になれとよく叱られるが、今回のアンハレルトナーク王との話はクリストフェルに自分のことを考えさせるに十分な軽率さだったと思う。
とにかくオールフェルドに帰ったら父上ともう一度話をしよう。
トンヘレンからはハーフルト行きの馬車も出ている。ここまで来ればもう神経を尖らせる必要もない。クリストフェルは通りに面した喫茶店に入り、ひと息ついた。
ハーフルトからアンハレルトナークに行くには、帰りも同様だが、本来ならシュタール帝国を縦断したほうが早い。だが、クリストフェルが堂々とシュタールを通り抜けるわけにはいかないので、ルベルドーを経由して、シュタールへの入国を最小限に抑えているのだ。
「おや、こんなところで奇遇ですね?」
クリストフェルが紅茶を飲んでいると不意に声をかけられた。声の主を見上げる。
「ユリウス・クライバー……殿か」
「ええ、お久しぶりです。クリストフェル殿」
ユリウスが慇懃に礼をして、クリストフェルの向かいの席についた。
「同席しても良いとは言っていないが?」
「まあまあ、そう言わないでください」おどけた手振りでユリウスが肩をすくめる。「あなたのようなハーフルトの重臣がこんなところにいるとあっては、私としてはその目的をお尋ねしないわけにいかないのです」
ユリウスは店員に紅茶を頼むとまたクリストフェルに向き直った。
「でも心配はご無用です。ルベルドーでの戦闘行為は禁じられていますので。穏やかにいきましょう」
「……そうだな」
ユリウスが出された紅茶に口を付ける。
「それで、何かご用だったのですか?」
「いや、休暇中だよ。トンヘレンの美しい町並みを見に来ただけだよ」そう言ってクリストフェルはユリウスを見る。「そう言ったら信じてもらえるかな?」
「もちろん、信じません」ユリウスがニヤッと笑う。
クリストフェルは何度かユリウスに会ったことがあるが、このにやけ顔が苦手だった。
「あなたはシュタールの西側を抜けてここトンヘレンに入ってきました。つまり北からハーフルトに戻る途中ですよね」
知っているのなら回りくどい聞き方をしなければいいのに面倒な、とクリストフェルは顔を背ける。
「アンハレルトナークに行かれていたのですね? シュタールとの戦いの助力でも求めに行かれたのですか?」
普通に考えれば、そうとしか考えられないだろう。
「いや、違う。君が信じるかは分からないが、私はシュタールとの戦いを避けたいのだ」
「それは信じますよ。オールフェルド王が戦争に反対されていることは知っています」
クリストフェルはユリウスの目を見て言う。
「君はどうなのだ? シュタール皇帝の側近である君はどう思っているのだ?」
「私は皇帝陛下のご命令に従うだけです。私は皇帝陛下の剣ですから」
「……そうだろうな」
だがユリウスはシュタール皇帝に近い人物だ。無駄とは分かっていてもここで話をする価値はあるとクリストフェルは考えた。
「ユリウス殿。私は戦争を回避したいのだ。シュタールには私と同じ考えのものはいないか?」
ユリウスは意外そうにクリストフェルを見て、少し考えた。
「どうでしょう? 私には文官たちの考えは分かりません」
「そうか……」予想していた答えではあるがクリストフェルはちょっと残念そうに頷いた。
「ですが、私も戦争にほ反対です」
「おお、そうなのか?」
「はい。私は先日レティシア・ローゼンブラードにプロポーズしました」
「……なんだって?」
クリストフェルは一瞬ユリウスが何を言い出したのか理解できなかった。
「プロポーズしたのですよ、彼女に」
「そ、そうなのか」
「はい。彼女が目的を達したら私は彼女と結婚するつもりです。ですから、私は陰ながら彼女のサポートができないか考えているのです。戦争してる場合ではありません」
情報によればユリウスはレティシアを捕らえるために動いているはずだ。それがどうしてこのような話になっているのか。
「ユリウス殿。君はレティシアを捕らえる命を受けているのではないか?」
「そうです。ですからシュタールに帰ったら私はその役目を皇帝陛下に返上するつもりなのです」
「そんなことができるのか?」
「分かりません」ユリウスは肩をすくめる。「私のこれまでの功をすべて返上しても、レティシアを娶る許可をいただくつもりです」
ちょっと理解できないがどうやらユリウスは本気のようだ。とりあえずクリストフェルは話を合わせておくことにする。
「そ、そうか。それは良かったな。私も陰ながら応援するよ」
「ありがとうございます」ユリウスはまたニッと笑う。「彼女ほど素晴らしい女性はいません」
そこからユリウスはいかにレティシア・ローゼンブラードが素晴らしいかを語り始めた。興味を持てないクリストフェルには苦痛だったがかろうじて頷き続けた。
「そういうわけで、彼女がアンシェリークの秘宝を得るために手助けをしなくてはなりません」
「手助け?」
「ええそうです。もうすでに一つ助けてきましたが」
とはいってもレティシアがアンシェリークの秘宝を得るのは難しいはずだ。なぜなら……。
「分かりますよ。彼女がアンシェリークの秘宝を得るのは不可能だろうと思ってますね?」
「……」
「それはラ・ヴァッレ王が例の石版を持っているからですね?」
「……!」
「おっと、そんなに身構えなくても大丈夫です。石版を持ってきてくれとは言いません」
「……どういうことだ?」
「もはや秘宝を得るために石版は不要なのです。鍵はすでにあるのですから」
クリストフェルにはユリウスの言っていることがほとんど理解できなかった。
「ずいぶんと良く知っているのだな」
「ええ。秘宝を欲しがっている人は大勢います。そしてたいていそうした方々は自分では動かずに私のような者に依頼するのです。自然と情報も集まるものです」
シュタール皇帝がアンシェリークの秘宝を求めているのは間違いない。他にも秘宝を欲しがってユリウスに依頼している人間がいるというのか? そう言えば、シュタールも次期王をどうするかで揉め始めていると聞いた……。
「詮索は無用ですよ、クリストフェル殿。それに秘宝を手に入れるのはレティシア殿と決まっているのですから」
「私は秘宝には興味はない。今私がやらねばならないのは、ハーフルトとシュタールの戦争を止めること、そしてユニオールのクラウディア女王を止めることだけだ」
「なるほど」ユリウスは頷くと少し考えてから口を開いた。「分かりました。繋がりましたよ。クラウディア・エルマ・ユニオールですか」
「なんのことだ?」
「レティシア殿たちが何に手こずっているのかよく分からなかったのです。クラウディアが邪魔をしているのですね」
「……邪魔、と言えばそうなるな」
「クリストフェル殿。一つ協力してくれませんか? それがお願いできれば私は皇帝陛下に戦争をしないよう提言しましょう」
「ふむ、協力とはなんだ?」
ユリウスが顔を寄せて小声で話してきた内容に、クリストフェルは唖然とするしかなかった。
大国の騎士同士のお話でした。
次話からはいよいよ二章の山場です。明日の昼頃更新です。




