第四十九話 ユニオール暦八百七十三年七月十三日 アンハレルトナーク城 天気雨
……ここは?……。
イリスレーアは体を動かそうとしたが思うように動かない。目もうっすらとしか開かない。
……これは夢?……。
しばらくぼんやりしていると、だんだん頭がはっきりしてきた。
……私はレティたちと旅をして……それから……
思い出した! フェヴローニヤでドラゴンのブレスを受けてしまったのだ。
ちょっと顔の向きを変えるとどうやら液体で満たされたカプセルのようなものに入っていることが分かった。液体は薄っすらと光を放っている。これはアンハレルトナークの治療カプセルだ。私は怪我をしたのか。
顔の前は小さな窓になっていて天井が見える。そこに見知った顔が現れた。エストだ。
「目を覚まされましたか、姫様」
「……」
口はかろうじて動くが声は出ない。
イリスレーアの返事を待たずエストが済まなそうな顔で謝罪を始めた。
「申し訳ありませんでした。シーグバーンで姫様と別れたあとに、青嵐のドラゴンが移動しているのを発見して後を追っていたのです。まさかドラゴンが人間を攻撃するとは思っていませんでした。そしてあの戦場に姫様がいるとは……」
「……」
「密かに付けていた護衛たちも嵐で姫様を見失っていたのです。本当に申し訳ありませんでした」
そんなことはいいから、私のこの状況を教えて欲しい。その思いはエストに通じたようだ。
「昨日姫様は青嵐のドラゴンのブレスを受けてしまいました。クリスティーナ様の防御魔法がなければ即死だったでしょう」
クリスティーナは!?
「ご安心を。クリスティーナ様も生命に支障はございません。姫様の隣のカプセルで休んでらっしゃいます」
それは本当に良かった。
「私は戦場で倒れている姫様とクリスティーナ様を見付け、急いでアンハレルトナークまで戻ったのです。今は七月十三日の昼です。ほぼ丸一日姫様はカプセル内でお休みです」
ということは、レティたちはまだ私を探していることだろう。どうにか連絡できないものか。
「完治にはもう少し掛かります。それに……、いえ、これはまた改めて」エストはいったん言葉を切った。「姫様、何かおっしゃりたいのですか?」
イリスレーアは必死に口を動かした。言葉は届かないだろうが、何とか口の動きを読んで欲しい。
「え……い……い? もしかしてレティですか?」
さすがエストだ。イリスレーアは少しだけ顔を動かして頷いた。
「レティシア殿に消息を知らせたいということですね?」エストは少し考えて、すぐに返事をした。「分かりました。私がひとっ飛び行ってお知らせます」
イリスレーアはもう一度顔を動かして頷くと、安心したように目を閉じた。
「一度目を覚まされましたが、またお休みになりました」
エストは王の居室に入るとさっそく報告した。
「そうか」
「とくに取り乱されることもなく、意識もしっかりしておいでです」
アンハレルトナーク王ディートヘルムはホッと息を吐いた。まだ三十代の彼は、この二日で自分が大いに老け込んだと感じた。それほど娘を心配していたのだ。
「五日ほどで回復されるでしょう」
「うむ」
ドラゴンのブレスを浴びた割には軽傷で本当に良かった。数カ所の骨折と火傷だけで済んだのはクリスティーナ姫のおかげだ。
ラスムスには多大な感謝をしなくてはならないな。
ディートヘルムは改めて思った。ラスムス王国にはすでに使いを出してある。クリスティーナ姫が回復したらお礼の品とともにラスムスまでお送りするつもりだ。
「陛下、もう一度確認なのですが」エストが言う。「本当に姫様の出国を禁じられるのですか?」
「うむ……」
親の贔屓目なしでもイリスレーアは強い。それに密かに護衛も付けている。だからこれまでは国の外で自由にしていても問題はないだろうと思っていた。だが今回の怪我で考えが変わった。
「戻れば白銀のドラゴンのところにも行くつもりなのであろう?」
焔のドラゴンを治療する術を求めてヴァーニャ山にいるという白銀のドラゴンに会うと報告を受けている。
確かにこれまで焔のドラゴンは大人しいようだが、他の偉大な五体のドラゴンがそうとは限らないと今回の青嵐のドラゴンの件で思い知らされた。
「人間相手とはわけが違う。やはり偉大な五体のドラゴンは近付いてはならぬ存在なのだ」
「たしかにそうかもしれませんが、姫様は止めても行くとおっしゃるでしょう」
「うむ……」
まだ幼いが芯の強い娘だ。自分が決めたことは意地でも通す。三人の兄たちよりも心身ともに遥かに強い。娘でなく息子なら文句なく次期王にしていただろう。
「ではこうしてはいかがでしょう」エストが提案する。「私がもう一度フェヴローニヤに行って参ります」
「フェヴローニヤにか」
「はい。姫様からレティシア殿に消息を知らせて欲しいと頼まれましたので」
「それでどうするのだ?」
「レティシア殿に姫様の状況を正直にお知らせします」
「うむ」
「その上で姫様にこれ以上無理をさせないで欲しいとお願いするのです」
「ふむ。といってもレティシアを連れてくるわけにもいくまい」
「そうですね」エストはちょっと考えて続けた。「手紙でも書いてもらいます」
「そんなに上手くいくものかの?」ディートヘルム王は首をかしげた。
「姫様はことのほかレティシア殿を気に入っておいでです。彼女の言うことなら聞かれるでしょう」
「……親が言うより、ということか」
「残念ですがそうですね」
ディートヘルム王は少し悲しげな表情をしたがすぐに気を取り直してエストに命じた。
「分かった。ではエストよ、これよりフェヴローニヤに赴きレティシア・ローゼンブラードと会ってくることを命ずる」
「かしこまりました、国王陛下」
ひとまずイリスもクリスティーナも無事でした。
続きは明日です。




