第四話 二日目 山小屋があったところ 天気晴れ
声を上げる暇もなかった。爆発によって巻き上げられた煙が収まってきて見回すと山小屋は跡形もなく、広い空が見える。防御魔法が守ってくれなかったら一緒に吹き飛んでいたに違いない。いったい何ごとだろう?
「オーホッホッホ! 見つけましたわよ、レティシア・ローゼンブラード!」
上空から響いて来た声の方を見上げると、一人の女性が腰に手を当てて浮かんでいる。
いかにも貴族が着そうな派手な服に、長い金髪は軽く巻いていて、勝ち気そうな青い瞳が私を見下ろしている。
……面倒くさい奴に見つかった……
レティシアの記憶が囁く。言われるまでもなく面倒くさそうだ。
「アーベントロートが落ちたと聞いて、慌てて飛んできましたけど、貴女なら必ず逃げ出してると思いましたわ! オーホッホッホ!」
片手を口に上品に笑っている。こんなステレオタイプなお嬢様がいるんだろうか、と一瞬思ったが、この世界ではよくいるのかもしれない。
……彼女はクリスティーナ・ベステルノールランド。なぜかしつこく私を追ってくる……
レティシアの記憶が教えてくれた。いきなり魔法を撃ち込んできたことからも味方とは思えない。
「ええと、クリスティーナ・ベステルノールランド、さん? 何かご用ですか?」私はとりあえず聞いてみた。
「何か用かですって!?」クリスティーナが驚いたように目を見開く。「貴女との決着はまだ付いていませんのよ! 貴女が牢獄に逃げ込んでしまったので、わたくしの不戦勝でも良かったのですけど、それでは気が済みませんわ!」
決着て……。どんな因縁があるのだろうと記憶を辿ろうとしたけど、レティシアにとって思い出したくないことなのだろう、記憶が返事をしてくれない。
ひとまず逃げよう。まだどうしたら良いかも考えがまとまっていないのに戦っている場合ではない。逃げるのに適した魔法を記憶から探して、頭の中で呪文を浮かべる。
「そうですか、では」と言ってクリスティーナのほうに手をかざし、「水の攻撃魔法」と小さな声で呟くと、大きな丸い水の塊がクリスティーナを一瞬で取り囲んだ。
「えっ!? ゴボゴボ」クリスティーナが水の球の中で苦しそうにもがいている。
私は飛行魔法を唱えて少し浮かび上がり、全速力で飛ぶように念じた。
「こらっ! ゴボゴボ! 待ちな! ゴボゴボ! さい!」
水の球の中で溺れかけているクリスティーナの声を聞きながら私は全速力でその場から逃げた。
低く飛びながら、私はどこに逃げるべきかを考える。
「とは言っても、ここがどこなのかも分からないし、どうしたものかな……」
かなりの距離を飛んだところで、畑が広がる田園地帯のようなところに出た。平地で飛行魔法を使うと目立ってしまうので、私は魔法を切って農道に降りた。靴が大きすぎて歩きにくいけど裸足で歩くわけにもいかないので、カポカポと音を立てながら歩いていく。
「麦畑ね」
私には植物関係の知識はあまりないけど、これが麦であることは分かった。小麦色に実っているということは今は6月ということなのだろうか? とにかく一面麦畑で相当に広い。遠くに風車のようなものも見えているが、家らしき建物は見えない。
「とりあえずあそこまで行ってみよう」
私は風車を目指す。歩きながらもっと姿を隠すような魔法がないものかと記憶を探すと良さそうな魔法があった。
見えなくなるわけではないけど、身体の外に漏れる魔力を消して、魔法使いの気配を無くす魔法だ。この魔法を掛けていると他の魔法が使えないようだけど、気配がなくなれば簡単にレティシアだとバレることもないだろう。
「気配を消す魔法」さっそくその魔法を唱えた。足元に魔法陣が現れ、光が一瞬私を包むとすぐに消えた。
「これで良しと。結構大きな風車ね」
しばらく歩いて風車の側までやってきた。木製の大きな風車は羽の大きさが五メートルはありそうだ。周囲に人影は見えない。
「ふう」
風車の入り口のところの階段に腰を降ろしながら私はひと息ついた。どうも魔法を使うと疲労感がある。老人看守は無尽蔵の魔力とか言ってたけど、魔力があれば使っても疲れないわけではなさそうだ。
「あの人は大丈夫かな? 大丈夫よね」
クリスティーナ・ベステルノールランド。強そうな魔法使いだったので、あれくらいは大丈夫だろう。無事で、そしてもう追いかけてこないで欲しい。
「これからどうしょう」
途方に暮れるばかりだ。レティシアにはアジト的な住まいがあったようだが、ベルナディス大公国という国の山奥らしい。近くまで行けば記憶が場所を教えてくれるだろうけど、ここがどこなのか分からない以上、向かいようがない。
アーベントロート、シュタール、ハーフルトがこの大陸の東南に位置することは分かっているし、ベルディナスが北西にあることもレティシアの記憶にある。だからといって北西方向にただ飛んでいけば良いというものでもない。
「うーん、私に居場所なんてあるのかな……」頭を抱えていると、ふと目の前に人の気配を感じて私は目を上げた。
「おや、お嬢さん。何かお困りかな?」
爽やかな青年がにこやかな笑顔で私を見下ろしている。いかにもやさ男な雰囲気だ。カーキ色のシャツにデニムのような素材のボトム。年の頃は二十歳を超えたくらいか。
「迷子かな? そんな警戒しなくても大丈夫だよ」
レティシアの記憶にはない男だ。兵隊には見えない。この辺の住人だろうか?
「……ええと、ここはどこですか?」とりあえず今一番知りたいことを聞いてみる。
「国で言えばノーブルヌだよ。君が閉じ込められてたアーベントロートからは、ルベルドーを越えて西にあたる国だ」青年は笑顔を深める。「レティシア・ローゼンブラード」
「!」
私は咄嗟に気配を消す魔法を解いて、すぐに魔法を使える準備をする。この男を足止めできる魔法はいくつもある。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。僕はフィクス。君は覚えていないだろうけど、ヴェードルンドでも会ったことがあるんだが」
……ヴェードルンド。レティシアが滅ぼした国か。ヴェードルンドで暮らしていたとか? それでレティシアを恨んでるとか?
「会ったと言っても酒場の話だからね。僕は盗賊のようなものさ。ヴェードルンドでは君のおかげでずいぶんと稼がせてもらったよ」フィクスはそう言って笑った。
「私のおかげ、ですか?」
「ああ、あの時の大混乱に乗じて色々とね」
「そうですか」そんなことを言われても知らないし、ヴェードルンドを滅ぼしたことの記憶はなぜか出てこないのだ。これもレティシアにとって思い出したくない記憶なのかもしれない。「もしかして私を付けてきたのですか?」
「いやいや」フィクスは大げさにかぶりを振った。「完全なる偶然だよ。たまたまこの辺りにいたら凄い速度で飛んでる魔法使いを見かけたので来てみたら、君だったというわけだ」
私はこういうタイプが苦手だ。というか、中学高校と一貫教育の女子校で過ごし、女子しかいない短大に進んだのだ。父と弟以外の男性と話をする機会なんてほとんどなかった。
「そうですか。場所を教えていただき助かりました。では、私はこれで」と立ち上がった私をフィクスが留める。
「まあまあ、急ぐ旅でもないだろう? よければ君が閉じ込められてたこの十年ほどに何があったか知りたくないか? それにその服装でウロウロするのはあまり見栄えの良いものじゃないよ」
この十年と言われても私はこの世界に来てまだ二日目だ。大して興味は持てないけど、たしかにこの服装はイケてないのでどうにかしたいとは思っている。
そんな私の逡巡を見逃さずフィクスがすかさず私を誘う。
「では行こう。すぐそこに僕のこの辺での隠れ家があるんだ。他には誰もいないけど、念のため気配は消しておいた方がいい」
これを掛けると他の魔法が咄嗟に使えないんだけど、掛けないとまたクリスティーナみたいのに嗅ぎつけられても困る。仕方ないので私は気配を消す魔法を掛け直し、フィクスに付いていくことにした。
ちょっと分かりにくいんですけど、
・隠蔽魔法は、姿を見えなくする魔法
・気配を消す魔法は、魔法使いの気配を消す魔法
です。
続きは明日です。