第三十二話 十七日目 ペイロの町からリーゼクーム海峡 天気晴れのち暴風雨
昨日ここ、ペイロの町に着いた時にはどんよりとした曇り空だったけど今朝は快晴、良い気分だ。宿で朝食をとった私たちは港に戻った。
「イリス、見てください。すごいですよ」
私の指差す先、トールヴァルドの船はすっかり修理が終わっただけでなく、前面と側面に鉄板が張り巡らせてある。
「海峡を越えるための強化装甲ね。半日でここまで仕上げるとは良い仕事ね」イリスも関心している。
タラップを渡ると甲板では船員たちがまだ忙しそうに作業を続けている。
「おう、戻ったか。昨夜はゆっくりできたか?」私たちを見付けたトールヴァルドが声を掛けてきた。
「はい。襲撃もなく、ぐっすり眠れました」
「カッカッカッ、そりゃ良かった」そう言って笑うトールヴァルドの顔には疲労の色が見える。きっと作業は徹夜だったのだろう。「間もなく出港するぞ」
「分かりました。私たちにも何かできることがあれば言ってくださいね」
出港してしばらくすると船室の小窓から見える景色が明らかに変わってきた。空はどんよりと黒い雲に覆われ、波も高くなってきた。当然船も揺れ始めている。
「リーゼクーム海峡に入ったんですかね?」
「そのようね」イリスが読んでいた本から目を上げた。「読書はやめておいた方が良さそうね。これ以上揺れると間違いなく酔うわ」
「ずっとこんな感じなんでしょうかね」
「どうかしら? 聞いている話だともっと酷くなりそうだけど」
リーゼクーム海峡は強い潮流が複雑に絡み合っている上に暗礁も数多くあり、そのうえ年中天候が悪くて暴風が吹き荒れたり濃霧に覆われたりするという。
「普通は通過しようと思わないようなところなんですね」
「そうね」
前後左右に揺れる中、ぼーっと小窓の外を眺める。波って本当に三角になるんだなぁとかどうでも良いことを考えていると、イリスが立ち上がった。
「このままだと船酔いするから何か手伝うことはないか聞いてくるわ」
「あ、じゃあ私も──」
「ううん、レティは休んでいて。まだ完全に疲れが取れたわけじゃないでしょ」
たしかになんとなく気だるいが、それを言ったら私以上にイリスの方が疲れていそうなものだが。
「私は体を動かしてるのが好きだから」と言ってイリスは笑って出ていった。体力あるなあ。
一人でぼけっとしていても仕方ないのでアーシェとシルックと話をしようと思い立った。二人は私たちの船室と廊下を挟んで逆側の船室にいる。本来はフィクスも同室なのだがトールヴァルドに駆り出されて仕事中らしい。
「この様子だと昼食は無さそうだの」
私が部屋に入ってきたのを見てアーシェが真っ先に言ったのは食事のことだった。海峡通過中は揺れることが多いため、時間ではなく揺れが少ない時を見計らって各自食べることになっている。
「無理でしょうねえ。というかアーシェ、もうお腹空いたんですか?」宿での朝食も人一倍食べていたように見えたが。
「うむ。そういうわけでもない。食べられるときに食べるのが大事なのだ」
「まぁそうですよね。成人というか大きくなってからは何を食べるんですか?」
「成竜になってからは何も食べぬ。代わりに周囲の魔力などを吸収している」
便利というべきか、でも食事が楽しめないのもちょっと寂しい気がする。
「シルックと同じような感じですね」
「うむ。人間とはずいぶん違う」
「偉大な五体のドラゴンって不思議ですよね。モンスターって感じがしません」
「モンスターとは人間が名付けた呼称に過ぎぬ。余は余でしかない」
「格好いいですね」
アーシェがニッと笑う。
船が大きく揺れ、腰掛けているベッドから転げ落ちそうになった。いよいよ本格的に荒れてきたようだ。
「アーシェには何か役割はあるんですか? 人間のすることを見張るとか、悪いことをする人間を懲らしめるとか」
「そのような役割はない。種が異なれば道理も異なるであろ。余が他の種に口を挟むことはない」
「でも少なくとも人間の方はアーシェに近付いてきますよね?」
「うむ。数が多くなってきたからの。あの者のように悪意を向けてくる者もおれば、その方らのように手を貸してくれる者たちもいる。敵味方それぞれだの。それは人間以外も同じだな」
アーシェがシルックの方を見て微笑みかけた。
「私たち妖精の中にも色々います」シルックは相変わらず無表情だ。「人間と同じです」
また船が大きく揺れた。波による揺れだけでなく側面に何かぶつかってるんじゃないかと思えるような振動も続いている。
「それにしてもすごい揺れですね。こんなのが五日も続くかと思うとウンザリです」
「まったくよの。それにしてもちょっと喉が乾いたの」
「じゃあ──」
「私がお茶をもらってきます」
シルックが立ち上がろうとした私を制して部屋から出ていった。
「のう、レティよ」
「はい、なんです?」
「余は全ての理を知るわけではない。だがある程度は知っておるつもりだ」
「そうでしょうね」
偉大な五体のドラゴンは転生を繰り返して気が遠くなるほどの長い時を生きているのだ。人間の英知など及ばないこともあるだろう。
アーシェの真紅の瞳がまっすぐに私を見つめる。
「そなたはこの世界の人間ではないな?」
アーシェの言葉に冷水を浴びせられたような衝撃を受けた私は何も返事ができなかった。
「……」
「どのような事情があるのか知らぬし、聞いても余にはおそらく分からぬ。だがそなたがこの世界とは異なる理で生きていることは分かる」
「……そうですか」
昔のレティシアを知っている人が今の私を見れば「なんか違うな」とは思われるかもしれないとは考えていたけど、まさか私が別の世界の人間と気付かれるとは。さすが偉大な五体のドラゴンだ。
「私はそんなにおかしいですか?」
「いや」アーシェはかぶりを振った。「見た目や話し方、内容などではない。そなたがまとっている気がこの世界のものではないのだ」
「気……ですか?」
「うむ。どう説明すれば良いのかは余にも分からぬがな。もしその方が真実を知りたいのであれば大地を探すが良い」
「……大地のドラゴンですね」
「そうだ。あれはこの世界のあらゆる知識を蓄積しているのだ」
真実……。私がなぜ転生したのか、それが分かるのだろうか?
「大地が何を話すかは知らぬ。だが会う意味はあるだろう」
「大地のドラゴンはどこにいるのですか?」
「分からぬ。やつはこの世界を旅している」アーシェはそこで言葉をいったん切って、また続けた。「探さぬでもいずれ出会うであろう」
いずれ会えるのかな……。
「そうそう、余はそのことについて皆の前では一切触れぬ。案ずるでない」
「……それは助かります」
「だが一つだけ覚えておくのだ。この世界の理とそなたの世界の理とは異なることもあろう。そのとき安易にその方の世界の理を持ち込んではならぬ」
「分かっています、いえ、今改めて肝に銘じておきます」
たしかに、どうして私がこの世界に、そしてレティシア・ローゼンブラードに転生したのかは知りたい。
でもこの世界に来て二十日足らずではあるけど、そしていろいろ追われておたずね者状態だけど、イリスやフィクス、トールヴァルドと出会って、この世界も悪くないと思い始めている自分もいる。
私はどうしたいのかな……。
アーシェにはバレていました。
続きは明日です。




