第三十一話 ユニオール暦八百七十三年六月三十日 聖都カンペリエ 天気雨
「やっぱりここにはいないかしらね」
クリスティーナは独り言を呟いた。レティシアたちをスティーナに逃がして、その後すぐに追いかけようとしたのだけど、なんだかんだとお爺様に引き留められて出発が遅くなってしまった。
困ったお爺様だこと。
もちろん祖父として孫の私の幸せを願ってくれていることも、ラスムス王妃の父として娘の心配事を無くしたいと思っていることも分かる。でも私には私の人生がある。
クリスティーナは小さくため息を吐いた。
レティシアたちが六月十九日にスティーナを出たと仮定すれば、二十二、二十三日にはここ、カンペリエに着いていてもおかしくない。もっとも、そうだとしてもとっくに出発してしまっているだろう。
そもそもレッジアスカールックに入国したとしても、カンペリエに立ち寄ったかどうかは怪しいところだ。レティシアはレッジアスカールックにとってはおたずね者でもある。その首都である聖都カンペリエに入るのは危険と考えても不思議はない。
「今晩は泊まって明日リューディアに向かいましょう」
カンペリエは町並みの美しいことでも有名だ。白い石造りの建物が立ち並び、古い教会やモニュメントなども町中にたくさんある。色々見て回りたいところだけど、あいにくの天気だ。
「大通りの方に行けば宿はあるかしら」
クリスティーナは今、カンペリエの中心とも言える聖レッジアスカールック大聖堂前の広場にいる。跡継ぎ争いでゴタゴタしていると聞いていたのだけど、この雨の中でも観光客らしき人は多い。
人混みを抜けつつ大通りの方に歩き出すと、突然傘を差し掛けられた。
「?」振り返るとにこやかな男性だ。「なんでしょう?」
「いえ、貴女のような美しい方が雨に濡れているのを見ていられませんもので」
「……なんの冗談ですこと? ユリウス・クライバー?」
「しーっ!」男性は慌てた、というかおどけた様子で口に指を当てた。「こんなところでフルネームは止めてください」
クリスティーナはため息を吐いてユリウスを見据えた。「なんでこんなところにいらっしゃるのかしら? と言っても目的はだいたい分かりますけど」
「そうですな。その辺の話をするためにそこのカフェでお茶でもいかがです?」
「……分かりましたわ」
クリスティーナとユリウスはカフェの片隅の席に着いた。他にも客はいるがここなら他の客には声は届かないだろう。
「お目当てのものは見つかりませんでしたか」
「見つかっていたらこんなところであなたとお茶を飲んでいませんわ」
そう言うとクリスティーナは紅茶に口を付けた。実に安っぽい味だ。
「もっともですな」
「あなたもレティシアを探しているのでしょう?」
「おっしゃる通りです」
「シュタール帝国騎士団ナンバー2のユリウス・クライバーが探すほどのことなのかしら?」
「もちろんです。アーベントロートは我が帝国が治め、運用していくことになりました。レティシア・ローゼンブラードには刑期を全うしてもらわなければなりません」
「……嘘ですわね?」
クリスティーナの指摘にユリウスはちょっとおどけて肩をすくめた。「嘘ではありませんが、もちろん建前です」
「わたくしとしてはレティシアをまた牢に入れられては困るのですけど」
「それはレティシア・ローゼンブラード次第ですな」ユリウスも紅茶に口を付けるとちょっと眉をひそめた。「彼女が我々に協力してくれるなら刑期はゼロになるでしょう」
「そんな大事なことなのね」
でもクリスティーナはそれ以上に突っ込んで聞こうとは思わなかった。興味はあるがまともに教えてくれるとは思えない。
「クリスティーナ殿は今レティシア・ローゼンブラードがどこにいるのか分からないのですね?」
「分かりませんわ。スティーナまでの足取りしか追えていないのです」
「レティシア・ローゼンブラードたちがスティーナに現れた六月十九日、スティーナ沖で海戦があったそうですな」
クリスティーナもその情報は得ている。海賊トールヴァルドがレッジアスカールックの船と戦ったらしい。
「レッジアスカールックの船はすぐに白旗を上げたと聞きましたわ」
「その後、もう少し西の沖でもレッジアスカールックの小艦隊と海戦があったとのことですよ」
「それも聞きましたわ。五、六隻のレッジアスカールック船とトールヴァルドでしょう? あの海賊がその程度の相手に負けるはずがありませんわ」
「我々としてはその戦いにレティシア・ローゼンブラードが噛んだのではないかと見ているのです」
レティシアとトールヴァルドに交流があるのはもちろん知っている。だが、そんな些細な戦いにレティシアが加わるだろうか?
「どうかしらね?」
「まぁ真偽のほどは分かりません。ただ、そうだとするとトールヴァルドまで仲間に加わってしまったのではないかと危惧しているのです。なぜか、すでにアンハレルトナークの拳姫まで一緒なのですから」
「そうですわね。その三人が一緒ではあなたにも荷が重そうですわね」
「もちろん、その三人に正面から挑むような愚かな真似はしませんよ」そう言ってユリウスは笑った。「ですが、我らが皇帝陛下はレティシア・ローゼンブラードを捕らえてくるよう命じられました。勅命は絶対なのが宮仕えのツラいところです」
大してツラそうには見えないが、かなりな無理難題であることは分かる。
ユリウスは紅茶に口を付けようとして不味かったことを思い出したか止めて、言葉を続けた。
「先ほどカンペリエの港にハーフルト艦隊が入ってきました。しかも十五隻もです」
「ほう」クリスティーナもそれは驚いた。港は朝方に見ただけだ。「西に向かうのかしら?」
「いえ、西から戻ってきたようです」
「西から?」
「はい」ユリウスは真面目くさった顔で続ける。「ハーフルトの艦隊は一個師団で二十隻のはずです。それが十五隻しかいなかった。これが何を意味するのでしょうか?」
「……五隻沈められたとおっしゃるの? ハーフルト南方艦隊の司令は替わったのではなかったかしら?」
「旗艦グラナドではなく別の船が司令旗を掲げていました。あのいけ好かないオールフェルド家の坊ちゃんではないようです」
「でしたら、トールヴァルドに五隻沈められてすごすご戻ってきたという可能性もありえますわね」
ハーフルトの南方艦隊司令はクリストフェル・オールフェルドだ。クリスティーナも一度会ったことがある。彼がいたらトールヴァルドにそう簡単に負けることはないはずだが、いなかったのであればどうにでも考えられる。
もっとも、二十隻の艦隊を一隻で相手をして、さらに五隻も沈めるなんて真似はなかなかできないだろう。たしかにレティシアがいれば可能かもしれない。
「それでもレティシアが合流したという根拠には薄いのではなくて?」
「おっしゃる通りです。ですが手掛かりがないのでこんな情報にもすがるしかないのです」ユリウスは両手をちょっと上げた。お手上げということだろう。「なにせ併合したアーベントロートの連中が無能揃いでして。レティシア・ローゼンブラードをことごとく逃がしてしまっていますからね」
ノーブルヌの首都でレティシアたちを追いかけていたのも、そのアーベントロートの連中なのだろう。有能無能は別にして、レティシアとイリスレーアのコンビを捕らえるのは普通の人間には無理だ。
「仮にトールヴァルドと合流したとすると、バルヴィーンかリューディアかということですわね。どのみちわたしくしはこの後リューディアに行こうと思っていますわ」
「そうですな。我らはバルヴィーンにでも行ってみようと思っています」
「そうですか」
クリスティーナはもう冷めかけた紅茶にまた口を付けて顔をしかめた。
「それで、そんなに情報をわたくしに伝えて、何が望みなのです?」
「大したことではありません。お互いに邪魔をしないということで今後もお願いしたいのです」ユリウスはにこやかに微笑んだ。
「もちろんですわ。あなた方が何をしていてもわたくし、興味ございませんわ」
「良いことです。これからのお互いの旅が実り多きものでありますよう」
ユリウスは慇懃に礼をして席を立ち、広場の人混みに消えていった。
「ふう」
クリスティーナは席を立たず、またため息を一つ吐いた。ユリウス・クライバーはまだ若いながらもシュタール帝国皇帝ジークヴァルト・シュタール七世の覚えもめでたい騎士だ。二年前のヴァーレク戦で大きな戦果を上げ、その名を上げている。
あのような者まで出てくるとは……。レティシア、あなたはいったいなぜそんなに追われているのです?
この時レティシアたちはちょうど海の上でクラウディアと戦っていました。
続きは明日です。




