第三十六話 ユニオール暦八百七十三年七月四日 ユニオール城 天気晴れ
「陛下にお会いしたいのだが」
「なりません。誰も通すなとのお言葉です」
「私は王国宰相のアンブリスだ。知らぬわけではあるまい。火急の用件であるぞ」
「勅命です」
王の部屋の扉に立ち塞がる近衛兵とのこのやりとりも何度目だろう。ユニオール王国宰相アンブリスはため息を吐いた。
アンブリスは執務室に戻り、椅子に腰掛けると目の前に山と積まれた書類を見てまたため息を吐きそうになったが思いとどまった。
ため息ばかり吐いていても仕方ないな。
書類はすべて国王陛下の裁可が必要なものばかりだ。そして陛下が部屋から出てこなくなってすでに五日目。政務は大幅に滞っている。
姫様が戻られたあたりから陛下は少し様子が変だった。その姫様も今は離宮に閉じ籠もっているというし……。
何かよく分からないことが続いている。しかしこのままでは政務がどうにも進まない。アンブリスは比較的軽い案件については自分の裁量で進める許可を出し、陛下の裁可がどうしても必要なものだけ残した。残ったのは外交や軍事関係の書類ばかりだ。
「閣下、政務官のバルナバーシュ殿がお見えです」秘書官が伝えてきた。
「うむ。通せ」
バルナバーシュが執務室に入ってくると、アンブリスは応接に席を勧め自分も腰掛けた。
「何か分かったか?」
「はい」バルナバーシュはちょっと周りを見回してひと息ついた。
「ここは私の他には誰もおらぬし、聞き耳を立てられるようなことはない」
「はい、クラウディア王女ですが、どうやら大怪我をされたとの噂がございます」
「大怪我だと?」アンブリスは首をかしげた。「七日前に王城に来られた際にはピンピンしておられたが、この短期間に何があったというのだ?」
「詳しくは分かりません。王女には側近しか近づけません。ただ離宮で働く者の噂では五日前ほどから部屋に閉じ籠もられていると」
「ふむ……」
クラウディア王女は七日前、フラッと王城に戻ってこられた。実はその以前から、留学先のダービィにいらっしゃらないという報告を受けていて、極秘に捜索していたのだ。行方不明だった一年あまり、いったいどこにいらしたのかを聞きたいところだったが、国王陛下はとくに気にも留めなかったようで何も聞かれなかった。
王女はいったい何をされているのか……。五日前と言えば国王陛下が閉じ籠もった時期とも符合するな。
アンブリスは何か嫌な予感がしたが、王国宰相たる自分でも陛下に会えないのだ。これ以上どうすればよいのか。
「国王陛下については何か分からぬか?」
「何も……。近衛隊長にも会えずじまいです」
「そうか、分かった。ありがとう。引き続き情報収集を続けて欲しい」
こうなったらまずはクラウディア王女に直接会ってみるしかない。
アンブリスはおそらく自分ひとりで離宮を訪れても会えないだろうと踏んで、魔道士団のセラフィーナを誘って一緒に行くことにした。
「宰相殿、姫が大怪我をされたというのは本当なのですか?」
「そういう噂だ。本当のところは分からぬ。そなたは王女と親しかったではないか。何か聞いておらぬのか?」
「はい、何も聞いていません」
馬車で離宮に移動しながら、何か聞ければと思ったがセラフィーナも何も知らないようだ。セラフィーナは王女と同い年、同じ女性と言うこともあって昔から親しかったはずだ。
「ダービィ留学から戻られたとお聞きしたので今度伺おうと思っていたところなのです」心配顔でセラフィーナが言う。
「そうか」
王女がダービィで行方知らずになったことは公表しておらず、ごく一部の者しか知らない。セラフィーナも知らないのだろう。
「離宮に到着いたしました」御者が告げた。
入り口の警備兵に自分とセラフィーナが王女に会いに来た旨を話すと、しばらく待たされただけですんなり中へと通された。
屋敷の入り口で見舞いの品を下ろし、二人は中に入った。
「王女がお会いになります。こちらへどうぞ」
待たされることもなく、メイドの案内に従って屋敷の奥へと進む。ひときわ大きい扉を開いて、進むように言われた。
「クラウディア姫!」
王女を見たセラフィーナが真っ先に駆け出した。
「どうされたのです? その腕は?」
クラウディアは右腕を肩から手まで包帯でぐるぐる巻きにされている。上半身だけベッドに起き上がっていたが痛々しい姿だ。
「久しいな、セラフィーナ。元気であったか?」
王女はセラフィーナを見て少し微笑んだ。顔色はもともと白かったが、さらに青白く見える。
「わたくしのことなどどうでも良いのです。この腕はどうされたのです? ああ、なんと痛ましい……」
「案ずるなセラフィーナ。大した怪我ではない。しばらく休んでおれば回復する」
「本当ですか?」セラフィーナの顔から心配の色は消えない。「ですがご不便でしょう。わたくしを側に置いていただけませんか?」
「フフフ、嬉しい申し出じゃな。聞いたな、宰相? 手配を頼む」
「かしこまりました」
アンブリスは跪いて答えた。そして言葉を続けた。
「クラウディア王女殿下。ご療養のさなか恐れ入ります。国王陛下が部屋に籠られ、お会いできないのです。何かご存知ではありませんか?」
「ふむ……。我もこの通りゆえ帰国のご挨拶以来はお会いしておらぬ。その方は宰相であろ? 会えぬのか?」
「近衛兵に誰も通すなと命じられていらっしゃるようでして目通り叶いませぬ」
「そうであるか」クラウディアはベッド脇の呼び鈴を鳴らし、メイドを部屋に招き入れた。
「王城に参るゆえ支度せよ」
「姫様!」セラフィーナが驚いて止める。「そのお怪我で外出などなりません」
「セラフィーナ、宰相はいたく困っておるようだ。そしてそれは政が止まってしまっておるからであろう」
「はい、しかし──」
「我はユニオールの王族としてそれを見過ごせぬ。案ずることはない。父上にお会いして少し話をするだけじゃ」
陽はすでに落ち、夜の帳が降りている。王女とともに王城に戻ると、療養姿の王女に驚き城の騎士や文官たちがわらわらと集まってきた。
「王女様!」
「どうされたのですか、クラウディア様?」
「何があったのですか姫様!?」
集まって跪く皆を前に、セラフィーナに支えられながらクラウディアが言う。
「心配を掛けて済まぬ、皆のもの。大した怪我ではないのだ。案ずるな」
どう見ても重傷だし、セラフィーナに支えられなければ歩けない状態だ。アンブリスも気が重いが、それ以上に今は国王陛下に会わなくてはならない。
「クラウディアじゃ。通せ」王の部屋へと通じる扉の前に立ちはだかる近衛兵にクラウディアが告げると、近衛兵たちは無言で跪いて道を空けた。
「父上、クラウディアです。入りますぞ」
セラフィーナはクラウディアを支えているので、アンブリスが扉を開き、ゆっくりと部屋に入る。
王の部屋は広い居間とその隣に寝室がある。居間には王の姿はなかった。
「寝室かの? 宰相見てきてくれぬか」
クラウディアの言葉に従って隣の寝室へ足を運び、中を覗き込みつつアンブリスが声を掛ける。
「恐れながら国王陛下、クラウディア様が参られてござ──」
アンブリスは言葉を途中で止めた。いや、続けられなかった。それは、ベッドの上の国王陛下の姿が目に入ったからだ。横たわる国王陛下の胸には短剣が突き立てられ、ベッドは血に染まっていた。
母国ユニオールでのクラウディアは人気者です。
続きは明日の昼頃です。




