第五十八話 ユニオール暦八百七十三年七月十八日 シアーノの村 天気晴れ
あれから六日目。フィクスはまだ目を覚まさない。ベッドの脇に座るシルックは、眠ったままのフィクスの顔を見つめる。ときどき苦悶の表所を浮かべたりもするが、今は安らかに眠っている。
「変わりない?」
部屋の扉を開けてアマリアが入ってきた。昨日ここへやってきたフィクスの元仲間だそうだ。シルックにはそれが本当かを確認する手段がなかったが、いろいろ話を聞いた結果、本当らしいと信じることにした。
ここはフェヴローニヤの東方にある村シアーノ。人口数百人の小さな村だ。フィクスを連れたシルックが辿り着いたときには村民の大半がオースルンド軍を避けるように近くの山に避難していたが、その後は徐々に戻ってきている。
「はい、変わりありません」
シルックはそう言うと椅子から立った。代わりにアマリアがそこに座り、寝たままのフィクスのおでこや首に手を当てる。そして一つ頷くと、治癒魔法を唱えた。魔法の光に包まれてもフィクスには変化がない。眠ったままだ。
「外傷もなく、治癒魔法も掛けているのに変化なしと……。打ち所が悪かったとしか言いようがないわね」
あの日、隠蔽魔法を掛けたシルックとフィクスは、飛行魔法で上空からイリスとクリスティーナを探し始めた。しかし、間もなく青嵐のドラゴンがこちらに向かってきて、ひと羽ばたきすると、シルックとフィクスは簡単に吹き飛ばされた。空中で飛行魔法を掛け直したシルックは無事だったが、フィクスは地面に落下して気を失った。ドラゴンの追い打ちを避け、フィクスを救出したシルックが全力で辿り着いたのがここシアーノ村だ。
「医師もそう言っていました」
シアーノ村の医師に診てもらったところどこも悪いところはなく、一時的なものだろうと言っていた。だが目を覚ます気配は今のところない。
「レティシアさんたちは今オースルンドにいるはずだから、明日にも連絡が付くはずだわ」
アマリアは昨日ここに着いて状況を知ると、同行していた仲間にレティシアたちへ知らせるよう手配していた。「あなたも一緒にレティシアさんたちを追う? フィクスは私たちが見ているから大丈夫よ?」とアマリアから言われたのだが、シルックは断った。「おそらくレティはフィクスに私が付いていることを望むと思います。だから残ります」
治癒魔法を終えたアマリアが立ち上がる。「シルックさん、朝食にしましょう」
宿の食堂に移動する。シルックに食事は必要ないのだが、アマリアにあわせてスープだけもらうことにした。
「本当にあまり食事をとらないのね」
「はい。私たちは人間のような食事は必要ありません」シルックがスープを一口飲む。「でも人間の食事の雰囲気は好きです」
「そう、良かったわ」
宿には他の客はいない。さすがに戦争が始まったところに旅をしてくる者はいないのだろう。
「シルックさん、もしまだしばらくフィクスが目覚めないようなら、ナサリオに移動しようと思うのよ」
「ナサリオ……、オースルンドの首都ですね?」
「ええ、仲間の一人が暮らしているの。それなりに大きな家なのでフィクスを保護するのにも良いし、戦争に巻き込まれる可能性もここよりは低いわ」
オースルンドがフェーディーンを攻めることはあっても、逆は難しいだろうというのがアマリアの予想だ。
「レティシアさんたちを待つのにもここよりは良いと思うわ」
「そうですね。よろしくお願いします」
「では仲間たちが戻ったら移動することにしましょう」
二、三日中には戻ってくるだろうとのことだ。そんなに早く移動できるものなのかとシルックは不思議に思ったが、高速な馬車を使っているのでヴァーニャ山との往復は三、四日で済むようだ。
「レティシアさんたちがフェヴローニヤに戻ってくる方が早いかもしれないけどね」
「そうですね」
レティたちはアマリアに用事を済ましたらフェヴローニヤに戻ってくると言ったそうだ。だが、すぐに戻ってくるかは微妙ではないかとシルックは推測している。
フェヴローニヤを離れて先にヴァーニャ山に行くということは、おそらくレティたちはイリスの消息を掴んだのだろうと思う。自分たちだけでなくイリスも見つかっていなければ、まだフェヴローニヤ近辺を探していてもおかしくない。イリスがどこにいるのかはシルックには知る由もないが、先にそちらを回ってくるという可能性もある。
あるいはついでにエルフのところに寄る可能性もありますね。
中央アポロニアの森はヴァーニャ山のすぐ側だ。レティはすぐに戻ってきたがるだろうけど、合理的な計算ができるトールヴァルドならエルフに会ってからでも遅くないと判断するだろう。古代魔法の解読はこれからの重要な鍵になる。
食事を終え、部屋に戻る。日が高くなってきて部屋に光が射し込んできた。フィクスが眩しいだろうとカーテンを閉めようとすると、フィクスの口から「うーん」と声が漏れた。
「フィクス?」アマリアがフィクスの肩を軽く揺すった。
「……うーん……あれ、なんだ?……アマリア?」
フィクスが目を覚ました。
「六日も寝ていたっていうのか」
顔を洗い、お茶をひと口飲んだフィクスはようやく頭が回り始めたようだ。シルックがあの時以降の状況を話すと、フィクスは頭をかいた。
「それは……世話になったね、シルック。ありがとう」
「いえ、回復してよかったです」
「うん。アマリアもありがとう。アルフシュトレーム商会の連中も来ているのか?」
「ええ、昔の仲間何人かであなたを探して、今はレティシアさんたちに知らせるために、ヴァーニャ山へ馬車を飛ばしてもらってるわ」
「そうか……。イリスとクリスティーナはどうなったんだろう」
「そこまでは言ってなかったわ。とりあえずヴァーニャ山で用事を済ませてくるので、フィクスとシルックさんを探して欲しいと頼まれたの」
「ということは二人の消息は掴んだかな……」
フィクスがそのまま思考の海に沈もうとすると、アマリアがそれをとどめた。「それより先にシャワーを浴びて。それから食事をとるのよ」
「あ、ああ。そうだな」
フィクスがシャワーを浴びに行くと、アマリアはベッドを整え直した。
「まあとりあえず目を覚まして良かったわね」
「はい。レティも喜ぶと思います」
パンパンと手をはたき、アマリアは「これでよし」と呟いた。そしてシルックの方を見た。
「ねぇ、シルックさん。これまでフィクスはアルフシュトレーム商会のことをどれくらい話しているの?」
「私は聞いたことがありません。レティたちにどれくらい話したのかは分かりません」
「そう」ちょっと考え込むアマリア。
「もし私が聞かない方が良い話なら、私は席を外しますよ?」
「いえ、そういうわけじゃないわ。シルックさんに聞きたいことがあるの」
「なんでしょう?」
「私たちはアルフシュトレーム商会という組織の仲間だったんだけど、五年前に商会は解散したの。でも、ネットワークはまだ生きているのよ」
「そうですか」
「商会の仲間だった連中はみな別の職に就いたり、ブラブラしていたりするんだけど、情報や物のやり取りは残っているってわけ」
「はい」
「私は商会にいた時、アンシェリークの秘宝を追っていたの」
そう言うとアマリアはシルックの目を見つめた。でもシルックは表情を変えない。
「レティシアさんたちはアンシェリークの秘宝が何なのか知ったのかしら?」
「……ネットワークが残っているのでしたらフィクスに聞いてはいかがでしょう?」
「そうよね」
アマリアが笑う。
「でもあいつはああ見えて口が固いのよね」
「……」
今度は真顔になってシルックに言う。
「アンシェリークの秘宝は人間が手にしてはいけないものだわ」
「……」
「私たちは秘宝を追っていたけど、それは手に入れるためではなく、むしろ他の誰にも手に入れさせないためなの」
「……そうですか」
「そしてこのままいけば、彼女たちは秘宝に辿り着いてしまうわ」
そう言うとアマリアは目を伏せた。
「……あなたは私たちを助けてくれました」シルックが口を開いた。「だから一つだけ。レティは大丈夫だと思います」
「本当にそうかしら?」
「彼女はそのために呼ばれたのです」
「呼ばれた? どういう意味?」
アマリアは聞いたがもうこの件でシルックが口を開くことはなかった。
フィクスとシルックはレティが探さなかった東側の村にいました。
続きは明日です。




