第百二十一話 六十二日目? 淵源の樹 百層目 天気不明
百層目に入ると明らかにそれまでとは違う雰囲気だ。まず天井がない。つまりここが淵源の樹の一番上だ。広場のようになっていて周囲は若木が生えている。
そして張り詰めている空気が違う。空には夏の太陽が照っているのに肌寒ささえ感じる。
フランシスがいるんだ。
広場を見回すと向こうに人影が見える。目を凝らせばフランシスであることが分かった。二、三十メートルは離れているのに気というかオーラが見えるかのようだ。空気がピリピリしている原因はこれだ。
「いくぞ」
クラウディアが歩き出す。私たちも後を付いていく。フランシスまで十メートルほどの距離でクラウディアは足を止めた。
「待たせたの、大地のドラゴンよ」
「フフ、そうね。私が考えていたよりは時間が掛かったわね」
「何か話したいことはあるか?」
「いえ」フランシスは微笑みながら首を振る。「もう言葉はいらないでしょ?」
フランシスはそう言うと片手を上にあげた。その手の先で赤い光が大きくなっていく。攻撃だ! 私は慌ててイリスとトールヴァルドに補助魔法を掛けた。
「イリス! トールヴァルド! 気を付けて!」
「ええ」
「おう!」
二人がフランシスに向かっていく。イリスは伸縮棍を伸ばし、トールヴァルドも剣を鞘から抜いた。
「とおっ!」
先にフランシスに攻撃を加えたのはイリスだ。鋭い棍がフランシスの頭辺りに振り下ろされたが、頭に当たる瞬間に緑色の光が棍を弾いた。
「防御魔法!?」
「いや、あれはドラゴン固有の防御術じゃ。あの二人の攻撃は届くまい」
「そんな! 落ち着いてる場合ですか!?」
「来るぞ」
フランシスが上げていた腕を私たちの方に振り下ろすと赤い光が巨大な矢となってこちらに飛んでくる。
「防御魔法!」
とっさに防御魔法を展開したが、その瞬間私の体は宙に浮いていた。
「えっ?」
そして私のいたところで赤い矢が着弾して爆発を起こす。
「防御魔法では防げぬ。攻撃されたら逃げよ」私の上からクラウディアが言う。助けてくれたのか。
「分かりました。ありがとう、クラウディア」
フランシスに目を移すと今度はトールヴァルドが火の出るような攻撃を浴びせている。剣が体に届く前に緑の光がガードしているが、凄まじい攻撃だ。
「とおっ!」
トールヴァルドの放った剣がフランシスに稲妻を浴びせる。雷光斬だ。
「無駄よ」
フランシスが微笑む。
「二人とも下がれ!」クラウディアが叫ぶ。「風の刃の攻撃魔法!」
いくつもの風の刃がフランシス目がけて撃ち出される。しかしそれも緑の光に阻まれた。
「物理攻撃も魔法も私には効かないわ。知ってるでしょ?」フランシスは余裕の表情だ。「それに、魔法はこうやって使うのよ」
そう言うとフランシスは右手を前に軽く振った。そこから風の刃が私たち目がけて飛んでくる。
「うひょ」
なんとか避けたが、クラウディアの風の刃よりも数段大きな刃だった。私たちの後方で若木がバサバサっと音を立てて堕ちた。
「たしかに埒が明かぬな」クラウディアが私の隣に降りてきた。
「こんなことをいつまでやっていても無駄よ。それにご覧なさい」フランシスが広場の周りの若木を指さす。「見えるでしょ? 間もなく花が咲くわ」
「え!?」
花が咲く? 三日の猶予があったはずだけど……。たしかに周囲の若木をよく見ると、つぼみが膨らんでいる。咲き始めそうだ。
「ちょうど三日経つのよ。あなたたちがのんびりしてたから」
「のんびりしてたつもりはないんですけど……」
「フフ、どのみちもう終わりよ」
ということはそもそも百層もあったら三日でクリアなんて不可能なわけで、クリアさせるつもりはなかったわけだ。まぁそれはそうだろう。
「クックックッ、果たしてそうかな?」
クラウディアが不適に笑い出した。何か挽回の手があるんだろうか?
「もう打つ手はないでしょ? クラウディア」
「見るが良い」
そうクラウディアが言った時、ふいに周囲の若木が一斉に火に包まれた。それだけではない。周囲からも猛烈に火が上がっている。あっという間に周りは黒煙に包まれた。
「え!? なんですか!? 火事!?」
「慌てるな、レティシア」
「落ち着いて、レティ」
トールヴァルドとイリスが私のところに戻ってきた。
「……どういうこと?」氷のような笑顔でフランシスがクラウディアを見る。
「そこじゃ」
クラウディアが指さしたのは、私たちが登ってきた九十九層目からの穴だ。だが何もない。
「?」
何もないですよとクラウディアに言おうと思った瞬間、飛行魔法に乗った女性が飛び出してきた。クリスティーナだ!
「クリスティーナ!?」
「間に合いましたわね」クリスティーナが私たちの方を見る。「花は全部燃やしましたわ。安心して戦いなさいませ」
「燃やした? どうやって?」
「こうやってですわ」
クリスティーナはそう言うと手をフランシスの方にかざした。手から強烈な炎が出てフランシスを直撃した。
立ち上る紅蓮の炎に包まれるフランシス。だがしばらくすると炎は消え、当然のように無事なフランシスがクリスティーナを見る。
「……それはアンシェリークの……」
「そう、アンシェリークの秘宝ですわ」
「まさかまだあったのね」
「ええ、この通りね」クリスティーナが左の手のひらに赤い光を放つ球を浮かせている。あれがアンシェリークの秘宝なのだろう。「あなたの知識が災いしましたわね、フランシス」
「フフ」ちょっと俯いてフランシスが笑い出した。「ハッハッハ、そのようね。私の知識ではとうにアンシェリークの秘宝は失われたはずだった。よく確認もしなかった私のミスね」
フランシスはひとしきり笑うと私たちの方を見据えた。
「でも別にこれしか手がないわけじゃないわ。人間を滅ぼす手段なんていくらでもあるのよ」フランシスがそう言うと緑色の光がフランシスの身体を覆っていく。
「まずい、二人ともレティシアの飛行魔法に乗れ!」クラウディアがイリスとトールヴァルドに言う。私は咄嗟に飛行魔法を出して宙に浮いた。
緑の光に包まれたフランシスのシルエットがだんだん大きくなっていく。そして形を変えていく。ドラゴンになるつもりだ!
「ドラゴンになりそうですよ!」
「おそらく淵源の樹は崩壊する。一度離れるのじゃ、クリスティーナも」
「分かりましたわ」
樹から少し離れた上空に避難する私たち。見ると樹の周囲は全て炎と黒煙に包まれている。アンシェリークの秘宝すごいな。
「見よ」
クラウディアの言葉に樹の頂上に目を移す。緑の光がどんどん大きくなっていく。頂上の広場を覆い尽くしてもさらに巨大化していく。
「樹が!」トールヴァルドが叫んだ。
淵源の樹が上空から緑の光に押しつぶされるように徐々に崩れていく。樹が完全に炎と黒煙に飲み込まれていく。
「せっかく面倒な試練をクリアしたのにあっけないものですね」
「たいした試練でもなかったであろ。そんなことよりも今度こそ最終決戦じゃ。気を抜くな、レティシア」
「分かってますよ、クラウディア」
クリスティーナが近寄ってくる。
「わたくしにも手伝わせてくださいませ。相手は大地のドラゴン。手数は多い方がよろしいでしょう?」
「うむ」クラウディアが頷く。「では手伝ってもらおう。その炎は良い戦力じゃ」
「クリスティーナ、気を付けてくださいね」
「分かってますわ」
崩れ落ちていく淵源の樹を見ながら私は最終決戦に向けて気持ちを入れ直した。
フランシスとの戦いが始まりました。
次話は金曜日の予定です。