第五十三話 ユニオール暦八百七十三年七月十七日 アンハレルトナーク城 天気晴れ
「げほっ、げほっ」
治癒カプセルに満ちていた液体が抜かれると、クリスティーナは苦しそうに咳き込んだ。カプセルの蓋が開き、そこに見える顔はイリスレーアだ。
「大丈夫?」
イリスレーアがタオルを差し出してくれた。
「げほっ、大丈夫、げほっ、ですわ」
咳も涙も落ち着いてきた。
「さあ、手早くお願い。風邪をひいてしまうわ」
イリスレーアが振り返って指示をすると、控えていた側仕えらしき女性たちがカプセルを取り囲み、クリスティーナの体を拭き、服を着せていく。
されるがままにされながらクリスティーナがイリスレーアに尋ねる。
「今日は何日ですの?」
「七月十七日よ」
「ということは……、あの時から五日ですわね」
「ええ」着替え終わったクリスティーナの前にイリスレーアが立ち、頭を下げた。「クリスティーナ、ありがとう。あなたのおかげで死なずにすんだわ」
「どういたしまして。でもあなたがブレスだと言ってくれたので咄嗟に防御魔法を出せたのですわ。あなたの声がなかったらわたくしも消えていたでしょう」
「お互い命があって何よりだったわ」
「本当に」
二人はイリスレーアの居室に移動した。窓からは朝日が射し込んでいる。シンプルで余計なものの無い、イリスレーアらしい部屋だとクリスティーナは思った。
「ほとんど旅に出ていて城で過ごすことは少ないからね」
そう言ってはにかむイリスレーア。クリスティーナは勧められるままにソファーに腰掛けた。すぐさま側仕えがお茶を出してくれる。
「クリスティーナの治療はもう少し掛かると医師が言ってたのだけど、予定よりずいぶん早く回復したわね。さすがね」
「あら、イリスレーア姫はいつカプセルを出られたのです?」
「私は昨日よ。あなたより軽傷だったから」
カプセルの中でエストという女性から聞いた話ではイリスレーアの方が重傷とのことだったが、おそらくイリスレーアの回復力が高いのだろう。
「レティから手紙が届いているわ」
イリスレーアから手紙を受け取って目を通す。お礼とゆっくり休めと書いてある。
「フフッ、彼女から手紙をもらったのは初めてですわ」
「手紙なんて書かなそうだものね」
「ええ、学校でも彼女が机に向かってる姿は稀でしたわ」
イリスレーアはお茶を飲み、改めてクリスティーナに向き直った。
「ラスムスにはすでに父から知らせてあるわ。回復してから国まで送らせるから、しばらくゆっくりしてね」
「そうですわね。さすがにいったん帰らないといけませんわね……。お父様とお母様には叱られそうですけど」
「もしよければ私も一緒にラスムスに行くわよ?」
「いえ」クリスティーナはかぶりを振った。「イリスレーア姫はレティシアのところに行ってあげてくださいませ。トールヴァルドがいますけど、彼女だけでは危なかっしいですわ」
「そうね。……ありがとう」
クリスティーナもお茶に口を付けて言う。
「お父様にもご挨拶させてくださいませ。治療のお礼も申し上げたいですわ」
「お礼はこっちの方だけど」イリスレーアはちょっと笑って続ける。「後で会えるように手配するわ」
「クリスティーナ様も先ほど目覚められました」
「うむ。傷も完治したか?」
「はい。間違いなく」
エストからの報告にアンハレルトナーク王ディートヘルムは息を吐いた。他国の王女をキズモノにせずに済んだことに心からホッとした。
「それからもう一つお知らせがございます」
「うむ」
「ハーフルト連合王国のクリストフェル・オールフェルド殿がいらしています」
「クリストフェル・オールフェルド?」ディートヘルム王は首をかしげる。
「ハーフルト連合の一つ、オールフェルド国の王子です。連合王国の南方艦隊司令でもあります」
「ふむ。今はハーフルトから使者を送られるような状況ではないと思うが、何の用だ?」
ハーフルトとシュタールの間で戦争が始まるのではないかと世間では見られているが、アンハレルトナークが掴んでいる情報ではそう簡単に開戦できないのが現実のようだ。ハーフルトの円卓会議は割れているようだし、シュタールは水面下で跡継ぎ問題が起きている。両国ともに戦争には踏み切れない状況のはずだ。
「分かりかねます。今朝がたヴァーラに到着されました。入国以来動向は追っていたのですが、先ほど正式に陛下とお会いしたいと使者がきました。ただ、ラ・ヴァッレ王の使者というわけではないようです。イリスレーア姫の紹介状を持っていました」
「イリスレーアの紹介状?」ディートヘルム王は首をかしげた。「本物か?」
「はい。確認いたしました。本物です。日付は七月三日になっていましたので、どうやらリーゼクーム海峡で姫と会われたようです」
「あの海峡でか」
さすがにリーゼクーム海峡までは護衛に追わせることはできなかったので海峡内で起きたことまでは分からない。ただ、昨日イリスレーアに話を聞いた際には取り立てて海峡内では何もなかったと言っていた。
「この後はクリスティーナ姫に礼を申さねばならん。クリストフェル殿には午後から会うと伝えよ」
「はっ。整えておきます」
イリスレーアとクリスティーナが二人で話をしていると扉がノックされ、側仕えが入ってきてイリスレーアに耳打ちした。
「え? お父様が?」イリスレーアは一瞬驚いて目を丸くした。「すぐにお通しして」
イリスレーアが立ち上がり、クリスティーナに言う。
「クリスティーナ、お父様がいらしたわ。あなたにお礼を言いたいんだって」
「え?」
クリスティーナも驚いて立ち上がった。
「失礼するぞ」
ディートヘルム王が入ってくると、クリスティーナが跪いた。
「アンハレルトナーク王、初めてお目に掛かります。ラスムスの第一王女クリスティーナです。お見知りおきを」
「クリスティーナ姫、お顔を上げてくだされ」ディートヘルム王は自らも膝を付き、クリスティーナの手を取った。「今回は我が娘の命を救っていただき、どれほど感謝すればよいか分かりません。父として礼を申します」
「そんな、いえ」
さすがのクリスティーナも驚いている。大国アンハレルトナークの王がまさか自分に膝を付くとは思いもしなかったのだろう。
「あなたのおかげでイリスレーアは命を長らえました。我がアンハレルトナークはあなたとラスムスに最大限の感謝を送るとともに末永い友好をお約束します」
「それは、あの、光栄ですわ。ありがとうございます、アンハレルトナーク王」
混乱から立ち直ってなんとかクリスティーナが答えたところで、イリスレーアが笑いながら父に話しかける。
「お父様、クリスティーナが困っているわよ」
「うむ? だがこれ以上に感謝の表しようを知らぬのだ」
「いえ、十分にお気持ちは伝わりましたわ」
「そうか」と言うとディートヘルム王はニコッと笑った。「クリスティーナ姫、しばらくはごゆるりとお過ごしくだされ。ラスムスには責任を持ってお送りします」
「ありがとうございます。そうさせていただきますわ」
イリスもクリスティーナも目覚めました。
続きは明日の昼頃です。




