第百十七話 六十二日目? 淵源の樹 第六層 天気不明
「また一人ですか……」
思わず独り言が漏れる。
三層目の迷路をクラウディアと一緒に抜けて、四層目は四人かなと思ったらまたしても一人だった。続く五層目も一人、そしてここ六層目も一人だ。
「はあ、今度はなんですかね……」
四層目では、階段を登り終えて周りを見回すといきなり落下し始めた。地面が突然消えたのだ。でも、落下しながらこれは明らかに幻影だとすぐに分かった。
なんせ本当に高いところから落ちてるからね……。
私はアーベントロートの牢獄で高いところからの落下を経験している。言葉では説明できないが、本当に落ちている時と肌が感じる感覚がまったく違った。
案の定しばらく落ちているといきなり足下に地面が現れて着地した。なんの衝撃もない。それだけで四層目は終わりだった。
階段を登り五層目に入ると、今度は大量の水が押し寄せてきた。あっという間に私は飲み込まれてみるみる水没した。
でも慌てることはなかった。私は泳ぎが得意なのだ。水に対する恐怖もない。それに、なによりここでの出来事は基本的に幻影だとすでに分かっている。リアルではあるけど子供だましだ。
すぐに浮上してしばらく浮かんでいると、水がひいて階段が現れた。服も濡れていない。
そしてここ六層目に登ってきたのだ。
周囲は見渡すかぎり荒野だ。二層目と似ている。とりあえずあてもなく歩き始める。
「そろそろ一日くらいは経過したんじゃないかなあ」
とはいっても眠くもなく、お腹も空いていない。ついでにトイレにも行きたいと思わない。実に不思議だが、そういう空間なのかもしれないと納得するしかない。
しばらく歩くことにする。
代わり映えのない風景が続く。
「ん?」
先の方の岩陰に何か見えた。ちょっと早足で向かう。
「え?……」
イリスがうつ伏せで倒れている。
「イリス!?」急いで駆け寄り、抱き起こすと胸のあたりの服が血で真っ赤だ。息もしていない。
一瞬、背筋が寒くなる感覚が襲った。でもこれも幻覚のはずだ。私は顔を上げて言う。
「精霊さん! いるんですよね? これはあまりに悪趣味ですよ」
目の前に浮かび上がるように白い衣装の精霊が現れ、その瞬間イリスの幻は消えた。私を見下ろしながら精霊が言う。
「そなたは冷静だな」
「幻覚にはいい加減飽きました。早くフランシスのところに行きたいんですけど」
「幻覚だと分かっても心が動かずにはいられぬはずだ。なぜそんなに落ち着いていられるのだ?」
そうだろうか? 幻覚と分かっていれば対処は簡単だと思う。もともと私はお化け屋敷とかホラー映画とか、その手のものには強い方なのだ。
「そういう性質なんです。あなたたちは何を知りたいんですか?」
「……人間はもっと直情的で攻撃的な性質ではないのか?」
「それは人によると思いますけど……、そんなに攻撃的な人はいないんじゃないですか」
「それにしては人間たちは常に戦争を繰り返しているではないか」
たしかにそうだ。でも戦争は直情的で攻撃的な人だけがす起こすわけではない。
「戦争をしている当事者たちはみな自分の正義を信じて戦っているんだと思いますけど」
「正義か」精霊が目を閉じる。「正解の無い概念だ」
「そうですね」
「その正義とやらのためにこの千年、人間以外の多くの種が滅びた」
「……」
「これ以上人間を放置しては人間以外の種が滅んでしまう。大地のドラゴンはそう言った」
「……そうですか」
「だが我らはそれが人間だけの責任とも考えてはいない。種には終わりがあるものだ。だから我らは人間の本当の姿を知りたいと思ったのだ」
私のいた世界でも自然破壊が進み、多くの生き物が絶滅したりしているそうだ。難しい話はよく分からないけど、そう言う面では人間は迷惑な存在なのかもしれない。
「人間は色々います。優しい人もそうでない人も、戦争を好む人もそうでない人も。ひとくくりには言えませんけど、話せば分かる人もたくさんいますよ。戦争が無くなれば他の種の滅びは防げるんですか?」
「防ぐことはできない。遅らせることはできる。しかし、戦争をなくすことはできないであろう?」
「……そうですね。でも減らすことはできますよ」
なんだか哲学的というか政治的というか、よく分からない話になってきた。私はこの手の話が苦手なのだ。でもここで思考を放棄することはできない。
「できるのか?」
「はい、私がやりますよ。いえ、私だけじゃなくて、イリスやトールヴァルドだって平和を望んでいるはずです。クラウディアだって話せば分かってくれます」
いざとなれば戦争の火種を一つずつ潰していっても良い。私はともかくレティシアにはその力がある。イリスもトールヴァルドも手伝ってくれる。クラウディアは……なんとかしないといけないけど。
「面白い返事であった」精霊が頷く。「他の二人はおおよそそなたと同じような返事をした。だが、もう一人はまったく違う答えだったぞ」
まったく違う返事をした一人。おそらくクラウディアだろう。ちょっと背中に冷や汗が流れた。
「なんと言ったんですか?」
「自分が世界中の人間を従わせる。そうすれば戦争はなくなる。それまで我慢せよ、と言った」
「はぁ……」
やっぱりクラウディアだ。
「話せば分かるというそなたの返事とは逆だ。それでもそなたはできるというのか?」
「……はい」ここでできないとは言えない。
「では次の層でその者と話をしてもらおう」
精霊がそう言うと階段が現れた。
「その者から戦争する気を削いで見せよ」
レティシアに幻覚は通用しませんでした。
次話は水曜日予定です。