第十八話 八日目 バーンハルド 天気曇り
結局イリスは昨夜は船に戻ってこなかった。一応、遅くなったので城に泊まると使いは来たのだけど心配ではある。
私は食堂で朝食をパクつくトールヴァルドの前の席に座った。「まだイリスは戻ってないですか?」
「ああ、まだだな」
「そうですか」
「カッカッカッ。いつからそんな心配性になったんだ。心配しなくてもじきに戻るさ」
トールヴァルドの言葉通り、私が朝食を終えるとイリスは城から帰ってきた。
「イリス、おかえりなさい。心配しましたよ」
「ただいま、レティ。ちょっと面倒な話になってしまって泊まりになってしまったわ」
案の定、バーンハルド王からイクセル元王子との婚姻を破棄することなく進めるように勧められたそうだ。アンハレルトナークに戻らなければ判断できないとイリスは断定を避けたそうだが、それならばバーンハルドの王子とはどうだと迫ってきたらしい。
「……節操ないですね」
「本当にね」とイリスは笑った。
「バーンハルドの王子と言えば」トールヴァルドが思い出したように言う。「あれだろう、レティシアのライバル、クリスティーナ・ベステルノールランドと婚約してるんじゃないのか?」
「そのはずなんだけど、どうもラスムスの方が婚姻に乗り気じゃないらしくて話が進んでないそうよ」
「ああ、レティシアが牢から出たんで結婚してる場合じゃないんだろう」そう言ってトールヴァルドはカッカッカッと笑った。私としては笑いごとではないんだけど。
「まぁ、バーンハルドの王子は軟弱者で有名だからな。強い嫁を探してるんだろう」
「それでイリスですか」
「ああ。王子はバーンハルド王がずいぶん年をとってからの子だ。長く男子が生まれなかったんで、大いに甘やかしてるらしい」
「ダメな跡継ぎに育ってるわけですね」
「先代のバーンハルド王は傑物だったらしいけど、今の王には大した能力もない。三代目になったらまたバーンハルドは割れるかもな」
私のいた世界でもよくあった話だ。偉大な王の子や孫はたいてい無能で国を潰すだけの存在だ。
「まあ、断ったんだろ? 放っておきゃいいのさ」
「ええ、誤魔化してきたので大丈夫よ」
「よし、じゃ出港だ」
バーンハルドを出港して真っ直ぐ北西に進めばリューディアに着く。だがその航路だとレッジアスカールックの領海を通ることになる。
そこで面倒を避けるため、真っ直ぐ西に向かっていったん隣の島、バルヴィーンの港町バルテルスに寄ってから北上する航路を取ることになった。
「レッジの船なんか怖くはないが、見つかると面倒だ。ちょいと時間は掛かるがバルヴィーンを経由した方が良いだろう」とトールヴァルド。私たちも異存はない。
バルテルスまでは風の状態によるが四、五日。そこからリューディアまでは二日ほどの船旅だ。時間もあるので、とりあえずリューディアに着いてからどうするかをフィクス、イリスと話し合うことにした。
「リューディアからドンカークへ向かうルートですかね」私は食堂の地図を見る。間に一つ国があるがそれほど遠くはないように見える。
「そうだね。ドンカークには信頼できる仲間がいるので会っておきたい。秘宝についての情報もあるかもしれないし」
フィクスの盗賊仲間なら、アンシェリークの秘宝について何か知っている可能性はあるだろう。
「フィクスはアンシェリークの秘宝について何か知らないんですか?」
「いや、僕個人は知らない。ただ、変に隠しても仕方ないんで正直に話すと、うちの組織でも一時期秘宝を探したことがあるんだ」
「組織……、前に言ってた盗賊団みたいなものですか?」
「そう。もっとも表向きは商会の体は取っていたけどね。イリスなら聞いたことあるかもしれない。アルフシュトレーム商会と名乗っていたんだけど」
「ええ、聞いたことあるわ」イリスが頷く。「うちの国にも出入りしてたんじゃない?」
「アンハレルトナークにも支店はあったよ。貿易の仕事も本当にしていたんでね」
「それで、裏では盗賊もしてたんですね。悪人じゃないですか……」
「まぁ、今さら言い訳しても仕方ないんだけど」フィクスが私の冷たい目に慌てて言葉を続ける。「悪い奴からしか盗まないことを組織の掟にしてたんだよ。だから表立って追われるようなこともなく、傍から見れば健全な商人だったと思う」
あくどい貴族や大商人が大っぴらには表に出せない金や宝石、美術品なんかを盗んでいたらしい。本当なのかどうかは分からないが確かめる手立てもない。
「今はもうやってないんですか?」
「五年前に商会は解散したよ。メンバーもバラバラさ」
「それでその一人がドンカークにいるんですね?」
「そう。そのドンカークにいるのが、以前アンシェリークの秘宝を追っていたメンバーの一人なんだ。彼女なら何か知っているかもしれない」
そんな話をしていると、食堂の扉を開けてトールヴァルドが入ってきた。
「ここにいたか。甲板に出てみな。面白いものが見れるぞ」
甲板に出て、トールヴァルドの指さす方を見ると、水平線のほうに何やら鳥の群れのようなものが見える。ジッと見てみると鳥ではない。レティシアの記憶が蘇る。
「なんだ? ドラゴンか!?」
目を凝らしたフィクスが声を上げると、私、イリス、トールヴァルドの三人が声を揃えて一斉に返事をした。
「違いますよ」
「違うわね」
「違うぞ」
「えっ?」と振り返るフィクスに私が答える。
「あれはエンシェントワイバーンの群れですよ。百匹はいそうですね」
偉そうに答えはしたけど、もちろん私だって初めて見た。でも見た瞬間にレティシアの記憶が教えてくれたのだ。実に便利だ。
「エンシェントワイバーン?」
「ええ、ドラゴンと同じ種族ですけど、ドラゴンよりずいぶんと小さいですし、前脚も短いです」
ドラゴンは四つ足で歩くが、ワイバーンは二足歩行だ。群れで飛ぶのは珍しい、ともレティシアの記憶が教えてくれる。
「でも、あんな大群は初めて見ました」
「珍しいだろ」トールヴァルドは言う。「私も初めて見た。バルヴィーンに向かってるのが気になるところだけど、ワイバーンは人を襲うような性質ではないし大丈夫だろう」
見た目とは異なりワイバーンは大人しく、穏やかな種族だそうだ。
「でも群れで飛んでるのは何か気になりませんか?」普段と異なる行動を取るのは何か理由があるはずだ。
「あれほどの数は確かに見ないけど、ワイバーン自体は数匹の群れで行動することはよくあるわ。そんなに問題はないと思うわ」イリスの国元、アンハレルトナークでもワイバーン種はいるらしい。
「まぁ、バルテルスでは少し荷を積んだらすぐに出港するつもりだから、何かあっても関係ないさ。気にするな」
嫌な予感はするけど今できることは何も起きませんようにと祈るくらいしかない。
船旅です。
続きは明日です。