第四十四話 ユニオール暦八百七十三年七月十一日 フェーディーン南部 天気晴れ
「なんでこんなことになったのかしら」
クリスティーナは釈然としない気持ちながらも、レティシアを背負って街道を北に進んでいる。隣を見ればアーシェという名の小さな少年がトールヴァルドを背負っている。
「わたくしがトールヴァルドを背負った方がよろしいのではありませんこと?」
クリスティーナはそう言ったのだが、アーシェは「いや、余がトールヴァルドを背負うゆえ、そなたはレティを頼む」と言って聞かなかった。
それ以前に、まとめて飛行魔法で運ぶと提案したのだが却下された。意味が分からない。
「わたくし、人を背負ったのは初めてですわ」レティシアがずり落ちそうになるのを担ぎ直してクリスティーナが言う。
「良い経験になるな」アーシェの方は涼しげな顔だ、力持ちなのかしら?
このまま背負ってフェヴローニヤまで行くつもりなのだろうか? とクリスティーナが思ったところでアーシェが言う。
「この先少しいったところに小屋が見える。先ほどのような避難小屋のひとつであろう。そこで馬車を借り受けよう」
「そ、そうですわね」
クリスティーナは心を読まれたのではないかと訝ったがアーシェはそんなことはお構いなしに進んでいく。
ようやく小屋に辿り着くとクリスティーナは疲れ果てていた。それほどの時間ではないのだが、人を背負うようなことはまずない身分だ。もうちょっと身体も鍛えた方が良いかもしれないと反省しつつ、小屋に入った。
先ほどの避難小屋と同じような造りだ。嵐が去った後だけに中には管理人しか見当たらない。
「少し休ませてくださいませ。それから馬車は借りられますか?」
「おや、大丈夫ですか?」と心配そうな管理人に案内され、宿泊用の部屋のベッドにとりあえず二人を降ろした。
「馬車はすべて出払ってしまっています」管理人が済まなそうに言った。
「乗り合い馬車は来るのかしら?」
「ほんの先ほどフェヴローニヤから各避難小屋に通達が来まして」管理人は困り顔で続ける。「馬車を徴用するとのことで、馬も馬車も持って行ってしまったのです」
「徴用? 何ごとですの?」
「分かりません。私どもも困っているところでして……」
とりあえずトールヴァルドの手当をさせてもらい、ボロボロになっていた服はクリスティーナの荷物から合いそうなものに着替えさせた。ちょっと可愛らしい服だが仕方ないだろう。
「着替えさせたので入ってもよろしくてよ、アーシェ」
「うむ。ご苦労であった」
アーシェがトールヴァルドの顔を覗き込む。「まだ目を覚ましそうな気配はないの」
「ええ。血も少し流れていましたので、今夜は泊まった方がよろしいかもしれませんわね」
「うむ」アーシェは隣のベッドのレティシアを見て言った。「こっちはしばらく目を覚まさぬであろう」
「分かりますの?」
「前に聞いたことがあるのだが、魔力を使いすぎて倒れたことがあるそうだの。そのときは三日も寝ていたとな」
「まぁ……」
よくもまぁあれだけ魔法が使えるものだと感心していたのだが、どうやら魔力の限界まで使ったようだ。魔法使いとして一番やってはいけないことだ。
「あれでユリウスが退かなかったらどうするつもりだったのでしょうね?」
「そなたはどうしたかな?」
「わたくしですか?」
アーシェが興味深そうにクリスティーナの目を見つめている。真っ赤な瞳だ。
「……わたくしは」クリスティーナはちょっと目を逸らして言った。「シュタールには手を出さないと約束していますので何もしませんわ」
「フフ、そうか」
アーシェは少し笑って視線をレティシアに戻した。「レティは最悪自分が連れ去られるだけならトールヴァルドを守れると考えたのであろう。優しい心根だと思わぬか?」
「そ、そうですわね」
仕方ないので一泊することにして、とりあえず夕食をとることにした。食堂にはクリスティーナとアーシェだけだ。乗り合い馬車の話はともかく、自分で馬車を持っている旅人や商人が立ち寄っても良さそうなものだが誰もいない。
「こんなものなのですかね?」
「うむ? なにがだ?」バクバクと食事をしていたアーシェが顔を上げた。
「人が少なすぎませんこと?」
「うむ。余には分からぬ」
またバクバクと食べ始めるアーシェ。小さな体のどこにこんなに食事が入るのだろうと訝しみながらクリスティーナも食事を続ける。
「お客様、ひとつニュースが入りました」暗い顔をした管理人が二人が食事をしているテーブルにやってきた。
「何かしら?」クリスティーナが顔を上げた。
「はい。北のオースルンドがフェーディーンに対して宣戦を布告したそうです。レッジアスカールックともども攻め込んでくるのではないかという話です」
「なんですって?」
「馬車を徴用していったのもそのためかと。各地に伝令などを送るのに使うのでしょう。しばらく馬車は戻りそうにありません」
オースルンドはレッジアスカールックの属国だ。フェーディーンに攻め込むのもレッジアスカールックの意志だろう。
「エールヴァールとも戦争しているのに、この上オースルンドと戦争なんて大丈夫なのかしらね?」
「エールヴァールとはいったん休戦するようです。ニュースを届けてくれた者がそう言っていましたので」情報は避難小屋や乗り合い馬車を運営する組合の者かららしく、管理人いわく話は確かだそうだ。
「困りましたわね」
管理人がそそくさと去って行くとクリスティーナが呟いた。
「争いごとが好きな者が多すぎるの」食べながらアーシェが言う。
「本当に……」
クリスティーナは食事を止めて頬杖をついた。
「フェーディーンの首都フェヴローニヤは北西にありますわ。オースルンドが攻め込んでくるのも時間の問題でしょう」
「国境から近いのか」
「ええ、それにレッジアスカールックと一緒ともなればかなり大きな戦いになる可能性が高いですわ」
「余が思うに」ようやく食事を平らげたアーシェが顔を上げて言う。「ここフェーディーンとエールヴァールはおかしな戦争をしていたのだと聞く。それはこのような時には共に相手に当たれるようにということではないかの?」
「おかしな戦争?」
クリスティーナはアーシェからフェーディーンとエールヴァールの戦争の話を聞き、目を丸くした。
「そんな戦争聞いたことがありませんわ」
「だが事実だそうだ。思うにこの二国はそのレッジアスカールックとやらの横やりを恐れているのであろうとイリスが申しておった」
「イリスレーア姫が……」
そう言ってクリスティーナはふと気付いた。
「そう言えば、イリスレーア姫はどうしたのです? それにフィクスという青年も一緒にいたはずではなくて?」
「モレナールからフェヴローニヤまでの道のりは二手に分かれたのだ」
「どうしてです?」
「あまりに大勢では疑われるからと申しておったな」
「まぁそう言われればそうかもしれませんわね」
このアーシェや普通の人間のフィクスはともかく、レティシア、トールヴァルドにイリスレーア姫までいたら、どんな集団なのだという話になってもおかしくない。
「ところで聞いていませんでしたが、あなたはどなたなのです?」
クリスティーナはアーシェの話を全然聞いていないことを思い出した。なんで子供と一緒なのだろうとは思っていたが、聞く機を逸していたのだ。
「余はアーシェだ。トールヴァルドの弟ということになっている」
「なっている?」
「深くは話せぬ。喋りすぎるとレティに怒られるのでな」
「そうですか」
何かわけがありそうだが話せないと言うのなら仕方ないとクリスティーナはあっさり諦めた。今はそれよりもこれからどうするかを考えなくてはならない。とはいうものの最良手は割とすぐに浮かんだ。
「イリスレーア姫たちはすでにフェヴローニヤの町に入っているのですよね?」
「うむ? 何も巻き込まれていなければ恐らくな」
「わたくし、ひとっ飛びフェヴローニヤまで行って、イリスレーア姫たちに知らせますわ。それが最善ではありませんか?」
「うむ。そなたが良いのであればそうして欲しい」
「よろしくてよ。さすがにすぐにはシュタールも追っ手は出せないでしょうから、明日くらいまではここも大丈夫でしょう。今から飛べば陽が落ちきる前にフェヴローニヤに着けますわ」
「ではよろしく頼む」
クリスティーナはいったん部屋に戻って、トールヴァルドとレティシアの様子を見て、それから外に出て飛行魔法を唱えた。
「ではアーシェ、二人のことはよろしくお願いしますわ」
「うむ。任せよ」
アーシェは魔力を吸ってしまうのでレティを背負えません。
続きは明日です。




